教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

第三回教育情報回路研究会(2)

2007年01月07日 23時55分55秒 | Weblog
 第三回教育情報回路研究会二日目。今日も、参加者は20名前後。
 ホテルチェックアウト後、徒歩で東北大へ。途中、強い風雨にみまわれ、寒かった…。ちなみに、冬の東北を体験するのは今回が生まれて初めてなのですが、今年は暖冬のためか、思ったほどきびしくはなかったように思います。
 今日の研究会もたくさん得るものがありました。坂本氏の発表では、開拓という本土とは違う環境が、北海道の教育会にも独自性を与えていること、実業教育を推進したい行政側の思惑に対し、教育会が区会・道会を通して普通教育推進派の意見を通させたこと、という事実を知りました。
 新谷氏・永江氏の発表では、福岡最初の県教育会は県側に圧力をかけられてつぶされたこと、機関誌発行・集会開催の事業を通して、県外著名者の講演や県内有力者の教育問題への意見を、会員(教員)に情報提供・交換していたこと、会員たちが地方教育会雑誌や教育雑誌を回覧する組織が組織化されていた事例があること、という事実を知りました。また、昨年の全国地方教育史学会大会で、私が「明治期における教育会の情報交換」と題して発表した時のように(私の時は教育会同士の交換のみを発表)、福岡県私立教育会と新聞・雑誌を交換をしていた教育会や出版社の一覧を示されたのには興味をひかれました。福岡の県教育会も、やっぱり新聞雑誌の交換で全国各地とつながっていた面があったんだな、と感じました。また、何より、現存する郡教育会館の調査により、従来未発見であった多量の教育会雑誌が発見されたという報告が、知的な興奮を与えてくれました。今まで私は、県教育会館にはあるかも…調べに行きたいなぁ…と考えていましたが、郡教育会を調べることなど考えつきもしなかったのです。現存している県・郡教育会は全国にいくつもあるようなので、それぞれの事務所を尋ね、史資料の現存状況を調査する価値は十分にあるように感じました。しかし、私にはそのために必要な金と人脈がないのが残念(笑)。援助してくださる方がいれば、いつでもどこでも動きますぜ!
 前田氏の発表では、1930年代以降の帝国教育会と地方教育会が連合し一つの団体(後期大日本教育会)へと収斂していった様子が、地方教育会側の積極性が鍵であったことがわかりました。帝国教育会の研究は、私も専門とするところですが、専ら明治期のことを研究するので手一杯なので、昭和期のことを詳しく知ることができて幸いでした。明治期にも帝国教育会(大日本教育会)と地方教育会との合同の話は何度も出ていましたが(とくに大日・帝教側から)、なぜ実現しなかったのだろうか、という問題の一端に答えるもので、非常に興味深かったです。本日の発表者(敬称略)と題目は以下の通りでした。

1.坂本紀子「北海道の教育会」
2.新谷恭明・永江由紀子「明治後期における福岡県教育会会報について」
3.前田一男「1930年代以降の帝国教育会の再編-帝国教育会と地方教育会とのかかわり」

 研究会後、他の先生方と一緒に、K先生に仙台駅まで送っていただきました。台風並みの低気圧の影響か、新幹線が遅れ気味でした。最終便で東広島駅に着くので乗り遅れないか心配でしたが、無事帰り着くことができました。二日にわたる研究会参加の目的は、自分の発表はなかったので専ら研究情報の収集でしたが、その意味で私にとって大成果を得られたと思います。多くの先生がた、院生がた、お世話になりました。今後ともよろしくお願いします。行ってよかった~。
 帰りの新幹線では、以下の本の一部をパラパラと読みました。やはりいずれも以前読んだことのある本でしたが、今読むと全然違って見えますね。

1.寺崎昌男・竹中暉雄・榑松かほる『御雇教師ハウスクネヒトの研究』東京大学出版会、1991年。
2.中内敏夫『教育思想史』岩波テキストブック、岩波書店、1998年。
3.中野光・平原春好『教育学』有斐閣Sシリーズ、有斐閣、1997年。
コメント
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