日々描いたマンガやスケッチ、似顔絵などを貯めていく貯金箱のようなブログ。
スケッチ貯金箱
父の戦友として(一式陸上攻撃機)
私はメカの絵は、得意ではない。
実はこれは、私の父が海軍で搭乗していた、
一式陸上攻撃機という、爆撃機である。
この先端部分、ガラス張りの所に乗り組んでいたという。
飛行機のナビゲーター役というか、飛行している位置や方角を計測・計算して
伝える役割であったらしい。
この飛行機で、爆弾や魚雷を積んで出撃したということだが(南方方面が多かったようだ)、
二度ほど、訓練中に故障で不時着というか着水したそうだ。
一度は霞ヶ浦、もう一度は三宅島沖で、
後者の時は一昼夜洋上を浮遊物につかまって漂った末、
島に漂着したという。
また、米戦艦を攻撃するのに、船首を回して魚雷を避けられないように、
四方から同時に十字型に戦艦へ魚雷攻撃をし、
戦艦の上で、クロスするように互いをよけながら飛ぶ、という
もうほとんど正気とは思えない攻撃もした、という話だ。
その時、戦艦を越えようと機首を上げた視界の先に、
船上の米兵の顔が、表情が見えたそうである。
何という出会い方なのだろう。
お互いに、こんなことをするために生まれて来たわけでもなく、
互いに殺しあう謂われはないはずなのに。
その父は、終戦間際、何と陸軍兵を乗せて(父は海軍)、
サイパンの米飛行場へ強行着陸をし、そこから敵陣へ切り込んで奪回する、などという
活劇さながらの無謀な特攻作戦を準備させられたまま、終戦を迎えたそうである。
滅茶苦茶ですよね。
戦争っていうものが、どういうものだか、私はこういうことから想像するのだ。
その父は、今病院で過ごしている。
母は、「お父さんは軍に勤めた期間が少し足りないから恩給が貰えないんだよ。」
と言っている。
そんな目に遭っているのに、父は戦友の話などを懐かしそうにしていた。
父の青春は、そこにあったわけだから、私は何とも言いようがないのだ。
若くして亡くなった戦友を悼む気持ちは、分かるような気がするし。
(分かる、と偉そうに断言することは、さすがに気が引ける。)
その父のために、絵を描いたのだ。
この飛行機も、父の戦友であろう。もしかすると、父自身の一部かもしれない。
ただの機械ではないのだと思う。
戦争に使った飛行機だから、人によっていろいろな考えはあると思う。
しかし、この機については、私は客観的にはなれそうもない。
だから、これは正確な「図」ではなく、
父の戦友を、父自身を描いた「絵」のつもりである。
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