今日は、実際の授業での学生たちの反応を紹介したいと思います。
ネット授業の今より少し前の段階、前期6月頃の感想文です。
最初は1年生の女子学生、次は2年生の男子学生のものです。
「私は、最近の授業で習ったことを昔、考えていたことがある。
でも、いつも途中でよく分からなくなり、気持ち悪くなってやめてしまっていた。
自分が今、ここにいる理由というのは単純なようでいて、とても難しいと思う。
先生は、宇宙が137億年かけて私達を産みたかったと理解していると、おっしゃっていたけれど、私もそのように思った。
18年前に産まれて、色んな人とであって、成長してきたが、それらも単なる偶然などではなく、宇宙がそうすべく、私に与えてくれたように感じる。
それに、また、なぜ産まれてきたのか、よく分からず、今、友達と出会って隣にいられることも、偶然だというのでは、なぜかむなしく感じてしまう。
しかし宇宙の意思によって存在しているのだと思うと、自分というものが見えてくるような気がする。
137億年前、宇宙が始まった瞬間から私がここに産まれることは決まっていて、そしてようやく存在することができたということを、嬉しく思える。
色々なことで悩んでいることも、本当にちっぽけだと感じた。
考え方1つでこんなにも変われると思うとすごいと思った。」
*
自分はなぜ生きているのか、死んだらどうなるのか、誰もが抱いたことのある疑問にちゃんと答えてくれる大人にこれまでの人生で会っていない若者が非常に多数のようです。
つながり-かさなりコスモロジーは、そういう深い問いへの相当に説得力と治癒力のある答えになるものではないか、と私は考えています。
*
「僕は先生の話を聞いて、以前の自分の考えと今の自分の考えが大きく変化しました。
でも、正直なところ初めは先生がおっしゃっていたことを素直には受け入れようとはしませんでした。
それは、自分が今まで考えてきたことと、先生がおっしゃっていたことがあまりにも違うからです。
僕は今までは、物事をこのようにとらえてきました。
「偶然」に、物質(原子)が生まれ、その物質が「偶然」にもくっつき、「偶然」にも星が生まれ、「偶然」にも生物が発生し、「偶然」にも人間が生まれ……というような考えを、今まではそれが当たり前だと、自分の中で理論づけてきました。
しかし、先生の話を聞いて、それは違うのではないか?と思うようになったのです。
よく考えてみれば、そんな「偶然」って、そんなに連続して起りえるのだろうか?という考えです。
もちろん、確率の話で言えば0%ではないわけであり、可能性を全ては否定できません。
しかし、それを仮説として挙げるには、理論にはほど遠いモノとなってしまいます。
そんな僕に、先生は「進化は方向性がある。宇宙には意思がある。すなわち、方向性があって決められている。それは必然的なのである」とおっしゃいました。
たしかに私たち人間という、おかしな生物がこの地球に生まれたことを偶然と呼ぶには説得力がないと思います。
先生がおっしゃる通りに、宇宙に意思があるなら、私たちは何らかの意味をもって生まれてきたのかもしれません。
私たち人間は心と体を持っています。
私たち人間の体は、水分、タンパク質、脂肪などの様々な成分から成り立っています。
それと同様に私たちのまわりにあるすべての物は何らかの成分で構成されているのです。
先生は講義の中で、「ビッグバン仮説」なるものをおっしゃっていました。
この仮説を使えば、すべてのモノは一緒で自分(主体)とそれ以外のもの(客体)に区分・区別されているにすぎないと言えるのです。
僕は以前は、モノとモノ(生物を含む)は個々で成り立っており、一つのモノとは考えもしませんでした。
この授業を受けて、その考えはなくなり、自分と他の人との間の「心のしこり」のようなものが取れたような気がします。
最後に、これからも先生が私たちの見落としている考えを教えてくれることを期待しております。」
*
近代的なコスモロジーから現代的コスモロジーへの変化を自分のこととして体験することを、この学生はとても適切な言葉で表現していると思います。
「自分と他の人との間の『心のしこり』のようなものが取れたような気がしています」と。
ネット学生のみなさんはいかがでしょうか。こういうふうな心の変化を体験しておられますか?
人気blogランキングへ
