細胞たちの協力体制の創発=多細胞生物

2005年11月05日 | いのちの大切さ

 本格的な酸素大気ができ、オゾン層が形成されて紫外線がかなり吸収され、海面近くでも生きられるようになり、細胞が複雑化していく中で、宇宙カレンダーの12月5日(10億年前)、複雑化がさらに1段階ジャンプして、多細胞生物が創発します。

 多細胞生物とは、いろいろな細胞が役割分担をしながらつながりあっている生物です。

 私たち人間もいうまでもなく多細胞生物で、私たちの体には、最近の説では、何と37兆2千億個もの細胞があって、協力しあっています。

 例えば骨細胞、内臓の細胞、脳細胞などなど、実にさまざまな細胞が役割分担をしながらつながっているわけです。

 たまには協力体制がうまくいかなくて病気になることもありますが、ふつうは実にみごとに一糸乱れず協力しあっているのです。

 これもまた、驚くべきことですね。

 ここでも重要なのは、役割分担をしながらつながりあっていること――分化と統合――です。

 とても興味深いことに、それが自然に一貫して見られる法則のようです。

 ここでもし、細胞が「みんなお互いに平等じゃないか」と主張しあって、役割分担=分業を拒否したらどうでしょう?

 例えば脳細胞以外の細胞すべてが、脳細胞に向って、「なんでおまえだけがカッコイイ脳細胞をやるんだ。おれも脳細胞をやりたい」といったら、どうなるでしょう。

 全部の細胞が脳細胞になったら、人間は生きていけませんね。

 ちょっと尾籠な話をすると、例えば肛門の細胞が「おれ、こんな汚い役、やりたくない。いちばんカッコイイ脳細胞をやらせてくれ」といって、役割を放棄したら、全体としての体は排泄できなくて死んでしまいます。

 そうすると、もちろん結果として肛門の細胞自身も死んでしまいます。

 セミナーの参加者の方が教えてくれたんですが、これとそっくりのネタの落語があるんだそうですね。

 ただ、その落語では、肛門細胞が目の細胞に向って、「なんでおまえだけ美人を見て楽しむんだ」とか、舌の味覚細胞に向って、「なんでおまえだけうまいものを味わっていい思いをするんだ」とかいうらしいのですが。

 それはともかく、全体としての体が生きるためには、すべての細胞や細胞の集まりである器官が合意をして、つながりあって役割分担をすることが不可欠です。

 それが命というもので、そういう場合、それぞれの細胞や器官にとって、損か得かという話はありません。

 たぶん、人間の集まりにもそれに似たことがあるのではないでしょうか。

 つながりあって役割分担をし、それぞれがそれを「ああ、これは私の役割だ」としっかり受け止めることによって、集団が生きるのです。

 みなさんは、すでに仕事に就いていたり、やがて就いたりするでしょうが、その場合、例えば日本の中で、世界の中で、そして進化史の中で、宇宙史の中で、何が自分の役割なのか、全体のつながりの中で自分がやるべき役割をしっかりと見極めていただけるといいと思います。

 特にこれから職業を選ぶ若い世代の方は、収入がいいかどうか、社会的評価が高いか低いかといったことを優先するより、何が宇宙から与えられた自分の役割なのかを見極めて仕事を選ぶといいと思います。

 そういう宇宙的役割を担うものであれば、仕事は宇宙的にすばらしいものになるはずです。

 逆にそういう選び方をしないと、いつかどこかで仕事に空しさを感じることになるのではないでしょうか。

 やや横道のようですが、多細胞生物が、いろいろな細胞の集まり、すなわち役割分担とつながりによってできているということは、より複雑な多細胞生物であり社会性生物である私たちにそういう人生の教訓も示してくれるのではないかと思うのです。

*念のためにいっておくと、私のいいたいことは、戦前の右寄りの思想家の「国家は全体としての生命体であり部分としての国民は細胞のようなものだ」という話と一見似ていると思われるかもしれませんが、根本的に違っています。詳しくは、拙著『自我と無我――〈個と集団〉の成熟した関係』(PHP新書)を参照してください。

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コメント (5)
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