人類は宇宙の自己認識-自己感動-自己覚醒の器官である?

2005年11月30日 | 生きる意味

 さて、今日の授業で、「つながり・かさなりコスモロジー」の話はひとまず終了です(授業はまだ続きます)。

 繰り返すと、物質自体が一つにつながった宇宙の一部であり、しかもそれは生命のないモノにとどまってはおらず、やがて生命に進化し、さらに生命の中から心を持った存在を創発させてきました。

それが、「つながり・かさなりコスモロジー」の目で見た、物・生命・人間の本質です。

 だから、一人一人の人間は宇宙137億年の歴史を担っていて、宇宙と一体であり、「宇宙の子」だと確実に言えるのです。

 これは、気づくとすごいことです!

 しかし、このすばらしい事実に、人間はどのくらい気づいてきたでしょうか?

 えらそうに言っている私を含めて、ほとんどの人間が気づいてこなかったし、いまだに気づいていない、と私には見えるのですが、みなさんはどうお考えですか?

 そこで注目してほしいのは、11時59分54秒のゴータマ・ブッダの誕生です。

 ゴータマ・シッダルタ(出家前の名前)は、〈縁起の理法〉を覚って、覚った者=ブッダになったといわれています。

 〈縁起〉とは、すべてが縁=つながりによって生起しているということです。

 つまり、宇宙はすべて一つ、すべてはつながっているということですね。

 ゴータマ・ブッダはそのことにはっきり目覚めた人類のもっとも先駆的な存在であり、その目覚めを〈縁起〉という言葉で表現してくれたのだと言っていいでしょう。

 (インドでは、例えばその前にすでに『リグ・ヴェーダ』を書いた名前の知られていない賢者など、もっと前に気づいていた人もかなりいたようですが)。

 誤解しないでいただきたいのは、筆者はここで特定宗教としての仏教の宣伝をしたいわけではないということです。

 そうではなく、これまでの話のつながりからすると自然に、「宇宙は137億年かけて目覚めた人=ブッダを生み出した」ということになる、と指摘したいのです。

 (これは、会った時にK・ウィルバーが言っていた「宇宙は150億年かけて道元を生み出した。すごいと思わないか?」という言葉の転用です。著作権表示をしておきます。)

 これは、現代科学の知見を基に推測していることですが、ほぼ確実に事実と見なしていいのではないでしょうか?

 そして、このことが意味しているのは、人類という存在は、ブッダのように「宇宙と私は一体だ」という目覚めに到る可能性・潜在力を持っている、ということではないでしょうか?

 人類の意識の発達・進化は、原人のような呪術的な心や古代や中世の人のような神話的な心、あるいは近代・現代人のような合理的な心の段階でとどまるものではないようです。

 そして大まかな言い方をするとブッダと同時代に、中国の老子、孔子、ギリシャのソクラテス、イスラエルのイザヤやエレミヤといった旧約聖書の預言者たちなど、世界のいろいろな文明圏で多くの賢者が登場しています。

 哲学者カール・ヤスパースは、人類の思想にとってこの時代は「枢軸の時代」である、と言っています。

 それから、今から約2000年前、11時59分55秒には、イエスが生まれています。

 イエスという人は、一言でいうと「神と私は一体だ」ということを自覚した人だ、と私は捉えています。

 そして、イエスのいう「神」とは、神話的な、天上のどこかにいる、白いひげの光り輝く超能力のおじいさんなどではなく、「全宇宙(コスモス)」のことだ、と解釈しています。

 そうした人類史に現われた賢者たちが、表現はいろいろですが、内容としては口をそろえたように、人間と宇宙との一体性を語っているようです。

 しかし、人類全体の平均的な意識としては、まだほとんどそのことに気づいていません。

 でも、はっきりと気づいた人もすでに先駆的にかなりの数登場しているのです。

 そしてここで重要なことは、彼らはおそらく私たちと生理的に違う脳を持っていたわけではなく、ただ心・意識の働き方・気づきのレベルが深かっただけだ、と思われることです。

 もしそうだとすれば、人類、特にその心の進化は、まだ現代の私たちの平均的な意識で終わりではないということになります。

 すべての人が、「宇宙と私はつながって一つだ」、したがって、「他の人とも、他の生命ともつながって一つだ」という自覚に到る可能性を秘めていると思っていいのではないでしょうか。

 そういう自覚のことを〈宇宙意識〉と呼びます。

 しかも、ここで最後にもう一度思い出しておきたいのは、人間は心も含めて宇宙の一部だということです。

 ですから、人間が宇宙を認識するということは、宇宙の一部が宇宙を認識しているということです。

 それはつまり、宇宙が人間の意識を通じて自分を認識しているということになります。

 だとすれば、さらにいうと、「人間は宇宙の自己認識器官だ」ということにもなります。

 もしかすると、人間は、宇宙が「そうか!私は宇宙だったんだ!」と自己確認・自覚するために、宇宙自身の内部に創造したものなのかもしれません。

 ……と、この授業の元になっている『宇宙と私のつながりを考える』というテキストを書いた時点では、ここまで考えていました。

 その後で、「ところで、人間の心がしているいちばん価値あることは何だろう? 認識することだろうか? いや、それよりも、美しいものやすばらしいものに驚き、感動している時がいちばん価値あることをしていると言えるのではないか?」と思うようになりました。

 そういう視点から見ると、人間・私が何かに感動しているということは、感動している私もその何かも宇宙の一部ですから、宇宙のある一部が宇宙の他の一部に感動している、ということになります。

 つづめて言えば、「宇宙が宇宙に感動している」わけですね。

 だとしたら、もしかすると、宇宙は単純に一つの宇宙のままだと自分で自分を見て感動することができないので、自分の中にあたかも自分でないかのような部分を創って、自分で自分を見て感動することができるようにした、と考えることもできるのではないでしょうか?

 「心をもった存在・人間は、宇宙の自己感動器官である」と言っていい、と私は思うのですが、いかがでしょうか?

 さらにブッダなどのことまで考えると、「人間は宇宙の自己覚醒器官になるために意識進化の途上にある存在である」とも言えそうです。

 これは、もちろんもう現代科学の標準的仮説の紹介ではなく、それを元にして、それと矛盾しないかたちで、その先まで、私や仲間たちが考えていることです。

 ともかく人類は、そういう大変な可能性を秘めた、しかしまだ未完成の作品です。

 だから、まだ傑作か失敗作か最終的な結論を出すことはできないのではないでしょうか?

 どちらになるかは、これから人類の多数が「宇宙と自分のつながり」に気づいて、それにふさわしく生きるようになるかどうかにかかっています。

 そして、気づくかどうかは、まず一人一人の問題であり、課題であると、私はそういうふうに考えています。

 もし人類の――特にリーダーの――多くが、宇宙との一体性に気づいたならば、近代のもたらした深刻な3つの問題、環境破壊、戦争、ニヒリズムは、根本的に乗り越えることが可能になるのではないか、と思われます。

 「傑作か失敗作か」という二者択一的な問題設定をしておいて、「どちらとも言えない」という解答例を出すのは、ちょっとイジワルに感じた方もいるかもしれません。

 もしそう感じたら、失礼!! そんなつもりではなかったんですけどね。

 みなさんも、この解答例を参考にして、ご自分の答えを見つけてください。


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コメント (7)
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