先に恐竜の絶滅の話をしましたが、同じ頃、恐竜と共に「変温動物」である多くの爬虫類も、寒さに耐えることができず絶滅しました。
これは、恐竜や爬虫類のそれぞれの種から見ると、とても悲惨なことが起こったように見えます。
しかし、進化の歴史の中では、こういう大量絶滅はまれなことではなく、生命40億年の歴史では少なくとも13回、最近6億年でも6回も起こっているそうです。
そして不思議なことですが、「大量絶滅」は生命の「全滅」ではなく、大量絶滅の後にかえって新しい種の進化が起こっているのだそうです。
それまでの種が絶滅することで、その種が占めていたなわばり(「生態学的ニッチ」と呼ばれます)が空き地になり、そこに生き残った種が新しい進化を遂げながら入り込んでいくということ(「適応放散」)が繰り返し起こるのです。
つまり、個々の種から見れば悲劇というほかない出来事が、生命全体の進化を促進するらしいのです。
いったい、これはどう考えればいいのでしょう?
宇宙が一つであり、一貫して自己組織化・複雑化という方向に進んでいるとすれば、一見破壊に見えることが、次の創発の準備になっているのではないか、と考えることもできます。
もっと古い例でいえば、超新星の爆発、つまり星の死が、やがてより複雑な原子からなる新しい星の誕生を準備したのと同じように、古い生命の種の死が、新しい生命の種の創発を準備したのかもしれません。
もっと古い例をあげると、そもそも水素原子が核融合を起こしてヘリウムになるということ自体、個々の水素原子から考えると圧力で潰れるのですから破壊です。
しかし、個々の原子が壊れるからこそ、新しい元素が創発するのですね。
もし、破壊が次の創発の準備であり、死が次の誕生の準備だとすれば、根源的には宇宙には不条理はない、ということになります。*
ともかく、恐竜や多くの爬虫類の絶滅がなければ、次の時代の哺乳類の繁栄はなく、哺乳類の繁栄と進化がなければ、霊長類の誕生もなく、したがって人類の誕生もありえません。
膨大な数の種の誕生と死という大きな流れの中に、人類も、私たちの先祖も、そして私も置かれています。
生命4〇億年の歴史、宇宙137億年の歴史は、こういうふうに今ここにいる私たちにまちがいなくつながっているようです。
そういうことに気づいた時、私たちの心には大きな感動と、そして自分を超えた大きな何ものかへの畏怖・おそれの念が湧いてきます。
最後に、前に引用した本の言葉をもう1カ所引用しましょう(『人類の長い旅』147~8頁)。
「あなたのからだのなかの生命を、ほんとうのはじまりまでたどりたいのなら、あなたは、先祖の家系図をさらにさかのぼって、何万年もむかしの原始的なホモ・サピエンス・サピエンス、もっとむかしのホミニド、そのむかしの霊長類、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類、ヒモムシ、最初の真核細胞、そして最後には、海のなかで自分の複製をはじめてつくった細胞まで、たどりつかねばなりません。
はじめての生細胞からあなたまでの生命の流れは、とぎれることなくつづいています。
あなたのからだのなかの生命は、35億年のあいだ、とどまることなくつづいてきたのです。
あなたは生命の木のいちばんあたらしいえだのさきにいて、地球上の他のすべてのいきもののえだと、その根もとではつながっています。わたしたちのいのちのはすべてもとをたどれば、何十億年もむかしの原始の海のなかの、最初の生細胞からはじまったのですが、それをさらにさかのぼれば、最初の生細胞をつくったアミノ酸と核酸塩基、さらに原始の大気のなかでくっつきあった分子、さらには、よりあつまって地球をつくった原子、そのまえにはこの原子のもととなった超新星、そのまえには、初期の星をつくった水素原子とヘリウム原子、そして空間の微粒子、そして最後には、すべてのみちすじのはじめとなったビッグ・バンにいきつきます。
わたしたちのからだをつくっているすべての材料は、150億年むかし、わたしたちの宇宙がはじまったまさにその時にうまれたものなのです。
自分のてをよくみてごらんなさい。そしてそのなかの原子がいままでにとどってきた旅について考えてみてください。
そして、これからその原子たちがたどらなければならない旅についても、考えてみてください。」
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*写真はNGC2403付近の超新星、NASA提供