中条の田んぼの会の稲刈りに行った。
そこはすごい傾斜地で小さな棚田が並んでいる。
限界集落と呼ばれるような超ド田舎。農業をやっている人はもちろん、住んでいる人も高齢者がほとんど。
我家は20年近く前から棚田のオーナーになって田植えと稲刈りに参加している。
田舎らしい田舎が気に行ったのか東京とか埼玉の都会の人もオーナーになっている。
昔ながらの鎌で一株一株刈っていく。
8株位をまとめて束ねる。
そんな作業は今時の百姓だって、多分やっていない。
虫倉山に抱かれたこの地で、田んぼの会を守って来たのは82歳になる会長さんだ。
その会長さんが手押しの稲刈り機を田んぼに持ち込んだ。
みんなで手刈りをしている横で、あっという間に刈り取り、束ねていってしまう。
うーむ、確かにこれは便利だ。高齢になってくれば、これ無しにはにっちもさっちもいかない。
技術の進歩は多大な便利さをもたらす。
だけど、一見無駄な手刈りの時に感じる喜びを奪ってしまう。
僕らの祖先が長年にわたって続けてきた手刈りの苦労や歓びを、失い忘れてしまいたくなくて、僕は棚田に通い続けた。
文明の進歩や科学技術の発達が、僕らの感情や感性を置き去りにする。
田んぼの会の存続も来年は危ぶまれる中で、僕はこれで最後になるかもしれない稲刈りをしっかりと体と心に焼きつけながら鎌を動かし続けた。
稲刈りが終わり、いつもはハゼ掛けをして天日に干すのだが、二日ほど雨が続き稲が濡れていたので、このままの状態で乾かすという。
会長の奥さんが作ってくれたおやつの時間は、毎年大きな楽しみだ。
凍み大根の煮物、ふきの煮付け、カボチャの煮物、ナスの漬物、キュウリの漬物。どれも絶品だ。
中条村は平成の大合併で、長野市の一部になった。
過疎の村で、それは仕方が無かったのかもしれないが、田んぼの会への行政の補助も手薄になった。
身売りした結果は、いいことなんか多分何もない。行政の効率化のために失われたものはたくさんある。
財政的な面でも、年齢の面でもそろそろ潮時なのかもしれない。
作業の後の交流会はやきもち家で行われる。
最後かもしれないと思うと、参加していきたいと思うが、午後4時からなので帰宅が遅くなる。明日はかみさんが早朝から出かける予定がある。
様々な思いを胸に抱きながら、会長さんや参加者達に挨拶をして中条を後にした。
ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
時は流れ、色々なものが徐々にあるいは急激に変わっていく。
色々な思いが詰まった新米は例年12月に会長さんの家に取りに行くことになるのだろう。