そろそろ

路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信のブログ

足利のジャズ喫茶、「オーネット」での名演!!

2008-09-15 23:24:34 | 日々の泡立ち。


高校3年生まで生活した街、足利に行ってきた。
地元の古いジャズ喫茶、「オーネット」で、「ST.サン
チュー・オーガスタ・ロダン(風間幸造〈Vo&g〉中村
至夫〈G〉小杉寿男〈key〉亀岡芳行〈Dr〉」というレ
ゲエ・バンドの演奏に触れた。

 当日は、音楽的にレベルが高いだけでなく、フレンド
リーな雰囲気で進行するイベントで、「いい感じ」と思
っていると、「今夜、レゲエ・パーティが名草であるか
ら、こない」と誘われる。

 で、「バイクできているから」と言うと「車に乗せて
いってあげる」とまで言ってくれたので、お言葉に甘え
て参加させてもらった。

 このパーティーも最高にいい雰囲気で、もう、最高の
足利滞在だった。最高によい演奏を聴かせるバンド、名
草という昔は、「山と巨石しかない」と思っていた場所
でのレゲエ・パーティ。足利も、どんどん変わっている
らしい。この街に、もう一度、住んで音楽中心の暮らし
をするのも悪くないとそう思ったのです。

    路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信

追記・てな気持ちで東京に戻った翌日は、新宿で歌った。
「てな、気持ち」には、ウソは、ないのだけれど、写真
のような「夜中のネオン」というのも捨て難くてね。



ショーケンこと、萩原健一さんの見た地獄を思えば・・・。

2008-09-11 23:55:25 | 日々の泡立ち。


  たまたま図書館でみつけて、ここ何日か、ご一緒して
いる俳優で、歌手の萩原健一さんの自伝、『ショーケン』。

 この本で驚いたのは、彼には、麻薬の不法所持で逮捕
されて、仕事がこない時期があり、いわゆるホサれていた
時期が何度かあるという。そして、この時期に、着ぐるみ
をきて人様の前に出る仕事をしたと書かれている。着ぐる
みをきて、天地真里のバックで踊ったこともあると。

 これは、彼が世に出る前の話ではない。テレビ・ドラ
マの『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』そして、『前
略おふくろ様』で人気を博した後。もちろん、グループ
サウンズの「テンプターズ」でデビューを果たした後も
後。彼が感じた「地獄」を思えば、何か、自分自身の抱
える苦しみなんて、屁でもないと思えてくる。

 一丁、がんばらねばね。

    路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信

追記・存在は知っていても、萩原健一さんの歌を真面目
に聴いた事がない。BOROの『大阪で生まれた女』や近藤
正彦がヒットさせた事のある『愚か者よ』とかを歌ってい
たのだっけ? 今度、機会があったらアルバムを聴いてみよ
うかしらん。

ハロー! ナナ。最近の名古屋の「路上音楽事情」を少し。

2008-09-10 00:47:52 | 路上ライブ


  せっかく、名古屋に行ったので、おさらいを含めて、名古屋の路上
事情を少し。

  名古屋の演奏場は、大きく分けて4つ。「名古屋駅前」「金山」「大
曽根」「栄付近の大通り公園」。基本的に、この何年かはノリは一緒。

 名古屋駅前の演奏の中心は、百貨店の下で、大阪の天王寺や東京・池
袋の西口に近い。基本的に充電式アンプで武装して自作曲を演奏する人
間が目立つ(頭上には、ひさしがあるものの、通行人が多く、道幅が広
いので、出力の小さい黄色のタクシーではなく、パワーのあるリムジン
が使われる。キューブ・ストリートでは、ちょっと、つらいな)。

 金山は、若いミュージシャンが多く、アットホームな感じ。
 絵描きや自転車乗りに囲まれた形の演奏になるねだけど、聴き手は体育
座りになって、ミュージシャンを囲んでいました。コピー曲多し。

 大曽根は、名古屋駅から少し放れた所にある環状線のターミナル駅。
 近くに飲み屋街があって、歌い手もかなり遅い時間から演奏を始める。
東京圏で言えば、川越とか藤沢、熊谷に近いのり。

 そして、最後は、栄。ここは、東京の原宿付近や大阪・城天のように大
規模な機材でバンド・スタイルで演奏する人が多い。

 名古屋の路上と言えば、何と言っても単行本『路上音楽』にも軽く出て
もらった「大島圭太」氏なのだけれど、その下の世代のよいミュージシャン
にも出会いました(そう言えば、この前、大島さんと話したら、ご本人は、
ハーモニカは吹けないらしく、「ハーモニカ・バイク旅」は、あくまで、
噂だったようです)。
 具体的なミュージシャンについては、今度、どこかの雑誌で書く機会を待
って下さい。
             路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信

追記・写真は、名古屋駅前の路上のシンボル、ナナ像。「土曜の夜10
時からナナの所で歌います」的な言い方がされていました。

愛されていない楽器は、やはり愛されていない人間と同じで。

2008-09-04 23:29:05 | お茶の水博士と歩く楽器街


 バイク旅で、パイパスを走っていると、ついつい
寄ってしまうのが、写真のような総合リサイクル店。

 洋服から、CD、DVD、パソコン用品、オーディオ
楽器まで品揃えも豊富だし、基本的に中古だから、思わ
ぬ安い価格のものまであって「掘り出し物」を探す楽し
みもある。

 ただ、楽器は、ろくなものがない。そのほとんどが、ギ
ター中心なのだけれど、まともに弾ける楽器は皆無に等し
い。たまに、状態のよさそうなものがあると思って弾いて
みると音が最悪だったりして。

 要するに、こういう所に集まるのは、「愛されていない
楽器」なのだろう。乱暴に扱われ楽器は、ネックが曲がっ
たり、細かいパーツが支障をきたす。

 例え、ピカピカでも、弾かれていない楽器は、よい音を
出す事はない。人と同じなのだ。愛されていないものは、
見捨てられ、成長することはない。

     路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信

追記・1日に何件も、そして、毎週のように通っている、
ごく、ごくたまにまともな楽器に出会う。私は、家の近く
のハード・オフで73年製のモーリスのアコギを3000円
で手に入れた。この個体は、素晴らしい。全体に大きな傷
はないし、前のオーナーが大切に、そして、ただしまい込
むだけでなく弾き続けたのだろう。合板ボディーながら、
しっかり膨らんだ音を出す。

 これだから、リサイクル店通いはやめられない。