アメ村にあった前店舗。
カウンターの一番端で事務作業をするのが日課です。
その日はインポーターのMさんを迎え商談をしていたのです。
カウンター上には吊り下げがたの電球があって・・・
それが突然ブランコの様に揺れ始めました。
2011年3月11日14時46分の発生から多分数分後の大阪での揺れです。
「地震だ」とすぐ判りましたが「大阪近辺か?」「阪神淡路大震災の再来か?」と頭をよぎりましたが、どうも違うようです。
全容が明らかになるのは少し時間をおいてからです。
そしてPCで見る動画で津波の光景が映し出されて・・・
「何か出来ないか?」
しかし、何もできません。
「せめて節電」「せめて募金しよう」くらいしか思い浮かばないのです。
その一年後、友人の誘いもあって「チャリティディナーをしよう」となりました。
あれから形を少しづつかえながらも計20回。
僅かな義援金は東日本大震災は勿論、広島土砂災害、熊本地震、幼い女子の自立支援等々に使わせていただきましたが、残念ながらコロナ禍でままならない日々が続いています。
震災から10年。
改めて「出来ることをしよう」と企てたいと思っています。
秋以降になるかもしれませんが、普段は役に立たない私の「せめて」もの「あがき」です。
どうぞ、その時はご参加賜れますようにお願いいたします。
とりあえずは「黙祷」
樋口誠