東京の散策スポットといえば、皆さんどこを思い浮かべるでしょうか。
新宿御苑や上野公園?
たしかに素晴らしいところです。しかし穴場としてオススメなのが雑司が谷霊園です!
墓場でしょ?と思われるかもしれませんが、草花に囲まれた明るい公園のような場所になっています。
数多くの著名人たちが埋葬されている霊園でもあり、お墓を巡りながらこの国に影響を与えてきた故人を偲ぶことができます。
最寄り駅は、都電雑司が谷駅です。
東京メトロの雑司が谷駅や東池袋駅、JRの池袋駅からも歩ける距離にあります。
そのすぐ裏手を振り向くと
雑司が谷霊園の入り口があります
案内図をみるとけっこう広いことがわかります
アジサイが咲いていました
改めて案内図をみると
著名人のお墓が案内されています。
そのすぐ裏手を振り向くと
雑司が谷霊園の入り口があります
案内図をみるとけっこう広いことがわかります
アジサイが咲いていました
改めて案内図をみると
著名人のお墓が案内されています。
夏目漱石、サトウハチロー、竹久夢二、東條英機、ジョン万次郎etc …。
教科書に出てくる人たちばかりです。
ちなみに有名人と著名人の違いは、
有名人=単に広く知られた人
著名人=良い人として知られた人
になります。
賛否両論のある人もいますが、今回は等しく敬意を表して著名人といたしました
かつて鷹狩りの場所だったようです
入り口の近くには花屋さんがあります
その奥をみると…
犬のハナちゃんがいました。花屋さんだけにハナと名付けられたのでしょう。看板犬のようですワン
その花屋さんの目の前にあるのが1種1号。これはお墓の番地です。町でいえば、一丁目一番地。最初の起点です
すぐ近くにあるのは…
永井荷風です
自由奔放で女たらしの人生でしたが、慎ましくも草木に覆われ品の良さを感じさせるお墓です。
こちらは竹久夢二のお墓
大正ロマンの美人画で知られた人です
素朴で小さく立てられた墓石が哀愁を誘います。時折、花を手向ける人がいるのか、少し枯れた花が置かれてありました
小泉八雲ことラフカディオハーン。雪女など、日本に語り継がれる伝承を再編しました。日本人の精神文化を今に伝える大きな仕事をした人物です。東大でも英語の講師をしていて、その後任に就いたのが夏目漱石でした。しかし夏目漱石の授業は大変お堅くて学生から不評だったと言います
中央通り沿いには
この立派な墓石
夏目漱石です。永井荷風とも交流がありましたが、お互いの墓は少し離れています。
かつて鷹狩りの場所だったようです
入り口の近くには花屋さんがあります
その奥をみると…
犬のハナちゃんがいました。花屋さんだけにハナと名付けられたのでしょう。看板犬のようですワン
その花屋さんの目の前にあるのが1種1号。これはお墓の番地です。町でいえば、一丁目一番地。最初の起点です
すぐ近くにあるのは…
永井荷風です
自由奔放で女たらしの人生でしたが、慎ましくも草木に覆われ品の良さを感じさせるお墓です。
こちらは竹久夢二のお墓
大正ロマンの美人画で知られた人です
素朴で小さく立てられた墓石が哀愁を誘います。時折、花を手向ける人がいるのか、少し枯れた花が置かれてありました
小泉八雲ことラフカディオハーン。雪女など、日本に語り継がれる伝承を再編しました。日本人の精神文化を今に伝える大きな仕事をした人物です。東大でも英語の講師をしていて、その後任に就いたのが夏目漱石でした。しかし夏目漱石の授業は大変お堅くて学生から不評だったと言います
中央通り沿いには
この立派な墓石
夏目漱石です。永井荷風とも交流がありましたが、お互いの墓は少し離れています。
小説を書いたのは38歳からで、亡くなったのが49歳。実際に小説を書いたのは10年足らずでした。この短い期間に大きな足跡を残したのは偉大なことです。
胃が弱いのに食べ物にこだわりがあって超のつく甘党で、夫人が隠すお菓子を娘とよく探していたそうです。若い頃は留学先でうつ病になり、晩年は統合失調症の傾向もあったらしく、心身ともに衰弱が激しい人生だったのですが、それでも胃さえ治るのであればもう一度同じ人生を生きてもいいと本人は生前語っていたといいます。
最後は胃潰瘍で死亡しました。
裏側にも大きな文字が掘られています
次のこちらは
ジョン万次郎です。
14歳の時に漁師仲間たちと無人島に漂流して、143日間生き延び、アメリカの捕鯨船に救出されるという奇跡の生還を成し遂げた人物です。
のちに1人だけ捕鯨船に乗り続けアメリカ本土を目指します。
頭の良さが気に入られて船長と暮らすようになり、多くの教育機会が与えられました。期待に応えるように勉学に励み、学校の成績は首席だったようです。
のちに命がけで帰国して、紆余曲折を経ながら幕府に登用されると日米修好通商条約の締結などにも関わり、日本の歴史に大きな役割を果たしました。
お墓が少し傷ついているのは、東京大空襲によるものだそうです
サトウハチロー。ちいさい秋みつけたで有名な作詞家です。
母を想う作詞が多いのですが、異母妹である佐藤愛子いわく、母に情愛を示した姿はいちども見たことがなかったとか。
才能ある人のありがちな放蕩癖、奇行も数多く目立ち、少年の頃は山手線内の留置所に全部入ったという武勇伝を持つ人物です。
ここは日本のお墓ですが、宗教的な縛りはなく、外国人やキリスト教のお墓も目にすることができます。
聖心会ミッショナリーの墓。
聖心会とは、1800年にフランス人のマグダレナ=ソフィア・バラによって創設されたキリスト教を世界に布教するための組織です。
アレクサンダー・ジョセフ・ヘアー先生のお墓。一橋大学の前身である商法講習所で商業英語を教えていました。40年間も日本で教えていたということで、相当な日本贔屓だったようです。
アレクサンダー・ジョセフ・ヘアー先生のお墓。一橋大学の前身である商法講習所で商業英語を教えていました。40年間も日本で教えていたということで、相当な日本贔屓だったようです。
ラファエル・ケーベル。哲学と音楽を同時に教えたという超人です。ピアニストとしても活躍していました。
このようにお雇い外国人として来日して、日本の土に還った人たちが多く居たようでした。
そして、ヒノキの奥にあるのが
東條英機の墓
東條英機は、第40代内閣総理大臣を勤めた人物です。
太平洋戦争を起こした立場として、またA級戦犯で処刑されたことから戦争推進派として知られていますが、当初は戦争回避に動いており、部下思いの人物としても知られています。
ただし、戦争が始まると最後まで徹底抗戦を唱え、結果として戦争を泥沼渦へと突き進めました。
東京裁判では自己弁護することはなく、一方で政治的な報復としての裁判そのものを批判していました。
死刑が執行されると遺体は横浜の西区久保山町で焼かれ、遺灰は飛行機で太平洋に撒かれました。
いま雑司が谷にあるのはお墓のみです。
休憩所では
綺麗な花を咲かせていました