20年ほど前「なぜ戦前の日本人は朝鮮人より偉いと思ったのか?」の問いに「水田の技術があるからだ」と答えた方がいた。「右翼の寝言だ」と思った。
しかし「農業は土が大切だ、それも表土(約10cm)が」と農学博士の講演を聴いた。それならば除染で表土を削り入れ替えている方法では農地の救済にはならない。また広大な小麦の畑を有する欧米では近年表土の流失が問題になっているそうだ。風雨で表土が畑から流失しているそうだ。
その点水田は表土の流失がない。水で土を押さえ畦で水の流失を押さえている。農業で大切な表土はそのままである。そして畑は連作が効かない、休耕地が必要となる。水田は連作が効く。ここに20年前に「右翼の寝言」と感じたことが誤りだと気付いた。弥生時代の日本の稲のDNAを調べると南方からの水稲であるそうだ。朝鮮半島の米(在来種)は陸稲である。水稲は日本の統治以降である。水田の技術は日本が伝えたということだ。
また日本以外の国の農地は一面畑が続く。しかし日本の水田には所々に鎮守の杜と共に祠がある。この杜が大切な役割を果している。小鳥たちの巣となっている。故に日本ではイナゴ(バッタ)により地域が崩壊する被害は少ない。中国では古代より何度も、戦争さえこのイナゴの大群が中断させた。この大群の通り過ぎた後は、生き物は動植物すべて食い荒らされる。この被害が日本は少ない。イナゴが大量発生する前に小鳥がイナゴを捕食するからだ。そして水田には蛙もいてイナゴを捕食する。この様に経験則だけで得た知恵を信心深い昔の人は信仰を利用して生活に定着させてきた。余談だが「杜」は人工的に作られたもので、自然が作りしは「森」である。明治神宮の杜は大正時代に作られた「杜」で、「清正の井戸」と呼ばれる、僅かな水源がそれを支えている。是非中東や砂漠の国の方に見てもらいたいものだ。
自然との調和を考えない、中国や朝鮮半島は自然が再生しない。北朝鮮の山々がハゲ山なのは元寇の時、造船に切り出されてそのままハゲ山になったそうだ。日本が統治したのは30余年、樹木の杜の一生では僅かな時間にすぎない。中国の水不足もその良い事例である。東南アジアやアフリカ諸国で資源を食い荒らす中国はその自然の再生に力を注ぐことは無い。フィリピンやインドネシアの森林伐採後そこに植林し森林を元に戻したのは日本だけだそうだ。現地の人間がそう言ってくれた。
彼らが言うには「中国も南北朝鮮もイナゴのようなものだ。食い荒らすだけで資源が無くなれば他へ移動するダケ」との発言が多数の方からあった。