社会科学上の不満

政治・経済上の不満のハケ口(左翼出入り禁止)
外交と防衛、歴史と現状についての不満のハケ口。(観念論の方は出入り禁止)

敗者の実態

2013-01-15 00:02:00 | 社会常識と教育

 前回、クローン技術についてナチス・ドイツの科学力(自然科学の分野)が人類社会で飛びぬけていたことを記載した。では社会科学の面ではどうであったのだろうか。

 現在日本は国民皆保険制度であり医療費の3割を負担する制度である。この制度や年金制度はナチス・ドイツが作った制度を日本が導入した。また一般女性の社会進出も参政権もナチス政権下で最初に実施された制度である。私も最初聞いたとき驚いた。そこでナチス政権下での政策を調べてみた。

 ナチス政権下では戦争が始まるまで、ナチス幹部は月に1度街頭募金に立たねばならかったそうだ。米国のフォードの技術支援によりフォルクス・ワーゲンの大量生産がはじまり、ワイマール共和国時代の天文的なインフレに苦しんだドイツ人は自動車を1家に1台所有できるようになった。この時カー・ローンが採用される。更にベルリンに移住者が増加する。ナチスの地方官がこの移住者から金銭を巻き上げようとする事件があった。その被害者は月1の街頭募金に出ていた、あの悪名高いアドルフ・アイヒマン(ユダヤ人虐殺の責任者)に窮状を訴えたそうだ。2週間後その労働者の家に来客があった。ヒットラー総統その人であったそうだ。ヒッラーはナチスの地方官の罪をこの家族に謝罪し、件の地方官を逮捕したことを伝えたそうだ。現代の我々には想像がつかないヒッラーのエピソードである。「なぜあの厳格なドイツ人がヒットラーを独裁者に選んだのか?」の疑問が、この時なんとなく氷解したような気がした。

 1938年フランスのエビアンにヨーロッパ諸国がユダヤ人問題で集まり会議を開いた。この会議は不調に終わり、ナチスによる「水晶の夜」と言う初期のユダヤ人排斥運動が起こる。このエビアン会議はヒッラーの呼びかで開催された。しかし他のヨーロッパ諸国の反対でユダヤ人問題は棚上げにされた。

 一般的に聞きかじっていたナチス・ドイツは実態と大きく異なっていた。日本の戦後史も同様である、宮沢元総理が「戦に負けるとはそういうことだ」との発言を思い出した。

 

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