社会科学上の不満

政治・経済上の不満のハケ口(左翼出入り禁止)
外交と防衛、歴史と現状についての不満のハケ口。(観念論の方は出入り禁止)

歴史の評価はその時代の人間が行うもの

2013-01-18 00:03:29 | 社会常識と教育

 歴史的事実の評価(批判)はその時代の人間にしかできない。これが歴史を学ぶ上で最も重要な要素である。織田信長が比叡山を焼き討ちしたことを現代人が批判しても何の意味がある。当時により近い江戸時代の極初期(信長の死後約15年)、「信長公が比叡山を焼かねば徳川が行わねばならなくなっていただろう」と言う評価こそ、意味がある。

 その時代の社会風潮やその時代の考え方、常識で正義など180度入れ替わることが多々ある。特亜三国以外アジア諸国は日本の明治維新以降の研究に熱心だ。日本国内では明治期以降侵略の歴史として扱われている。だから特亜三国や他のアジア諸国に「謝罪しなければならない」と言う風潮をマスコミが作ってきた。これは特亜三国からの影響だけではない。GHQ(米国)が主体で作ってきた風潮だ。故に「米国からの真の独立」を口にされる右翼や左翼の方が多数入る。左翼の方の場合特亜三国の影響であるが、いずれにしろ日本の弱体化が目的である。米国はそれほど戦前の日本人の資質を恐れたのだ。

「戦後60年以上経過するのに」と良く耳にする。しかし世界史を良くみてほしい。敗戦国が戦勝国と対等になるには、1・戦勝国ともう一度戦争し今度は勝利(有利に停戦することも含む)、2・戦勝国が自滅する、3・200年待つか(オランダが英蘭戦争で敗北してから英国と同等に国際的地位を回復するのに200年を要した。これがそれまでの世界史上最短)の3つのパターンしかないそうだ。外務省OBで元タイ大使であった岡崎久彦氏の著書による。

この事からも日本とドイツとはとにかく頭を下げるしかない。これが故宮沢総理が言っていた「戦に負けると言う事だ」と言う発言からも窺い知れる。

  国際的な常識や慣習は、一般の日本人のそれとは大きく異なる。「日本の常識が世界の非常識」になるケースが多々ある。このような日本人のものの見方と、現在の常識で歴史的事実を見るとは、大きな過ちである。

例えば共産革命(レーニン革命)がヨーロッパに広がりつつあった1920年代、レーニンの手法はイスラム帝国の真似であった。「コーランか剣か」である、「マルクスか死か」であった。レーニンの行く地域では村単位でマルクスを拒否した村は皆殺しにされていた。それに恐れをなしたヨーロッパ諸国は対策をうつ。最初に動いたのは時の大英帝国であったそうだ。戦後悪名高い「特別高等警察制度(特高)」と「外事警察制度」をつくり運用を開始した。この制度を日本に持ち込んだ旧内務省の最初の英国留学生のご子息に当時の記録を見せていただいた。しかしこの「特別高等警察制度(特高)」は、戦時中反戦論者の摘発へと姿を代えて行く。戦争に反対する者は誰でも「アカ(共産主義者)」として摘発した、名目が合っていれば、合わなくともデッチ上げて「アカ(共産主義者)」として摘発した。本来共産主義者でない人間の方が多く摘発された。この名目さえ合えばと言う風潮は日本人の特徴かもしれない。

  歴史から学ぶことは多々ある。しかしその時代に生きていない人間が幾ら批判しても意味があるのか?帝国主義で植民地主義が世界の常識だった時代の出来事を現代人が当時の人間を批判して良いのか?

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