今日は時ならぬ「春の雪」、時ならぬと書いたが春先には必ずこういう日がある。「春の雪」なので降るそばから融けていく。私の好きな歌に石原裕次郎が歌った『淡雪のワルツ』と言う歌がある。春先の淡雪のように融けていく恋の歌。いくらかの未練を残して振り返れば夕べを知らせる鐘の音ばかりというような歌詞だ。私はメロディーもだが歌われている歌詞が気になる方だ。
夕べの鐘はどこでも聞くが、私は寺院の多い京都の町をイメージした。
長野市西部の住宅団地「杏花台」を歩いた。安茂里の坂の多い山の上を切り開いて開発された。昭和30年代の後半ぐらいから将来の人口増を見越して長野市や長野県の住宅政策として開発されたのだと思う。
しかしそれから40年後、少子高齢化により坂の上の特に市営住宅には空きが目立つ。下の犀川沿いの公営住宅は住人を変えながら需要があるが坂の上はもう無理だろう。分譲住宅も車を運転できる間はいいが、出来なくなれば引き払うしかないが、代わりに住む人を見つけるのは容易ではない。よく100年先を見据えてとはいうが、最初に計画した時は今日の人々の動向を想像することはむつかしかったのでは?