昨日の続きも兼ねています。
「各個人がそれぞれの能力を十分に発揮して社会に貢献することが、最も繁栄する社会の姿」ではなく、某所で語られているような形態。
「一部の天才に社会の重要な役割を任せる」場合。
まあ、多少無理すればこの2つが全く矛盾した話というわけでもないのですが、別物で考えたほうがわかりやすいかと。
「一部の天才に社会の重要な役割を任せる」ような社会で、レイシズムはコスト的にマイナスか。
って、この場合、明らかですけどね。
能力で選ぶものにレイシズムが絡むのはすべてマイナス。
正確には「能力で選ぶものを能力以外の要素で足切りするのは確実にマイナス」
この場合の能力とはなんぞや、という疑問は置いておいて。
その天才がマイノリティだったらどうするのだ、という話ですよね。
オリンピックでは「帰化」した人が世界中にいますよね。
出自など問題にしていたら、社会にとってマイナスです。これは明らかですね。
ただし、「レイシズムは断固排除すべきである」として、最後の1人まで探し出して潰すまで行ってしまったら、それはそれでコストかかりますから、やはり社会に影響を与えない程度に抑え込むのがよろしいかと思います。
そもそもレイシズムがはびこるのは社会に問題があるからですけどね。
そしてタイトルの話です。
天才は白馬の王子様のように我々の目の前に現れるのでしょうか。
それはかなり虫が良い話ですね。
そいつが天才だとどうしてわかるのか。
彗星のごとく出現して、天才であることを万人が認めるレベルで証明できてしまうものなのか。
まあ、今の日本だとメディアがみなで「天才だ」と言えば世間的にはそうなりそうですが。
ちょうど宴もたけなわですし、スポーツの分野ですごい人はどうやって出て来るでしょう。
まあ、サッカーやってたらすごいやつはわかりますね。
「すごい子供がいるぞ」ってなことになると、そういう子供をそれ相応のところでサッカーやらせるということもできるわけですね。
メジャーなスポーツならスカウトがいるし、まあ、スポーツの場合は、おおよそすごいのは見たらわかるわけですが、
それでも、降ってくるわけではない。
誰かが「見出す」という過程はあるわけです。
政治家さんにはそういうのないですよね。
政党というのはあるけど、首相にふさわしい優秀な政治家を見出すシステムなんてないですよね。
あったらアベシンゾーなんて最悪のものが首相やってないですから。
学問ですら優れた人物が一線に出て来るとは限らない。というか、日本ではかえって難しいかも。
結局、天才を「見出す過程」でレイシズムが入ったら、もうマイナスでしかないという話にもっていこうとしたんですけど、それ以前に見出す過程がないですね。


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