主に欧米のドラマです。日本のも見てますけど。あ、映画も。
ということで短いです。
ポワロに出てきた場所をグーグルアースで捜すのに時間がかかっているのです。
ごくごく一部ですが、「欧米の人はポリコレが嫌い日本のドラマが受けない」という完全に意味不明な発言を見かけましたが、さすがにそんなこと思っている人はごく少数でしょうね。
ニッポソの表現の自由戦死は「欧米の映画やドラマはポリコレのせいで人気が落ちている」か「欧米の映画やドラマはポリコレのせいでつまらなくなっている」といった感じかと思います。
まあ、控え目に言ってポリコレのせいで人気が落ちているということはありませんね。
あちらの人気ドラマは非常にポリコレがしっかりしています。
だいたいね、ポワロシリーズ(スーシェ版)を見ればわかりますよ。
80年代から作ってますけど、今見ても違和感ないですからね。
もちろん、男性社会などの時代背景ははっきり出してますけど、そういうものをよしとしないという姿勢がポワロや女性の登場人物からわかります。
表現の自由戦死は、ポリコレに従うと悪を描けなくなるとか思っているようですね。あるいはそういうことにしたいと。
アメリカのドラマではもちろん悪人はうようよ登場しますし、糞野郎のオンパレードですが、最後に正義が勝つことになっていると言うだけですし、
イギリスのドラマに至ってはかなり胸糞悪くなる展開が多い上に最後に正義が勝つとは限らないですからね。
でも悪が悪として描かれていればオッケーなのですよ。
ナチスが出てきても何も問題ないしナチスをヨイショする莫迦が出てきても問題ないですが、ナチスを肯定的にとらえて終わっては駄目なのですよ。
しかし、あの自由戦死たち、愛知トリエンナーレにはハッキョーしているわけですよね。
ばっかじゃないの?
「昭和天皇の写真を焼いた映像」があって何がおかしいのかと。
「ポリコレ棒が~」のやつが愛国とか語るなよ、嘘だってすぐばれるんだから。
アメリカのドラマでつまらない点があるとすれば、やたらと愛国心が前面に出ている事ですかね。
おそらく911以降の傾向だと思いますが、まだ続いているかと。
愛知トリエンナーレでは「平和の少女像」も愛国者のハッキョー対象になっていましたが、何の問題が?
平和を表現しては駄目なんですかね(驚き
ほんの少しも表現の自由がないですけど、どうなっているのでしょうか。
話が変わりますけど、村上春樹のこれが少し前に話題でしたね。
SNSを一切見ない事について
村上春樹
まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない読まないに越したことはない。
それはそうでしょう。
わたくし(笑)の場合、音楽は聴くために聴いていますが(まあ、正確には少し違いますけど)、SNSはまったくもって文章を読むためにやっているわけではないですから。
そんなのは小説や随筆でも読めばいいわけで。まるで目的が違います。
サロンの中にいて満足する人はそこにいればいいと思いますよ。
小説家のような人はもともとその多くがアウトサイダーだったのはないかと思うのですが、割とサロンの中の人っぽくなってますよね。
落ち着いた居場所があればそれでいいのかなと。
サロンの中の人の文章は、使う語彙が面白いあるいは綺麗なんですよね。
小説はストーリー的にはもうあまり面白いと感じるものはないので、面白い言葉遣いを見たい時だけ読みます。
あとアイデア。
Mozart - Symphony No. 36
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