ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン
↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
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個人的評価: ■■■■□□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
【映評概要】
ちょっと物足りない。実際に起こった奇跡のような出来事に、マンデラその人の偉大さを重ね合わせるのは良い。アパルトヘイトという過去の記憶を鮮やかに覆す感動はあるが、それは映画で描かれていない部分の記憶から得られる感動であって、映画的高揚感とは言えない。
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【映評詳細・・・ネタバレ】
2000年の「スペース・カウボーイ」から2009年の「グラン・トリノ」まで、2000年代と言えば70代(1930年生まれ)のイーストウッドが暴れ狂った10年間だった。80歳になろうというイーストウッドはそれでもまだ暴れ足りない。「グラン・トリノ」「チェンジリング」をまとめて発表した翌年にはもう新作を引っさげて登場。不死身じゃないのか・・・と恐れを抱く巨匠というより魔神みたいな男だ。
イーストウッド映画は序盤で心をつかむ。
本作「インビクタス」の場合はファーストシーンが秀逸だ。
手入れの行き届いた芝生でラグビーをする白人たちのショットから、金網を隔てて荒れ放題の広場でサッカーをする黒人の子供たちのショットへとクレーンによってワンカットでとらえる。そして黒人たちが道路の方に駆け寄り、金網にしがみつくようにしてマンデラの名を叫ぶと、マンデラが乗っていると思しき車が通り過ぎていく。
こうして言葉に頼らずに映像だけで語りぬいてしまう場面を観ると、それだけで震えてくる。
ただし作品全体に関して言えば、何か食い足りない印象を持った。イーストウッド映画でこの感覚は久しぶりだ。「真夜中のサバナ」以来か・・・
過去にとらわれないというマンデラの生き方を演出にも反映してか、アパルトヘイト時代の回想シーンや再現シーンがほとんどない。それはそれでいいのだが、白人SPがアパルトヘイト時代に黒人を殴ったり逮捕していたりという過去がもし映像化されていれば我々は映画の中の彼らに愛着を持てただろうか。しかしそのリスクを冒してでも彼らの過去を描けば、人間を許すことの難しさ、国をまとめることの難しさがさらに描けたのではなかろうか。
B級バカエンタメ精神でめちゃくちゃに脚色すると・・・
かつて黒人を殴りまくっていた過去を持つゴリゴリの保守派白人がテロリストの凶弾からマンデラを守って致命傷を負い、感謝の言葉をかけるマンデラに、実は昔あなたに手錠をかけたことがあります・・・と告白。知っていたよと応えるマンデラに、ニヤッと笑い返して絶命。
・・・これで場内は感動の嵐。(もちろん、イーストウッドが本作でそんなことをしたかったわけじゃないのはわかっている)
それとやっぱり一番物足りないのは、あれほど弱かったスプリングボクスがなぜ優勝できるくらい強くなったのか・・・の理由が何も描かれていないところだ。
練習の合間に黒人の子供たちにラグビーを教えてアパルトヘイト終焉の広告塔として働く様が描かれるが、むしろ練習時間が削られ弱くなるのならわかるが、強くなる理由は何もない。
もちろん、ホームなのにアウェイのようにブーイングにさらされていたスプリングボクスが、国を挙げて応援してもらえるようになり、選手たちのモチベーションがめちゃくちゃ上がっただろう・・・ということは予想できるが、それくらいで優勝できるほどスポーツは甘くないと思う。(実際、それくらいで優勝しちゃったのかもしれないが・・・)
作戦なり、試合や練習における勝敗を左右するような特殊な状況なり、そういった論理的な部分が脚本に欲しかった。
クライマックスの決勝戦の場面も、アパルトヘイトという過去の記憶を鮮やかに覆すいい場面ではあるが、映画で描かれていない部分の記憶から得られる感動であって、映画的高揚感とは言えない。
(といっても、「グラン・トリノ」だって「そこでは描かれなかったイーストウッドの記憶」への依存もかなりあるわけで、私の不満も、感動の根拠が映画史でなく国の歴史だからというだけの薄っぺらいものかもしれません)
時々差し挟まれる、サスペンスタッチな場面はとても面白かった。
早朝散歩のマンデラに忍び寄る不審な車とか、ワールドカップ会場に向けて不敵な笑みを浮かべて飛行機を降下させるパイロットとか。
とくに飛行機のシーンは、あの日あの時あの場にいたわけでもないのに9.11の悪夢が思い出される。
そうした我々が持つ悪しき記憶を喚起させる演出は、あるいは過去にとらわれる我々と、過去にとらわれないマンデラとを対比させる意図があったのかもしれない。
[追記]
真似したくなるポイント。
ぬるいビールを持ってみんなと乾杯した後「くそまずいぜ」と言って投げ捨てたい。
家ではできないし、店でもできないから、そういうアトラクションを用意してほしい。
そう「インビクタス・ザ・ライド」
ニュージーランドの怪物選手に思いっきりタックルぶちかまして、成功すればマンデラ大統領からお褒めのお言葉を頂戴できるみたいな・・・
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↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
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個人的評価: ■■■■□□
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]
【映評概要】
ちょっと物足りない。実際に起こった奇跡のような出来事に、マンデラその人の偉大さを重ね合わせるのは良い。アパルトヘイトという過去の記憶を鮮やかに覆す感動はあるが、それは映画で描かれていない部分の記憶から得られる感動であって、映画的高揚感とは言えない。
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【映評詳細・・・ネタバレ】
2000年の「スペース・カウボーイ」から2009年の「グラン・トリノ」まで、2000年代と言えば70代(1930年生まれ)のイーストウッドが暴れ狂った10年間だった。80歳になろうというイーストウッドはそれでもまだ暴れ足りない。「グラン・トリノ」「チェンジリング」をまとめて発表した翌年にはもう新作を引っさげて登場。不死身じゃないのか・・・と恐れを抱く巨匠というより魔神みたいな男だ。
イーストウッド映画は序盤で心をつかむ。
本作「インビクタス」の場合はファーストシーンが秀逸だ。
手入れの行き届いた芝生でラグビーをする白人たちのショットから、金網を隔てて荒れ放題の広場でサッカーをする黒人の子供たちのショットへとクレーンによってワンカットでとらえる。そして黒人たちが道路の方に駆け寄り、金網にしがみつくようにしてマンデラの名を叫ぶと、マンデラが乗っていると思しき車が通り過ぎていく。
こうして言葉に頼らずに映像だけで語りぬいてしまう場面を観ると、それだけで震えてくる。
ただし作品全体に関して言えば、何か食い足りない印象を持った。イーストウッド映画でこの感覚は久しぶりだ。「真夜中のサバナ」以来か・・・
過去にとらわれないというマンデラの生き方を演出にも反映してか、アパルトヘイト時代の回想シーンや再現シーンがほとんどない。それはそれでいいのだが、白人SPがアパルトヘイト時代に黒人を殴ったり逮捕していたりという過去がもし映像化されていれば我々は映画の中の彼らに愛着を持てただろうか。しかしそのリスクを冒してでも彼らの過去を描けば、人間を許すことの難しさ、国をまとめることの難しさがさらに描けたのではなかろうか。
B級バカエンタメ精神でめちゃくちゃに脚色すると・・・
かつて黒人を殴りまくっていた過去を持つゴリゴリの保守派白人がテロリストの凶弾からマンデラを守って致命傷を負い、感謝の言葉をかけるマンデラに、実は昔あなたに手錠をかけたことがあります・・・と告白。知っていたよと応えるマンデラに、ニヤッと笑い返して絶命。
・・・これで場内は感動の嵐。(もちろん、イーストウッドが本作でそんなことをしたかったわけじゃないのはわかっている)
それとやっぱり一番物足りないのは、あれほど弱かったスプリングボクスがなぜ優勝できるくらい強くなったのか・・・の理由が何も描かれていないところだ。
練習の合間に黒人の子供たちにラグビーを教えてアパルトヘイト終焉の広告塔として働く様が描かれるが、むしろ練習時間が削られ弱くなるのならわかるが、強くなる理由は何もない。
もちろん、ホームなのにアウェイのようにブーイングにさらされていたスプリングボクスが、国を挙げて応援してもらえるようになり、選手たちのモチベーションがめちゃくちゃ上がっただろう・・・ということは予想できるが、それくらいで優勝できるほどスポーツは甘くないと思う。(実際、それくらいで優勝しちゃったのかもしれないが・・・)
作戦なり、試合や練習における勝敗を左右するような特殊な状況なり、そういった論理的な部分が脚本に欲しかった。
クライマックスの決勝戦の場面も、アパルトヘイトという過去の記憶を鮮やかに覆すいい場面ではあるが、映画で描かれていない部分の記憶から得られる感動であって、映画的高揚感とは言えない。
(といっても、「グラン・トリノ」だって「そこでは描かれなかったイーストウッドの記憶」への依存もかなりあるわけで、私の不満も、感動の根拠が映画史でなく国の歴史だからというだけの薄っぺらいものかもしれません)
時々差し挟まれる、サスペンスタッチな場面はとても面白かった。
早朝散歩のマンデラに忍び寄る不審な車とか、ワールドカップ会場に向けて不敵な笑みを浮かべて飛行機を降下させるパイロットとか。
とくに飛行機のシーンは、あの日あの時あの場にいたわけでもないのに9.11の悪夢が思い出される。
そうした我々が持つ悪しき記憶を喚起させる演出は、あるいは過去にとらわれる我々と、過去にとらわれないマンデラとを対比させる意図があったのかもしれない。
[追記]
真似したくなるポイント。
ぬるいビールを持ってみんなと乾杯した後「くそまずいぜ」と言って投げ捨てたい。
家ではできないし、店でもできないから、そういうアトラクションを用意してほしい。
そう「インビクタス・ザ・ライド」
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物足りなさは感じましたが、この映画はイーストウッドじい様の映画というより、モーガンの映画だったのかもですね。
彼の思い入れの方が、強く感じられました。
>そうした我々が持つ悪しき記憶を喚起させる演出は、あるいは過去にとらわれる我々と、過去にとらわれないマンデラとを対比させる意図があったのかもしれない。
なるほど。深いですね。
こういう観方は大好きです。
勝手な憶測ですが、やっぱりラグビーの(試合の)映画を撮りたかったんじゃないでしょうか(笑)。
マンデラ大統領の国家復興プロジェクトの道程も描いてて時間を割けなかったせいもあるんじゃないかとは思いますが、確かにあんなに弱小だったボクスがワールドカップ予選を筆頭に、あそこまで快進撃を続ける様子は自分もご都合的な部分を少々感じてしまったんですよねぇ。強くなる過程を描いていた感じもしなかったので、ちょっと違和感を覚える人もいるかも?
・・でも聞いた話だとボクスは選手の個々のポテンシャル自体は高くチームとしても強かったんですが、アパルトヘイトによって国際試合などから長い事締め出されていたようなので、最初の時も本調子を出せなかっただけなのでは?と後から無理矢理納得してしまいましたw
南アがラグビーに強いというのは知ってたつもりなのでもともと強かったには違いないのですが、問題はこの映画という一つの閉じた世界の中ではそのことが一切わからないという点だと思いますだ。
たしかにモーガン映画な感じでした。今度はモーガン監督でクリント主演なんてのも期待します。
えい様>
勝手に深読みしただけではありますが・・・深読みも映画との楽しいつきあい方だと思っております。はい。
きぐるまん様>
うーむ確かに感傷的になれない映画って・・・「トゥルークライム」以来、あるいは「ルーキー」以来ですかねえ。
メビウス様>
本調子じゃなかったチームが、黒人たちの理解を得られて強くなる・・・その過程として描かれるのが子供にラグビー教える場面だけというのが説得力に乏しい気がしました。