映像作品とクラシック音楽の第五回は、1961年作品、アカデミー賞で作品賞はじめ10部門で受賞した映画史に残る傑作ミュージカルです。
今回はクラシック音楽が効果的に使われた映画の紹介とはちょっと違うかもしれませんが…
でもさ、なにしろ作曲がレナード・バーンスタインなんだからさ!もう全曲クラシック扱いでいいよね!と強引に進めていきます。
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そういえば、ご存知の方もいるかもしれませんが、スピルバーグ監督によるウェストサイド物語のリメイク作品が公開待機中です。たしか2020年12月公開予定でしたがコロナで遅れてるのでしょう
スピルバーグが「アメリカ」や「クール」をどう演出するのか興味はありますが…
ジョージ・チャキリスよりかっこいいベルナルドなんかいるわけないじゃん!とか、そもそもあれほど完成されてる映画をリメイクする意味あるの?とか、期待よりは不安の方がずっと大きいのですが…
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バーンスタインについて書きたいと思います。
偉大な指揮者と偉大な作曲家を両立させている人は少ないです。昔はマーラーとかいたわけですが。
例えばフルトヴェングラーは自作の交響曲も残してますが、なんというか実に退屈な作品です。
戦後で指揮者としても作曲家としても大成した人の代表格がバーンスタインじゃないでしょうか?
バーンスタインはピアニストとしても一流だったし、マルチタレントな人でした。
そんなバーンスタインの作曲家としての代表作は、交響曲2番も素晴らしいけど、やっぱ「ウェストサイド物語」じゃないかと思います。
音楽それ自体の話ではないのですが…
ウェストサイド物語について調べると「赤狩り」の時代に行き当たらざるを得ません
バーンスタインは若い頃にアメリカ共産党に入党していたとのこと。
そういえばショスタコーヴィチとか得意でしたし、よく赤狩りの時代を乗り越えられたものだな…と思って調べてみたら、やはり赤狩りでは多少の辛酸は舐めたようです。
と言っても非米活動委員会がターゲットにしていたのは社会的影響の大きいエンタメ界、特に映画界であり、クラシック音楽界のバーンスタインはそこまで狙われなかったらしいです。(といっても赤狩りの嵐が吹き荒れた50年代前半にはすでにニューヨークフィルで人気を博していたし、結構な大物だったはずですが)
しかし、ウェストサイド物語の生みの親で振付師のジェローム・ロビンスは、赤狩りの標的になりました。彼もまた若い頃アメリカ共産党で活動していたのです。
彼は1953年に非米活動委員会の公聴会に呼ばれ、証言を求められます。
「あなたは共産党員か?またはかつてそうだったか?」そして(国家への忠誠を示すため)「仲間うちで共産党員と思われる者の名前を言え」と
映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」にもありましたが、この時非米活動委員会に対して、うるさい、そんな質問に答える義務はない、と証言を拒否した者たちもいました。脚本家のドルトン・トランボをはじめとした10人で、彼らはハリウッドテンと呼ばれ後年になってその姿勢は評価されましたが、証言を拒否した者たちはその当時は一様にハリウッドから干されました。
逆に非米活動委員会の求めに応じて密告した者たちもいます。というか求めに応じた人が大半でした。
映画監督のエリア・カザンもその1人で、共産党員と思われる映画人を密告することでハリウッドで活動を続ける免罪符を得ましたが、後年になってその行動は批判されます。
1998年にアカデミー賞でエリア・カザンに名誉賞が授与されることになった時、保身のため仲間を売った卑怯者に名誉賞とは何事かと反対運動が起こり、授賞式にカザンが現れてもスタンディングオベーションや拍手はするなというキャンペーンがありました。
ちなみにその授賞式においてエリア・カザンが登場した時スピルバーグは座ったまま、ジャック・ニコルソンはニコニコ顔でスタンディングオベーションしていたのが印象に残ってます。
話を戻してジェローム・ロビンスはというと、彼もまた公聴会での求めに応じて8人の仲間の名を言ってしまいました。
しかし、未来という絶対安全圏からあの時代を生きてる人たちを批判するのは果たしてフェアでしょうか?
カザンにしろロビンスにしろ証言を拒否すれば業界から干されるのは目に見えてました。彼らにだって仕事が、生活がかかっていたわけです。
とは言え証言によって名指しされた人たちは彼らの身代わりに仕事を失いました。中には共産党関係者というのは事実無根で、それにもかかわらず仕事を失った人もいたといいます。
けれど、どうしろっちゅうねん、と思います。批判すべきは権力に屈した人たちではなく、権力の側でしょう。
また赤狩りに屈した人たちがその後素晴らしい仕事を残したりもしています。
ロビンスは赤狩りに屈した後で、「ウェストサイド物語」をブロードウェイで大ヒットさせます。初演は1957年。映画化は61年で、ロビンスはアカデミー監督賞を受賞します。作品としても作品賞はじめ10部門で受賞し、歴史に残る傑作となりました。ロビンスがハリウッドテンのように証言を拒否していたら「ウェストサイド物語」は生まれなかったかもしれません
エリア・カザンも非米活動委員会での証言の後で、代表作と言われる「波止場」や「エデンの東」を撮ります。
そういえば「波止場」の作曲担当はレナード・バーンスタインです。
何かとこういう人たちに縁のある方なんですね。
ともかく「ウェストサイド物語」は大ヒットします。
ジェット団の歌う「クラプキ巡査の歌」にこんな趣旨の歌詞があります
「パパはママをなぐり、ママは俺を殴る
爺ちゃんはアカ(My grandpa is a commie)だし、婆ちゃんはヤクの売人だし、姉貴はひげをはやし、兄貴は女の服を着てる。(そんな家庭じゃグレるのも仕方ないだろ)」
「家庭が酷い」の表現として「爺ちゃんはアカ」と言うあたり、ロビンスやバーンスタインの胸中はどんなものだったのでしょうか
政府への恭順を示すため?それとも高度な皮肉?
姉貴や兄貴のところは同性愛の示唆でしょうか?
※ちなみに調べてみると舞台版の歌詞はちょっと変更があって
My grandpa is a commie
は
My grandpa's always plastered
(爺ちゃんはいつも酔っぱらって)
に変わってるみたいです
「アメリカ」は、華やかなアメリカンドリームを夢見て歌うプエルトリコの女の子たちと、アメリカの暗い人種差別の現実を歌うプエルトリコの男子たちの歌です
重苦しい歌詞なのに、実に楽しそうに歌い踊る彼らが印象的ですが、アメリカを決して賛美しない歌にしているのは、ユダヤ人で(元)共産党員で(しかも同性愛者で)差別され続けてきたロビンスとバーンスタインらしい気がします。
ラスト、対立から和解へ、そして協調へと向かおうと、悲劇の中に一縷の希望を見せる演出が心に残ります。
これも赤狩りを経験した2人の思いをそこにみる気がします。
と言いつつ、映画版でロビンスは監督といってもミュージカルシーンの振付が主な仕事だったと思われ、ドラマパートの演出は共同監督のロバート・ワイズがやってたと推測します。ラストの演出もワイズ色の方が強いかなとも思いますが、ワイズにしたって反骨の人ですからね!
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色々話が脱線して長くなりましたが、そんなわけでCDの紹介です。もちろん映画「ウェストサイド物語」のサントラとなります。
映画のまんまなので映画が好きなら問題なく楽しめるはず…と言いたいところですが、ひとつだけ問題がありまして
サントラには「マンボ!」のシャウトが入るあの曲がないのです。
なんでだよ、ジェット団の歌ひとつくらい切ってでもマンボ!の曲入れてくれよ!と思ってしまいます。
そんな不満を解消するには写真の右側のアルバムがおすすめでして(ロサンゼルスフィル演奏の81年録音)
バーンスタイン自らが指揮して、ウェストサイド物語のインスト曲を組曲にまとめたその名も「シンフォニックダンス」が収録されています。マンボ!の曲もあります。
まあウェストサイド物語なんだからニューヨークフィルで聴きたい気はしますが、でもすっきり明るく気軽に楽しくな演奏が目に見えるようで、演奏には全然文句ないです。
と言っても、逆にこのアルバムだけだと歌が聴けないので「マリア」も「アメリカ」も「トゥナイト」も聴けないなんてあり得ない!となっちゃうのでやはりサントラとセットでそれぞれ補完し合いながら聴くのが良いでしょう
シンフォニックダンスとカップリングのガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」も素晴らしいです(どっちかというとシンフォニックダンスがB面扱いなんでしょうが)
バーンスタイン自身がピアノも弾いて、ノリノリ演奏で、こういうの絶対カラヤンにはできないだろうと思います。
バーンスタインってほんと何やらせてもすごいスーパースターですよね!
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参考
赤狩りの時代前後のバーンスタイン年表
1943年 バーンスタイン、ワルターの代理でニューヨークフィルを指揮
1948年 バーンスタイン交響曲第2番「不安の時代」発表
1952年 エリア・カザン非米活動委員会に対し11人の知人を共産主義者と証言
1953年 ジェローム・ロビンス非米活動委員会に8人の知人を共産主義者と証言する
1954年 エリア・カザン監督作「波止場」公開(作曲バーンスタイン)
1957年 ウェストサイド物語ブロードウェイ初演
1958年 バーンスタイン、ニューヨークフィルの音楽監督に就任
1961年 映画「ウェストサイド物語」公開
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