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映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

ザ・フォーリナー 復讐者 【爆弾マスター・マーティン・キャンベル】

2019-06-04 20:00:37 | 映評 2013~
感想は大まかに言って三つ
1)ジャッキーすげえ…
2)ジャッキーなしでも「暴走する正義」を描いた映画として深い
3)爆弾マスター・マーティン・キャンベルの作家性

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1)ジャッキーすげえ…

近年で言えば「おじいちゃんはデブゴン」を観た時と同じような感慨。
すっかりじいちゃんになった往年のアクションスターが…いまだに超強えということに感動する。

ジャッキー・チェンの最初のアクションシーンまでは割と長い。30分以上あるだろう。
正直言ってアクション映画とは思わずに観に行ったので、アクションがない事に残念感もイライラ感もなかった。
それにその最初の30分くらいのジャッキーのヨボヨボ感。ヒョコヒョコと変な、鈍臭い歩き方。身長170センチ以上だから東洋だとそこまで小さくないのに、イギリスだとやたらちっこく見える。弱そう。
もうあの頃のジャッキーじゃないんだなと寂しい気持ちもありつつ、映画は面白かったからそこは割り切って観ていたのだが

そして来る最初のアクションシーン
ぶったまげる
あの頃のように椅子を使って、3階くらいの高さから飛び降りて、やばい落ち方したり。
こ、これはデスウィッシュスタント時代のジャッキーそのものではないか
流石に高齢なので落下シーンはスタントマンだろう。
命綱つけて飛び降りて後でデジタル加工で命綱を消したりしてるのかもしれない。
きっとそうだ。普通に考えればそうだ。
でも、なんかそうじゃなくて、本人がガチでやってるように見えるのである。

ひとたびジャッキーアクションが始まれば、その後は堰を切ったように、ジャッキーがアクションで暴れに暴れる。
若くてイケメンの強そうな兵士とのタイマン対決も、段取りに決まってるのだが、ガチで戦ってジャッキーが勝ってるように見える。
ここでの戦い方はパンフによるとマーティン・キャンベル監督のこだわりでカンフーぽくせずマーシャルアーツ風にしたとのことだが、たぶん殺陣の半分以上はジャッキーが考えたのではないだろうか
アーミーナイフを持つ敵に木の棒っきれで対抗するジャッキー。ありゃりゃ、そんなんじゃ意味ないって…と思っていたら、棒っきれを兵士の上着のフードに引っ掛けぐるぐる巻きにして動きを封じて勝利するのは、うおっ、その手があったか!と今まであまりみない戦い方に、おそらくはそれを考えたジャッキーのアクションアイデアの底なしさに感動するのである。

そして昔ほど無茶なアクション演出はしてないとは思うが、アーミーナイフをスウェーでギリギリかわす動きとか、窓から飛び出して雨樋?に腕引っ掛けて落ちる勢い殺すとかの動きのキレ
デブゴンやドニーイェンのような圧倒的な強さではなく、いつも危ないところをギリギリ勝つ(でも結局圧勝)ところのジャッキーらしさも健在で、今でもジャッキー危ない!とハラハラさせてくれるこの人はなんて偉大なんだろうと思うのである。

それにしてもただの中国人のヨボヨボじいさんだと思ってたジャッキーに屈強な兵士が何人もでかかっても返り討ちにあい、お前ら一体何やってんだ!あんなじーさんさっさと片付けろ!とキレまくるピアース・ブロスナンだが、調べてみると元米軍特殊部隊だった過去が経歴抹消された形跡とともに明らかになる、という展開。
どっかで見たようなと思ったら、ああ、なんだ、セガール映画のど定番ストーリーじゃないか
ただの刑事1人に何やってんだ!とか
一体何者だあのコックは!? とか
あの消防士只者じゃねー! とか

セガール映画ほどB級に転がらないのは、本作の脚本が優れているからだ。
※セガール映画にも「刑事ニコ」とか「エグゼクティブデシジョン」とか、ただのBじゃない深い作品もあるが、とちょい擁護しておく。

そういえば、エンディング
ジャッキーの歌う主題歌がかかる!!
そうだよ。映画のラストに歌かけるんなら、サザンとかBzとか引っ張ってきて歌わせてるようじゃだめだよ。主演俳優に歌わせなきゃ!!
しかしジャッキー、そこであんたの歌までかけるなんて、往年のジャッキーから少しも衰えてないじゃないか
なんならエンドロールにNGシーンとかつけてくれたらよかったのに!!


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2)ジャッキーなしでも「暴走する正義」を描いた映画として深い

実はこの映画はジャッキーなしでもかなり成立するストーリーなのである。
ジャッキー使ってちょっと面白いアクション映画とろうぜという軽いノリで作ったとは思えないくらいに政治陰謀映画として、あるいは諜報映画として面白いのだが、そこにジャッキーが物語にさらに深みを与えるスパイスとして、中華風スパイス、ヨーロッパ料理に花椒加えたら意外とうまかった、みたいな感じになっている。

ジャッキーは復讐の鬼となり、犯人を知っていると思われる北アイルランド政府要人にしつこくまとわりつき、やがてその政治家の家で手製爆弾を爆発させたりとかなり暴走する。
ジャッキーに狙われるピアース・ブロスナン演じる政治家もかつては北アイルランド開放のためテロ活動を行っていた過去を持つ。
組織に逆らって勝手に爆弾テロを始めた仲間をあぶりだし内々に処理しようと企む。
そこには北アイルランドにおける政治勢力の内紛があり、それぞれが善人を装いながらえげつない罠を張り巡らして敵対勢力を潰そうとする。
この映画で殺される人たちは皆正義のために殺されている。正義とはなんだと訴えかける。
ジョン・ル・カレのスパイ小説のような、正義も仁義もない政治抗争や謀略戦が描かれる。
ここまで本気に政治性を持った映画は今までのジャッキー映画にあっただろうか。だからこれはジャッキー・チェンが出演しているし彼のアクションを楽しむ映画ではあるが、やはりいわゆるジャッキー映画とは一線を画すものだと思ったほうがよい。

クライマックスで一匹狼のジャッキーは私的制裁のためにテロ組織の下部グループをせん滅するのだが、これも決して褒められたものではない。ほぼ全員がジャッキーによって殺された中で、女性メンバーが死ななかったのはただの偶然である。ジャッキーがあの女も殺していたら飛行機は空中で爆発し多くの犠牲者が出ただろう。
だが我々はジャッキーが戦っている間は、そうした彼の行動の問題点に気づかない。戦いに夢中になっているから。そして後になって気づくのだ。ジャッキーあんた取り返しのつかないことをするところだったんだよ、と。

そして生き残った女(相当食わせ物の女で、本作でも屈指の面白いキャラクターだ)を、テロを防ぐためとはいえ、拷問し痛めつけ苦しめ最後は殺すイギリス警察の非情さも味わい深い。

裏切られた者たちの報復合戦により、本作の登場人物のほとんど全員がよくて破滅、悪くて死亡している。
正義の果てにのこるのは死屍累々。
世界に対する絶望感が募る中でジャッキーだけが帰るべき場所に帰って、また戦う力を封印するかのような姿が印象的だ。そんなジャッキーもまたいつか正義の名のもとに暴走する日が来るのかもしれない。
ジャッキー映画でこんなに世界の在り方を考えさせられる日が来るなんて!!


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3)爆弾マスター・マーティン・キャンベルの作家性
監督のマーティン・キャンベルのことを私は勝手に「爆弾マスター」と呼んでいる。
マーティン・キャンベルは「007ゴールデンアイ」と「007カジノロワイヤル」と「マスク・オブ・ゾロ」が有名であるが、意外と知られていないが彼の映画には爆弾愛が溢れている。
別に派手な大爆発シーンが多いとかそういうわけではない。むしろ爆弾を爆発させるまでの過程で彼の演出力が大爆発している。

さて、ここで爆弾とサスペンスの関係について、とても長い引用になるが巨匠ヒッチコック氏の発言を引いてみる。

【定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー 第3章より】
H サスペンスとサプライズのちがいは簡単明瞭だ。確かに多くの映画がこの二つの効果を混同しているが、ちがいははっきりしている。
いま、私たちがこうやって話しあっているテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられていたとしよう。
しかし、観客もわたしたちもそのことを知らない。わたしたちはなんでもない会話をかわしている。
と、突然、ドカーンと爆弾が爆発する。観客は不意をつかれてびっくりする。これがサプライズ(不意打ち。びっくり仕掛け)だ。
サプライズの前には、なんのおもしろみもない平凡なシーンが描かれただけだ。
では、サスペンスが生まれるシチュエーションはどんなものか。
観客はまずテーブルの下に爆弾がアナーキストか誰かに仕掛けられたことを知っている。
爆弾は午後一時に爆発する、そしていまは一時十五分まえであることを観客は知らされている(この部屋のセットには柱時計がある)。
これだけの設定でまえと同じようにつまらないふたりの会話がたちまち生きてくる。なぜなら、観客が完全にこのシーンに参加してしまうからだ。
スクリーンの中の人物たちに向かって、「そんなばかな話をのんびりしているときじゃないぞ!テーブルの下には爆弾が仕掛けられているんだぞ!もうすぐ爆発するぞ!」と言ってやりたくなるからだ。
最初の場合は、爆発とともにわずか十五秒間のサプライズ(不意打ち=おどろき)を観客にあたえるだけだが、あとの場合は十五分間のサスペンスを観客にもたらすことになるわけだ。
つまり結論としては、どんな時でもできるだけ観客には状況を知らせるべきだということだ。
サプライズをひねって用いる場合、つまり思いがけない結末が話の頂点(ハイライト)になっている場合をのぞけば、観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ。
【引用終わり】

ヒッチコックはサスペンスとサプライズの違いを示す一つの例として爆弾を出しただけだが、マーティン・キャンベルは何かヒッチコックのサスペンス論の爆弾部分だけを受け継いでしまったように感じる。
爆弾的にはおとなしい有名作でも爆弾描写に熱が入る
「007ゴールデンアイ」は冒頭のアクションシーンで爆弾のタイマーの設定時間をめぐるボンドとライバルとの駆け引きがあり、「カジノロワイヤル」でも爆弾犯を追った末にボンドが敵が爆死するように仕向けたうえで爆破の瞬間にカメラを爆発するものではなく、それを見るボンドに寄せてしかも薄ら笑いを浮かべさせるあたり、なんちゅう渋かっこいい演出だ、と思った。
ゾロシリーズもクライマックスは爆弾が爆発するや否やのスリルで締めくくる。

ただこれらヒット作はマーティン・キャンベルの爆弾愛を満足させるものではない。
爆弾が好きすぎる彼は、爆弾のためだけの壮絶な2作品を発表する。

「バーティカル・リミット」は山岳救助の映画であるが、クレバスに落ちた妹を救うために何チームかにわかれて爆弾を歩いて輸送する話である。しかもその爆弾が液体で太陽の光に当たると爆発するなどという危険極まりないもので、どちらかといえば妹の救助よりいったい何チームが爆死するのかと、そっちのほうが気になる非人道的爆弾エンタメ映画だ。
あぶねー爆発するところだった、ふうやれやれ、と安心させておいて、爆弾の死神の狡猾な罠というか輸送班の油断を映像で示してから爆発させる数々のシーン。そして斜面での爆発が氷の中で取り残された妹たちに新たなピンチを招いていくという、爆弾がピンチをよびピンチが新たな爆発を呼ぶ、怒涛の展開だった。

「すべては愛のために」もマーティン・キャンベル作品だ。この映画は人道家として知られるアンジェリーナ・ジョリーが主演し世界から対人地雷を撲滅することを訴えかける社会派映画・・・と見せかけて実はマーティン・キャンベルが先に述べたヒッチコック爆弾サスペンス理論をいろんな形で実演してみせた爆弾サスペンスエキシビジョン映画である。本当にふさわしい邦題は「すべては爆弾のために」だろう。
ふと見ると幼児が手榴弾で遊んでいる。するとピンが抜ける。大変だ、みたいな場面などサスペンスとしての手腕の方にこそ目が行ってしまう。
対人地雷を踏んだ場合どんな音がしてどうなるかという説明の伏線を張っておいてクライマックスでその通りのことをヒロインに体験させるストーリーテリングは爆弾描写におけるシナリオ面からのアプローチの好例と言えるだろう
アンジーはおそらく本気で対人地雷の非人道性を訴えたかったに違いないが、そんな彼女を利用して自分の夢の爆弾映画にしてしまうとは、どんだけ抜け目ない男なんだろう。

そんな爆弾野郎Cチームなマーティン・キャンベル組の最新作が北アイルランドの爆弾テロの映画というのはとても興味深い。
これも実際のところジャッキー映画ということで企画を通しながら実は爆弾がやりたいだけの映画では無かったのか?という疑惑を私は持っている。

ただしこの「ザ・フォーリナー」における爆弾演出は先に引用したヒッチコックが言うところのサプライズとしての使用が多く、マーティン・キャンベルともあろう方が、爆弾だらけのこの映画でなぜそんなことをしたのか?と疑問に思う。
ジャッキーの仕掛ける爆弾も、無駄に人を殺さないジャッキーは誰もいないところを狙って仕掛けるのでも、観客に爆弾の状況を提示しても緊張感は生まれない。
そう思うと本人意思でない企画に対して爆弾ものだからと乗っては見たが、どうも勝手が違った・・・というところだったのかもしれない
それでもやっぱりこの人は爆弾が好きなんだろうなと思わせるのは、本作においてジャッキーもピアースも登場しない爆弾がらみのシーンがやけに力が入っているところである。

知らずに爆弾テロに協力させられているライター。モテなさそうな顔の男に若い美人の能力をフルに駆使して近づく女テロリスト。既述の最後に国家権力による拷問の上殺される女だが、物語への絡み方がすごい。マーティン・キャンベルで言えばゴールデンアイのファムケ・ヤンセン並みの女だ。今気づいたがマーティン・キャンベル映画の女たちはいつも強くていい。
話がそれた。
ともかく女はブサ夫君と寝た後で(たぶんめちゃくちゃ満足させたんだろう)彼に気づかれないように爆弾を彼のラップトップに仕掛けるのだが、これがいわば悪党が悪事を働こうとしているというのに、早くしないと彼に見つかる!!というサスペンスを産む。
そしてクライマックス、何も知らずに自爆テロの犯人になろうとしているブサ夫を早く見つけろと空港に乗り込むイギリス警察機動部隊(それともSASとか軍のチームなんだろうか?詳しい方情報求む)。すでに手荷物検査をすり抜けブサ夫は新しい恋人のことでも思いながらお気に入りの音楽をヘッドフォンで聞いていて自分を探す機動隊の声が聞こえない。
ようやく事態に気づいたブサ夫からラップトップを取り上げる機動隊員だが、付近のどこを見ても人人人。どこでもいい!人のいないところ!と脱兎のごとく駆け出す機動隊員の背後にはさりげなく大きなデジタル表示の時計。拷問に耐え切れず女が吐いた爆破予定時刻まであとわずか。(ヒッチコックの言う「この部屋のセットには柱時計がある」まんまの演出じゃないか!!)
カメラは爆弾を抱える機動隊員の視点になり、どこまで走っても人人人の搭乗ロビー内。もう観客も機動隊員と一緒になって早く何とかしろ!と手に汗握る。
爆弾一つあれば大スターなんかいなくても緊迫のサスペンスシーンが作れるんだぜ!!というさすが爆弾マスター・マーティン・キャンベルの本領発揮の名シーンであった!!!

ジャッキーもピアースもいない分、伸び伸びと大好きな爆弾で楽しめた彼にとっての癒しシーンだったのだろう。

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「ザ・フォーリナー 復讐者」
監督 マーティン・キャンベル
脚本 デヴィッド・マルコーニ
撮影 デヴィッド・タッターサル
音楽 クリフ・マルティネス
出演 ジャッキー・チェン、ピアース・ブロスナン、チャーリー・マーフィ(萌える悪女)、ロリー・フレック・バーンズ(ジャッキーと死闘を繰り広げたイケメン、期待大)
2019年5月 新宿ピカデリーにて鑑賞

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