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母べえ [監督:山田洋次]

2008-03-21 02:57:31 | 映評 2006~2008
個人的評価:■■■■□□ (最高:■■■■■■、最低:■□□□□□)

----??なキャスティングも、「サザエさん」実写版だと思うと深みが出てくる----
吉永小百合というキャスティングにはもの凄い無理があるのでは・・・
いくら実年齢より若く見える人だからって、舞台劇じゃないんだし、母べえ役の女優は40代後半くらいが使用上限値ではなかろうか?
とはいえ、引きのショットが得意な山田洋次である。演出や撮り方でカバーするのだろう・・・・と思ったらそうでもない。
高羽さんが亡くなり長沼さんにカメラがチェンジしてから特に顕著に感じる、カメラと被写体の距離の近さ。
「武士の一分」と同様、狭い家をメインの舞台にして物語は進む。カメラは引きようもないが、さすがにカット割りは巨匠らしく計算されている。
常に手を延ばせば届く様な空間で寄り添うようにして生活する母べえと初べえと照べえ。母の温もり、包み込む様な優しさを描くために、そしてまた、母の優しさと苦しい生活・苦しい時代とを対比させるためにおいても、狭いセットにアップとミドルショット中心のカット割りは実に的確な選択だ。
で、あればこそ、演出の必然として引きのショットが使えないからには、吉永小百合というキャスティングは「無し」じゃないだろうか。さすがにアップはキツい。
壇れい演じる久子から、「全く鈍感ねえ」と言われ、浅野忠信演じる山ちゃんの母べえへの想いを告げられるシーン。物語的に王道ではあるが、まさか本気で浅野忠信に親子ほど歳の離れた吉永小百合に恋させるとは思っていなかっただけに、観ている私も吉永小百合と同じくらいになそんなバカな・・・と狼狽してしまった。
初べえと母べえの間に横たわる「年齢差」に感じる違和感・・・
熟女趣味にしか思えない浅野忠信・・・

吉永小百合をキャスティングする必要性は、「観客動員確保」という商業性以外に見出すことができないではないか・・・
・・・・・・
・・・と思いつつ、巨匠のさすがの技巧の数々を堪能し、純粋にストーリーに泣かされもし、でもあのキャスティングは・・・と複雑な気分で映画館を後にして色々考えていると「ハッ!!」と思いついた。

初べえと母べえの年齢差など、私たちは物心ついたころから毎週日曜の午後六時半に見てきたではないか。
そう、国民的人気に関しては「寅さん」をも凌駕するあの国民アニメ。
「サザエさん」
初べえと母べえ・・・なんてことはない。ワカメと船さんではないか。
そう思えば、ほら、浅野忠信のキャラ、丸めがね、ドジで力仕事にゃ頼りないが誠実で優しくて子供受けは抜群、性格も言動も何もかも・・・完璧にマスオさんではないか!! ゴッドファーザー2でマーロン・ブランドになりきったデ・ニーロと同じくらい、マスオさんになりきったアカデミー賞級のなりきり演技だったのかもしれない。
で、三津五郎の頑固一徹なキャラは波平さん
家族関係的には違うけど、壇れいはサザエさん
・・・そ・・・そうか、マスオさんが磯野家に近づいていたのはサザエではなく船さんが目当てだったのか!!!
しかし、治安維持法のない平和な日本では波平さんが逮捕されることなどなく、マスオさんは心の奥底に船さんへの想いを秘め、船さんの側にいたいがためにサザエと結婚し、入り婿的に磯野家で暮らすことになったのである。
戦時下の「サザエさん」では、波平が投獄され獄死し、サザエの想いはマスオに届かず、そのマスオさんも戦死する。
国民的ほのぼのアニメも時代設定を変えれば、こんなに切ない悲しいやるせない物語になってしまうのか・・・・と、巨匠・山田洋次の意図とは多分全く違うところで激しく感動し、軍国主義への怒りを改めて感じる私だった・・・・・

----山田洋次演出について・・・----
本作については、物語性や思想性に対しては色々語らずに、映画作家としてのテクニカルな面について、ほめたり、けなしたりしてみる。

****まずはケナべえ****

[カメラの近さについて]

既に書いたが、近いカメラと窮屈な構図は、寄り添う家族を包む母の愛を強調するのに効果的である。
だが一方で、時代を描くというテーマを考えた時に若干の疑問も感じる。
「武士の一分」では、狭いセットと被写体に近いカメラが、激動の幕末という時代の中の異空間を描くのに効果的であった。夫婦の物語に焦点を絞り、時代性を排除するために取られたカット割りであった。
しかし「母べえ」は、時代への怒りが根底にある。
その割に、時代の再現はナレーションのみ。山ちゃんが出征のため母べえの前から去った直後にはもう戦後のシーンとなる。
数少ないロングショットである野上家の玄関先から見える町並みショットが、一瞬で廃墟に変わることで観客に時の流れを実感させ、母べえたちの戦時の苦労を印象づける効果的といえば効果的な場面転換だが、空襲シーンの一つもないのはやはり肩すかし感がある。
「三丁目の夕日」のような時代再現で遊ぶ監督でないのはわかっているが、せめて当時のニュース映像を挿入するとか、時代の激動を体感させる工夫を、あるいは実際にあの時代を生きた人たちにそれを思い出させる映像を積極的に入れても良かったのではないか。
「家族」を描く上では狭いセットと寄りのカットは巧いと思うが、「時代」を描ききれたかというとそうは思えない。

[野上照代さん原作だったらさあ、やっぱり出してよ、あの人・・・]
野上照代の自伝的小説を原作としている本作である。
ラストシーンでの大人になった照べえは、たかだか中学の美術教師じゃなくて、映画史上の伝説の巨匠の現場でスクリプターとして働いている設定にすべきでしょう(原作はどんなだか知らないけど)。その方が、母べえや父べえや山ちゃんの果たした歴史的役割を実感させることができて、物語はより深みを増し、プロパガンダとしてもより有効になったでしょう。
図体のでかい黒眼鏡の男が、助監督や若手俳優たちに怒鳴り散らしているスタジオで働く照べえに「母、危篤」の知らせが入り、大物オーラ出まくりの黒眼鏡の男が「照ちゃん、行ってあげなさい」とか言うとかしてくれたら、日本映画ファンは大喜びだったのに
・・・ああ、松竹映画だから、主に東宝で撮ってた監督をネタにするのはNGですか?
おっとテクニカルな面でなくて、単に脚本に対する私の要望でしたね。

[ラストの演出・・・]
その大人モードの照べえは、マチルダさんじゃなくて戸田恵子である。
今にも事切れそうな年老いた母べえに何か耳打ちされるや、瞬時に「ぎゃああああ」と大絶叫。物語的にも交わされる台詞的にも絶叫する気持ちはわかるけど、ちょいとその芝居は酷くないかい?
よくあれでOK出したね。山田監督・・・

****ここからホメべえ****
[山ちゃんの全てをワンカットで描写したあまりに見事な初登場シーン]
浅野忠信初登場のシーンは素晴らしい。
正座して、面会を求める方法を丁寧に教える山ちゃん。頭の良さ、物知りぶり、そして誠実さ、礼義正しさ、優しさ、人情家ぶりが描かれ、さらに足がしびれてぶっ倒れた時初めて見せる黒い靴下に空いた大きな穴。ドジ、弱さ、貧乏であること。これら総てがワンカットで表現される。山ちゃんというキャラの総てを描ききったワンカット。完璧に計算された見事なカット。

[山田洋次流、エモーショナルな引きショット]
山田洋次は、キャラの感情が高ぶる場面、つまり俳優的には芝居の見せ場ともいえる場面において、ロングショットにしたり、そのキャラの後ろ姿を写したりする。テレビドラマとは真逆なカット割りをする監督だと思う。
そんなエモーションを強調する引きのショットは、先にも述べたように少ないのだが、三津五郎の元教え子の検察が怒鳴り散らす引きショットは、待ってましたと言いたくなる山田洋次ならではの見事なショットであった。
それから、ついに浅野忠信が吉永小百合にさよならを告げるシーンでも、カメラは別れの言葉を喋る浅野忠信の背中と、それを聞きオロオロする吉永小百合の表情をやや引いたショットで延々撮り続ける。浅野忠信としてはもっとも演技的に見せ所なハズのシーンであるが、あえて見せない。小百合の表情から想起させる。
この大胆さも巨匠だからこそである。

[山田洋次は寄りショットの使い方も巧く・・・]
一方で寄りのショットによるエモーション強調も効果的に使う。
父の死の報を受け、バタバタと出かけていく母べえと山ちゃんを見送る照べえは、郵便受けに父からの葉書を見つける。
カメラは照べえの満面の笑みをアップで写す。父べえからの手紙だよ、死んだなんてやっぱり間違いだったんだよ、と無邪気に喜ぶ照べえ。だが初べえは、この手紙はだいぶ前に投函されたものだと冷たく言い放つ。
父の死の悲劇性をより強調するための念の入った策として、顔アップで歓びを強調する。
ずるい、と思うくらいに巧い。

[シナリオのターニングポイントにおける見事すぎ寝る緩急の裁き方とカット割り]
山ちゃんが初べえと羽子板に興じるシーン。山ちゃんのヘタクソぶりを丁寧にカット刻んで見せた後、羽子板を力任せに振り回した山ちゃんは羽を屋根の上に載せてしまう。
カメラは俯瞰で、屋根と羽、玄関先で羽を取ろうとする山ちゃんたち、野上家の玄関先から広がる町並みと、そして近づいてくる電話局員とを一度に収める。
そして父べえの死を知らせる電報を受け取る。
物語の最も重要な転換点となるシーンを、楽から哀への転換でしかもワンカットの中で切り替える巧みさ。映画の呼吸を知り尽くしている巨匠ならではの見事すぎるシーンであった。

----結論として、やっぱ山田洋次はすごいわ・・・----
とまあ、そんな具合に、たとえ物語がイマイチでも、キャスティングがイマイチでも、黄金期の作品群と比較して明らかな衰えを感じさせようとも、巨匠・山田洋次の作品には教えられることが多々あり、充分に満足させてくれるのである。
さすがは巨匠。この安定感は日本には他に無い。

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6 コメント

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サザエさんかあ・・・ (sakurai)
2008-03-21 21:33:01
そいつは気づきませんでした。
姉妹というのが、気づかせない落とし穴だったかも。
メガネで・・・というので、自分はついナナナ中島かと思ってしまいましたよ。
返信する
コメントありがとうございます (しん)
2008-03-22 10:13:48
>sakuraiさま
まあ、羽子板のシーンに、「おーい、磯野ー、野球やろうぜー」の姿ほダブらせるのも可能ですね
返信する
ラスト (aq99)
2008-03-23 19:26:13
あんまり評判のよろしくないラストの現代シーンですが、黒澤ブランドを安売りしまくってる黒澤プロやから、ダメ元で打診したらOKやったかもしれませんね~(実際、しんさん作の妄想版の方がおもろい)。
自分の持ちネタ、寅さんならCGで復活登場させることができても、巨匠は無理?
イヤそんなことはない、桑田佳祐とコーヒー飲んでるじゃないかーっ!
返信する
コメントどうもです (しん)
2008-03-26 10:12:19
>aq99さま
あるいは時代はだいぶ違うけど、松竹で撮った「白雉」の撮影現場っぽくするとか
妄想全開で、CG復活したミフネと寅さんが知床で斬り合いしているシーンの撮影中にしちゃうとかしたら、もん誰の映画やら何の映画やらわかんなくなって面白そうですね

さらに妄想膨らませて、戸田恵子ネタで押せば、ラストはロボットアニメのアフレコ中に危篤の知らせが入って、自分の出番が終わって出て行く時スタジオでは男の声優が「マチルダさぁぁぁぁぁん!!!」と絶叫しているとか・・・
返信する
気付かなかった・・・ (kossy)
2008-03-27 08:31:00
さすがしん様・・・サザエさんとは!
よーく考えてみると、ワカメちゃんはフネさんが何歳のときに生まれたんだろう?と今まで疑問なんて持たなかった。
美術教師なんてのはスクリプターになってるもんだと予想した観客へのサプライズだったのかもしれませんが、やっぱり現代パートには不満が残ります。アンパンマンではなくクレヨンしんちゃんだったら、黒澤パロディをいくらでも作りそうなのになぁ・・・
返信する
コメントどうもっす (しん)
2008-03-27 22:30:10
>kossyさま
まあ、ひょっとしてフネさんは40くらいの設定なのかもしれませんけど・・・

ああそうか、戸田恵子=マチルダで刷り込まれちゃってますけど、代表作はそりゃあアンパンマンでしたね。
「さあ、僕をお食べ」とかアフレコしているスタジオに「母、危篤」の知らせがくるのもありでした
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