自主映画制作工房Stud!o Yunfat 改め ALIQOUI film 映評のページ

映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド [状況に反応しているだけで情感もドラマも何もない薄っぺらさがタランティーノなのか?]

2019-12-03 20:49:10 | 映評 2013~
相変わらず自分の琴線にはかすりもしないタランティーノ映画ではある。今のところ今年のマイワースト映画だが、しかし観てよかったと思う。
というのは、、タランティーノ映画の魅力(と、人々に呼ばれているもの)の正体が少しだけわかった気がするから。

いきなりネタバレというか、ストーリーの結末を語るので、未見の方はご注意。



---
この映画は1969年に起こったシャロン・テート殺害事件をクライマックスに据えながらも、シャロン・テートを殺すはずの犯人たちが彼女の家(つまりロマン・ポランスキー監督の家)の隣の、落ち目のテレビ俳優の家に押し入ってしまい、その家にいたブルース・リーと互角に戦えるほどの格闘スキルをもったスタントマンと、昔の出演作の小道具の凶悪な火炎放射器をなぜか燃料も装填したままとっておいた俳優、によって逆に皆殺しにされてしまう話である。
たったそんだけのおちのために3時間近い尺をかける必要があるのかと疑問に思うのだが、そのクライマックスに至るまでが私にはとにかく長く、退屈で、時に眠気すら催すほどだった。
別に3時間くらいの映画は珍しくもないけれど、なぜそんなに退屈を感じたのかと、考えていたときに、様々なシーンがバラバラ、ふわふわでエピソードを重ねる割にエモーションが蓄積されないからだ・・・と一旦は結論付けた。

鑑賞直後に書きかけた本作の映画評である
--------
私はヒッピー文化にはさほど詳しくないけれど、あの時あんな事件が起こらなければ、ヒッピー文化はもっと異なる進化をとげたのかもしれない。
クスリやハッパキメてラリッてるやつらがすぐ銃で殺す映画ばかりを撮ってきたタランティーノとヒッピー文化に親和性があるのはなんとなくわかるし、だから暴走してあんな悲惨な事件を起こした「昔々のハリウッド」での出来事がゆるせなかったのかもしれない
タランティーノは60年代にブルース・リーと互角の格闘スキルをもった男をタイムスリップで送り込み、シャロン・テートを殺した憎いやつらをぶちのめし、たたき殺したのだ。
こうしてシャロン・テートは命を落とさずに済み、そうなるとその後ポランスキーが少女強姦で起訴されることもなく、だから彼がヨーロッパに逃げる事もなく(そうなると「フランティック」や「戦場のピアニスト」は作られなかったかもしれないけど)、彼はハリウッドで映画を撮り続けて映画の歴史は少しは変わっただろう
もしかするとシャロンに家に呼ばれたダルトンが「チャイナタウン」に出演したかもしれない。
なるほど、ある意味この映画は「ターミネーター」だ。

ハリウッドの歴史におけるある時点の歴史をひん曲げることが彼のミッションだったわけだ。

そのために大スターを集めてふんだんにお金をかけて当時のハリウッドやテレビ界を変質的なこだわりで再現し、あの日の「もしも」に思いを馳せたのだ

などと、この映画で彼が目指したことはわかるし、60年代への郷愁も普通のノスタルジー売り映画とは違っていて面白いと思う。
三丁目の夕日的な「盲目的昔賛美」と「無自覚な嘘」とちがって、嘘をつくことそのものがテーマであるし、クソ野郎にはそれを上回るクソ野郎で叩き潰す姿勢からも過去を「美しい」とか「あのころは良かった」なんては思っていないことも明白だ。

彼の目指した映画世界を思い描いた通りに構築し、完全な再現世界を有り得ないバカバカしさで覆す姿勢とか評価していい

しかししかしだ
でもこの映画で語られる台詞や積み上げられていくカットは、いちいちどれをとっても絶望的に面白くない。
デカプリの撮影のくだりとか、プラビが牧場でスタント仲間にあうくだりとか、はっきしいって面白いことは何もない。脚本構成においてそれら長いシーンに積み重なるエモーショナルな要素がない。
--------

と、ここまで書いたときにふと思ったのだ。
エモーション(あるいは情感とでも言おうか)が無いことこそ、タランティーノ映画の特長ではなかったのかと。
むしろタランティーノ好きな人たちはそれを楽しんでいたのではないかと

私が好きな映画の多くは様々な想いが積み重なってやがて何らかの形で爆発したり、溢れだしたりする感情の奔流を感じる映画だ。
しかしタランティーノ映画はむしろそうした感情的な行動を否定するかのように、登場人物たちは「状況に対して反応している」だけなのだ。

思えば彼のブレイク作と言われる「レザボア・ドッグス」。当時大学生だった私はこの映画に全然乗れなかった。
ところで「レザボア・ドッグス」をタランティーノの完全オリジナル作品と思っている人が多いみたいだが、あれは香港映画「友は風の彼方に」のリメイクと言ってもいい映画だ。
「友は風の彼方に」のラスト40分をまるまる頂いて、その前の60分を回想シーン的にダイジェストでさし挟んだような構成で、ぶっちゃけストーリーは全く同じだし、終盤の銃の突き付けあいからの結末にいたる展開や演出もほぼ同じだ。
その「友は風の彼方に」は私は大好きな映画で、チョウ・ユンファ主演作3大傑作のひとつに数えたいくらいだ。あとの二つは挽歌と・・・まあ、いい
「友は風の彼方に」は潜入捜査官のユンファが強盗団に入り、強盗団のリーダー格のダニー・リーとの間に友情とも尊敬とも違う奇妙な信頼が育まれていく過程をじっくりと描いていく(ユンファはレザボアだとティム・ロス、ダニー・リーがハーヴェイ・カイテルに当たる)
ユンファが任務と友情(と言いたくはないがふさわしい表現が思いつかない)の板挟みで悩んでいく過程は説得力があり、そこからの強盗決行や、思わず「仲間」をかばって負傷してしまうシーンなど、胸かきむしられる。そしてアジトに帰ってからの展開はレザボアドッグスの通りとなる。

タランティーノはこの素晴らしい映画を、物語を、脚本を、最後の「この中に裏切り者がいる」という状況の部分だけ切り取った。
かれはもとよりエモーションの積み重ねなどに興味はなかったのだ。
「友は風の彼方に」は語られるエピソードに無駄がなく全てがクライマックスにおける登場人物たちの情動につながっていた。
しかしタランティーノはと言えば「ライク・ア・バージン談義」に象徴されるように、ストーリー上関係のないものばかりを詰め込む。
彼はエモーションを積み重ねるテクニックを持っていないわけじゃなく、性質としてそれができないし興味がないし、もしかしたら嫌いなのだ。

90分から3時間という尺をつかう長編映画の場合、当然ながらエピソードを重ねてエモーションを積み重ねクライマックスに向けて高めていくのが、正攻法な描き方だと思うが、タランティーノはそうした正攻法な作りを否定したからこそ、新しいファンを獲得したといえるのかもしれない。
タランティーノのように情感のないカラリとした映画は、だからクールと評価する人もいるのだろうか。でも私にはやっぱりぶつ切りにどうでもいいことがダラダラ喋られて、あっさり終わる映画に思えて、私の嗜好とは見事なまでに波長が合わない。

----
実はこんなタラ嫌いの私が珍しく結構好きなタラ映画が三つあって、一つは「フォー・ルームス」の第4話、もう一つは「デスプルーフinグラインドハウス」そして「イングロリアス・バスターズ」だ。最初の二つはさておき「イングロリアス・バスターズ」と「ワンハリ」は比較すると面白いと感じた。

タランティーノの映画は「状況に反応しているだけ」と書いた。
それはワンハリのクライマックスにも顕著だ。
ブラッド・ピットもディカプリオも、凶器を持った殺人者を撃退しただけで、彼らはハリウッド史を揺るがす大事件を阻止しているんだという感慨は何ももっていない。これだけの大作のクライマックスにもかかわらず感情的な盛り上がりが何もない軽さは何事だろうと思えた。

私が「イングロリアス・バスターズ」を好きなのは、今思えばタラ映画にしては珍しく情感をまとっているからではなかったろうか。
この映画もワンハリと同じ歴史改ざん映画ではあるが、ヒトラーやナチ幹部をまとめて焼き殺しているレジスタンスたちは歴史改変をしている意識はなくても、歴史に残る行為をしているという感慨は当然もっていたはずだ。何しろいま自分たちの手でヒトラーを殺しているのだ。そこらへんのいかれたヒッピーを殺すのとはわけが違う。
タラ映画でおなじみの(私の嫌いな)どうでもいい長台詞も、ナチス将校のクリストフ・ヴァルツが喋るとそれは異様な恐怖を伴った「説得」であり長いことに意味が生まれるし、追われるユダヤ人女性の差し迫った恐怖もよくわかる。

私にとってのタランティーノベストはだから「イングロリアス・バスターズ」だ(といっても100点満点で言えば70点くらいの満足度)。しかし情感をまとわない、積み重ねないことがタランティーノの持ち味だとしたら、彼にとっては異色作であり、むしろこの「ワンハリ」が代表作なのかもしれないと思える。

少なくともこれほど偏執的というか変態的にこだわり、しかも空っぽな映画を作れるのは今のタランティーノだけではないかと思う

でも、どんなにあれこれ考えてもやはり自分は長くてうんざりで二度と見たくない映画だ。ただ語るところが多いのは確かで、その辺にこの映画の力の強さを認める
----
 

この写真は、わざわざ横浜まで観に行ったのにあまりのつまんなさに妻と串カツ田中でガリ酎でやけ酒した時のもの
 
----
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
監督:クエンティン・タランティーノ
撮影:ロバート・リチャードソン
視覚効果デザイン:ジョン・ダイクストラ (ってなんだよこのレジェンド感あるクレジット・・・)
出演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー
 
2019年11月 kino cinema横浜みなとみらい にて鑑賞
 
みたのは「エクステンデットカット版」とかいうやつ。多分余計に冗長になったバージョンなんだろう
伸ばすより、90分くらいにカットした版の方が見たいぞ
 
----
当ブログ管理人が監督した長編映画「巻貝たちの歓喜」のご案内

「巻貝たちの歓喜」
監督・脚本:齋藤新
撮影:齋藤さやか
音楽:横内究
題字:今泉岐葉
出演:古本恭一、きむらまさみ、神戸カナ、山城まこと

終戦間際のベルリンで行われた実験が時空を超えて70年後の日本に異変をもたらす。今は亡き愛する者の幻覚に操られる人たちが続出して行く中、幻覚に魂を入れる方法に気づいた男…

2019/12/7原宿CAPSULEにて上映

詳細、予告編、チケット予約は公式サイトにて↓
 

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ロイヤルコンセルトヘボウ管... | トップ | EXIT 【監督:イ・サングン】 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映評 2013~」カテゴリの最新記事