99点(100点満点)
2014年11月23日、新宿武蔵野館にて鑑賞
時間の流れを楽しむ映画。
たぶん私の今年のベストワン。
もっとも「ゼログラビティ」見たときも「エレニの帰郷」見たときも「アデル、ブルーは熱い色」見たときもそんなことを思ったので、年末にはどうなってるかわかりませんが…
子供が大人になるまでの12年間を同じ役者で実際に12年間かけて撮ってみよう…そんな映画制作者なら一度は夢に見るような撮り方を本当にやってしまった映画として、それだけで羨望の目で見てしまう。
そこにはストーリーとかカメラワークとか演技とか、映画評価のポイント対象となるような要素は無く、それらとは全く別次元の感動がある。
この映画にあるのは監督にコントロールされた世界ではなく、役者の技量に託された撮影でもない。
リチャード・リンクレイター監督は、作為をなるべく排した映像をつなぎ、最終的なクォリティは時間の流れに全てを託すという暴挙ギリギリの映画制作に挑んだ。
そして成功させた。
上・物語序盤のエラー・コルトレーンとイーサン・ホーク
下・物語終盤のエラー・コルトレーンとイーサン・ホーク
『6才のボクが…』の映画としての凄さは、他の表現に置換できないところにあるかもしれない。少年と少女がリアルに成長し、大人たちが老いていく12年間を見つめる感動は実写映像でなければ得られないと思う。
ここ1~2年で傑作だなと思った映画はなんらかの別の表現方法があり得る。
『サード・パーソン』は小説で読んでも面白いだろう。『ブルー・ジャスミン』『舞妓はレディ』は舞台で観ても面白いだろう。『ジャージー・ボーイズ』はもともとが舞台だ。『グランド・ブダペスト・ホテル』は漫画でも楽しめそうだ。『アデル、ブルーは熱い色』はもともとが漫画だ。『ゼロ・グラビティ』はだいぶ映画ならでは感があるがゲームやアトラクションショーにしても面白いだろう。『リアリティのダンス』も映画ならでは感があるがアニメで観ても面白いかもしれない。
でも『6才のボクが…』は実写映像でなければいけないのだ。映像で綴られる12年の時の流れが重要なのだ。
ストーリーなんて6才の子供がやがて大学生になるっていうそれだけ。
公式HPにストーリーのほぼ全て、結末までが紹介されているが、読んでわかる通りさして面白い事件も泣けるようなドラマチックな出来事も起こらない。
小説で読んでもつまらないだろう。それどころか脚本を読んでもつまらないかもしれない。台詞やト書きに書いていない部分、書けない部分がこの映画の面白さの全てなのだ。
舞台化やアニメ化しても意味がない。実写映像表現のある意味での究極系と言える。
(などと言っててもう一つ最近の映画で実写映像じゃなきゃ意味のない映画を思い出した。『エクスペンダブルズ3』だ。スタローンってもしかしてすごい芸術家?)
同じ役者が同じ役を何年にもわたって演じ続けてその成長や人生を追う映画…というだけなら珍しくはない。
トリュフォーのドワネルシリーズがその代表かもしれないし、『男はつらいよ』だってそんな面はあるし、それこそ枚挙に暇がない。
でもそれらは独立した一本の映画の集合をシリーズとして俯瞰した時に感じる人生であって、『6才のボクが…』のように最初から一本の映画で人生を描くものとして企画された例は少ないのではないか。少なくとも私は知らない。
全くバカげている、とも言える。
どうやってプロデューサーやスポンサーを説得すればいいのだろう。
ほとんどのプロデューサーやスポンサーは以下のように思うのではなかろうか?
「顔の似た年代の違う子役を使い分けて撮ればいいだろ。
今のメイク技術やCGなら大人の役者を10年老けさせたり、若返らせたりなんて難しくないだろう。
だいたい12年もかけて撮っても、2ヶ月で撮ってもストーリーは同じだろ?なんだってそんなリスキーな撮り方するんだい?
12年の間に役者がなんか悪いことして捕まるかもしれないし、不慮の事故や病気でキャストが脱落するかもしれないじゃないか。シリーズものならキャスト交代って手もあるけど、一本の映画で突然キャストが変わったらまずいだろう。
10年前のファッションや風俗を完全に描けない?美術スタッフをなめてもらっちゃ困るよ。
実際に12年間を経ることで醸し出される演技?パトリシア・アークエットやイーサン・ホークがそんなことを表現できないようなヘボ役者だと思うのかい?いや、むしろ次のシーンの撮影まで1年間も空ける撮り方の方が役者は気持ちが入らないんじゃないのかい?
いいからまずホンを見せてみろ?は?書いてない?」
無理だ。でもリンクレイター監督は成し遂げた。いや、監督としてよりもこの暴挙とも言える映画制作を推進したプロデューサーとしての功績こそ賞賛すべきかもしれない。
これといって大したことの起こらないストーリーであるが、逆に人生においてどんな些細なことにも感動が潜んでいることを知る物語でもある。
時間がたって再開する配管工のエピソードがその代表だ。ただの配管工やってた兄ちゃんと思いがけない場所で再会したら立派な人になっていたというエピソード。
お母さん(パトリシア・アークエット)に、あなたに進学を勧められて人生が変わった、あなたは恩人です、って言う、あのような一瞬一瞬の小さな感動のために僕らは生きているのかもしれない。
反対に、物語から、つまり主人公の人生から消えていった人たちに思いを馳せて胸が締め付けられる感覚も味わえる。
母の再婚相手のアル中教授の子供たちは、あの後どんな人生を歩んだのか?
出会った人間全ての人生を知ることなどできない。そんな人生の切なさも感じることができる。
そして色々な人間と協調し、時に妥協しながら生きて、それでも筋の通った自分を作ることの素晴らしさが本作のメッセージだ。
協調や妥協については、例えば民主党支持のリベラル父親の再婚相手の両親がイカニモなゴリゴリ保守系アメリカ人だったりするところなど、世界は色々な人間でできていることを示している。
他に色々な人との出会いと別れ。中には好きな人も嫌いな人もいて…そうやって6才だったボクは曲げないことと、折れることの両方を学んで大人になっていく。
画面を彩る小物も重要だ。
美術スタッフが技術や調達力を駆使して作ったセットではない。
その時々のスタンダードであり、消費され消えていくものたち。
スケルトンのiMac。日本で言うところのガラケーからスマホへのコミュニケーションツールの変遷。iPodやらビデオゲーム機の変化や、ハリポタの新刊発売イベントとか、今はないものが沢山印象に残る。
だから主人公が消費されるものではなく、永遠に残したいものとしてアート作品(写真)へと興味を向けることも物語としてとても重要な意味を持っていると見る。
そして役者自身の肉体的な成長とともに子役のエラー・コルトレーン君が、なかなかのイケメンな役者エラー・コルトレーンに成長する様を見届けることも映画の重要な要素だ。親戚の子供の成長を見守るように映画に没頭する。
言葉の使い方として間違ってるかもしれないが「タイムラプス青春映画」なんて呼ぶのはどうだろう?
見終わった直後はそれほどドッカンという感動があるわけではないが、日がたつにつれてジワジワくる。そんな映画。
---
ただ一つ、この映画について不安に思うことがある。
この映画を素晴らしいとか感動したとか言うのは、この映画の制作過程を事前情報で知っていたからだろうか?
12年という重みはちがうね~などと知ったような口をきいているだけではないと言えるだろうか?
もしも、この映画についてこんなスクープが流れたら…
撮影スタッフが暴露!「6ボク」は実は12年かけて撮っていなかった!イーサン・ホークはCGでシワを消していた!
…それでもこの映画を絶賛した批評家や観客はこの映画を愛せるだろうか?
ボクは、愛せると思う。
しかし同時に、この映画が通常のスタイルで撮られていたら、つまり数ヶ月間で数人の子役を使い分けて撮っていたら、この感動は絶対に生まれなかったという確信もある。
作為がなさすぎるゆえの危うさ。
この映画は、映画を愛する覚悟もまた問いかけている気がする。
----
『6才のボクが、大人になるまで。』
監督・脚本:リチャード・リンクレイター
制作:リチャード・リンクレイター、キャスリーン・サザーランド
撮影:リー・ダニエル、シェーン・ケリー
編集:サンドラ・エイデアー
出演:エラー・コルトレーン、ローレライ・リンクレイター、パトリシア・アークエット、イーサン・ホーク
---以下、鑑賞直後のTwitterフラッシュ映評---
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで」
期待以上の分厚い感動。技術とかセンスとかそういう問題じゃなく監督やキャストたちの人生が刻まれている。6才から高校卒業まで同じキャストで演じる感動。エラー・コルトレーン君の人生を一緒に駆け抜ける164分。人生は一瞬一瞬が素晴らしいと思える映画。
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで」都内でも2館でしかやってない。立ち見がでるほどの盛況。13時15分の回を観るため30分前に映画館に着いたらもう席はなく立ち見とのことだったのでその次の回にして、新宿ブラブラしてた。それだけ待った甲斐のある、ヒットも納得の映画でした。
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで。」
スケルトンのiMacとか、iPndとか懐かしい機器が登場。ガラケー(と向こうで言わないけど)つかってた主人公があるシーンからiPhone使ってたり、それらは別に美術スタッフが時代にあわせて用意したわけではなく、この映画の制作プロセスが産んだ感動
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで。」2014年のベスト候補の一本でしょう。これを超える感動ってなかなか作れないと思う。監督自身もじゃあもう一回ってできない映画。映画制作って過程が生み出した奇跡の一本
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自主映画制作団体 ALIQOUI FILM
最新作「チクタクレス」
小坂本町一丁目映画祭Vol.12 入選
日本芸術センター映像グランプリ ノミネート
2014年11月23日、新宿武蔵野館にて鑑賞
時間の流れを楽しむ映画。
たぶん私の今年のベストワン。
もっとも「ゼログラビティ」見たときも「エレニの帰郷」見たときも「アデル、ブルーは熱い色」見たときもそんなことを思ったので、年末にはどうなってるかわかりませんが…
子供が大人になるまでの12年間を同じ役者で実際に12年間かけて撮ってみよう…そんな映画制作者なら一度は夢に見るような撮り方を本当にやってしまった映画として、それだけで羨望の目で見てしまう。
そこにはストーリーとかカメラワークとか演技とか、映画評価のポイント対象となるような要素は無く、それらとは全く別次元の感動がある。
この映画にあるのは監督にコントロールされた世界ではなく、役者の技量に託された撮影でもない。
リチャード・リンクレイター監督は、作為をなるべく排した映像をつなぎ、最終的なクォリティは時間の流れに全てを託すという暴挙ギリギリの映画制作に挑んだ。
そして成功させた。
上・物語序盤のエラー・コルトレーンとイーサン・ホーク
下・物語終盤のエラー・コルトレーンとイーサン・ホーク
『6才のボクが…』の映画としての凄さは、他の表現に置換できないところにあるかもしれない。少年と少女がリアルに成長し、大人たちが老いていく12年間を見つめる感動は実写映像でなければ得られないと思う。
ここ1~2年で傑作だなと思った映画はなんらかの別の表現方法があり得る。
『サード・パーソン』は小説で読んでも面白いだろう。『ブルー・ジャスミン』『舞妓はレディ』は舞台で観ても面白いだろう。『ジャージー・ボーイズ』はもともとが舞台だ。『グランド・ブダペスト・ホテル』は漫画でも楽しめそうだ。『アデル、ブルーは熱い色』はもともとが漫画だ。『ゼロ・グラビティ』はだいぶ映画ならでは感があるがゲームやアトラクションショーにしても面白いだろう。『リアリティのダンス』も映画ならでは感があるがアニメで観ても面白いかもしれない。
でも『6才のボクが…』は実写映像でなければいけないのだ。映像で綴られる12年の時の流れが重要なのだ。
ストーリーなんて6才の子供がやがて大学生になるっていうそれだけ。
公式HPにストーリーのほぼ全て、結末までが紹介されているが、読んでわかる通りさして面白い事件も泣けるようなドラマチックな出来事も起こらない。
小説で読んでもつまらないだろう。それどころか脚本を読んでもつまらないかもしれない。台詞やト書きに書いていない部分、書けない部分がこの映画の面白さの全てなのだ。
舞台化やアニメ化しても意味がない。実写映像表現のある意味での究極系と言える。
(などと言っててもう一つ最近の映画で実写映像じゃなきゃ意味のない映画を思い出した。『エクスペンダブルズ3』だ。スタローンってもしかしてすごい芸術家?)
同じ役者が同じ役を何年にもわたって演じ続けてその成長や人生を追う映画…というだけなら珍しくはない。
トリュフォーのドワネルシリーズがその代表かもしれないし、『男はつらいよ』だってそんな面はあるし、それこそ枚挙に暇がない。
でもそれらは独立した一本の映画の集合をシリーズとして俯瞰した時に感じる人生であって、『6才のボクが…』のように最初から一本の映画で人生を描くものとして企画された例は少ないのではないか。少なくとも私は知らない。
全くバカげている、とも言える。
どうやってプロデューサーやスポンサーを説得すればいいのだろう。
ほとんどのプロデューサーやスポンサーは以下のように思うのではなかろうか?
「顔の似た年代の違う子役を使い分けて撮ればいいだろ。
今のメイク技術やCGなら大人の役者を10年老けさせたり、若返らせたりなんて難しくないだろう。
だいたい12年もかけて撮っても、2ヶ月で撮ってもストーリーは同じだろ?なんだってそんなリスキーな撮り方するんだい?
12年の間に役者がなんか悪いことして捕まるかもしれないし、不慮の事故や病気でキャストが脱落するかもしれないじゃないか。シリーズものならキャスト交代って手もあるけど、一本の映画で突然キャストが変わったらまずいだろう。
10年前のファッションや風俗を完全に描けない?美術スタッフをなめてもらっちゃ困るよ。
実際に12年間を経ることで醸し出される演技?パトリシア・アークエットやイーサン・ホークがそんなことを表現できないようなヘボ役者だと思うのかい?いや、むしろ次のシーンの撮影まで1年間も空ける撮り方の方が役者は気持ちが入らないんじゃないのかい?
いいからまずホンを見せてみろ?は?書いてない?」
無理だ。でもリンクレイター監督は成し遂げた。いや、監督としてよりもこの暴挙とも言える映画制作を推進したプロデューサーとしての功績こそ賞賛すべきかもしれない。
これといって大したことの起こらないストーリーであるが、逆に人生においてどんな些細なことにも感動が潜んでいることを知る物語でもある。
時間がたって再開する配管工のエピソードがその代表だ。ただの配管工やってた兄ちゃんと思いがけない場所で再会したら立派な人になっていたというエピソード。
お母さん(パトリシア・アークエット)に、あなたに進学を勧められて人生が変わった、あなたは恩人です、って言う、あのような一瞬一瞬の小さな感動のために僕らは生きているのかもしれない。
反対に、物語から、つまり主人公の人生から消えていった人たちに思いを馳せて胸が締め付けられる感覚も味わえる。
母の再婚相手のアル中教授の子供たちは、あの後どんな人生を歩んだのか?
出会った人間全ての人生を知ることなどできない。そんな人生の切なさも感じることができる。
そして色々な人間と協調し、時に妥協しながら生きて、それでも筋の通った自分を作ることの素晴らしさが本作のメッセージだ。
協調や妥協については、例えば民主党支持のリベラル父親の再婚相手の両親がイカニモなゴリゴリ保守系アメリカ人だったりするところなど、世界は色々な人間でできていることを示している。
他に色々な人との出会いと別れ。中には好きな人も嫌いな人もいて…そうやって6才だったボクは曲げないことと、折れることの両方を学んで大人になっていく。
画面を彩る小物も重要だ。
美術スタッフが技術や調達力を駆使して作ったセットではない。
その時々のスタンダードであり、消費され消えていくものたち。
スケルトンのiMac。日本で言うところのガラケーからスマホへのコミュニケーションツールの変遷。iPodやらビデオゲーム機の変化や、ハリポタの新刊発売イベントとか、今はないものが沢山印象に残る。
だから主人公が消費されるものではなく、永遠に残したいものとしてアート作品(写真)へと興味を向けることも物語としてとても重要な意味を持っていると見る。
そして役者自身の肉体的な成長とともに子役のエラー・コルトレーン君が、なかなかのイケメンな役者エラー・コルトレーンに成長する様を見届けることも映画の重要な要素だ。親戚の子供の成長を見守るように映画に没頭する。
言葉の使い方として間違ってるかもしれないが「タイムラプス青春映画」なんて呼ぶのはどうだろう?
見終わった直後はそれほどドッカンという感動があるわけではないが、日がたつにつれてジワジワくる。そんな映画。
---
ただ一つ、この映画について不安に思うことがある。
この映画を素晴らしいとか感動したとか言うのは、この映画の制作過程を事前情報で知っていたからだろうか?
12年という重みはちがうね~などと知ったような口をきいているだけではないと言えるだろうか?
もしも、この映画についてこんなスクープが流れたら…
撮影スタッフが暴露!「6ボク」は実は12年かけて撮っていなかった!イーサン・ホークはCGでシワを消していた!
…それでもこの映画を絶賛した批評家や観客はこの映画を愛せるだろうか?
ボクは、愛せると思う。
しかし同時に、この映画が通常のスタイルで撮られていたら、つまり数ヶ月間で数人の子役を使い分けて撮っていたら、この感動は絶対に生まれなかったという確信もある。
作為がなさすぎるゆえの危うさ。
この映画は、映画を愛する覚悟もまた問いかけている気がする。
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『6才のボクが、大人になるまで。』
監督・脚本:リチャード・リンクレイター
制作:リチャード・リンクレイター、キャスリーン・サザーランド
撮影:リー・ダニエル、シェーン・ケリー
編集:サンドラ・エイデアー
出演:エラー・コルトレーン、ローレライ・リンクレイター、パトリシア・アークエット、イーサン・ホーク
---以下、鑑賞直後のTwitterフラッシュ映評---
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで」
期待以上の分厚い感動。技術とかセンスとかそういう問題じゃなく監督やキャストたちの人生が刻まれている。6才から高校卒業まで同じキャストで演じる感動。エラー・コルトレーン君の人生を一緒に駆け抜ける164分。人生は一瞬一瞬が素晴らしいと思える映画。
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで」都内でも2館でしかやってない。立ち見がでるほどの盛況。13時15分の回を観るため30分前に映画館に着いたらもう席はなく立ち見とのことだったのでその次の回にして、新宿ブラブラしてた。それだけ待った甲斐のある、ヒットも納得の映画でした。
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで。」
スケルトンのiMacとか、iPndとか懐かしい機器が登場。ガラケー(と向こうで言わないけど)つかってた主人公があるシーンからiPhone使ってたり、それらは別に美術スタッフが時代にあわせて用意したわけではなく、この映画の制作プロセスが産んだ感動
@shinpen: 「6才のボクが、大人になるまで。」2014年のベスト候補の一本でしょう。これを超える感動ってなかなか作れないと思う。監督自身もじゃあもう一回ってできない映画。映画制作って過程が生み出した奇跡の一本
********
自主映画制作団体 ALIQOUI FILM
最新作「チクタクレス」
小坂本町一丁目映画祭Vol.12 入選
日本芸術センター映像グランプリ ノミネート