文中黒字化は芥川。
創氏
すべての朝鮮人にあらたに氏(家族名)を創設させ、血統を基礎とする朝鮮の伝統的な家族制度のあり方を、家族を基礎とする日本内地の家制度に近いものに変更しようとしたのが、創氏である。
そのため、従来の父系制ではありえなかった婿養子制度も同時に導入された。
一方で朝鮮の伝統とも一定の整合性が考慮され、宗族制度を維持できるよう本貫と姓は戸籍の記載に残された。
つまり創氏改名後は、朝鮮人はすべて先祖伝来の「姓名」に加え、新しく作った「氏名」という2つの名を持つことになったのであり、姓名自体が変更されたのではなかった。
手続
創氏には「設定創氏」と「法定創氏」があった。
「設定創氏」とは1940年2月より8月の設定期間中に、窓口の自治体役場に届出された氏である。(伊藤や井上など)日本風の氏を新設して届け出る者が大半だった。従来の(金や朴など)朝鮮名を届け出る場合は、元の姓以外は認められなかった。
一方「法定創氏」とは、自発的に届出をしなかった残余の者につき、従来の姓をそのまま氏としたものである。これにより、創氏政策は本人の意向に関わりなく、全ての朝鮮人民に適用された。
しかし、朝鮮の民族名から日本式の氏への変更は、法的には強制ではなく、創氏改名後も朝鮮式の氏を名乗り続けた者も多かった。
創氏で夫婦同氏制が導入されたため、法定創氏でも既婚女性は本人の意思に関わらず個人名が変更された(例:戸主の朴○○の妻である金××は、創氏後は朴××となった)。
氏の届出は、1940年2月11日から8月10日までの6ヶ月であったが、1940年4月の道知事会議で「きたる7月20日迄に全戸数の氏届出を完了する様特段の配慮相成りたし」などの訓示があり、行政側が推進することとなった。
以後、2月0.4% 3月1.5% 4月4% 5月12% 6月27% 7月53% 8月80%と、4月を境に急上昇に転じている。
そして、最終的に朝鮮の全戸の約8割が氏を届け出、設定創氏を行った。
一方、日本内地に在住していた朝鮮人で設定創氏をした者の割合は14.2%にとどまった。
政策意図
有力な政策意図の解釈には、将来における徴兵制施行を準備するためだったという説がある(宮田節子)。
また、欧米近代国家には存在しない氏族姓を朝鮮人が名乗り続けることによって、近代化の障害になることを日本当局が懸念したためであるという説もある。
…後略。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E6%B0%8F%E6%94%B9%E5%90%8Dから。
創氏
すべての朝鮮人にあらたに氏(家族名)を創設させ、血統を基礎とする朝鮮の伝統的な家族制度のあり方を、家族を基礎とする日本内地の家制度に近いものに変更しようとしたのが、創氏である。
そのため、従来の父系制ではありえなかった婿養子制度も同時に導入された。
一方で朝鮮の伝統とも一定の整合性が考慮され、宗族制度を維持できるよう本貫と姓は戸籍の記載に残された。
つまり創氏改名後は、朝鮮人はすべて先祖伝来の「姓名」に加え、新しく作った「氏名」という2つの名を持つことになったのであり、姓名自体が変更されたのではなかった。
手続
創氏には「設定創氏」と「法定創氏」があった。
「設定創氏」とは1940年2月より8月の設定期間中に、窓口の自治体役場に届出された氏である。(伊藤や井上など)日本風の氏を新設して届け出る者が大半だった。従来の(金や朴など)朝鮮名を届け出る場合は、元の姓以外は認められなかった。
一方「法定創氏」とは、自発的に届出をしなかった残余の者につき、従来の姓をそのまま氏としたものである。これにより、創氏政策は本人の意向に関わりなく、全ての朝鮮人民に適用された。
しかし、朝鮮の民族名から日本式の氏への変更は、法的には強制ではなく、創氏改名後も朝鮮式の氏を名乗り続けた者も多かった。
創氏で夫婦同氏制が導入されたため、法定創氏でも既婚女性は本人の意思に関わらず個人名が変更された(例:戸主の朴○○の妻である金××は、創氏後は朴××となった)。
氏の届出は、1940年2月11日から8月10日までの6ヶ月であったが、1940年4月の道知事会議で「きたる7月20日迄に全戸数の氏届出を完了する様特段の配慮相成りたし」などの訓示があり、行政側が推進することとなった。
以後、2月0.4% 3月1.5% 4月4% 5月12% 6月27% 7月53% 8月80%と、4月を境に急上昇に転じている。
そして、最終的に朝鮮の全戸の約8割が氏を届け出、設定創氏を行った。
一方、日本内地に在住していた朝鮮人で設定創氏をした者の割合は14.2%にとどまった。
政策意図
有力な政策意図の解釈には、将来における徴兵制施行を準備するためだったという説がある(宮田節子)。
また、欧米近代国家には存在しない氏族姓を朝鮮人が名乗り続けることによって、近代化の障害になることを日本当局が懸念したためであるという説もある。
…後略。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E6%B0%8F%E6%94%B9%E5%90%8Dから。