文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本統治時代になってから、村の人々はまともな生活を営むことができるようになったのだった。…前章続き。

2012年08月24日 14時18分50秒 | 日記
前章続き。  黒字化と*以下は芥川。

母はいつも韓服を着ていた。しばしば李朝時代の頃の生活がいかに苦しいものだったのかを話してくれた。

村には5つの農業用水池があった。

日本人が京釜線を敷くのにあたって、池を掘って線路の盛り土をしたということを教えてくれたのも母だった。

日本統治時代になってから、村の人々はまともな生活を営むことができるようになったのだった。


私の村では、独立運動系の人々を除けばほとんどの村民が日本人を尊敬していたし、敬愛していたといってよかった。

村の人々のあいだで「イルボンサラムン・キョンウカバッダ」(日本人は事理に明るい[すべて正しい])という言葉がよく交わされた。

それでも村の人々が外国人である日本人に対して屈折した感情を抱いていたことも事実だった。


何といっても、韓国は外国の支配下にあったのだ。

日本人の元で働いたり、日本人と結ぶことによって成功している者は、「アブチェビ」(ゴマスリ)と呼ばれた。

これには多分に嫉妬心理も手伝っていただろう。

戦後、韓国が独立を回復してから、民族主義教育が行われるようになった。

韓国では日本人を指して「チョッパリ」(日本人の蔑称)とか、「オランケ」(侵略者)という言葉が使われるようになったが、日本統治時代には、私の村の
人々だけではなく、韓国人の間で広く日常会話のなかで日本人を話題にする時には、ただ「日本人」(イルボンサラム)と呼んだ。

日本語がよくできる韓国人ほど、日本人の良さを理解していたと思う。


*つまり、知性ある者の順番に理解していた、という、理解の黄金法則通りだったのだろう。

http://dengon.holy.jp/ntj01.htmlから。

しかし、日本人が今日の韓国農業の発展の基礎を作ったことは、否定できない。…ネットの労作から。

2012年08月24日 14時11分43秒 | 日記
前章続き・  黒字化は芥川。

この結果、日本人地主も増えた。

日本人地主は韓国の小作人の間できわめて評判が良かった。

日本人がやって来てから改良された堆肥を奨励したし、化学肥料が配給されるかたわら品種改良や進んだ農業技術を導入したので収穫が増えたし、農地開拓と河川整備を進めたので、村人の生活水準が大きく向上したからだ。

それに日本人地主は昔の両班たちよりはるかに寛容だった。

両班のように小作人を理不尽に苛めるようなことが無かったし、不作の時には小作料を安くしてくれた。

日本人地主のほうが物わかりがよかった。

だから日本人地主は人気があった。

みんなは韓国人の地主の小作人になるよりは、日本人地主の小作人になりたがったのは当然のことだった。

日本人のもとで働いていた常人たちは、羨望の目で見られていた。

日本人が所有していた農地は独立後に「敵産」(チョクサン)としてすべて没収された。

しかし、日本人が今日の韓国農業の発展の基礎を作ったことは、否定できない。

私たちの村は李朝時代にはいつも水害に悩まされていた。

そこで農作が思うようにできなかった水田地域を「ペベーミ」(船が浮かぶような水田)と呼んでいた。

しかし1911年(明治44年)、川に堤防が築かれたために水害から逃れることができた。

それからは「ペペーミ」という悪名のあった水田が1等級の水田に変わって、多収穫地として生まれ変わった。

この話は私の父親がしてくれた話である。

http://dengon.holy.jp/ntj01.htmlから。

独立後にまた勝手気ままに木を切るようになったので、ハゲ山に戻ってしまった。…ネットの労作から。

2012年08月24日 14時03分54秒 | 日記
前章続き。 文中黒字化は芥川。

また畜産が奨励され、日本人が作った金融組合が希望する農家ごとに、子牛一頭を無料で与えてくれた。与えたというよりは、貸したものだった。

牛が成長して子牛が生まれたら、一頭を組合に返すと成長した親牛は無償で農民のものとなるという制度だった。

日本人は植林と治水に力を注いだ。山を管理し植林を進めるために、総督府は山監(サンカン)という監督府を村に置いた。また、村人が植林した山に入るこ
とを禁じた。

私の小学校の日本人教師や山林局に所属していた山監や若い農村教導師は、緑化について情熱にあふれていた。真面目で献身的な青年が多かった。

日本統治時代には、そのせいでハゲ山だった山々が緑に覆われるようになった。

農村教導師は農村振興運動の一環として、農村の改革と生活改善のために村から村へと巡回していた。
( 中略 )
私の小学校時代には、日本統治がもう25年以上になっていたので、村の人々の大半が日本語を聞いて理解することができた。

そこで講話は通訳なしに日本語で理解することができた。そこで講話は通訳無しに日本語で行われた。

人々は話に耳を傾けながらしばしば韓国語で「ケンチャンハンサラム」(立派な人だな)とつぶやいたり「ヨクシ、ヨクシ」(なるほど、なるほど)と相槌を
打った。

また、「力を合わせて朝鮮を蘇生させましょう! 今日の朝鮮では山川草木が空からくれた天の恵みである雨水を貯え切れず、海に流してしまっています。

ああ、もったいない、もったいない。そこで陸はいつも旱魃に悩まされています。

木がもっと山に生い繁れば、天の恵みの雨の40パーセントを飲み水や水田の水として、または地下水として貯えることができます。

徹底的に山に木を植えようではありませんか。水は生命の源であり、農耕の源なのです。」といった話もあった。


日韓併合以前の韓国の山々といえば、乱伐したり燃料にしたりしたためにほとんどがハゲ山だった。

日本統治時代には植林が進んだので、多くの山々が緑に覆われるようになっていた。

私の村の山にも草木が繁り、兎を追うことができた。

しかし、独立後にまた勝手気ままに木を切るようになったので、ハゲ山に戻ってしまった。


http://dengon.holy.jp/ntj01.htmlから。

前章続き。

2012年08月24日 14時01分10秒 | 日記
文中黒字化は芥川。

日本人たちは、村の振興に力を注いだ。

私が小学校に入学すると、しばらくして電力会社が村まで電気をひいた。

両班・常人の区別なしに、ほとんどの家には電灯がともるようになった。

それまでは照明といえば、ゴマ油や石油を用いていた。

両班の金持ちの屋敷ではロウソクや石油ランプを使っていたが、貧しい常人は「トゥルケキルム」と呼ばれる安いエゴマ油や、ツゥクエ(石油)に芯を入れて火をともした。

なかには山に入って松脂(ソルギルム)を採集して照明に利用した。電気が村までやってきたことによって、突然のように夜のとばりがおりてからの村の生活が活気づいた。

日本統治下の韓国には2つの電力会社があった。日本は電化に努めたので、私たちの村に電気がともるようになった。

もっとも、戦争が激しくなると電化計画が中断されたので、戦争が終わるまで農村の一部と特に僻地の農村では、電灯がともらなかった所も少なくなかった。

日本人は農村振興運動を進めた。

日本統治時代以前の韓国の農村には、河川に堤防も無かったし水利組合も存在しなかったが、水利組合が結成されたために河川地域が整備されて堤防が建設され、それまで恒常的だった水害から農地や耕作可能な土地を守ることができるようになって、新しい農地が造られ、多くのところで稲作が可能になった。

この結果、日本人地主も増えた。


http://dengon.holy.jp/ntj01.htmlから。

誰が近代化を教えたか…ネットの労作から。

2012年08月24日 13時50分33秒 | 日記
『 醜い韓国人 』(朴 泰赫 著) 光文社 1993年 p17~29  文中黒字化は芥川。

・日本統治時代 -- 誰が近代化を教えたか

戦後、韓国が独立を回復した後には、日本統治時代は悪いことばかりであって良いことはひとつも無かったように言われているが、私が育った村だけとって
も、日本は多くの開明的な改革をもたらしてくれた。そのようなことが全く無かったという者は、李朝末期の韓国社会の状況を無知なために知らないか、故意に目をつむっているのだ。

村には小学校を作った。どこの村にも小学校があった。学校では授業が日本語を使って行なわれたが、私の小学校時代は韓国語のハングルの読み書きも教え
られた。その後、ハングルの教科書が無くなって教科書はすべて日本語になった。教室にはオルガンがあった。音楽の時間には日本の唱歌が教えられた。都
市部の小学校にはピアノもあった。

小学校の次には公会堂が建てられた。公会堂では、昼間村民が集められて日本の宣伝や農村振興のための講習会が行なわれた。

夜は夜学(ヤハク)と呼ばれていたが、字の読めない村民には無料でハングルと日本語が教えられていた。李朝時代には無かったことだった。
( 中略 )
李朝末期までは、常人は教育を全く受けることができなかった。

しかし、日本統治時代に入ってから、私の小・中学校時代には、特に都市部では両班・中人・常人・の階級差が平等化され、常人階級の子どもたちの学歴が高まるようになった。

( 中略 )

http://dengon.holy.jp/ntj01.htmlから。

何故、韓国の山は禿(はげ)山だったのか、…。

2012年08月24日 13時40分47秒 | 日記
何故、韓国の山は禿(はげ)山なのか、と、言う事について、先日、簡潔な論説をネットで読んだ。

それを探そうとして居たら、以下の様な、素晴らしい論説に出会った。

芥川の言及にほぼ等しいと、購読者の方々、今日、芥川の、「文明のターンテーブル」、を購読してくれた方々は、直ぐに、気付かれるだろう。

こういうものを、ネットの労作と、芥川は呼ぶのである。


…戦後の日本では "戦前のものは全て悪い" というような大雑把な価値観で教育や報道がなされてきたようで、戦前の朝鮮半島や台湾での植民地政策をきちんと検証してこなかった結果、今日の韓国・中国の反日政策が幅を利かせていている。

"和"を第一とする日本は事を荒立てまいとする面があるのかもしれないけど、国際社会においては言うべきことはしっかり主張するというのが原則で、
その上に真の理解や友好もあろうというもの。

「何も言わない大人の対応」のつもりが「何も言えない子どもの対応」として受け取られてしまっているのはお互いにとっても不幸で残念です。

今からでも日本の植民地政策の良かった面・悪かった面をしっかり検証して、"良い面は誇りとし悪い面は反省する"という当たり前の事をすべきでしょう。

そのための参考資料として、これらの著述内容は貴重なものと考えます。

韓国人・朝鮮人には、学校で教えられた内容をそのまま信じ込むのではなく、「何が真実なのか」を自分の頭で考えてほしい。

『 テレビ・新聞に弱く、インテリに弱いのが韓国人なんです。学術的な本もそのまま信用しますから、歴史教科書に疑問を抱くこともない。書かれたことがそのまま真実の歴史だと思ってしまうんです。』(呉 善花)
  
※「 韓国の激情 日本の無情」(渡部昇一・呉 善花 著)

幼い頃から他への憎悪を植え込まれた者の精神が歪んでいくのは当然だし、その知識・感情は生涯持ち続けていく傾向が強いから、反日教育の改善が急務
であり不可欠だと感じています。

史実より感情や願望を優先する歴史教育では子どもの未来は不幸だし、それはそのまま将来の韓国の不幸であり、また隣の日本の不幸でもあるわけだから。

※ せっかくの貴重な著述が過去の中に埋もれてしまうのは忍びがたく、少しでも多くの人の参考になれば という想いでアップしました。
 
著者のみなさんの検証・著述には 心からの敬意と感謝を表します。
 
著作権はもちろん著者にあり、抜粋・入力の文責は私(管理人)にあります。
 
なお、横書き入力の際に改行・読点等は読み易いように変更しています。

http://dengon.holy.jp/atn.htmlから。

「銀河鉄道の時刻表」8月24日。

2012年08月24日 11時55分21秒 | 日記

gooにおける昨日のアクセス数は、以下の数字でした。


 


8月23日のアクセス数 閲覧数:7,382PV    訪問者数:576IP


順位: 854位 / 1,754,923ブログ中 (前日比  ↓)


過去2週間の閲覧数の合計は77,248PV、訪問者数の合計は6,614IPです


 


一方アメーバは 閲覧数:855 訪問者数:603


 


昨日のペタ数は669ペタでした。


 


アメーバ事務局からのメールによれば、ここまで来たらもうペタの殿堂入りです。でも、まだまだペタキャラは「天空の世界」に進化しますよ!との事でした。


 


未だ「文明のターンテーブル」を購読されていない方は、今日こそ購読しましょう。


さすれば日本は変わる。


 


gooの、ページごとの閲覧数ベスト20は以下の通りです。


 


1トップページ96 PV


2政治的対立 …ウィキペディアから。56 PV


3その二色の浜で、恐らく、日本中が唖然とし...46 PV


4理研発VB米国で治験 免疫抑制剤 服用短く...44 PV


5対日政策 …ウィキペディアから。39 PV


6自分達の国が生き難いから、海外移住を選択...36 PV


7明治維新の頃の朝鮮とは、どんな国だったの...35 PV


8日本の新聞の内容が充実して盛り沢山である...34 PV


9それが、日本の知識人の務めだろう、それ以...34 PV


10日本と韓国間に横たわる問題の多くが李承晩...33 PV


11ニューヨーク・ヤンキースのベンチでの事。33 PV


12朴 正煕…ウィキペディアから。②32 PV


13日本が150m走っている時に、相手は100mの...32 PV


14「銀河鉄道の時刻表」8月23日。31 PV


15その害を、大幅に減らす為に、世界中に届く...31 PV


16経済政策…ウィキペディアから。30 PV


17李承晩政権は朝鮮の伝統的政治体質を引き継...30 PV


181960年、李承晩が四選を狙った大統領選挙…...30 PV


19だから、彼等は、国際司法裁判所になぞ、そ...29 PV


20李承晩…ウィキペディアから。29 PV


 


韓国政府がIMFに約束しただけでは信用は回復しなかった…ネットの労作から。

2012年08月24日 11時44分57秒 | 日記
要するに、

韓国政府がIMFに約束しただけでは信用は回復しなかったわけで、

「韓国は日本がbackで支えている」ことが示されて初めて一息つけたコトになる。

その他にも 地下鉄建設やワールドカップスタジアムの建設など、戦後も多くの援助をしているが、それについても韓国国民は知らされていない。

日本は北朝鮮に対しても食糧援助をしているが、これまた北朝鮮の国民はその事実を知らない。

京城の最初の地下鉄は日本が造ったものです。

W杯時、日本の1/10以下の経済規模でしかない韓国ではスタジアムが建設できなかったので、日本に建設を頼んできました。

しかし、日本に援助してもらうというのは自尊心の理由で

「日本が第3機関に援助→その機関が韓国サッカー協会に援助」という馬鹿な形態を日本に要請しました。
(援助する側が配慮するというのがスゴイですが。。)

http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/iiwarui.html


以上は、http://ccce.web.fc2.com/imgk/oda.htmlから。

韓国の通貨危機(IMF)を救った日本…ネットの労作から。

2012年08月24日 11時41分16秒 | 日記
韓国の通貨危機(IMF)を救った日本

1997年、韓国政府が破産。

先進各国は「韓国をサポートする必要は無い」と断言しました。

そのまま推移すれば、韓国は北朝鮮の生活水準に転落した筈でしたが、旧宗主国である日本政府は韓国の窮状を見かねて、韓国通貨ウォンを保証して韓国を国家破産から救い出しました。

韓国の通貨危機の実態と日本の対韓支援

韓国が通貨危機に際して1997年12月4日にIMFと合意した金融支援は総額550億ドル。

この内訳は
国際通貨基金 210億ドル
世界銀行 100億ドル
アジア開発銀行 40億ドル
日本 100億ドル
アメリカ 50億ドル
その他     50億ドル

http://kccn.konan-u.ac.jp/keizai/asia/05/01.html

韓国の通貨危機克服には、実は日本の政治力が大きく貢献しています。

上記の支援が発表されてもウォンの暴落は止まらなかったんだけど、

その後、日本政府が迅速に邦銀から債務の返済期限繰延の約束を取り付け、

欧米系銀行の同調を引き出して初めてその暴落が止まっている。



http://ccce.web.fc2.com/imgk/oda.htmlから。

それにしても、韓国人には、感謝と云う言葉がないのかしら…。

2012年08月24日 11時31分05秒 | 日記
今しがた、芥川の身近な購読者である方の、御一人が、電話をかけて来た。

「芥川さん、今日のも、凄い労作ですね。私は日本が、あんなに韓国に資金援助していたなんて全く知らなかった。
おまけに、ありとあらゆる分野で技術援助までなして。」

「シャープなんて、三星電子に製造技術を供与しているじゃないですか、軒先貸して母屋を取られるとは、正に、今では在りませんか?」

「それにしても、韓国人には、感謝と云う言葉がないのかしら、これで感謝もないのだから、…」


人気ブログランキング ←芥川の論説、及び、写真や良し、と思われましたらクリックして下さい。

66年に一度の好著である拙著を、いまだに購読されていない方は、今すぐ最寄りの書店か、サイドバーのネット書店か、電子書籍で購読した方が良い(笑)。何故なら…

日本が再生し(元に戻り)世界を救える国になる、

米国と屹立して世界をリードして行く国に成る為には、


拙著を日本中の方々が読まれて、皆さま方が、芥川が書いた〈解答〉を、
皆さま方が選んだ為政者に実行させるしかないのだ、と確信しているからです。



どのページを開いても、貴方は、芥川の独創…一人の紛れもないGiftedが、
神に与えられた使命を果たしている結果としての言葉…に出会う。


「文明のターンテーブル」芥川賢治 第一巻

「文明のターンテーブル」第一巻 近未来100万部突破。

銀河鉄道の夜.jp(「銀河鉄道の時刻表」)にてスタート。



11.jpg
「文明のターンテーブル」
文芸社

<ネット書店>

文芸社

アマゾンエルパカe-hon

紀伊國屋書店Bookweb

セブンネットショッピング

楽天ブックスlivedoorブックサービス

文教堂


電子書籍
≪BOON-GATE≫


<全国の配本書店>

北海道~愛知県【162店舗】

三重県~沖縄県【153店舗】

※書店での取扱いについて



日本から韓国への技術供与についての一例 …ネットの労作から。

2012年08月24日 11時15分42秒 | 日記
★ 日韓間の技術提携の一例

日本側企業 韓国側企業 技術提携内容

松下電器産業 亜南電気 カラーTV、オーディオ製品に関する技術

日本ビクター 金星社 VHS方式VTRの特許及び製造技術

日本ビクター 三星電子 VHS方式VTRの特許及び製造技術

東芝 韓国電子 TV・オーディオ用バイポーラICの設計・製造に関する技術及び、両技術者の受け入れ派遣

シャープ 三星半導体 IC製造技術

久保田鉄工 江産産業 上下水道用・中・大型バルブの製造技術

小林コーセー ジャリア 化粧品に関する製造技術

ヤンマー・ディーゼル 双龍重工業 中・大型船舶用ディーゼルエンジンに関する技術

東芝 金星通信 X線診断装置、超音波診断装置に関する技術

キャノン ロッテ産業 高性能乾式複写機に関する技術

ソニー 現代電子 VTRの製造技術

日立造船 韓国重工業 船舶用エンジン製造に関する技術

日本精糖 第一精糖 製糖工場の自動化に関する技術

その他、韓国に移転された主要な技術

家電製品 VTR、カラーTV、白黒TV、オーディオ、ラジオ、冷蔵庫、エアコン、電気洗濯機、テープレコーダー、ステレオ、カセットデッキ、カセットテープ、等
産業設備 総合製鉄工場、NC工作機械、IC製造技術、自動織機、ボールベアリング、ローラーベアリング、フォーク・リフト、エレベーター、エスカレーター、コンピューター、工業用ミシン、溶接機、公害防止設備、水処理設備、X線診断装置、等
運送機械 大型タンカー、船用ディーゼルエンジン、造船ドック施設、鉄道車両、鉄道用ブレーキ、オートバイ、自動車用バッテリー、アクセル、トランスミッション、ジョイント、ステアリング、サスペンション、各種消防車、等
通信機械 同軸ケーブル、公衆電話、無線送受信機、漁業用通信機、放送用通信機、VHF送受信機、キー、テレホン、等
雑貨 双眼鏡、腕時計、万年筆、ゴルフ用具、釣り用具、ボールペン、化粧品、等

松本厚治氏作成、出典。現代コリア1984年10月号

http://ccce.web.fc2.com/imgk/oda.htmlから、

日本から韓国へのODA …http://ccce.web.fc2.com/imgk/oda.htmlから。

2012年08月24日 11時00分25秒 | 日記
以下はネット上の労作である、http://ccce.web.fc2.com/imgk/oda.htmlさんからの引用です。


日本から韓国へのODA

「援助内容」ー「年月日」ー「援助金額」

韓国鉄道設備改良事業1966-06-08 39.6億円

韓国漢江鉄橋復旧事業1966-06-17 3.6億円

韓国建設機械改良事業1966-07-20 23.4億円

韓国水利干拓および浚渫事業1966-07-20 11.88億円

韓国海運振興事業1966-07-27 32.43億円

韓国中小企業および機械工業育成事業?1966-07-27 54.0億円

韓国鉄道設備改良事業(2)1967-03-23 33.65億円

韓国輸送および荷役機械改良事業1967-06-27 9.35億円

韓国光州市上水道事業?1967-07-11 6.05億円

韓国市外電話拡張事業?1967-07-11 3.60億円

韓国大田市上水道事業1967-07-11 5.90億円

韓国産業機械工場拡張事業1967-07-31 10.80億円

韓国昭陽江ダム建設事業1967-08-07 3.96億円

韓国中小企業および機械工業育成事業1967-08-07 26.69億円

韓国高速道路建設事業1968-06-26 10.80億円

韓国市外電話拡張事業1968-10-30 6.48億円

韓国昭陽江ダム建設事業1968-12-28 46.98億円

韓国高速道路建設事業1969-04-14 18.00億円

韓国農水産振興事業1969-06-19 8.92億円

韓国嶺東火力発電所建設事業?1969-09-01 6.41億円

韓国清州市上水道事業1969-12-04 3.24億円

韓国南海橋建設事業 1969-12-04 7.88億円

韓国昭陽江ダム建設事業1970-02-04 27.01億円

韓国市外電話拡張事業 1970-06-25 5.17億円

韓国総合製鉄事業 1971-07-16 28.80億円 浦項綜合製鉄(株)

韓国ソウル地下鉄建設および国鉄電化事業?1972-04-10 272.40億円

韓国総合製鉄事業?1972-05-01 107.49億円 浦項綜合製鉄(株)

韓国商品借款商品借款等?1972-09-18 77.00億円 大韓民国政府

韓国総合製鉄事業 1973-01-16 10.87億円 浦項綜合製鉄(株)

韓国通信施設拡張事業?1973-04-23 62.00億円

韓国漢江流域洪水予警報施設事業?1973-07-20 4.62億円

韓国商品借款?1974-05-13 77.00億円 大韓民国政府

韓国浦項総合製鉄所拡充事業?1974-05-22 127.88億円

韓国大清多目的ダム建設事業?1974-12-26 118.80億円

韓国農業総合開発事業 1974-12-26 194.40億円

韓国浦項総合製鉄所拡充事業?1975-07-30 2.25億円

韓国北坪港建設事業 ?1976-03-31 124.20億円

韓国忠北線復線化事業?1976-11-26 43.00億円

韓国通信施設拡張事業 ?1976-11-26 66.00億円

韓国農業振興計画 ?1977-06-10 126.00億円

韓国超高圧送電線建設事業 ?1977-11-28 40.00億円

韓国忠B多目的ダム建設事業?1978-01-20 140.00億円

韓国農業振興計画 1978-01-31 60.00億円

韓国医療施設拡充事業 ?1978-12-25 70.00億円

韓国農業総合開発事業? 1978-12-25 140.00億円 韓国電力(株)

韓国教育施設拡充事業 ?1980-01-18 100.00億円

韓国国公立医療及び保健研究機関近代化事業 ?1980-01-18 40.00億円

韓国都市下水処理施設建設事業 1980-01-18 50.00億円 建設部,大邱市,大田市,全州市

韓国教育施設(基礎科学分野)拡充事業?1981-02-27 60.00億円

韓国民間地域病院医療装備拡充事業 ?1981-02-27 130.00億円

韓国医療装備拡充事業(ソウル大学小児病院)1983-10-11 54.00億円

韓国下水処理場建設事業(ソウル炭川)?1983-10-11 115.00億円

韓国地方上水道拡張事業(釜山,ソウル,晋州)1983-10-11 78.00億円

韓国陜川多目的ダム建設事業?1983-10-11 204.00億円

韓国ソウル上水道施設近代化事業?1984-08-08 29.00億円

韓国下水処理場建設事業(ソウル中浪)?1984-08-08 167.00億円

韓国下水処理場建設事業(釜山)?1984-08-08 63.00億円

韓国気象関連設備近代化事業?1984-08-08 42.00億円

韓国国立保健院安全性研究センター事業?1984-08-08 24.00億円

韓国住岩多目的ダム建設事業?1984-08-08 111.00億円

韓国大田市上水道拡張事業社会的サービス?1984-08-08 22.00億円

韓国都市廃棄物処理施設建設事業1984-08-08 4.00億円大邱市、城南市

韓国農業水産試験研究設備近代化事業?1984-08-08 33.00億円

韓国医療施設拡充事業?1985-12-20 123.00億円

韓国下水処理場建設事業(釜山長林)?1985-12-20 92.60億円

韓国下水処理場建設事業(光州)?1985-12-20 75.60億円

韓国下水処理場建設事業(春川) ?1985-12-20 32.80億円

韓国化学研究用・計量標準研究用資機材補強事業 1985-12-20 27.00億円

韓国教育施設拡充事業?1985-12-20 152.00億円

韓国総合海洋調査船建造事業?1985-12-20 41.00億円

韓国昭陽江ダム建設事業1970-02-04 27.01億円

韓国市外電話拡張事業 1970-06-25 5.17億円

韓国総合製鉄事業 1971-07-16 28.80億円 浦項綜合製鉄(株)

韓国ソウル地下鉄建設および国鉄電化事業?1972-04-10 272.40億円

韓国総合製鉄事業?1972-05-01 107.49億円 浦項綜合製鉄(株)

韓国商品借款商品借款等?1972-09-18 77.00億円 大韓民国政府

韓国総合製鉄事業 1973-01-16 10.87億円 浦項綜合製鉄(株)

韓国通信施設拡張事業?1973-04-23 62.00億円

韓国漢江流域洪水予警報施設事業?1973-07-20 4.62億円

韓国商品借款?1974-05-13 77.00億円 大韓民国政府

韓国浦項総合製鉄所拡充事業?1974-05-22 127.88億円

韓国大清多目的ダム建設事業?1974-12-26 118.80億円

韓国農業総合開発事業 1974-12-26 194.40億円

韓国浦項総合製鉄所拡充事業?1975-07-30 2.25億円

韓国北坪港建設事業 ?1976-03-31 124.20億円

韓国忠北線復線化事業?1976-11-26 43.00億円

韓国通信施設拡張事業 ?1976-11-26 66.00億円

韓国農業振興計画 ?1977-06-10 126.00億円

韓国超高圧送電線建設事業 ?1977-11-28 40.00億円

韓国忠州多目的ダム建設事業?1978-01-20 140.00億円

韓国農業振興計画 1978-01-31 60.00億円

韓国医療施設拡充事業 ?1978-12-25 70.00億円

韓国農業総合開発事業? 1978-12-25 140.00億円 韓国電力(株)

韓国教育施設拡充事業 ?1980-01-18 100.00億円

韓国国公立医療及び保健研究機関近代化事業 ?1980-01-18 40.00億円

韓国都市下水処理施設建設事業 1980-01-18 50.00億円 建設部,大邱市,大田市,全州市

韓国教育施設(基礎科学分野)拡充事業?1981-02-27 60.00億円

韓国民間地域病院医療装備拡充事業 ?1981-02-27 130.00億円

韓国医療装備拡充事業(ソウル大学小児病院)1983-10-11 54.00億円

韓国下水処理場建設事業(ソウル炭川)?1983-10-11 115.00億円

韓国地方上水道拡張事業(釜山,ソウル,晋州)1983-10-11 78.00億円

韓国陜川多目的ダム建設事業?1983-10-11 204.00億円

韓国ソウル上水道施設近代化事業?1984-08-08 29.00億円

韓国下水処理場建設事業(ソウル中浪)?1984-08-08 167.00億円

韓国下水処理場建設事業(釜山)?1984-08-08 63.00億円

韓国気象関連設備近代化事業?1984-08-08 42.00億円

韓国国立保健院安全性研究センター事業?1984-08-08 24.00億円

韓国住岩多目的ダム建設事業?1984-08-08 111.00億円

韓国大田市上水道拡張事業社会的サービス?1984-08-08 22.00億円

韓国都市廃棄物処理施設建設事業1984-08-08 4.00億円大邱市、城南市

韓国農業水産試験研究設備近代化事業?1984-08-08 33.00億円

韓国医療施設拡充事業?1985-12-20 123.00億円

韓国下水処理場建設事業(釜山長林)?1985-12-20 92.60億円

韓国下水処理場建設事業(光州)?1985-12-20 75.60億円

韓国下水処理場建設事業(春川) ?1985-12-20 32.80億円

韓国化学研究用・計量標準研究用資機材補強事業 1985-12-20 27.00億円

韓国教育施設拡充事業?1985-12-20 152.00億円

韓国総合海洋調査船建造事業?1985-12-20 41.00億円

韓国教育施設拡充事業?1987-08-18 129.11億円 文教部,国立科学館

韓国中小企業近代化事業?1987-08-18 77.50億円

韓国農業機械化事業?1987-08-18 77.50億円 全国農業協同組合中央会

韓国廃棄物処理施設建設事業 1987-08-18 53.72億円 大邱市、城南市

韓国酪農施設改善事業?1987-08-18 38.75億円 ソウル牛乳協同組合

韓国臨河多目的ダム建設事業 1987-08-18 69.75億円

韓国蔚山市都市開発事業(鉄道部門)?1988-06-22 44.40億円

韓国栄山江3-1地区防潮堤事業 ?1988-06-22 44.40億円

韓国下水処理場建設事業(済州・清州)?1988-06-22 41.59億円

韓国教育施設拡充事業 ? 1988-06-22 5920億円

韓国研究所施設拡充事業 1988-06-22 26.79億円 韓国遺伝工学,機械,電子通信,化学研究所

韓国私立大付属病院施設拡充事業 1988-06-22 56.24億円 梨ヤ女子大学,中央大学,漢陽大学,高麗大学,東亜大学

韓国大田上水道拡張事業 1989-08-22 14.34億円

韓国中小企業近代化事業?1989-08-22 62.00億円 国民銀行

韓国ソウル地下鉄建設事業 ?1990-10-31 720.00億円

韓国医療装備拡充事業(ソウル大学校病院)?1990-10-31 43.20億円

韓国水産・商船学校練習船装備拡充事業? 1990-10-31 21.60億円

韓国中小企業近代化事業 ?1990-10-31 115.20億円

韓国肉加工施設拡充事業 ?1990-10-31 17.28億円 畜産業協同組合中央会

韓国配合飼料工場建設事業 1990-10-31 54.14億円 畜産業協同組合中央会

韓国酪農施設改善事業 ?1990-10-31 24.48億円 畜産業協同組合中央会

追記資料1 韓国へのODA実績累計 (98年まで)
    
  贈与                  政府貸与         
無償資金協力  技術協力       支出総額       

累計 233.84    913.72         3,601.54        

単位は、100万ドル(一億円)



1965年の日韓基本条約にて日本から韓国へ支払った
 5億ドルは除く


※単位・金銭はすべて、日韓基本条約締結後援助が開始された
1966年当時のものそのまま。

現代の価値に換算すると総額は2~3兆円規模になる。
http://plaza.rakuten.co.jp/nwaiwgp/diary/200501100000/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/130324-1.html
http://oasis.halfmoon.jp/traveldia2/china01/oda.html
日本国外務省: [ODA] ODAとは? 国別援助実績(1990年までの実績) 韓国
日本国外務省: [ODA] ODAとは? 国別援助実績(1991年~1998年の実績) [3] 韓国


*まるで日本国内への事業以上ではないか。




西ドイツへの出稼ぎ …ウィキペディアから。

2012年08月24日 10時53分01秒 | 日記
西ドイツへの出稼ぎ

マーシャル・プランや朝鮮戦争特需などにより「経済の奇跡(de:Wirtschaftswunder)」と呼ばれる急成長をしていた西ドイツは、その労働力不足を補うため1963年以降、韓国から多くの鉱夫(派独鉱夫)と看護婦(派独看護士)を受け入れた(なお、日本からは1957年から1965年にかけて炭鉱労働者が送られた)。

失業者が公式発表でも250万人を超えていた1963年の第一次派遣には、募集500人に対し4万6000人の応募が殺到するなど、1963年から1978年まで炭鉱労働者7983人を含む7万9000人の鉱夫を派独、看護婦は1966年から1976年の間に1万余人が渡独した。

1964年12月、ルール炭鉱地帯のハムボルン鉱山を訪れた朴正熙大統領夫妻は派独韓国人を慰問、国歌斉唱に涙を流し、「母国の家族や故郷を思い、辛いことが多いだろうが、皆自分が何のために、この遠い異国の地に来たことを肝に銘じ、祖国の名誉を担って一生懸命働きましょう。

たとえ、私たちの生前に成し遂げることができなくても、子孫のために繁栄の基盤を築きましょう」と涙ながらに激励演説をしたエピソードが残っている。

派独労働者からの送金額は年間5000万ドルに達し、一時期はGNPの2%台に及んでいた。

また、1967年には輸出総額の36%を稼ぎ、ドイツからの借款を獲得するなど外貨の獲得に貢献、韓国経済発展の基盤になった。

なお、良好だった独韓関係は1967年7月の東ベルリン事件により暗転する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B1%9F%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1から。



詳細…ウィキペディアから。

2012年08月24日 10時47分41秒 | 日記
詳細   文中黒字化は芥川。

朝鮮戦争後の韓国は農産物、原料・半製品などの原資材をアメリカ合衆国からの援助に頼っており、これらを原材料とした消費財の加工産業を育成していた。

しかし、アメリカによる援助政策の転換により、1957年を境として対韓援助は減少を始め、脆弱であった韓国経済に深刻な影響を与えた。

李承晩政権は援助に依存する経済からの脱却を企図して「経済開発三カ年計画」(1960~62年)を作成したが、政権自体が1960年の四月革命で崩壊してしまう。

続く張勉政権も経済再建第一主義を標榜して「経済開発五カ年計画」(1962~66年)を策定したが、これも朴正煕による1961年の5・16軍事クーデターにより実施されなかった。

朴正煕は民生苦の解決と、自立経済基盤の確立を目標とし、新たに「第一次経済開発五カ年計画」(1962年‐66年)を推進した。

財閥の不正蓄財の摘発を進め、定期預金金利の引き上げや貯蓄運動を推進して国内資本の動員を図った。

しかし期待したほどの成果は得られず、1964年には計画の修正という行き詰まり状態に陥った。

この状況を打開するために、外資導入による経済建設の道を選ばざるを得なかったと言われる。

当時、国際信用力を欠いていた韓国が外資を求める先に選んだのが、同盟国であるアメリカであり、日本との国交正常化であった。

韓進グループや現代財閥・大宇財閥など韓国を代表していた財閥の形成、京釜高速道路や浦項製鉄所の建設は、全てベトナム参戦と日本との国交正常化以降のことである。

韓国経済は急成長を遂げ、国力で北朝鮮を逆転し、国民所得を10倍にするという公約を目標より3年早く達成した。そして、この政策によりソウル大都市圏への人口・産業の集積が進み、プライメイトシティとなった。

漢江の奇跡…ウィキペディアから。

2012年08月24日 10時42分36秒 | 日記
文中黒字化は芥川。

漢江の奇跡(ハンガンのきせき、かんこうのきせき)とは朴正煕政権下における
日本、その他の国々の莫大な支援による大韓民国の急速な経済成長を指す。

同国の首都、ソウル特別市を横切る漢江にちなむ。東アジアの奇跡とも呼ばれる。


概要

5・16軍事クーデターによって政権を得た朴正煕は経済開発を掲げることによって大衆の支持を求めた。

当時、国内総生産はソ連を真似て計画経済を押し進めていた北朝鮮が上回っていて、朴政権の韓国も五カ年計画方式の計画経済を導入することとなる。

また、朝鮮戦争により壊滅的打撃を受け、1人当たりの国民所得は世界最貧国グループであった韓国経済がベトナム戦争参戦と、日韓基本条約を契機とした日本からの経済・技術援助を要因に漢江の奇跡と呼ばれる成長を遂げた。

その後、ベトナム戦争で培った施設設営のノウハウと中東に影響力を持っていたアメリカとの良好な関係をバネに1970年代の中東の建設ブームに乗る。

1979年の朴正煕大統領暗殺後の1980年、一時的にマイナス成長に転じるが1981以降急回復し1988年のソウルオリンピックを成功させソ連崩壊を経て、1997年のアジア通貨危機で経済が崩壊寸前になりIMF介入されるに至るまで高い経済成長を続けた。