最後に、大沢の池の外側にある小川沿いの道を歩いていたら、何と、モズが、別れを告げに現れた。
最後に、大沢の池の外側にある小川沿いの道を歩いていたら、何と、モズが、別れを告げに現れた。
今日は、もう一つ、とても嬉しい発見があった。
私は以下の鳥を見るといつもオペラ座の怪人を思い出すのだが、勝手にカワウの子供だと決めつけていたのである。
ところがさっき、ちょっと待てよと思い、カワウの画像を検索したら、この鳥の写真は一枚もないではないか。
そこで、オペラ座の怪人のような水鳥とたたいたら、水辺の鳥シリーズのような画像の中に在った。
なんと、申し訳ない事に、オオバンという立派な名前を持った別種だったのである。
念のためと思い、セグロセキレイを検索していたら、嬉しい発見があった。
先日、円山公園の小川に誘うように現れた鳥が、キセキレイだったことを知ったからである。
(お殿様、それはようござんした)
そんなことを考えながら天龍寺の前に着いたら、目の前で大覚寺行きのバスが扉を開けていた。
一瞬で予定を変更、飛び乗って大沢の池に向かった。
心は、カワセミに会えたら幸いだったのだが、カワセミは全く気配もなかった。そんな私たちの目の前に現れたのが、以下のセグロセキレイである。
昨日は寒い日だったから、いかにも寒そうにして私たちを迎えてくれたのだった。
昨日は良い天気だったから友人と我が家の庭である嵐山に向かった。着いた時間が丁度お昼時だったので、真っ先に、先日言及した、とても美味しいスパゲッティとパンを食べさせてくれるレストランに直行した。この日はスパゲッティを大盛で。
友人はお店に置いてある京都を紹介している雑誌の特集号を読み、私は車中から読んでいた月刊誌「正論」を読んで待った。いつものようにとても美味しい食事で大満足してレジに立った。
先日、近所の人たちが、身体障害者の人たちが、健常者の人たちと全く同じ生活を送る事を目的に始めた店であると、その由来を聞いて驚き、英文で私が書いたお店の章をチェックしていた時だったので、そのままお見せした所、ちゃんと英語が分かるご婦人だった。流石、京都だなと思った。
昨日、レジに立って驚いたのである。「御本、買って読んでいますよ。」私は美味しかったことに大満足していた時だったから、一瞬、ハトに豆鉄砲の様な気持ちがしたが、直ぐに、事態を理解し、自然に心からのお礼が出た。
何て気持ちの良い嵐山の始まりだろう。
同時に、ずっと忘れていた私の本が被った災難の事を思い出した。読者はお分かりの様に、私の「文明のターンテーブル」は、一定数は必ず売れると言う確信が、私にも、私が登場するなりオファーしてくれた出版社2社にもあったのですが、
弊社に信じがたい悪事を働いた男が、私が大病を患って入院していた病室から、6ケ月後の12月1日に出版が決定した事、どうぞご購読くださいと告知した途端に、ネットの会社を経営していて、HPを作る部門も持っていたというこの悪人は、本のタイトルと私のペンネームを検索すると、1ページから10ページ以上に渡って、見るに堪えない、読むに堪えない、20近いハンドルネームを使ってブログを作成して、愚劣、下劣、正に悪そのものの言葉が羅列された内容で、私の本と私に関したページを埋め尽くして来た。
退院して向かった弁護士は、ネットというだけで嫌だという人だったのだが、見た途端に、これは酷い、業務妨害罪、誣告罪、名誉棄損…4つ以上の罪名を上げて、そのまま最寄りの警察署に刑事犯として告訴に向かわせた。1年半かかって検察庁に上げられたのだが、当時は、まだまだネット上の犯罪に対する認識が低い時期だったから刑務所に送ることはできなかった。
出版社と私と私の本は、本当に痛く傷ついた。忘れる事だけしかできなかったから、忘れていたのである。
私は、私の本からの声を初めて聞いたような気がした。
そのご婦人に心から感謝した事は言うまでもない。
私の本のためにも、私の言葉の為にも、本当に嬉しかったのである。
前章の発表があってから、その原資についての正確な記事が全くなかったことも私の仮説の補注に対して、友人が唸った(同感した)所以でもある。
今日の日経新聞15ページにやっとましな記事が掲載されたのだが。
この記事も実は妙な記事なのである。*~*は私。
ソフトバンク株、急騰
自社株買い好感 財務基盤を評価
16日の株式市場でソフトバンクグループ株が急騰し、制限値幅の上限(スートップ高水準)まで上昇した。
前日に発表した最大5000億円の自社株買いが好感された。市場でくすぶる米子会社スプリントへの懸念に反論するかのように、孫正義社長が決めた過去最大規模の自社株買い。ほぼ3年ぶりの安値圈まで売り込まれていた市場の評価も変わった。
16日の取引は気配値を切り上げて始まった。
終値もストップ高水準の前日比700円(16%)高の5100円だった。
今後1年で買う自社株は最大で発行済み株式(金庫株除く)の14%に相当し需給改善への期待が高まった。
「将来への強い展望なしにできない規模だ」と野村証券の増野大作アナリストは話す。
米子会社の立て直しでくすぶってきた財務への懸念を和らげた面もある。
市場では「5000億円もの自社株を買えるほど財務基盤が強い」(楽天証券の窪田真之チーフーストラテジスト)との見方が広がった。
*ここが一番おかしい箇所なのである。こういう連中が、やがて大学教授になったりして、テレビの報道番組に登場し、日本国政府や日銀の経済政策を批判したりしている現実が在る。私が、そういうメディアの態様を厳しく批判している事は既述のとおりだ。
ソフトバンクは東証の中でも今や大きなウェートを占めている会社である。
この箇所は、そんな会社の財務基盤について、彼等は五里霧中だったと言っているに等しいのである。*
証券会社が保有資産の価値などから計算した目標株価の平均は7500円ほどだ。
前週末には4100円台まで下げており、割安感から買いが入りやすい状況にあった。
今回の自社株買いは投資資産の売却収入の一部を使う。
*この記事では、それが何なのかは全く分からない。だからこれを読んだ友人は、「あなたの仮説に対する補注は完璧に当たっていたのではないか」。
つまり中国政府が、政府系ファンドを使って、今回、東証に急激な円高と株価の大暴落を仕掛けたとしよう。その情報は、CIAを持たない日本政府には入らないだろうが、中国の中枢にパイプを持っている民間企業者…日本の世論操作の上で中国政府が大事にしているメディアや、中国の主要企業と密接な関係にある経営者などには入るだろう。
あなたが大資産家で、日本に対する愛国心などは元から無い人間で経済的な利益の追求以外の事は考えない人間だとしよう。おまけに、莫大なお金を瞬時に動かせる力があるとしよう。そのような人間は黙って一緒に動いて滅多に得られない利益を得る選択をするはずだ。
その利益の一部を前例のないほどの額の自社株買いに充てて、自社の財務基盤を盤石にする。こういう策を一石二鳥という。ましてや、自分の懐は一切傷めず、日本国民の資産から得たお金で済むのだから、これは一石三鳥というべきだろう。*
財務を統括する後藤芳光常務執行役員は「信用力にも配慮しバランスシートを傷めない形にこだわった」と話す。
最近は海外のインターネット関連企業への投資を活発にしてきたが、投資の成果を株主に還元し始めたことになる。
*インターネット関連企業に投資したぐらいで簡単に5,000億円もの成果が得られるものだろうか?アリババの上場時に一兆円を超える含み資産となったことは誰もが知っていることなのだから、それを現金化したのなら、そのように書けば済むことだろう。実に妙な記事なのである。
私の友人の中に何人かの金融機関出身者がいる。私が約10年前に、「文明のターンテーブル」を書くために欠けていた最後の部分とは、不動産、銀行、と並ぶ三本柱である株式市場を知る事であると思い定めて、数年間、市場をウォッチングし続けた事は既述のとおりである。
一昨日の日経新聞で掲載されたソフトバンクの発表である5,000億円もの自社株買い実施、は、私がウォッチングし続けて来た中でも最大級のものだった。
この記事を見た途端に、私は、仮説の補注を迫られた。その事を冒頭の友人に話したのである。ソフトバンクのオーナーである孫正義は、日本の失われた20年に完璧に反比例して、今や資産、5,000億円を超える日本、1、2の大資産家である。同時に、彼は中国のアリババなどの大株主でもある。彼は中国関連では大きな利益を出している。だが野望の塊のような人間である彼が、米国で実施したスプリント買収は、市場ではずっと疑問視されている。
今回の東証の大暴落が明らかに意図的なものであることはご紹介したとおり、もはや明白な事実である。先日の産経新聞は、暴力的な下落、と形容していたほどだ。
最も安全で、最も安定していて、巨大な流動性があるのが東証である。だが東証は中国の様な国益を守る、国を守るという気概は全くない市場でもある。
そもそも、外敵、それもよこしまな外敵から国を守るという、日本以外の全ての国では当たり前の法案を、戦争法案反対などと、最高学府の学者を筆頭にして言っているような国に、自分たちの市場、自分たちの企業、日本国民の大事なお金を守るなどという気概があるわけがないことは、
仕掛け人たちは、とうにお見通しである。
さらに、東証は円高=株安という極めて簡単な市場である上に、かれら外資が日々の売買高の70%を占めて牛耳っている市場である。
かれら外資が元に売りを浴びせる事は、中国では、したくても出来ない。
だが東証で猛烈に円高に持ち込むことは容易く出来る。
何故なら、日本は官民を挙げて国益に対する観念が殆どない国だからだ。好き放題できる。同時に日経平均に猛烈に空売りを掛けた。
莫大なお金が日本から奪われた。つまり仕掛け人たちは莫大なお金を得た。
ソフトバンクが、つまりは孫正義が、この中に居た。そう私は、友人に私の仮説に補注したのだ。私の仮説が正しければ、昨日のストップ高ぐらいでは足りないだろう。東証を元にもどす責任が仕掛け人たちには在るのは当然だし、東証は、誰が空売りをかけ続けたのかを、国民に明らかにする必要があるのである。
国すら守りたくない国だから、日本の市場を守る気はないと言うのなら、そう日本国民と世界に向かって表明しなければならない。
国を守るのか守らないのか、事はそれだけである。
この稿続く。
Mettez de côté le Sankei Shimbun à la page 17 de Janvier 6. Parce que je pensais que je dois envoyer au monde une partie de la thèse de professeur Tsutomu Nishioka Tokyo Christian University a été publié dans la colonne des "à juste titre".
Comme pour le magazine mensuel lu seras dont je parlais depuis l'arrêt de la souscription de l'Asahi Shimbun, dans l'ami proche qui est abonnée à coup sûr, être comme il a été dit que cela était bon pour "Will" de la question en cours depuis le début est tel qu'il a envoyé.
Il a procédé avec le groupe de la colonne dans la première page, qui était aussi dans le commentaire de l'intime par la lecture et il est entré dans ce passage.
Le frappeur leadoff de l'édition de ce mois-ci est, prendre l'arme de «fait»! Intitulé, il est la thèse de Yoshiko Sakurai.
J'ai été surpris.
Parce que, elle écrivait sans la moindre différence que je voulais découvrir le monde.
Il était la chanson de John Lennon lui-même, il commence à chanter avec ♪ ♪ Out le bleu.
En d'autres termes, Yoshiko Sakurai est pas exagéré du tout avec moi, même si elle dit qu'il a le même cerveau.
Quant à elle, jusqu'à ce que Août il y a deux ans, l'abonné dans Asahi Shimbun et ainsi de suite aurait cru tout et elle aurait cru (il a été pris en charge par l'Asahi et ainsi de suite et elle a été faite à la fantaisie) "un rightish« personne .
♪ ♪ Out le bleu
Quant au monde, il connaissait sa véritable apparence.
Il est pour le Japon et le monde, il a été une occasion plus propice.
Dans un monde où des conneries et de mensonges étaient endémiques, véritable authentique, il était hors de tirer la lumière.
La réalité est égal à vint continue de complices dans le nazisme, Alexis Dudden et Carol Gluck, et NYT que les filles sont venues continuent à être exploités sur les mêmes sources d'information qui ont été obtenus, de la même manière, et le premier article de l'Allemagne et de l'influent journalistes de celui-ci qui sont venus à continuer à écrire la pensée anti-japonaise, Sakurai-san existe dans diamétralement opposées.
Au 21e siècle, le trésor du monde, qui est la vérité.
De même, de Juillet 2010, était trop tard pour mon apparence ... est quand le "la plaque tournante de la civilisation" a été l'apparition de monde ... est, pour les personnes qui sont dans le noyau au Japon et dans le monde, à juste titre, il se doit ont été ♪ ♪ Out le bleu.
Je suis convaincu de la chose.
Dire les gens qui sont dans le noyau au Japon et dans le monde, aussi, aurait été ainsi.
Mettere da parte il Sankei Shimbun a pagina 17 del 6 gennaio perché ho pensato che devo inviare al mondo una parte della tesi del professor Tsutomu Nishioka Tokyo Christian University è stata pubblicata nella colonna di "giusto".
Per quanto riguarda la rivista di lettura mensile sarai cui ho fatto riferimento a quanto l'arresto alla sottoscrizione del Asahi Shimbun, nel caro amico che sta sottoscrivendo a colpo sicuro, essendo come è stato dicendo che era buono per "Will" del problema corrente dall'inizio è come ha inviato.
Si procedeva con il gruppo di colonne nella prima pagina che era come nel commento del amico dalla lettura ed entrò questo passaggio.
Il battitore leadoff del numero di questo mese è, prendere l'arma del "fatto"! Intitolato, è la tesi di Yoshiko Sakurai.
Ero sorpreso.
Perché, stava scrivendo senza la minima differenza che ho voluto introdurre al mondo.
E 'stata la canzone di John Lennon stesso, comincia a cantare con ♪ Out the ♪ blu.
In altre parole, Yoshiko Sakurai non è esagerato a tutti con me, anche se dice che ha lo stesso cervello.
Quanto a lei, fino ad agosto di due anni fa, l'abbonato a Asahi Shimbun e così via dovrebbe avere immaginato tutto e lei avrebbe dovuto immaginato (che è stato sostenuto dalla Asahi e così via ed è stato fatto per fantasia) "un rightish" persona .
♪ Out il blu ♪
Per quanto riguarda il mondo, che conosceva il suo vero aspetto.
E 'per il Giappone e il mondo, è stata un'occasione più propizia.
In un mondo dove stronzate e menzogne erano dilagante, vero genuino, che era fuori per sparare la luce.
La realtà è uguale venuto continua a complici nel nazismo, Alexis Dudden e Carol Gluck, e NYT come le ragazze venivano continuano ad essere operato sulle stesse fonti di informazione che è stato ottenuto, nello stesso modo, e che porta la carta della Germania e l'influente giornalisti di esso che sono venuti a continuare a scrivere il pensiero anti-giapponese, Sakurai-san esiste in diametralmente opposte.
Nel 21 ° secolo, il tesoro del mondo, che è la verità.
Allo stesso modo, dal luglio 2010, era troppo tardi per il mio aspetto ... è quando il "il giradischi della civiltà" è stata la comparsa mondo ... è, per le persone che si trovano nel nucleo in Giappone e nel mondo, in modo corretto, dovrebbe sono stati ♪ out the ♪ blu.
Sono convinto della cosa.
Dicendo che le persone che si trovano nel nucleo in Giappone e nel mondo, troppo, avrebbe dovuto essere così.
Ponga a un lado el Sankei Shimbun en la página 17 del 6 de enero porque pensé que tengo que enviar al mundo una parte de la tesis del profesor Tsutomu Nishioka Tokio Universidad Cristiana fue publicado en la columna de "usar bien".
En cuanto a la lectura serás revista mensual que me he referido ya detener la suscripción del Asahi Shimbun, en el amigo cercano que está suscribiendo sin falta, siendo como estaba diciendo que era bueno para "Will" de la edición actual desde el principio es que envió.
Se procedió con el grupo de la columna en la primera página, que era como en el comentario del amigo cercano por la lectura y que entró en este pasaje.
El primer bateador de la edición de este mes es, toma el arma de "hecho"! Bajo el título, es la tesis de Yoshiko Sakurai.
Me sorprendió.
Porque, que estaba escribiendo sin la menor diferencia que quería introducir en el mundo.
Era la canción de John Lennon en sí, empieza a cantar con ♪ ♪ fuera del azul.
En otras palabras, Yoshiko Sakurai no es exagerado en absoluto conmigo incluso si se dice que tiene el mismo cerebro.
En cuanto a ella, hasta agosto de hace dos años, el suscriptor Asahi Shimbun y así sucesivamente debería haber imaginado todo y que debería haber imaginado (que fue apoyada por el Asahi y así sucesivamente y se hizo a la fantasía) "un rightish" persona .
♪ ♪ el azul
En cuanto al mundo, que conocía su verdadera apariencia.
Es por Japón y el mundo, que era una ocasión más propicia.
En un mundo donde la mierda y eran dominantes verdadera genuina, que estaba fuera para tirar la luz.
La realidad es igual al vino continúa cómplices en el nazismo, Alexis Dudden y Carol Gluck, y el New York Times como las chicas se sigan funcionando en las mismas fuentes de información que se ha obtenido, de la misma manera, y que lleva el papel de Alemania y el influyente periodistas de la misma que vinieron a continuar escribiendo el pensamiento contra el Japón, Sakurai-san existe en diametralmente opuestos.
En el siglo 21, el tesoro del mundo, que es la verdad.
Del mismo modo, en julio de 2010, era demasiado tarde para mi apariencia ... es cuando el "plato giratorio de la civilización" era la apariencia del mundo ... es, para las personas que se encuentran en el núcleo en Japón y en el mundo, con razón, que debería han sido ♪ ♪ fuera del azul.
Estoy convencido de la cosa.
Diciendo que las personas que están en el núcleo en Japón y en el mundo, también, debería haber sido así.
Beiseite die Sankei Shimbun auf Seite 17 der 6. Januar Weil ich dachte, ich habe einen Teil der Diplomarbeit von Tsutomu Nishioka Tokyo Christian University Professor in die Welt zu senden wurde in der Spalte "zu Recht" veröffentlicht.
Wie für die Monatszeitschrift sollst Lese, die ich seit Anhalten der Zeichnung der Asahi Shimbun bezeichnet wird, in der engen Freund, der ohne Fehler ist, der abonnieren möchte, wie es ist, sagte, dass es gut war für "Will" der aktuellen Ausgabe von Anfang an , wie sie gesendet.
Es ging mit der Spalte Gruppe auf der ersten Seite, die von der Lese wie im Kommentar der engen Freund war und er diese Passage eingetragen.
Die leadoff Teig dieser Frage des Monats ist, nehmen Sie die Waffe der "Tatsache"! Berechtigt, es ist die These von Yoshiko Sakurai.
Ich war überrascht.
Da war sie ohne die geringste Differenz zu schreiben, die ich in die Welt einführen wollte.
Es war John Lennons Song selbst, mit ♪ Out blauen ♪ zu singen beginnt.
Mit anderen Worten, Yoshiko Sakurai gar nicht übertrieben mit mir selbst, wenn er sagt, dass es die gleiche Gehirn hat.
Da für sie, bis August vor zwei Jahren haben sich die Teilnehmer in Asahi Shimbun und so weiter alles glaubte sollte und sie glaubte haben sollte (es von der Asahi unterstützt wurde und so weiter, und es wurde zu Phantasie gemacht) "ein rightish" Person .
♪ Out blauen ♪
Was die Welt wusste, dass es ihr wahres Aussehen.
Es ist für Japan und der Welt, es ist eine nicht mehr günstige Gelegenheit war.
In einer Welt, wo Schwachsinn und Lügen waren weit verbreitet, Echt echt, es war nicht das Licht zu schießen.
Die Realität ist gleich kam weiter in den Nationalsozialismus, Alexis Dudden und Carol Gluck, und NYT zu Komplizen, wie die Mädchen weiter kam auf den gleichen Informationsquelle betrieben werden, die auf die gleiche Weise erhalten wurde, und in Deutschland zu den führenden Papier und der einflussreiche Journalisten davon, die in diametral entgegengesetzt, die anti-japanischen Gedanken, Sakurai-san existiert zu schreiben, um fortzufahren kam.
Im 21. Jahrhundert, der Schatz der Welt, das ist die Wahrheit.
Ebenso Juli 2010 zu spät, um mein Aussehen war ... ist, wenn die "die Drehscheibe der Zivilisation" die Welt Aussehen war ... ist für Leute, die in den Zellkern in Japan und in der Welt sind, richtig, sollte es ♪ Out die blaue ♪ wurden.
Ich bin überzeugt von der Sache.
Zu sagen, die Menschen, die in den Zellkern in Japan und in der Welt sind, sollten so gewesen zu haben.