金融大国になることが何故大事か?
2010-07-24
テーマ:金融大国論
産業立国、技術大国だけだと危険だからです。
慶大教授だった坂村健氏がマイクロソフトのwindowsより優れていたと誰もが認める概念を発見、開発し日本の小・中学校のPC教育に採用決定していた時、
以下の*~*はウキペディアからである。
*TRON(トロン)とは、今から25年以上も前に、未来の電脳社会を見越して提唱された、壮大なプロジェクトの総称である。提唱者は、現在、東大教授をやっている坂村 健氏。このトロンプロジェクトの中で世界的に有名なのがITRON(アイトロン)で、今をときめくウインドウズの概念を遥かに超えて開発されたのがBTRON(ビートロン)である。
提唱された当時は一世を風靡し、BTRONは日本の教育用のOSとして採用されかけたが、不幸な逆境に立たされて見捨てられた。以来雌伏十数年、どっこいトロンは生きていたのである。まるでウインドウズという恐竜時代の哺乳動物のように生き延びて、ようやく日の目を見るようになってきた。現在は「超漢字」という商品名(超漢字4から超漢字Vへ)で売り出されており、Yahoo Japan の週間売り上げ調査でも、時には5位以内に食い込むほどの健闘ぶりを見せたこともある。(トロンて何?)*
windowsで世界制覇、世界基準とする事をもくろんでいたビルゲイツは(当然ながら米国政府も)これだけは引かない覚悟で日本政府に強烈な圧力を掛けたのです。
その時にビル・ゲイツの方棒を担いで今や大実業家の地位を築いている方も居る。
日本が屈服したのは、言う事を聞かなければ、産業立国で突き進んできた日本経済の心臓部であった自動車等に、高率の関税を課す事を仄めかされたからだ。
或いは、日本に「文明のターンテーブル」が廻って、日本がGDPに於いても米国に次ぐ
圧倒的な世界の超経済大国…当時の米国750兆円、日本550兆円に成った時、欧米に、これ以上日本が大きく成る事を防ごうとする意思が全くなかったと言う立場に立ったとしても…
ウィキペディアに依れば米国のイリノイ銀行の破綻が契機であるというBIS規制実行時が、私たちの国の、マスコミの名付けで言えばバブル終息、の手法ミスに依って膨大な不良債権処理を抱えた時期と重なった…
この様な時に、日本が米国に屹立する一大金融大国で、世界が東証・大証と、NYSE・ナスダックを見て動いている様な状況であったなら、日本の事情を了解させる事もできるのです。
経済とは関係のないスポーツの分野でも、日本がスキーのジャンプ競技に於いて世界のトップクラスに躍進していた頃、札幌オリンピックで表彰台を独占した時、スキーの本場を自負していた欧州は、物理的には、もう二度と日本がチャンピオンには成れない改正を急遽決定した。…身長に依って板の長さを決める。
この時、日本の意見は屁の様なものだったのでしょう。
が、若し日本が株式市場に、毎日、10兆円のお金が動き、100兆円が日本の優秀な企業の株取得に向かっていて、株式時価総額でも米国に並ぶ圧倒的な世界の大国に成っていて、各分野の大企業等の買収や提携で世界の巨大なグローバル企業を一杯持って居たら、
このような事は起きなかったと僕は確信します。
用具に於いての存在感、広告に於いての存在感等で日本には逆らえない、欧州は、ジャンプ技術を磨くしかない、と成ったはずです。
ファシズムの世紀だった20世紀中盤に世界が経験した史上最悪の戦争の記憶ゆえ、世界には、このような大戦は2度とすまいとの知性の合意が絶対的に形成された訳ですが、
経済競争等の場に於いては、日本以外の全ての国は自国の国益を最優先してくるのです。
その時に最終的にものを言うのは、圧倒的な金融大国、株式時価総額大国、技術大国、この3つが揃っている時だけでしょう。
軍事力はヘゲモニー(覇権)国家…その国の通貨が、世界に流通してもいる…が、万が一の時の為に保持しているのもので、現実は、人も国も、経済で動く、大きな経済の言う事を聞くのだと僕は思う。
そんな事は身近に幾らでも検証例が有ります。
かつてソフトバンクはオリックス等と並んで規制改革、開放の代表選手でしたが、i-phoneの大ヒットで等で大躍進。今や押しも押されもせぬ大企業となったら、今回のSIMカード規制開放には反対しています。が、マスコミの1社とて「発言がブレているじゃないか」と責める者はいないでしょう。
会社を富ます=雇用拡大、国を巨大に富ます事=内需拡大…内外の雇用拡大…を成し遂げた者や、国に、文句を言う人間は居ないのです。
世の中は、散々嘘を並べたりしている様な人間に限って「俺は終始一貫…」等と言う言葉を吐くものです。
マスコミの陥穽とは、前述しました様に、エリートとして為すべき、毎日の、一生の、知性の練磨は屁の様にうっちゃっている癖に「自分たちは終始一貫正しい」等と思いこんでいる度し難さに在るのです。
「一々の現象だけを追いかけ、今だけを見ている人間の発言は全てブレる」事が、当然なことすら分からないほどに、低能に成った頭で、自分たちは正しい、ブレない等と言っているのですから。
株の世界なんぞは、ブレるどころか、大ブレ人間の集まりですが、日本のマスコミは、今の様な、強欲に依る空売りに支配された市場を、正しいと呑気に思いこみ、市場は正しい等と言う市場原理主義を信奉しているのです。
正しい市場原理主義とは、市場から生まれたお金は市場に還元し、更に市場を安定的に大きな物にして、貧しい世界の半分にも水の様にお金が流れて行く、
最初は小さな流れが100年経ったら大きな流れになっている様に、して行く事でしょう…
それは安定的で有ればあるほど良いのは当然。
だから文明のターンテーブルが廻った国、今でも世界一の個人資産を持つ国として、日本独自の資本主義を一刻も早く作り上げれば良いのです。
日本は一刻も早くこの事に気付いて、速やかに金融大国と成って、世界に水を流し続ける170年を過ごさねば成らないのです。
それは同時に、(アメリカだって100%じゃない)…
先般のトヨタの事件は「何だ、これは。マッカーシーの赤狩りと一緒じゃないか」。
僕は、中西部の、おばさんが議会で証言していた場面をTVで観た時、即座にそう思いました。
それと米国にも票目当ての政治屋は、たんといるのだな、と。
あの政治家たちの人相の貧相だったこと…
日本の戦後60年を牽引してきた代表選手であり今や世界的な大企業であるトヨタは、車を運転した事が有る人間なら誰でも最も優秀な車の代表でも有るとすぐに分かるはずです。
ベンツ、BMWのドイツですら、細部も疎かにしない日本車、何よりもドアの隙間の驚異的な狭さに驚嘆し、真似た程なのですから。
その様な世界的な大企業であり、日本を代表して来た企業の社長を、あのように下卑た、所謂、お白州の場に曝す等と言う事は、ニ度としてはいけないのです。
日本を訪れた米国運輸長官の態度に60年前の日本に対する態度に似た匂いを感じたのは僕だけでしょうか?
私たちの国の、特にマスコミと政治の有り様を、外から見ていたら、深い所では何も変わっていないと見えたとしても何の不思議もないでしょう。
抜けていたパズル…一刻も早い金融大国の実現を達成すれば、忽ち世界の態度は変わるのです。
それはマスコミの皆さまが、昔からずっと、この近年に至るまで、そうして来た態度なのですから、一瞬で分かるはずです。
人は小さなものは叩くが、巨大なものは叩かないのです。いな、従うのです。
学者となれば拝聴し、名士と成れば敬う様に。
僕のこの文章が日本中の出来るだけ多くの人に読まれたならば、日本は、明日にでも在るべき地位…米国に屹立する(正確には補完する)経済、或いは文明における世界の覇権国家として、後170年、世界の為に貢献できると僕は確信しています。
次は多分、ブラジル、それから直ぐか、或いは、その次かに、アフリカに文明のターンテーブルが廻るまでは、本当の意味での地上の平和は存在しません。
おためごかしに時間を弄している場合ではないのです。
先ず10兆円を毎日の市場に、同時に100兆円を、日本が世界に誇る優秀な技術を持った、たくさんの大企業の株取得に誘導する事。
この富を作ってくれた大企業=10%の正しいエリート(温故知新が知性の基本。日夜、研究、技術の革新に努めて来た)と、勤勉で細部も疎かにしない世界有数の美的感覚を持った、90%の、所謂、労働者の集合体の事です=に、恩返しをして、支え、
徒な強欲や、相手の国益優先からの理不尽な非難から守って上げる。
それが、今、日本が為すべき事。
政治家や官僚の好きな言葉で言えば、これこそが喫緊の課題です。
じゃんじゃん子供を作って、人口に於いても米国に並ぶ消費大国に成って、愈々、文句は言わせない。
地方都市の興隆も猛スピードで進んで行くでしょう。
資本主義とは、その名の通り、人間が居ない主義、人間が主人公の主義ではありません。
私たちは何処に居るか?民主主義、その名の通り、此処にいるのです。
何時までも20世紀の資本主義に囚われて居る必要はなく、21世紀型の資本主義を世界一の個人資産を持っている国が作り上げても、誰も文句は言わないどころか、そうすることが、既述した通り文明のターンテーブルが廻った国、日本として成すべき事のはずです。
米国だって、今度は、大歓迎はしても文句は言いません。
例え、文句を言ってきても今度ばかりは聞く必要もないのです。
一緒に、それだけが世界を救える経済で、世界を救って行くのですから。
中略。
物心着いた時から見えていた、この国の本質的な病、それを糾す為の本を書く事を使命として与えられていた僕は会った事はないけれど、最上の友人が突然現れたと思った。
この歳に成っても、身に一物も持たぬように、エリートとしての約束された生活…良い所のお嬢さんを嫁にもらい、一家四人で幸せな生活、から遥かに遠く、与えられ続けた試練に参りかけていた僕に、再びエネルギーを与えてくれた出来事でした。
後略。