文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。

2018年12月23日 22時37分44秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。

覇権強国の誕生 

軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。

2018年12月23日 22時36分38秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。

覇権強国の誕生 

軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。日本政府は中国を特別に優遇した。

2018年12月23日 22時35分28秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。

覇権強国の誕生 

軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。

2018年12月23日 22時34分14秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。

覇権強国の誕生 

軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い

2018年12月23日 22時33分03秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。

覇権強国の誕生 

軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。

2018年12月23日 22時31分41秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。

覇権強国の誕生 

軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」「民主化の促進」「人権や自由の保障」対中ODAはこのすべてに違反し

2018年12月23日 22時30分03秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。

覇権強国の誕生 

軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。

2018年12月23日 22時11分55秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」 「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。
覇権強国の誕生 
軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。

2018年12月23日 22時10分22秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」 「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。
覇権強国の誕生 
軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。

2018年12月23日 22時08分32秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。
旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」 「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。
覇権強国の誕生 
軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ

2018年12月23日 22時03分51秒 | 日記

北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名は、と題して、2018-10-27に発信した以下の章が、今、gooの検索数ベスト2に入っている。

以下は今朝の産経新聞3ページからである。
見出し以外の文中強調は私
対中ODAは最大の失敗
ワシントン駐在客員特派員  古森義久
日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。
40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。
その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。
日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。
一切報道されず
1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。
日本側が官民あげて日中友好への祈りをこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。
日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。
だから一般国民もまったく知らない。
北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。
日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。
旧大蔵省と輸出入銀行から「資源ローン」などという名称で公的資金が中国に供されていた。
その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を超えていた。
だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。
出発点となった79年の訪中で、大平正芳首相は対中ODAの目的について「日中友好」を強調した。
その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は「中国人民の心へのアピールが主目的」と明言した。
だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。 
中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。
逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、「抗日」の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。
日本側からみて、対中ODAの成否は政府の「ODA大綱」に照らし合わせれば明白となる。
大綱は日本のODAが「軍事用途への回避」とくに相手国の「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして「民主化の促進」 「人権や自由の保障」に合致することを規定していた。
だが対中ODAはこのすべてに違反した。
覇権強国の誕生 
軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。
チベットヘの光ファイバー建設は軍隊が直接利用していた。
同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。
かつて台湾の李登輝総統から直接に「日本の対中援助では福建杳の鉄道建設だけは止めてほしかった」と訴えられたことは忘れ難い。 
日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。
ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。
中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。
だから対中ODAとは、日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視した超法規のような措置だった。
日本政府は中国を特別に優遇した。
中国の国家開発5ヵ年計画に合わせ、5年一括で、中国側が求めるブロジェクトヘの巨大な金を与えてきた。
中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。
その中国がいまや国際規範に背を向けて覇権を広げ、日本の領土をも脅かす異形の強大国家となったのだ。
日本の対中ODAはそんな覇権志向強国の出現に寄与したのである。


以下は昨日の検索数ベスト50である。

2018年12月23日 16時31分33秒 | 日記

順位

ページ名

1

'Chinese should receive obediently as the fact which is reflected in the eyes of the foreigner'

2

They don't dig into not verifying the truth of the things not to study really.

3

まともに英語も話せない、菓子とお絞りの区別もつかない日本人を笑いものにする。

4

私は、この論文の英訳を高山正之に敬意を込めて捧げる。

5

Why do not you look at that warm eye for Japanese people occasionally.

6

The Norwegian, too, will take pride seriously if there is such journalist in Norway, too.

7

ただ抜き難い人種差別意識がある。「野蛮な日本人はまだお絞りを知らない」という設定を思いついた。

8

It was glance at the time that was a scene, but all the rest were occupied by the opposite viewpoint

9

it is only pretended-moralist that, unfortunately, in Japan, Norway or all over the world, exists

10

Asahi Shimbun concludes that it is not angry even if Japanese are made a fool of.

11

電通の田中さんら世界の大手広告代理店代表が審査し、このCMに一同大笑い。全員一致、つまり田中さんも含めて金賞を与えた。

12

世界はその清涼感に驚愕し、どのエアラインも競って導入していった。辺境を飛ぶブローテン航空がお絞りを知るまでにはずいぶん時間がかかったと思う

13

トップページ

14

CMを作ったノルウェー人も心のどこかに白人の優越意識と黄色人蔑視を持つ。笑いには邪(よこしま)さがあった。田中さんはその辺を審査員に忠告すべきだった。

15

Therefore, abysmal evil and plausible always spreads to the world and doesn't become peaceful

16

I devote this English translation to Mr. Takayama Masayuki with respect to him.

17

辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、

18

Non indagano sulla non verifica della verità delle cose da non studiare davvero

19

El noruego también se enorgullecerá si hay un periodista así en Noruega.

21

Dolce & Gabbana hat recht

22

Også norskeren vil være stolt seriøst om det også finnes en slik journalist i Norge.

23

その温かい眼差しをたまには日本人に向けてみたらどうか。

24

Dolce & Gabbana a raison

25

O norueguês também se orgulhará muito se também houver jornalista na Noruega.

26

Os noruegueses levaram a ignorância longe demais e levaram o desprezo pelos japoneses

27

ノルウェー人がまだ手掴みでモノを食いテーブルクロスで手と口を拭っていたころ、国際線にデビューした日本航空が初めてお絞りをサービスに取り入れた

28

韓国経済の実態を明らかにしなければ、大学教授にも値しないだけではなく、韓国=朝鮮半島の擁護者であるだけだろう

29

Les Norvégiens ont poussé l'ignorance trop loin et le mépris des Japonais

30

Los noruegos llevaron la ignorancia demasiado lejos y llevaron el desprecio por los japoneses

31

以下は昨日の検索数ベスト50である。

32

Die Norweger trugen die Unwissenheit zu weit und die Verachtung für die Japaner

33

I norvegesi portarono l'ignoranza troppo lontano e portarono il disprezzo per i giapponesi

34

この小泉が、松沢病院に入院歴があるということについては、小泉家の極秘事項になっている。

35

Norwegians carried the ignorance too far and carried the contempt for the Japanese too far

37

Nordmenn bar uvitenheten for langt og bar foragtet for japansk for langt samtidig.

38

Across the universe - The Beatles (LYRICS/LETRA) [Original]

39

When the Norwegian still ate with their fingers and wiped his hands and mouth with

40

「マギーズ・ファーム」 ボブ・ディラン。 訳詞…片桐ユヅルさん 中山容さん。

41

レフチェンコは証言の中で、「日本人の大半がソ連の対日諜報謀略工作の実態や目的について驚くほど無頓着。

42

関西生コンのトップを逮捕 滋賀の生コン業者の恐喝未遂事件 契約断った商社に「大変なことになりますよ」

43

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された藤原かずえさんの目の覚めるような見事な労作からである

44

だから、「悪いこと言わないから、北は悪いと覚えておきなさい。そうでないと、君は社会に出て誰からもよく思われないよ」と、教えなければなりません

45

Braathens Airlines, one of Norway's main airlines, made TV commercials.

46

同じ理系でも、理論系の学者は左翼の人が多い。彼らは、実験失敗の洗礼は受けない。

47

土井たか子は北朝鮮が拉致などするわけないと言ってきた。それが覆った。 

48

「いや、ここだけの話、トランプを応援する報道をすると上から怒られるんです」あまり保守派の間では評判のよろしくない某テレビ局のディレクターが言う

49

जापान की आर्थिक वृद्धि

50

確かに英語に統合失調症という名称はなく、schizophrenia(精神分裂病)のままである。

 


Eu dedico a tradução inglesa deste artigo para Takayama Masayuki com o respeito.

2018年12月23日 11時47分35秒 | 日記

Quanto ao comentário de que Takayama Masayuki é o único jornalista do mundo depois da guerra, todos os seus leitores devem concordar.

Ele continua a escrever a coluna de especialidade que é no final do semanário Shincho.

O seguinte é o excelente papel dele que foi realizado na edição desta semana que foi vendida hoje.

Eu dedico a tradução inglesa deste artigo para Takayama Masayuki com o respeito.

A Braathens Aviation, uma das principais companhias aéreas da Noruega, fez comerciais de TV.

O título é "japonês".

A aeromoça forneceu o lefse de confeitaria de sobremesa que é popular entre o Norte da Europa e o passageiro japonês.

Você deve pensar que ele faz o pão de pelicula que colocar em creme de manteiga.

O passageiro japonês o confundiu com a toalha úmida e limpou o rosto, abrindo o pão. Stickily pelo creme no rosto.

O escárnio se espalha para o passageiro ao redor.

As mesmas placas de clientes na aviação Braathens novamente.

Ele se recusa no gesto de "o estômago está cheio" quando a aeromoça oferece uma toalha de mão úmida.

Eles estão desprezando os japoneses, que não sabem falar inglês corretamente, que não conseguem distinguir entre confeitaria e uma pequena toalha úmida.

Faz o japonês o do riso como não é possível falar o inglês corretamente, e nós não é possível ter a distinção da toalha de mão úmida e a confeitaria.

Este comercial foi exibido no departamento comercial do festival de propaganda internacional que foi aberto em Cannes por ser muito popular na Noruega.

O representante da maior agência de publicidade do mundo, inculcando o Sr. Tanaka da Dentsu Inc., examina e dá a gargalhada de todos a esse comercial

Por unanimidade, o Sr. Tanaka deu um prêmio de ouro.

Faz um povo um estereótipo e sempre há discriminação sutil e um preconceito na calúnia ou nas costas que faz o do riso.

O norueguês que fez o MC também tem consciência de superioridade branca e desdém de pessoa amarela em algum lugar do coração.

Houve uma maldade no riso.

O Sr. Tanaka deveria ter aconselhado os juízes sobre esse ponto.

E ele deve salientar que o cenário que os japoneses ignoram em relação à pequena toalha úmida está errado.

Porque pequena toalha úmida é uma excelente cultura japonesa.

Quando o norueguês ainda comeu com os dedos e limpou as mãos e a boca com uma toalha de mesa, a Japan Air Lines, que estreou no voo internacional, introduziu pela primeira vez uma pequena toalha úmida ao serviço.

Quanto ao mundo, ficou espantado com o sentido legal e qualquer companhia aérea introduzida, competindo.

Eu penso que levou tempo muito até o tempo Braathens Aviation que voa no hinterland soubesse pequena toalha úmida.

Foi um choque quando eles tocaram pela primeira vez. É por isso que eles inventaram um comercial assim.

Só existe consciência de racismo que é difícil de retirar.

Surgiu com a definição de "os japoneses bárbaros não sabem ainda uma toalha de mão úmida".

Quanto ao norueguês, a ignorância excedia um grau e o desprezo para os japoneses era superior a um grau ao mesmo tempo.

No entanto, o Sr. Tanaka não apontou isso.

Este rascunho continua.


Je consacre la traduction anglaise de cet article à Takayama Masayuki avec tout le respect

2018年12月23日 11時46分03秒 | 日記

Quant à mon commentaire selon lequel Takayama Masayuki est le seul et unique journaliste au monde après la guerre, tous ses lecteurs devraient être d'accord.

Il continue d'écrire la colonne de spécialité qui se trouve à la fin de l'hebdomadaire Shincho.

Ce qui suit est l'excellent article de celui qui a été reporté sur le numéro de cette semaine qui a été vendu aujourd'hui.

Je consacre la traduction anglaise de cet article à Takayama Masayuki avec tout le respect.

Braathens Aviation, l'une des principales compagnies aériennes norvégiennes, a réalisé des spots publicitaires à la télévision.

Le titre est "japonais".

L'hôtesse a fourni au passager japonais le leçon de confiserie qui est populaire en Europe du Nord.

Vous devriez penser que c'est le pain à la pellicule qui met la crème au beurre.

Le passager japonais le prend pour une serviette humide et essuie un visage en ouvrant du pain. Collant par la crème sur le visage.

Les ricanements s’étendent au passager.

Le même client monte à nouveau dans l'aviation Braathens.

Il refuse dans le geste "l'estomac est plein" lorsque l'hôtesse offre un essuie-mains humide.

Ils méprisent les Japonais, qui ne savent pas parler anglais correctement, qui ne peuvent pas faire la distinction entre une confiserie et une petite serviette humide.

Cela fait du Japonais l’un des fous rires car il nous est impossible de parler anglais correctement, et il n’est pas possible de distinguer l’essuie-mains humide de la confiserie.

Cette publicité a été présentée au département commercial du festival international de la publicité qui s’est ouvert à Cannes en raison de sa grande popularité en Norvège.

Le représentant de la principale agence de publicité dans le monde, comprenant M. Tanaka de Dentsu Inc., examine et gémit de tous devant cette publicité.

À l’unanimité, c’est-à-dire que M. Tanaka a donné un prix en or.

Cela fait un peuple un stéréotype et il y a toujours une discrimination subtile et un préjugé dans la calomnie ou le dos qui fait la part du rire.

Le Norvégien qui a fabriqué le CM a également une conscience de supériorité blanche et un dédain envers les personnes jaunes quelque part dans le cœur.

Il y avait une méchanceté dans le rire.

M. Tanaka aurait dû informer les juges de ce point.

Et il devrait souligner que le réglage que les Japonais sont ignorants de la petite serviette humide est faux.

Parce que petite serviette humide est une excellente culture japonaise.

Alors que le Norvégien mangeait encore avec ses doigts et s'essuyait les mains et la bouche avec une nappe, Japan Air Lines, qui faisait ses débuts sur le vol international, introduisait pour la première fois un petit torchon humide.

Quant au monde, il a été surpris par la fraîcheur du sens et par toute compagnie aérienne introduite, en concurrence.

Je pense que cela a pris beaucoup de temps au moment où Braathens Aviation, qui vole dans l'arrière-pays, connaissait une petite serviette humide.

C'était un choc quand ils l'ont touché pour la première fois. C'est pourquoi ils sont venus avec une telle publicité.

Seulement, il y a une conscience raciste qu'il est difficile de retirer.

Il est venu avec réglage de «les japonais barbares ne savent pas encore une serviette humide».

En ce qui concerne les Norvégiens, l'ignorance dépassait un degré avec détermination et le mépris des Japonais dépassait celui-ci en même temps.

Cependant, M. Tanaka n'a pas souligné cela.

Ce projet continue.


Ich widme Takayama Masayuki die englische Übersetzung dieses Papiers mit dem Respekt

2018年12月23日 11時44分18秒 | 日記

Was den Kommentar von mir angeht, dass Takayama Masayuki nach dem Krieg der einzige Journalist der Welt ist, sollten alle seine Leser zustimmen.

Er schreibt weiterhin die Spezialsäule, die sich am Ende des wöchentlichen Shincho befindet.

Das Folgende ist das ausgezeichnete Papier von ihm, der in der Ausgabe dieser Woche mitgeführt wurde, die heute verkauft wurde.

Ich widme Takayama Masayuki die englische Übersetzung dieses Papiers mit dem Respekt.

Braathens Aviation, eine der wichtigsten Fluggesellschaften Norwegens, produzierte Fernsehwerbung.

Der Titel lautet "Japanisch".

Die Stewardess lieferte dem japanischen Passagier die in Nordeuropa beliebte Dessert-Konditorei Lefse.

Sie sollten denken, dass es das Pellicle-Brot tut, das sich in Buttercreme befindet.

Der japanische Passagier verwechselte es mit dem feuchten Handtuch, und er wischte sich ein Gesicht und öffnete Brot. Klebrig von der Sahne im Gesicht.

Das höhnische Lächeln breitet sich auf den Passagier aus.

Derselbe Kunde ist wieder bei Braathens Aviation vertreten.

Sie lehnt es ab, wenn der Stewardess ein feuchtes Handtuch bereitstellt.

Sie schimpfen auf Japaner, die kein Englisch sprechen können und die nicht zwischen Süßwaren und feuchtem Handtuch unterscheiden können.

Es macht Japanisch zum Lachen, da wir nicht richtig Englisch sprechen können und wir nicht zwischen feuchtem Handtuch und Süßwaren unterscheiden können.

Dieser Werbespot wurde der internationalen Werbefilmabteilung des Werbefestivals ausgestellt, die in Cannes eröffnet wurde und in Norwegen sehr beliebt war.

Der Vertreter der großen Werbeagentur der Welt, der Herrn Tanaka von Dentsu Inc. zur Verfügung stellte, prüft und lacht alles an diesem Werbespot

Einstimmig, das heißt, Herr Tanaka hat einen Goldpreis verliehen.

Es macht ein Volk zu einem Klischee, und es gibt immer subtile Diskriminierung und Vorurteile in der Verleumdung oder im Rücken, die das Lachen zum Lachen machen.

Der Norweger, der das CM gemacht hat, hat auch ein weißes Überlegenheitsbewusstsein und eine gelbe Personenverachtung irgendwo im Herzen.

Es gab eine Bosheit im Lachen.

Herr Tanaka hätte die Richter in diesem Punkt beraten sollen.

Und er sollte darauf hinweisen, dass die Einstellung, dass Japaner kleine feuchte Handtücher nicht kennen, falsch ist.

Weil feuchtes Handtuch eine ausgezeichnete japanische Kultur ist.

Als der Norweger immer noch mit den Fingern aß und sich mit einem Tischtuch die Hände und den Mund abwischte, brachte Japan Air Lines, die zum internationalen Flug debütierte, erstmals ein feuchtes Handtuch zum Service.

Was die Welt anbelangt, so war es erstaunt, wie cool und mit welcher Fluggesellschaft sie konkurrierten.

Ich glaube, dass Braathens Aviation, die im Hinterland fliegt, ein kleines feuchtes Tuch kannte.

Es war ein Schock, als sie es zum ersten Mal berührten. Deshalb haben sie sich einen solchen Werbespot ausgedacht.

Nur gibt es ein Rassismus-Bewusstsein, das schwer herauszuziehen ist.

Es kam mit der Einstellung "Die barbarischen Japaner kennen noch kein feuchtes Handtuch".

Bei den Norwegern überschritt die Unwissenheit einen gewissen Grad und die Verachtung der Japaner überschritt gleichzeitig den Grad.

Herr Tanaka hat darauf jedoch nicht hingewiesen.

Dieser Entwurf geht weiter.