文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

It is a serious trouble to those who go out to the United Nations to defeat Japan.

2018年12月26日 17時53分06秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Kent

It was possible because it was economically stable, is not it?

The depth of affection for animals is very Japanese.

Hyakuta

I agree.

Japanese tend to think of animals as family rather than domestic animals.

Regarding dogs, this story of British diplomat Alcock is also transmitted.

He was a man who played an active part in the Shimonoseki war when Chōshū Domain with the UK and others, but while it was writing a lot of abuse that Japanese officials of the negotiating opponent were lax, the view towards the common people was different.

At one time Alcock lost his dog on his journey.

He asked the Lord of the inn for burial, not only buried in the garden gracefully but also many people grieved as if they had lost their families.

He was totally impressed and wrote 'How kind-hearted people they are'.

Abbreviation.

Japanese people who do not know the wonder of Japanese history

Hyakuta

I think so too. Well, I am writing ‘Nippon Kokki’ and it is embarrassing to say in front of Mr. Kent, but I thought ‘Japan is amazing. It's the best.’

Kent

I think so too.

However, it is very sad that Japanese citizens do not realize the wonder of this long history, do they?

On the contrary, some Japanese are planning to make Japan's history poor.

It is a serious trouble to those who go out to the United Nations to defeat Japan.

This draft continues.


Japanese people who do not know the wonder of Japanese history

2018年12月26日 17時51分36秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Kent

It was possible because it was economically stable, is not it?

The depth of affection for animals is very Japanese.

Hyakuta

I agree.

Japanese tend to think of animals as family rather than domestic animals.

Regarding dogs, this story of British diplomat Alcock is also transmitted.

He was a man who played an active part in the Shimonoseki war when Chōshū Domain with the UK and others, but while it was writing a lot of abuse that Japanese officials of the negotiating opponent were lax, the view towards the common people was different.

At one time Alcock lost his dog on his journey.

He asked the Lord of the inn for burial, not only buried in the garden gracefully but also many people grieved as if they had lost their families.

He was totally impressed and wrote 'How kind-hearted people they are'.

Abbreviation.

Japanese people who do not know the wonder of Japanese history

Hyakuta

I think so too. Well, I am writing ‘Nippon Kokki’ and it is embarrassing to say in front of Mr. Kent, but I thought ‘Japan is amazing. It's the best.’

Kent

I think so too.

However, it is very sad that Japanese citizens do not realize the wonder of this long history, do they?

On the contrary, some Japanese are planning to make Japan's history poor.

It is a serious trouble to those who go out to the United Nations to defeat Japan.

This draft continues.


Regarding dogs, this story of British diplomat Alcock is also transmitted.

2018年12月26日 17時50分07秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Kent

It was possible because it was economically stable, is not it?

The depth of affection for animals is very Japanese.

Hyakuta

I agree.

Japanese tend to think of animals as family rather than domestic animals.

Regarding dogs, this story of British diplomat Alcock is also transmitted.

He was a man who played an active part in the Shimonoseki war when Chōshū Domain with the UK and others, but while it was writing a lot of abuse that Japanese officials of the negotiating opponent were lax, the view towards the common people was different.

At one time Alcock lost his dog on his journey.

He asked the Lord of the inn for burial, not only buried in the garden gracefully but also many people grieved as if they had lost their families.

He was totally impressed and wrote 'How kind-hearted people they are'.

Abbreviation.

Japanese people who do not know the wonder of Japanese history

Hyakuta

I think so too. Well, I am writing ‘Nippon Kokki’ and it is embarrassing to say in front of Mr. Kent, but I thought ‘Japan is amazing. It's the best.’

Kent

I think so too.

However, it is very sad that Japanese citizens do not realize the wonder of this long history, do they?

On the contrary, some Japanese are planning to make Japan's history poor.

It is a serious trouble to those who go out to the United Nations to defeat Japan.

This draft continues.


Japanese tend to think of animals as family rather than domestic animals.

2018年12月26日 17時48分53秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Kent

It was possible because it was economically stable, is not it?

The depth of affection for animals is very Japanese.

Hyakuta

I agree.

Japanese tend to think of animals as family rather than domestic animals.

Regarding dogs, this story of British diplomat Alcock is also transmitted.

He was a man who played an active part in the Shimonoseki war when Chōshū Domain with the UK and others, but while it was writing a lot of abuse that Japanese officials of the negotiating opponent were lax, the view towards the common people was different.

At one time Alcock lost his dog on his journey.

He asked the Lord of the inn for burial, not only buried in the garden gracefully but also many people grieved as if they had lost their families.

He was totally impressed and wrote 'How kind-hearted people they are'.

Abbreviation.

Japanese people who do not know the wonder of Japanese history

Hyakuta

I think so too. Well, I am writing ‘Nippon Kokki’ and it is embarrassing to say in front of Mr. Kent, but I thought ‘Japan is amazing. It's the best.’

Kent

I think so too.

However, it is very sad that Japanese citizens do not realize the wonder of this long history, do they?

On the contrary, some Japanese are planning to make Japan's history poor.

It is a serious trouble to those who go out to the United Nations to defeat Japan.

This draft continues.


これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、

2018年12月26日 17時09分06秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。

これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。

2018年12月26日 17時08分04秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。

これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ

2018年12月26日 17時06分55秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。

これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

2018年12月26日 17時05分36秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。

2018年12月26日 17時04分38秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

2018年12月26日 17時03分08秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて

2018年12月26日 17時01分54秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。食べ物はどうしたか。

2018年12月26日 17時00分42秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

2018年12月26日 16時59分06秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた

2018年12月26日 16時56分37秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は特に私たちを馬鹿にした言語道断なCMを制作したブローテン航空と、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中の言語道断で戯けた態様に対して日本の真実を知らせるために行い発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。


私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は、特に

2018年12月26日 16時52分03秒 | 日記

以下は本日発売された月刊誌「正論」の巻頭に、「日本人よ,歴史をとり戻せ」、と題して掲載されている百田尚樹とケント・ギルバー卜の対談特集からである。

私が文明のターンテーブルを世界に発信しているのは、日本と世界をrectifyし、文明のターンテーブルを進展させるためであるが、この章の英訳は、特に、私たちを馬鹿にしたridiculousでoutrageousなCMを制作したBraathens Regional Airwaysと、このCMに対して全員一致で金メダルを与えた(日本人の電通の田中さんを含む)連中のridiculousでoutrageousな態様に対して、日本の真実を知らせるために、行い、発信するものである。

前文省略。

ケント 

アメリカのWASP(アングロサクソン・プロテスタントの白人)もそのように考える人が多いですよ。

彼らもあんまり贅沢をしてはならないという価値観を持っています。ですが、そのような考え方では国の経済を活発化させることはできません。

今の日本のお年寄りがお金を貯め込んでいるのは美徳かもしれませんが、国家経済にとっては最悪です。 

百田 

江戸の景気は8代将軍・徳川吉宗の緊縮財政によってすっかり落ち込みました。

逆に吉宗のことが嫌いだった尾張藩主の徳川宗春は、将軍家に反発するかのようにぼんぼんぼんぼんお金を使いました。

その結果、名古屋は空前の繁栄を享受したのですが、お金をどんどん使うのはある意味、経済を復興させるんですよね。 

ケント 

参勤交代も内需拡大政策として最高ですよ。

あれのお陰で、文化も江戸から地方へと均等に行き渡りました。

犬が「お伊勢参り」できた江戸時代 

百田 

その通りですね。参勤交代のお陰で日本中の街道がすごく整備されて、地方の宿場町が繁栄しました。

宿場町と街道の話で思い出しましたが、この本で書いた「犬のお伊勢参り」について少し紹介させて下さい。

とても良い話なので。 

江戸時代はあらゆる街道が整備されたので、一般庶民が積極的に日本中を旅するようになりました。

一番の人気が「お伊勢参り」で、一生に一度は伊勢神宮に行くもんだという風習が広まりました。

ところが中には、年老いて、足が弱って、とてもじゃないが伊勢まで行けないという人たちもいました。

そんな人たちがやった驚くべきことが、自分の代わりに飼い犬を伊勢へと送り出すということでした。 

普通ならとても不可能に思えますが、当時の旅人たちが、「途中まで一緒やから」と連れて歩いてくれたのです。

食べ物はどうしたか。

首の巻物の中にはお賽銭や自宅の住所が書かれた何かの他に、飼い主がお金も入れていたので、宿場の人たちが「お伊勢参りに行くんだね。偉いね」と言うて、お金をちょっとだけ取り出して、餌を与えてくれました。

そうやって犬は今の三重県までテクテク向かうわけです。

そして、伊勢神宮の内宮と外宮に参拝し、お札を巻物に入れてもらってから帰る。

こうして飼い主のところへ無事戻ったという記録がたくさん残っています。 

ケント 

面白いね。代理参拝ですね。 

百田 

こういうことがあった国は、おそらく他にはないやろうなと思います。 

ケント 

ないない。第一、最初の宿場でお金を誰かに奪われているでしょう(笑)。 

百田 

確実にね。そしてその犬も食われている(笑)。

でも、江戸時代はお金が盗まれるどころか、多くの人が「偉いね、賢いね」と言うて、逆に犬にお金をあげたのです。

すると、首の巻物がお金で重くなり、犬は歩けなくなってしまいます。そうするとまた親切な人が「軽い銀に替えてあげよう」つて言うて、両替してくれるんですよ。

そんなこんなで、飼い主の元に戻った頃には犬は丸々と太っていたといいます(笑)。 

中には、豚が伊勢参りをしたという話もあるんですよ。

記録を読むと、さすがにこれは非常に珍しいと書いてあります(笑)。これらの「動物のお伊勢参り」の話は、江戸時代の日本人の民度の高さ、動物を可愛がる優しさ、信心深さが凝縮されているエピソードなので、僕はどうしても『日本国紀』に入れなあかんと思いました。

この稿続く。