文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

George Harrison - Beware Of Darkness - Lyrics

2018年12月27日 23時09分02秒 | 日記

George Harrison - Beware Of Darkness - Lyrics

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George Harrison-Give Me Love (Give Me Peace On Earth)

2018年12月27日 23時07分04秒 | 日記

George Harrison-Give Me Love (Give Me Peace On Earth)

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「丁寧に反日」ですか。性格が悪いのでしょうか。*人柄が信用できないとは、こういう人間達の事を言うのである。つまりは彼らに与しているメディアの人間達全員

2018年12月27日 15時59分38秒 | 日記

以下は前章の続きである。

西岡 

朴慶植という在日朝鮮人学者がいます。

当時、朝鮮大学校という朝鮮総連の持っている自称大学校、法的には各種学校の教授だった人です。

彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。 

櫻井 

朴慶植、「慰安婦狩り」をしたと虚偽発言をした吉田清治、この2人が連係プレーをしているかのように見えないこともない。

朴慶植の表現を吉田清治が借りる形で、彼自身の本に書いている。 

西岡 

参考にしたからじゃないですかね。

1959(昭和34)年に出された最初の『出入国管理白書』、それは閣議決定されたものなのですけれども、そこには戦時労働者についてこう書いてある。 

〈戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6ヵ月余りであった)。14年9月以降、日本内地に募集された労務者は、63万5千余人となるが、そのうち契約期間がすぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にその事業現場にいたものは、32万2千余人であった。このほかに軍人・軍属として日本内地にいたものが終戦時に約11万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約200万を数えた〉 

政府の持つ様々な統計や資料を駆使した実証研究の到達点です。

朴慶植氏らが65年にやろうとしたのは、

当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を持ってきたのです。

造語ですよ。当時なかったのですから。 

櫻井 

そこから強制連行という説が前面に打ち出され始めたわけですね。 西岡 

800万人強制連行して、20万人性奴隷として使ったというのですね。

櫻井 

800万人という途方もない数字の根拠は何なのですか。 

西岡 

日本に連れてきた人たちだけではなくて、朝鮮の中で工場とか現場で働かせている人、令部を入れるとね、そういう数字があるのだけれども、普通にみんな戦争で協力したというだけの話ですけれども。

強制連行ではないのです。朝鮮の中ですからね。 

櫻井 

いわゆる官斡旋に入る前の募集で、朝鮮半島の人達が日本に働きに来る、その時期のことですけれども、不正渡航がすごくあって、1万9000人を追い返したという記録が残っています。

戦争が終わった時も、日本の混乱の中で、みんな一時期朝鮮半島に帰るのだけれども、密航して戻ってきている人たちがあまりにも多い。

アメリカの記録の中に、これだけ多くの人を追い返したという数字があります。 

西岡 

朴慶摧さんの資料集に入っている当時の警察の調書を見るとね、昭和20年に徴用されて大阪から逃げて東京に来た人の話が書いてあるのですけれども、朝鮮人の親方の飯場に行くとね、濁酒を飲ませてくれたと。

別の飯場に行ったら今度は牛肉を食べていた。 

でも、日本の学者の人たちはね、一生懸命読んで、日本にとって不都合な所だけを論文に書くのですよね。

間違ってはいないけれども偏っていますね。

韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。 

櫻井 

「丁寧に反日」ですか。性格が悪いのでしょうか。*人柄が信用できないとは、こういう人間達の事を言うのである。つまりは彼らに与しているメディアの人間達全員と言っても過言ではない。*

徴用工の問題では、日本企業は未払い賃金が出ないように、供託金を積み立てるとかしています。

日本政府も日韓請求権交渉の中で、たびたび日本側が労働者1人1人にちゃんと補償を払いますとか、未払い賃金を払いますから、ここで名簿をつき合わせてお互いに誰と誰に払うべきか、調査して払うべき人には払いましょうというやりとりがなされているわけですけれども、無視されている。

西岡さん、日韓の歴史を振り返ると、日本企業は一生懸命にやったし、日本政府も不十分かもしれないけれども、結構やったでしょう。

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韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。

2018年12月27日 15時51分31秒 | 日記

以下は前章の続きである。

西岡 

朴慶植という在日朝鮮人学者がいます。

当時、朝鮮大学校という朝鮮総連の持っている自称大学校、法的には各種学校の教授だった人です。

彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。 

櫻井 

朴慶植、「慰安婦狩り」をしたと虚偽発言をした吉田清治、この2人が連係プレーをしているかのように見えないこともない。

朴慶植の表現を吉田清治が借りる形で、彼自身の本に書いている。 

西岡 

参考にしたからじゃないですかね。

1959(昭和34)年に出された最初の『出入国管理白書』、それは閣議決定されたものなのですけれども、そこには戦時労働者についてこう書いてある。 

〈戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6ヵ月余りであった)。14年9月以降、日本内地に募集された労務者は、63万5千余人となるが、そのうち契約期間がすぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にその事業現場にいたものは、32万2千余人であった。このほかに軍人・軍属として日本内地にいたものが終戦時に約11万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約200万を数えた〉 

政府の持つ様々な統計や資料を駆使した実証研究の到達点です。

朴慶植氏らが65年にやろうとしたのは、

当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を持ってきたのです。

造語ですよ。当時なかったのですから。 

櫻井 

そこから強制連行という説が前面に打ち出され始めたわけですね。 西岡 

800万人強制連行して、20万人性奴隷として使ったというのですね。

櫻井 

800万人という途方もない数字の根拠は何なのですか。 

西岡 

日本に連れてきた人たちだけではなくて、朝鮮の中で工場とか現場で働かせている人、令部を入れるとね、そういう数字があるのだけれども、普通にみんな戦争で協力したというだけの話ですけれども。

強制連行ではないのです。朝鮮の中ですからね。 

櫻井 

いわゆる官斡旋に入る前の募集で、朝鮮半島の人達が日本に働きに来る、その時期のことですけれども、不正渡航がすごくあって、1万9000人を追い返したという記録が残っています。

戦争が終わった時も、日本の混乱の中で、みんな一時期朝鮮半島に帰るのだけれども、密航して戻ってきている人たちがあまりにも多い。

アメリカの記録の中に、これだけ多くの人を追い返したという数字があります。 

西岡 

朴慶摧さんの資料集に入っている当時の警察の調書を見るとね、昭和20年に徴用されて大阪から逃げて東京に来た人の話が書いてあるのですけれども、朝鮮人の親方の飯場に行くとね、濁酒を飲ませてくれたと。

別の飯場に行ったら今度は牛肉を食べていた。 

でも、日本の学者の人たちはね、一生懸命読んで、日本にとって不都合な所だけを論文に書くのですよね。

間違ってはいないけれども偏っていますね。

韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。 

櫻井 

「丁寧に反日」ですか。

性格が悪いのでしょうか。

徴用工の問題では、日本企業は未払い賃金が出ないように、供託金を積み立てるとかしています。

日本政府も日韓請求権交渉の中で、たびたび日本側が労働者I人I人にちゃんと補償を払いますとか、未払い賃金を払いますから、ここで名簿をつき合わせてお互いに誰と誰に払うべきか、調査して払うべき人には払いましょうというやりとりがなされているわけですけれども、無視されている。

西岡さん、日韓の歴史を振り返ると、日本企業は一生懸命にやったし、日本政府も不十分かもしれないけれども、結構やったでしょう。

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当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を

2018年12月27日 15時50分08秒 | 日記

以下は前章の続きである。

西岡 

朴慶植という在日朝鮮人学者がいます。

当時、朝鮮大学校という朝鮮総連の持っている自称大学校、法的には各種学校の教授だった人です。

彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。 

櫻井 

朴慶植、「慰安婦狩り」をしたと虚偽発言をした吉田清治、この2人が連係プレーをしているかのように見えないこともない。

朴慶植の表現を吉田清治が借りる形で、彼自身の本に書いている。 

西岡 

参考にしたからじゃないですかね。

1959(昭和34)年に出された最初の『出入国管理白書』、それは閣議決定されたものなのですけれども、そこには戦時労働者についてこう書いてある。 

〈戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6ヵ月余りであった)。14年9月以降、日本内地に募集された労務者は、63万5千余人となるが、そのうち契約期間がすぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にその事業現場にいたものは、32万2千余人であった。このほかに軍人・軍属として日本内地にいたものが終戦時に約11万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約200万を数えた〉 

政府の持つ様々な統計や資料を駆使した実証研究の到達点です。

朴慶植氏らが65年にやろうとしたのは、

当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を持ってきたのです。

造語ですよ。当時なかったのですから。 

櫻井 

そこから強制連行という説が前面に打ち出され始めたわけですね。 西岡 

800万人強制連行して、20万人性奴隷として使ったというのですね。

櫻井 

800万人という途方もない数字の根拠は何なのですか。 

西岡 

日本に連れてきた人たちだけではなくて、朝鮮の中で工場とか現場で働かせている人、令部を入れるとね、そういう数字があるのだけれども、普通にみんな戦争で協力したというだけの話ですけれども。

強制連行ではないのです。朝鮮の中ですからね。 

櫻井 

いわゆる官斡旋に入る前の募集で、朝鮮半島の人達が日本に働きに来る、その時期のことですけれども、不正渡航がすごくあって、1万9000人を追い返したという記録が残っています。

戦争が終わった時も、日本の混乱の中で、みんな一時期朝鮮半島に帰るのだけれども、密航して戻ってきている人たちがあまりにも多い。

アメリカの記録の中に、これだけ多くの人を追い返したという数字があります。 

西岡 

朴慶摧さんの資料集に入っている当時の警察の調書を見るとね、昭和20年に徴用されて大阪から逃げて東京に来た人の話が書いてあるのですけれども、朝鮮人の親方の飯場に行くとね、濁酒を飲ませてくれたと。

別の飯場に行ったら今度は牛肉を食べていた。 

でも、日本の学者の人たちはね、一生懸命読んで、日本にとって不都合な所だけを論文に書くのですよね。

間違ってはいないけれども偏っていますね。

韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。 

櫻井 

「丁寧に反日」ですか。

性格が悪いのでしょうか。

徴用工の問題では、日本企業は未払い賃金が出ないように、供託金を積み立てるとかしています。

日本政府も日韓請求権交渉の中で、たびたび日本側が労働者I人I人にちゃんと補償を払いますとか、未払い賃金を払いますから、ここで名簿をつき合わせてお互いに誰と誰に払うべきか、調査して払うべき人には払いましょうというやりとりがなされているわけですけれども、無視されている。

西岡さん、日韓の歴史を振り返ると、日本企業は一生懸命にやったし、日本政府も不十分かもしれないけれども、結構やったでしょう。

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19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった

2018年12月27日 15時48分22秒 | 日記

以下は前章の続きである。

西岡 

朴慶植という在日朝鮮人学者がいます。

当時、朝鮮大学校という朝鮮総連の持っている自称大学校、法的には各種学校の教授だった人です。

彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。 

櫻井 

朴慶植、「慰安婦狩り」をしたと虚偽発言をした吉田清治、この2人が連係プレーをしているかのように見えないこともない。

朴慶植の表現を吉田清治が借りる形で、彼自身の本に書いている。 

西岡 

参考にしたからじゃないですかね。

1959(昭和34)年に出された最初の『出入国管理白書』、それは閣議決定されたものなのですけれども、そこには戦時労働者についてこう書いてある。 

〈戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6ヵ月余りであった)。 

14年9月以降、日本内地に募集された労務者は、63万5千余人となるが、そのうち契約期間がすぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にその事業現場にいたものは、32万2千余人であった。このほかに軍人・軍属として日本内地にいたものが終戦時に約11万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約200万を数えた〉 

政府の持つ様々な統計や資料を駆使した実証研究の到達点です。

朴慶植氏らが65年にやろうとしたのは、

当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を持ってきたのです。

造語ですよ。当時なかったのですから。 

櫻井 

そこから強制連行という説が前面に打ち出され始めたわけですね。 西岡 

800万人強制連行して、20万人性奴隷として使ったというのですね。

櫻井 

800万人という途方もない数字の根拠は何なのですか。 

西岡 

日本に連れてきた人たちだけではなくて、朝鮮の中で工場とか現場で働かせている人、令部を入れるとね、そういう数字があるのだけれども、普通にみんな戦争で協力したというだけの話ですけれども。

強制連行ではないのです。朝鮮の中ですからね。 

櫻井 

いわゆる官斡旋に入る前の募集で、朝鮮半島の人達が日本に働きに来る、その時期のことですけれども、不正渡航がすごくあって、1万9000人を追い返したという記録が残っています。

戦争が終わった時も、日本の混乱の中で、みんな一時期朝鮮半島に帰るのだけれども、密航して戻ってきている人たちがあまりにも多い。

アメリカの記録の中に、これだけ多くの人を追い返したという数字があります。 

西岡 

朴慶摧さんの資料集に入っている当時の警察の調書を見るとね、昭和20年に徴用されて大阪から逃げて東京に来た人の話が書いてあるのですけれども、朝鮮人の親方の飯場に行くとね、濁酒を飲ませてくれたと。

別の飯場に行ったら今度は牛肉を食べていた。 

でも、日本の学者の人たちはね、一生懸命読んで、日本にとって不都合な所だけを論文に書くのですよね。

間違ってはいないけれども偏っていますね。

韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。 

櫻井 

「丁寧に反日」ですか。

性格が悪いのでしょうか。

徴用工の問題では、日本企業は未払い賃金が出ないように、供託金を積み立てるとかしています。

日本政府も日韓請求権交渉の中で、たびたび日本側が労働者I人I人にちゃんと補償を払いますとか、未払い賃金を払いますから、ここで名簿をつき合わせてお互いに誰と誰に払うべきか、調査して払うべき人には払いましょうというやりとりがなされているわけですけれども、無視されている。

西岡さん、日韓の歴史を振り返ると、日本企業は一生懸命にやったし、日本政府も不十分かもしれないけれども、結構やったでしょう。

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戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、

2018年12月27日 15時47分03秒 | 日記

以下は前章の続きである。

西岡 

朴慶植という在日朝鮮人学者がいます。

当時、朝鮮大学校という朝鮮総連の持っている自称大学校、法的には各種学校の教授だった人です。

彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。 

櫻井 

朴慶植、「慰安婦狩り」をしたと虚偽発言をした吉田清治、この2人が連係プレーをしているかのように見えないこともない。

朴慶植の表現を吉田清治が借りる形で、彼自身の本に書いている。 

西岡 

参考にしたからじゃないですかね。

1959(昭和34)年に出された最初の『出入国管理白書』、それは閣議決定されたものなのですけれども、そこには戦時労働者についてこう書いてある。 

〈戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6ヵ月余りであった)。 

14年9月以降、日本内地に募集された労務者は、63万5千余人となるが、そのうち契約期間がすぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にその事業現場にいたものは、32万2千余人であった。このほかに軍人・軍属として日本内地にいたものが終戦時に約11万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約200万を数えた〉 

政府の持つ様々な統計や資料を駆使した実証研究の到達点です。

朴慶植氏らが65年にやろうとしたのは、

当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を持ってきたのです。

造語ですよ。当時なかったのですから。 

櫻井 

そこから強制連行という説が前面に打ち出され始めたわけですね。 西岡 

800万人強制連行して、20万人性奴隷として使ったというのですね。

櫻井 

800万人という途方もない数字の根拠は何なのですか。 

西岡 

日本に連れてきた人たちだけではなくて、朝鮮の中で工場とか現場で働かせている人、令部を入れるとね、そういう数字があるのだけれども、普通にみんな戦争で協力したというだけの話ですけれども。

強制連行ではないのです。朝鮮の中ですからね。 

櫻井 

いわゆる官斡旋に入る前の募集で、朝鮮半島の人達が日本に働きに来る、その時期のことですけれども、不正渡航がすごくあって、1万9000人を追い返したという記録が残っています。

戦争が終わった時も、日本の混乱の中で、みんな一時期朝鮮半島に帰るのだけれども、密航して戻ってきている人たちがあまりにも多い。

アメリカの記録の中に、これだけ多くの人を追い返したという数字があります。 

西岡 

朴慶摧さんの資料集に入っている当時の警察の調書を見るとね、昭和20年に徴用されて大阪から逃げて東京に来た人の話が書いてあるのですけれども、朝鮮人の親方の飯場に行くとね、濁酒を飲ませてくれたと。

別の飯場に行ったら今度は牛肉を食べていた。 

でも、日本の学者の人たちはね、一生懸命読んで、日本にとって不都合な所だけを論文に書くのですよね。

間違ってはいないけれども偏っていますね。

韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。 

櫻井 

「丁寧に反日」ですか。

性格が悪いのでしょうか。

徴用工の問題では、日本企業は未払い賃金が出ないように、供託金を積み立てるとかしています。

日本政府も日韓請求権交渉の中で、たびたび日本側が労働者I人I人にちゃんと補償を払いますとか、未払い賃金を払いますから、ここで名簿をつき合わせてお互いに誰と誰に払うべきか、調査して払うべき人には払いましょうというやりとりがなされているわけですけれども、無視されている。

西岡さん、日韓の歴史を振り返ると、日本企業は一生懸命にやったし、日本政府も不十分かもしれないけれども、結構やったでしょう。

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彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。

2018年12月27日 15時41分28秒 | 日記

以下は前章の続きである。

西岡 

朴慶植という在日朝鮮人学者がいます。

当時、朝鮮大学校という朝鮮総連の持っている自称大学校、法的には各種学校の教授だった人です。

彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。 

櫻井 

朴慶植、「慰安婦狩り」をしたと虚偽発言をした吉田清治、この2人が連係プレーをしているかのように見えないこともない。

朴慶植の表現を吉田清治が借りる形で、彼自身の本に書いている。 西岡 

参考にしたからじゃないですかね。

1959(昭和34)年に出された最初の『出入国管理白書』、それは閣議決定されたものなのですけれども、そこには戦時労働者についてこう書いてある。 

〈戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6ヵ月余りであった)。 

14年9月以降、日本内地に募集された労務者は、63万5千余人となるが、そのうち契約期間がすぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にその事業現場にいたものは、32万2千余人であった。このほかに軍人・軍属として日本内地にいたものが終戦時に約11万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約200万を数えた〉 

政府の持つ様々な統計や資料を駆使した実証研究の到達点です。

朴慶植氏らが65年にやろうとしたのは、

当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を持ってきたのです。

造語ですよ。当時なかったのですから。 

櫻井 

そこから強制連行という説が前面に打ち出され始めたわけですね。 西岡 

800万人強制連行して、20万人性奴隷として使ったというのですね。

櫻井 

800万人という途方もない数字の根拠は何なのですか。 

西岡 

日本に連れてきた人たちだけではなくて、朝鮮の中で工場とか現場で働かせている人、令部を入れるとね、そういう数字があるのだけれども、普通にみんな戦争で協力したというだけの話ですけれども。

強制連行ではないのです。朝鮮の中ですからね。 

櫻井 

いわゆる官斡旋に入る前の募集で、朝鮮半島の人達が日本に働きに来る、その時期のことですけれども、不正渡航がすごくあって、1万9000人を追い返したという記録が残っています。

戦争が終わった時も、日本の混乱の中で、みんな一時期朝鮮半島に帰るのだけれども、密航して戻ってきている人たちがあまりにも多い。

アメリカの記録の中に、これだけ多くの人を追い返したという数字があります。 

西岡 

朴慶摧さんの資料集に入っている当時の警察の調書を見るとね、昭和20年に徴用されて大阪から逃げて東京に来た人の話が書いてあるのですけれども、朝鮮人の親方の飯場に行くとね、濁酒を飲ませてくれたと。

別の飯場に行ったら今度は牛肉を食べていた。 

でも、日本の学者の人たちはね、一生懸命読んで、日本にとって不都合な所だけを論文に書くのですよね。

間違ってはいないけれども偏っていますね。

韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。 

櫻井 

「丁寧に反日」ですか。

性格が悪いのでしょうか。

徴用工の問題では、日本企業は未払い賃金が出ないように、供託金を積み立てるとかしています。

日本政府も日韓請求権交渉の中で、たびたび日本側が労働者I人I人にちゃんと補償を払いますとか、未払い賃金を払いますから、ここで名簿をつき合わせてお互いに誰と誰に払うべきか、調査して払うべき人には払いましょうというやりとりがなされているわけですけれども、無視されている。

西岡さん、日韓の歴史を振り返ると、日本企業は一生懸命にやったし、日本政府も不十分かもしれないけれども、結構やったでしょう。

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そのようなことを、驚くことに、韓国人や中国人よりも先に日本人がしています。そのことをもっと知らないといけないと思うのです。

2018年12月27日 15時35分11秒 | 日記

先日、発売された月刊誌正論は、新春特大号と銘打って940円で発行しただけあって、日本国民全員が購読しなければならない論文が満載されている。

朝日新聞は(本来は廃刊されているべき新聞)彼らが行って来た所業に対する当然の報いとして今や断末魔の状態にある…その結果、私が購読していた4年前の8月までは月間5,000円超だった購読料が、今、ネットで確認してみたら4.037円、毎日新聞と全く同額と記載されていた。

それでも、その金額を払っても、絶対的に知る事が出来ない真実、本物の論文が、月刊誌正論の新春特大号には満載されているのである。

私は、そのすべてを英訳して世界に発信したいのだが、いかんせん、手が足りない。

私の同級生等が、是非、それぞれに、これは世界も知るべきと思った記事を英訳して世界に発信して頂きたいものである。

以下は、徴用工訴訟のカラクリを暴く!と題して、掲載された櫻井よしこさんと西岡力氏の対談特集からであるが、日本人全員が読まなければならない事は言うまでもない。

櫻井 

朝鮮人戦時労働者の問題について韓国大法院、最高裁判所は10月30日に新日鉄住金に、それから1ヵ月後の11月29日には三菱重工に損害賠償を確定させる判決を下しました。

他にも約70社の日本企業が訴えられています。

資産差し押さえのリスクも出てきました。 

西岡さんは徴用工と言われた新日鉄住金の4人の原告が実は徴用工ではなかったという事実を最初に見つけましたね。 

西岡 

原告の人たちは普通に日本に来て、企業で働いて、給料をもらって、あるいは給料を貯金していたかもしれません。

未払いがあれば精算する機会が2回もあった。

それでも帰国して怪我もしていないし、死んだわけでもない。

韓国でもその人たちに慰謝料は払っていない。

しかし、判決では「朝鮮半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に対する慰謝料が発生する」と言っているのです。 

櫻井 

慰謝料と言うのであれば、誰だって「私も慰謝料をもらう、心の傷がある」と言いかねません。 

西岡 

日本語を強制されたから慰謝料が発生する、あるいは神社参拝をさせられたから慰謝料が発生する、名前を変えさせられたから慰謝料が発生するという論理が全部通用する議論です。

日本政府は一度も不法だと言っていないのです。

そのことを知った上で韓国は1965(昭和40)年に粂約一協定を結び年間予算に匹敵する3億ドルの提供を受けた。

それを今になってひっくり返そうとする不当判決です。

北朝鮮も事態の行方に注目 

櫻井 

どう考えても不条理なはなしですが、日本がどう対応するかを北朝鮮はじっと見ているわけです。

慰謝料が認められるのだったら、自分たちも、と言ってくるのは必定でしょう。 

西岡 

2002(平成14)年に北朝鮮を初めて訪れた小泉純一郎首相の時は100億ドル(約1兆円)だったが、最近それにあと100億ドルは慰謝料で、200億ドル(約2兆円)になるということを言っているという内部情報があります。 

櫻井 

またもや歴史が曲げられる。

朝鮮人戦時労働者問題でも慰安婦問題でも、事実に基づいて発信しようとすると、それを歴史修正主義だなどと論難して自由な言論を封じ込めようとする動きがあります。

そのようなことを、驚くことに、韓国人や中国人よりも先に日本人がしています。

そのことをもっと知らないといけないと思うのです。 

西岡 

国連に最初に慰安婦問題を持ち込んだのは戸塚悦朗弁護士です。

92年の2月に最初に「性奴隷―Sex Slave」という言葉を作ったのだと、堂々と私の業績だと本に書いています。 

櫻井 

じわりと攻め込んで来るというか、囲み込むというか、それが彼らの手法ですね。

巧妙ですから、それに気がつかない人も沢山いるのですが、そんなことは言っていられません。

彼らの歴史修正に気がついて、反撃しなくてはいけない所に私たちは立っています。 

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それでも、その金額を払っても、絶対的に知る事が出来ない真実、本物の論文が、月刊誌正論の新春特大号には満載されているのである

2018年12月27日 15時32分47秒 | 日記

先日、発売された月刊誌正論は、新春特大号と銘打って940円で発行しただけあって、日本国民全員が購読しなければならない論文が満載されている。

朝日新聞は(本来は廃刊されているべき新聞)彼らが行って来た所業に対する当然の報いとして今や断末魔の状態にある…その結果、私が購読していた4年前の8月までは月間5,000円超だった購読料が、今、ネットで確認してみたら4.037円、毎日新聞と全く同額と記載されていた。

それでも、その金額を払っても、絶対的に知る事が出来ない真実、本物の論文が、月刊誌正論の新春特大号には満載されているのである。

私は、そのすべてを英訳して世界に発信したいのだが、いかんせん、手が足りない。

私の同級生等が、是非、それぞれに、これは世界も知るべきと思った記事を英訳して世界に発信して頂きたいものである。

以下は、徴用工訴訟のカラクリを暴く!と題して、掲載された櫻井よしこさんと西岡力氏の対談特集からであるが、日本人全員が読まなければならない事は言うまでもない。

櫻井 

朝鮮人戦時労働者の問題について韓国大法院、最高裁判所は10月30日に新日鉄住金に、それから1ヵ月後の11月29日には三菱重工に損害賠償を確定させる判決を下しました。

他にも約70社の日本企業が訴えられています。

資産差し押さえのリスクも出てきました。 

西岡さんは徴用工と言われた新日鉄住金の4人の原告が実は徴用工ではなかったという事実を最初に見つけましたね。 

西岡 

原告の人たちは普通に日本に来て、企業で働いて、給料をもらって、あるいは給料を貯金していたかもしれません。

未払いがあれば精算する機会が2回もあった。

それでも帰国して怪我もしていないし、死んだわけでもない。

韓国でもその人たちに慰謝料は払っていない。

しかし、判決では「朝鮮半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に対する慰謝料が発生する」と言っているのです。 

櫻井 

慰謝料と言うのであれば、誰だって「私も慰謝料をもらう、心の傷がある」と言いかねません。 

西岡 

日本語を強制されたから慰謝料が発生する、あるいは神社参拝をさせられたから慰謝料が発生する、名前を変えさせられたから慰謝料が発生するという論理が全部通用する議論です。

日本政府は一度も不法だと言っていないのです。

そのことを知った上で韓国は1965(昭和40)年に粂約一協定を結び年間予算に匹敵する3億ドルの提供を受けた。

それを今になってひっくり返そうとする不当判決です。

北朝鮮も事態の行方に注目 

櫻井 

どう考えても不条理なはなしですが、日本がどう対応するかを北朝鮮はじっと見ているわけです。

慰謝料が認められるのだったら、自分たちも、と言ってくるのは必定でしょう。 

西岡 

2002(平成14)年に北朝鮮を初めて訪れた小泉純一郎首相の時は100億ドル(約1兆円)だったが、最近それにあと100億ドルは慰謝料で、200億ドル(約2兆円)になるということを言っているという内部情報があります。 

櫻井 

またもや歴史が曲げられる。

朝鮮人戦時労働者問題でも慰安婦問題でも、事実に基づいて発信しようとすると、それを歴史修正主義だなどと論難して自由な言論を封じ込めようとする動きがあります。

そのようなことを、驚くことに、韓国人や中国人よりも先に日本人がしています。

そのことをもっと知らないといけないと思うのです。 

西岡 

国連に最初に慰安婦問題を持ち込んだのは戸塚悦朗弁護士です。

92年の2月に最初に「性奴隷―Sex Slave」という言葉を作ったのだと、堂々と私の業績だと本に書いています。 

櫻井 

じわりと攻め込んで来るというか、囲み込むというか、それが彼らの手法ですね。

巧妙ですから、それに気がつかない人も沢山いるのですが、そんなことは言っていられません。

彼らの歴史修正に気がついて、反撃しなくてはいけない所に私たちは立っています。 

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先日、発売された月刊誌正論は、新春特大号と銘打って940円で発行しただけあって、日本国民全員が購読しなければならない論文が満載されている

2018年12月27日 15時31分03秒 | 日記

先日、発売された月刊誌正論は、新春特大号と銘打って940円で発行しただけあって、日本国民全員が購読しなければならない論文が満載されている。

朝日新聞は(本来は廃刊されているべき新聞)彼らが行って来た所業に対する当然の報いとして、今や断末魔の状態にある…その結果、私が購読していた4年前の8月までは月間5,000円超だった購読料が、今、ネットで確認してみたら4.037円、毎日新聞と全く同額と記載されていた。

それでも、その金額を払っても、絶対的に知る事が出来ない真実、本物の論文が、月刊誌正論の新春特大号には満載されているのである。

私は、そのすべてを英訳して世界に発信したいのだが、いかんせん、手が足りない。

私の同級生等が、是非、それぞれに、これは世界も知るべきと思った記事を英訳して世界に発信して頂きたいものである。

以下は、徴用工訴訟のカラクリを暴く!と題して、掲載された櫻井よしこさんと西岡力氏の対談特集からであるが、日本人全員が読まなければならない事は言うまでもない。

櫻井 

朝鮮人戦時労働者の問題について韓国大法院、最高裁判所は10月30日に新日鉄住金に、それから1ヵ月後の11月29日には三菱重工に損害賠償を確定させる判決を下しました。

他にも約70社の日本企業が訴えられています。

資産差し押さえのリスクも出てきました。 

西岡さんは徴用工と言われた新日鉄住金の4人の原告が実は徴用工ではなかったという事実を最初に見つけましたね。 

西岡 

原告の人たちは普通に日本に来て、企業で働いて、給料をもらって、あるいは給料を貯金していたかもしれません。

未払いがあれば精算する機会が2回もあった。

それでも帰国して怪我もしていないし、死んだわけでもない。

韓国でもその人たちに慰謝料は払っていない。

しかし、判決では「朝鮮半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に対する慰謝料が発生する」と言っているのです。 

櫻井 

慰謝料と言うのであれば、誰だって「私も慰謝料をもらう、心の傷がある」と言いかねません。 

西岡 

日本語を強制されたから慰謝料が発生する、あるいは神社参拝をさせられたから慰謝料が発生する、名前を変えさせられたから慰謝料が発生するという論理が全部通用する議論です。

日本政府は一度も不法だと言っていないのです。

そのことを知った上で韓国は1965(昭和40)年に粂約一協定を結び年間予算に匹敵する3億ドルの提供を受けた。

それを今になってひっくり返そうとする不当判決です。

北朝鮮も事態の行方に注目 

櫻井 

どう考えても不条理なはなしですが、日本がどう対応するかを北朝鮮はじっと見ているわけです。

慰謝料が認められるのだったら、自分たちも、と言ってくるのは必定でしょう。 

西岡 

2002(平成14)年に北朝鮮を初めて訪れた小泉純一郎首相の時は100億ドル(約1兆円)だったが、最近それにあと100億ドルは慰謝料で、200億ドル(約2兆円)になるということを言っているという内部情報があります。 

櫻井 

またもや歴史が曲げられる。

朝鮮人戦時労働者問題でも慰安婦問題でも、事実に基づいて発信しようとすると、それを歴史修正主義だなどと論難して自由な言論を封じ込めようとする動きがあります。

そのようなことを、驚くことに、韓国人や中国人よりも先に日本人がしています。

そのことをもっと知らないといけないと思うのです。 

西岡 

国連に最初に慰安婦問題を持ち込んだのは戸塚悦朗弁護士です。

92年の2月に最初に「性奴隷―Sex Slave」という言葉を作ったのだと、堂々と私の業績だと本に書いています。 

櫻井 

じわりと攻め込んで来るというか、囲み込むというか、それが彼らの手法ですね。

巧妙ですから、それに気がつかない人も沢山いるのですが、そんなことは言っていられません。

彼らの歴史修正に気がついて、反撃しなくてはいけない所に私たちは立っています。 

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Eu tenho algo a dizer para a Itália agora.

2018年12月27日 14時33分58秒 | 日記

Como eu sei, as pessoas ao meu redor também sabem que eu amo a Itália.

Eu tenho algo a dizer para a Itália agora.

Pio d'Emilia que está agindo como se estivesse dominando a Associação de Correspondentes Estrangeiros do Japão ... Essa pessoa é provavelmente uma pessoa que está sob a manobra de uma agência de informação da nação anti-japonesa da China e da Península Coreana ... deveria não seja um jornalista decente.

Com esse tipo de repugnância dos seres humanos de nível mais baixo,

Se muitos italianos são católicos e têm respeito pelas pessoas chamadas santos históricos,

Por favor, convoque instantaneamente esta vergonha da Itália para o seu país de origem.

Eu concebi "Turntable of civilization" foi quando eu estava visitando um homem que era um colega de classe que vivia em Roma e era um amigo íntimo há várias décadas.

Em julho de 2010, apareceu na Internet dessa maneira e escreveu.

A partir de 4 de agosto, especialmente no Japão do pós-guerra, fiquei sabendo de várias verdades, que eu não conhecia quando estava assinando o jornal Asahi.

Entre eles, a Itália era, por assim dizer, um aliado para o lado do país derrotado, por assim dizer,

Sobre a derrota do Japão, quando soube que a Itália causou uma grande quantia de reparação do Japão,

Para o meu infinita elegia contra a Itália, 100 ienes mais barato.

O italiano que disse Pio d'Emilia et al.

Contra a Sra. Yoshiko Sakurai, que é uma verdadeira santa presente no Japão e a pessoa mais adequada para receber o Prêmio Nacional de Honra,

Na coletiva de imprensa da Associação de Correspondentes Estrangeiros, o estado que a insultou tanto quanto não ser mais é verdadeiramente imperdoável.

Falando de quanto deu japonês uma impressão desfavorável,

Minha infinita elegia contra a Itália caiu até um ponto igual ao colapso econômico italiano.

Não é um exagero dizer que a sociedade italiana continua a se tornar instável porque é porque esse tipo de sujeito, de todas as coisas, faz dele o ataque do Japão, faz com que ele mostre desprezo pelo Japão.

Mesmo que você pense sobre isso.

Qualquer um dos japoneses

Para os japoneses que estão atacando ou derrotando santos em seu país que merecem o prêmio nacional de honra de seu país, não há ninguém na Itália!

Esse é o fato de que o toca-discos da civilização está girando.

A sociedade está instável por muitos anos depois da guerra, toda vez que há algo na situação de bagagens da Europa, por que há a Itália?

Não é exagero dizer que tais idiotas são o resultado de tais recompensas, de todas as coisas, deixadas no exterior.

Agora, o país onde o toca-discos da civilização está virando o Japão ... (Como você está familiarizado com isso, eu cheguei à Itália como se fosse com Byron ... como é com o começo) · · ·

Porque no Japão você está fazendo coisas ruins para um ser humano tão ruim, Deus pune.

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J'ai quelque chose à dire à l'Italie maintenant.

2018年12月27日 14時32分34秒 | 日記

Comme je le sais, les gens autour de moi savent aussi que j'aime l'Italie.

J'ai quelque chose à dire à l'Italie maintenant.

Pio d'Emilia qui agit comme une autorité dominante sur l'association des correspondants étrangers du Japon ... Il s'agit probablement d'une personne sous la tutelle d'une agence d'information de la nation anti-japonaise de Chine et de la péninsule coréenne ... elle devrait ne pas être un journaliste décent.

Avec ce genre d'êtres humains dégoûtants au plus bas niveau,

Si beaucoup d’Italiens sont catholiques et respectent des gens appelés saints de l’histoire,

S'il vous plaît, appelez cette honte de l'Italie dans votre pays d'origine instantanément.

Je pensais que «la plaque tournante de la civilisation» était quand je rendais visite à un camarade de classe qui vivait à Rome et qui était un ami intime il y a plusieurs décennies.

En juillet 2010, il est apparu sur Internet de cette manière et a été rédigé.

À partir du mois d’août 4 ans, en particulier au Japon de l’après-guerre, j’ai appris un certain nombre de vérités que je ne connaissais pas du tout lorsque j’étais abonné au journal Asahi.

Parmi eux, l'Italie était comme un allié du côté du pays vaincu, pour ainsi dire,

Sur la défaite du Japon, quand j’ai appris que l’Italie avait causé beaucoup de réparations au Japon,

Pour mon élégia sans fin contre l'Italie, 100 yens moins cher.

L'Italien qui a dit Pio d'Emilia et al.

Contre Mme Yoshiko Sakurai qui est une vraie sainte présente au Japon et la personne la plus apte à recevoir le prix d'honneur national,

Lors de la conférence de presse de l'Association des correspondants étrangers, l'État qui l'a insultée autant que ne plus l'être est vraiment impardonnable.

En parlant de combien a donné une impression défavorable aux Japonais,

Mon élégia infinie contre l'Italie est tombée dans une mesure égale à l'effondrement de l'économie italienne.

Il n’est pas exagéré de dire que la société italienne continue de devenir instable, car c’est parce que ce type de camarade le fait attaquer au Japon, lui fait montrer du mépris pour le Japon.

Même si tu y penses.

Quelqu'un des Japonais,

Pour les Japonais qui attaquent ou battent des saints de votre pays qui méritent le prix d’honneur national de votre pays, il n’ya personne en Italie!

C’est le fait que la plaque tournante de la civilisation tourne.

La société est instable pendant de nombreuses années après la guerre, chaque fois qu'il y a quelque chose dans les bagages de l'Europe, pourquoi y a-t-il Italie?

Il n’est pas exagéré de dire que de tels idiots sont le résultat de telles récompenses, de toutes choses, laissées à l’étranger.

Maintenant, le pays où la plaque tournante de la civilisation tourne le Japon ... (Comme vous le savez bien, je me suis rendu en Italie comme si c'était avec Byron ... comme au début) · · ·

Parce qu'au Japon, vous faites du mal à un être humain aussi terrible, Dieu punit.

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Ich habe jetzt etwas zu Italien zu sagen.

2018年12月27日 14時31分28秒 | 日記

Wie ich weiß, wissen die Leute um mich herum auch, dass ich Italien liebe.

Ich habe jetzt etwas zu Italien zu sagen.

Pio d'Emilia, der sich benimmt, als ob er den Verband der ausländischen Korrespondenten Japans beherrscht ... Diese Person ist wahrscheinlich eine Person, die sich unter der Führung einer Informationsstelle der antijapanischen Nation Chinas und der koreanischen Halbinsel befindet kein anständiger Journalist sein.

Mit dieser Art von widerwärtigen Menschen auf der untersten Ebene,

Wenn viele Italiener Katholiken sind und Respekt vor den Menschen haben, die als historische Heilige bezeichnet werden,

Bitte beschwören Sie diese Schande Italiens sofort in Ihr Heimatland.

Ich dachte an „Turntable of Civilization“, als ich einen Mann besuchte, der ein Klassenkamerad war, der in Rom lebte und vor einigen Jahrzehnten ein enger Freund war.

Im Juli 2010 erschien es auf diese Weise im Internet und schrieb es aus.

Seit dem 4. August vor allem über das Nachkriegsjapan erfuhr ich von einer Reihe von Wahrheiten, die ich überhaupt nicht kannte, als ich die Asahi-Zeitung abonnierte.

Unter ihnen war Italien sozusagen ein Verbündeter an der Seite des besiegten Landes,

Über die Niederlage Japans, als ich erfuhr, dass Italien aus Japan eine große Reparation verursachte,

Für meine endlose Elegia gegen Italien sind 100 Yen billiger.

Der Italiener, der Pio d'Emilia et al.

Gegen Frau Yoshiko Sakurai, die eine wahre Heilige in Japan ist und die am besten geeignete Person ist, um den National Honor Award zu erhalten,

Auf der Pressekonferenz des Verbandes der ausländischen Korrespondenten ist der Staat, der sie ebenso wenig beleidigt wie gar nicht mehr, unverzeihlich.

Apropos, wie sehr Japaner einen ungünstigen Eindruck hinterlassen haben,

Meine unendliche Elegie gegen Italien ist in einem Ausmaß gefallen, das dem wirtschaftlichen Zusammenbruch Italiens entspricht.

Es ist keine Übertreibung zu sagen, dass die italienische Gesellschaft nach wie vor instabil wird, weil dieser Kerl ausgerechnet ihn Japan angreifen lässt und ihn Japan verachtet.

Auch wenn Sie darüber nachdenken.

Jeder der Japaner,

Für Japaner, die Heilige in Ihrem Land angreifen oder besiegen, die den nationalen Ehrenpreis Ihres Landes verdienen, gibt es keinen in Italien!

Das ist die Tatsache, dass sich die Drehscheibe der Zivilisation dreht.

Die Gesellschaft ist nach dem Krieg für viele Jahre instabil, jedes Mal, wenn sich in Europas Gepäcksituation etwas befindet, warum gibt es Italien?

Es ist keine Übertreibung zu sagen, dass solche Idioten das Ergebnis solcher Belohnungen sind, die ausgerechnet im Ausland liegen.

Nun, das Land, in dem die Drehscheibe der Zivilisation Japan dreht ... (Wie Sie wissen, habe ich es nach Italien geschafft, als wäre es mit Byron ... wie es mit dem Anfang ist.) · · ·

Weil Sie in Japan einem schlimmsten Menschen schlechte Dinge angetan haben, bestraft Gott.

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Hablando de cuánto les dio a los japoneses una impresión desfavorable

2018年12月27日 14時29分48秒 | 日記

Como sé, las personas a mi alrededor también saben que amo a Italia.

Tengo algo que decir a Italia ahora.

Pio d'Emilia, que actúa como dominadora de la Asociación de Corresponsales Extranjeros de Japón ... Esta persona es probablemente una persona que se encuentra bajo la maniobra de una agencia de información de la nación antijaponesa de China y la península de Corea ... debería No ser un periodista decente.

Con este tipo de asquerosos seres humanos del nivel más bajo,

Si muchos italianos son católicos y tienen un respeto por las personas llamadas santos históricos,

Por favor, convoca esta vergüenza de Italia a tu país de origen al instante.

Concebí "Turntable of civilization" cuando visitaba a un hombre que era un compañero de clase que vivía en Roma y era un amigo cercano hace varias décadas.

En julio de 2010, apareció en Internet de esta manera y escribió.

Desde hace 4 años, especialmente sobre el Japón de posguerra, me enteré de una serie de verdades que desconocía cuando me suscribí al periódico Asahi.

Entre ellos, Italia era, por así decirlo, un aliado del lado del país derrotado, por así decirlo,

En la derrota de Japón, cuando supe que Italia causó una gran cantidad de reparación de Japón,

Para Mi elegia sin fin contra Italia, 100 yenes más baratos.

El italiano que dijo Pio d'Emilia et al.

Contra la Sra. Yoshiko Sakurai, que es una verdadera santa presente en Japón y la persona más adecuada para recibir el Premio Nacional de Honor,

En la conferencia de prensa de la Asociación de Corresponsales Extranjeros, el estado que la insultó tanto como a no ser más es verdaderamente imperdonable.

Hablando de cuánto les dio a los japoneses una impresión desfavorable,

Mi elegia infinita contra Italia ha caído en un grado igual al colapso económico italiano.

No es una exageración decir que la sociedad italiana sigue siendo inestable porque se debe a que este tipo de personas, de todas las cosas, lo hacen atacar a Japón, lo hacen mostrar desprecio por Japón.

Aunque lo pienses.

Cualquiera de los japoneses,

Para los japoneses que están atacando o derrotando a los santos en su país que merecen el premio nacional de honor de su país, ¡no hay nadie en Italia!

Ese es el hecho de que la plataforma giratoria de la civilización está girando.

La sociedad es inestable durante muchos años después de la guerra, cada vez que hay algo en la situación del equipaje en Europa, ¿por qué hay Italia?

No es una exageración decir que tales idiotas son el resultado de tales recompensas, de todas las cosas, dejadas en el extranjero.

Ahora, el país donde la plataforma giratoria de la civilización está convirtiendo a Japón ... (Como usted está familiarizado con eso, llegué a Italia como si fuera con Byron ... como lo es con el principio) · · ·

Porque en Japón le estás haciendo cosas malas a un ser humano tan malo, Dios castiga.

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