読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
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日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
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嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
読書家の友人から新潮文庫、変見自在、ロシアとアメリカ、どちらが本当の悪(ワル)か(490円)を薦められ購読している。
これは彼の本の中でも最高レベルに凄い本である。
戦前、戦中、戦後の嘘を暴き、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての人生を送っただけではなく、今や日本のみならず世界の近現代史の最高の研究者、検証者としての彼の世界一と言っても全く過言ではない真の博覧強記に対してこそノーベル賞は与えられるべきものだと私は確信する。
勿論、彼はノーベル賞など全く望みもせずに、とにかく、生ある限り世の嘘を暴き事実を日本と世界に知らしめるという、人類にとって、これ以上ない尊い仕事を続けているのだが。
はじめに
-平気でウソを書く新聞に騙されるな-
日清戦争は明治27年7月に始まった。
日本軍はソウルの南に上陸して支那軍を蹴散らし、9月にはもう平壌に迫っていた。日本軍にとって久しぶりの外敵との戦いになるが、相手の支那人は強くはないものの、その残虐さは日本軍を十分に驚かせた。彼らは「捕虜」の意味を知らない。捕えれば鼻を削ぎ、耳を削ぎ、目をくり抜き、男性器を切り取って喉に詰めて殺し、なお四肢をバラバラに切り落としてそれを道筋の軒先にぶら下げた。
山懸有朋は「敵国は古きより極めて残忍の性を有す。生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるる」から潔く自決せよとの訓示を上陸早々に出している。錦州城下では日本軍にやられた支那兵に原住民が群がり、瀕死の彼らを殺して身ぐるみ剥ぐ姿が目撃されている。
冬を前に日本軍は難攻不落と言われる旅順要塞を攻め、1日でここを落としてしまう。眼下の旅順の街は戦火を避けてほとんどの市民は避難したあとで、そこに逃げ込んだ残敵の掃討もすぐ終わった。
しかしその2週間後、ニューヨーク・ワールド紙にジェームズ・クリルマン記者の「日本軍大虐殺報道」が載る。日本軍は女子供を追い、強姦し、殺した。「水辺を逃げる子供たちを追って兵士は容赦なく銃弾を叩きこんで切り刻んだ」今に「旅順6万人大虐殺」と伝えられる噂の素がこれだ。
日本政府はあらぬ誹謗に驚く。
ワールド紙はピューリッツァーの経営で、いわゆるイェローペーパーの一つだった。過去にもUFOに連れ去られ、宇宙人に強姦されたとかのエログロを専門とした新聞だが、それにしてもその描写。空想で書いたとは思えぬ真に迫った凄さがあった。
この誹謗は幸いベルギー駐日公使アルベール・ダネタンがフランスの観戦武官らを取材し、日本軍の無実を立証してくれた。
クリルマンの創作した嘘と分かったが、ではあの迫真の描写は何がヒントだったか。ハワード・ジンの『若者のための米国史』に日清戦争と同じころまで続いた米国のインディアン戦争の虐殺の形が載っていて、調べてみたらコロラド州サンドクリークであったシャイアン族の虐殺場面がそっくり同じだった。報告者はシャイアン混血のロバート・ベントで、夜明け方、男の戦士が出払った集落を800人の騎兵隊が襲うところから始まる。
騎兵隊は丸腰の女を撃ち殺してその頭皮を剥いだ。別の女が子供を連れて逃げる。「水辺に逃げた母は土手の砂を掘って我が子を隠そうとしたが、背中から撃たれた。母が持たせた白旗を振る6歳の女の子も容赦なく撃ち殺された。妊婦は腹を割かれ、傍に引きずり出された胎児が捨てられていた」クリルマンの記事と同じ描写だ。
日本軍は支那軍の残虐な仕打ちに報復もしなかった。投降する者に危害も加えない。それが気に食わなかったのだろう。
非白人で非キリスト教徒の野蛮な日本人はこう振る舞えと書いたつもりだったが、それで思いつく残虐さは自分たち白人種がやってきたものだったところが笑える。
同じ嘘でも、「僕は浮気していない」といった単純な嘘と違う、嘘を承知で書いている。
日本人には真似できない嘘だと思っていたら、世の中は変わった。
オレは社会派だと気張る「美昧しんぼ」の作者、雁屋哲が反原発に乗って福島で主人公に鼻血を出させていた。
中原ひとみが主演した原爆映画「純愛物語」を真似ただけの幼稚さだが、それが問題になったときのビッグコミックスピリッツ編集部のコメントがひどい。
「低放射線の影響や行政や報道の在り方について議論を深める一助になればと思う作者の意思を尊重し」(朝日新聞)てのことだと。
嘘と知ってついた嘘だ。そんな嘘をベースにしてどう議論を深めるのか。
そういう猥雑な嘘を排除して初めて本当の原発論議が始まる。
この作者も編集者も嘘を息のように吐く支那人と変わらない。
先日、沖縄返還に絡む日米密約問題で、最高裁は原告の元毎日記者西山太吉の訴えを棄却した。40年かかった密約事件もやっとけりがついたが、この事件報道もおかしかった。
西山は密約を入手するために外務省事務官の女性に言い寄り、情交を交わした。三日にあげず寝た。そんなに記者は暇かと言われそうだが、それはいい。ただ折角、女からネタを取りながら、彼はそれを記事にしなかった。
半年後、彼はそれを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に持ち込んだ。
楢崎は解同の中央委員を務める男だ。
そして国会議場で横路が得意げに密約を示す場面に続く。
西山のこの振る舞いには「密約で倒聞に持ち込む」意図を普通は感じるだろう。
彼は記者の仮面を被った社会党活動家でしかなかった。
そんな薄汚い事件の幕引きとなる最高裁判断に新聞各紙は何と書いたか。
当の毎日新聞は「日米の密約を報じた西山氏」と、朝日新聞も「西山さんは初めて密約の存在を暴いた」と書いている。
西山が新聞で「報じ」るか「暴く」かしていればこの事件はなかった。報じないで政局にしようとしたからこんな騒ぎになった。
朝日新聞で言えば南京大虐殺の嘘を創った一人で支那軍に武器調達をしていたシーメンス社のジョン・ラーベを「普通の会社員」と書いた。
「憲法9条にノーベル平和賞を」と言い出した社会党系活動家のおばさんも朝日は「普通の主婦」と書いた。
支那や米国だけじゃあない。
新聞も実は嘘を承知で騙しの嘘をちりばめている。
本書がそういう陰険な墟をどう見抜くかの助けになれば、と思う。
2014年 夏 高山正之
I saw the documentary “Dream Palace of the People and the Dictator” at NHKBS1 on the night before yesterday and I was thinking of Professor Hiroshi's wise saying.
Thanks to his wise saying, I was convinced how Communism was useless.
I was convinced that Marx was a ridiculous idiot who caused great damage to humanity.
Professor Furuta clarified that the feature of ancient autocracy was the erection of a huge structure.
It was exactly what he said.
It is because the Soviet Union, Eastern Europe, and all communist states have done nothing but return to ancient autocracy.
I did not read the newspaper yesterday ... Today, a friend of a reading person told me that Professor Hiroshi Furuta contributed to yesterday's Sankei Shimbun.
Once again I thought that things had a phenomenon called reciprocity.
Professor Furuta has the same sense of humor as I and Masayuki Takayama ...
all knowing men should read the following paper while laughing.
How, this paper is supposed to be one of the best papers in the post-war world, and you should have read with respectful attention.
For example, this paper is perfect Kenzaburo Oe's denial and is because it is the excellent denial to the so-called men of culture represented by him that isn't there any more.
Stupidity of the human race of the socialistic economy
Hiroshi Furuta
University of Tsukuba Graduate School Professor
Production movement filled with a fake
When I read “The Labor Newspaper” dated November 22, 1991 (at the age of 38), I knew that a new production movement had begun in North Korea.
In this way, some researchers write papers that are not of interest to anyone but their peers.
Although it is a wasteful process, it is important for the future to bury one's field thoroughly with knowledge.
The production movement is really dumb.
This manuscript continues.
I saw the documentary “Dream Palace of the People and the Dictator” at NHKBS1 on the night before yesterday and I was thinking of Professor Hiroshi's wise saying.
Thanks to his wise saying, I was convinced how Communism was useless.
I was convinced that Marx was a ridiculous idiot who caused great damage to humanity.
Professor Furuta clarified that the feature of ancient autocracy was the erection of a huge structure.
It was exactly what he said.
It is because the Soviet Union, Eastern Europe, and all communist states have done nothing but return to ancient autocracy.
I did not read the newspaper yesterday ... Today, a friend of a reading person told me that Professor Hiroshi Furuta contributed to yesterday's Sankei Shimbun.
Once again I thought that things had a phenomenon called reciprocity.
Professor Furuta has the same sense of humor as I and Masayuki Takayama ...
all knowing men should read the following paper while laughing.
How, this paper is supposed to be one of the best papers in the post-war world, and you should have read with respectful attention.
For example, this paper is perfect Kenzaburo Oe's denial and is because it is the excellent denial to the so-called men of culture represented by him that isn't there any more.
Stupidity of the human race of the socialistic economy
Hiroshi Furuta
University of Tsukuba Graduate School Professor
Production movement filled with a fake
When I read “The Labor Newspaper” dated November 22, 1991 (at the age of 38), I knew that a new production movement had begun in North Korea.
In this way, some researchers write papers that are not of interest to anyone but their peers.
Although it is a wasteful process, it is important for the future to bury one's field thoroughly with knowledge.
The production movement is really dumb.
This manuscript continues.
I saw the documentary “Dream Palace of the People and the Dictator” at NHKBS1 on the night before yesterday and I was thinking of Professor Hiroshi's wise saying.
Thanks to his wise saying, I was convinced how Communism was useless.
I was convinced that Marx was a ridiculous idiot who caused great damage to humanity.
Professor Furuta clarified that the feature of ancient autocracy was the erection of a huge structure.
It was exactly what he said.
It is because the Soviet Union, Eastern Europe, and all communist states have done nothing but return to ancient autocracy.
I did not read the newspaper yesterday ... Today, a friend of a reading person told me that Professor Hiroshi Furuta contributed to yesterday's Sankei Shimbun.
Once again I thought that things had a phenomenon called reciprocity.
Professor Furuta has the same sense of humor as I and Masayuki Takayama ...
all knowing men should read the following paper while laughing.
How, this paper is supposed to be one of the best papers in the post-war world, and you should have read with respectful attention.
For example, this paper is perfect Kenzaburo Oe's denial and is because it is the excellent denial to the so-called men of culture represented by him that isn't there any more.
Stupidity of the human race of the socialistic economy
Hiroshi Furuta
University of Tsukuba Graduate School Professor
Production movement filled with a fake
When I read “The Labor Newspaper” dated November 22, 1991 (at the age of 38), I knew that a new production movement had begun in North Korea.
In this way, some researchers write papers that are not of interest to anyone but their peers.
Although it is a wasteful process, it is important for the future to bury one's field thoroughly with knowledge.
The production movement is really dumb.
This manuscript continues.
I saw the documentary “Dream Palace of the People and the Dictator” at NHKBS1 on the night before yesterday and I was thinking of Professor Hiroshi's wise saying.
Thanks to his wise saying, I was convinced how Communism was useless.
I was convinced that Marx was a ridiculous idiot who caused great damage to humanity.
Professor Furuta clarified that the feature of ancient autocracy was the erection of a huge structure.
It was exactly what he said.
It is because the Soviet Union, Eastern Europe, and all communist states have done nothing but return to ancient autocracy.
I did not read the newspaper yesterday ... Today, a friend of a reading person told me that Professor Hiroshi Furuta contributed to yesterday's Sankei Shimbun.
Once again I thought that things had a phenomenon called reciprocity.
Professor Furuta has the same sense of humor as I and Masayuki Takayama ...
all knowing men should read the following paper while laughing.
How, this paper is supposed to be one of the best papers in the post-war world, and you should have read with respectful attention.
For example, this paper is perfect Kenzaburo Oe's denial and is because it is the excellent denial to the so-called men of culture represented by him that isn't there any more.
Stupidity of the human race of the socialistic economy
Hiroshi Furuta
University of Tsukuba Graduate School Professor
Production movement filled with a fake
When I read “The Labor Newspaper” dated November 22, 1991 (at the age of 38), I knew that a new production movement had begun in North Korea.
In this way, some researchers write papers that are not of interest to anyone but their peers.
Although it is a wasteful process, it is important for the future to bury one's field thoroughly with knowledge.
The production movement is really dumb.
This manuscript continues.
I saw the documentary “Dream Palace of the People and the Dictator” at NHKBS1 on the night before yesterday and I was thinking of Professor Hiroshi's wise saying.
Thanks to his wise saying, I was convinced how Communism was useless.
I was convinced that Marx was a ridiculous idiot who caused great damage to humanity.
Professor Furuta clarified that the feature of ancient autocracy was the erection of a huge structure.
It was exactly what he said.
It is because the Soviet Union, Eastern Europe, and all communist states have done nothing but return to ancient autocracy.
I did not read the newspaper yesterday ... Today, a friend of a reading person told me that Professor Hiroshi Furuta contributed to yesterday's Sankei Shimbun.
Once again I thought that things had a phenomenon called reciprocity.
Professor Furuta has the same sense of humor as I and Masayuki Takayama ...
all knowing men should read the following paper while laughing.
How, this paper is supposed to be one of the best papers in the post-war world, and you should have read with respectful attention.
For example, this paper is perfect Kenzaburo Oe's denial and is because it is the excellent denial to the so-called men of culture represented by him that isn't there any more.
Stupidity of the human race of the socialistic economy
Hiroshi Furuta
University of Tsukuba Graduate School Professor
Production movement filled with a fake
When I read “The Labor Newspaper” dated November 22, 1991 (at the age of 38), I knew that a new production movement had begun in North Korea.
In this way, some researchers write papers that are not of interest to anyone but their peers.
Although it is a wasteful process, it is important for the future to bury one's field thoroughly with knowledge.
The production movement is really dumb.
This manuscript continues.
一昨日の夜NHKBS1で世界のドキュメンタリ「人民と独裁者の夢宮殿」を観た私は、古田博司教授の至言を思っていた。
彼の至言のお陰もあって私は共産主義が如何にダメなものか。
マルクスが人類に対して大損害を与えた、とんでもない馬鹿者であると確信したのである。
古田教授は古代専制国家の特徴は巨大建造物の建立であると解明した。
正に彼の言う通りだった。
ソ連、東欧、全ての共産主義国家が行った事は古代専制国家への回帰以外の何物でもなかったからである。
私は昨日、新聞を読んでいなかった…今日、読書家の友人が、昨日の産経新聞に古田博司教授が寄稿していた事を教えてくれた。
私は又しても物事には呼応と言う現象があると思った次第である。
古田教授は、私や高山正之と同様のユーモアのセンスを持っている…具眼の士は、皆、大笑いしながら以下の論文を読んだはずである。
だが、この論文は戦後の世界で最高の論文の一つである事に思いが至って襟を正したはずである。
この論文は、例えば、完璧な大江健三郎の否定であり、彼に代表される所謂文化人達に対する、これ以上ない見事な否定だからである。
社会主義経済という人類の愚行
古田 博司
筑波大学大学院教授
フェイクに満ちていた生産運動
1991年11月22日付の『労働新聞』を読んでいた私(当時38歳)は、北朝鮮で新しい生産運動が始まったことを知った。
こうして研究者は一部同業者以外、誰も関心のない論文を書くことになる。
それはむなしい過程なのだが、自己の分野を知見で徹底的に埋めていくことは、将来のために重要なことである。
その生産運動というのが実にくだらない。
もとは商業部門だった鄭舂実が、50万トンの蚕を生産、1万5干匹のビーバーと300匹の黒銀ぎつねを育て、500㌧の山菜を採取し、労働英雄として表彰された、という。
まず数字は誇張されているので無視する。
以後、北全土に「鄭舂実運動先駆者大会」が拡大していった。
その頃書いた論文には「該当者は商業部門など、流通の停滞で閑職に追いこまれた幹部がほとんどで、旅館・食堂・商店の閑職が加わっていた。この運動は、仕事のない者、なくなった者を生産や採取に駆り立てるものだった」とあるだけである。
実は書いている本人が、北で何のために党がこのようなことをしているのか、正直分かっていなかったのだ。
普通、社会主義経済に関心のある研究者は工業化や軍事化ばかり研究する。
工場や農場からの上納金は、これらの部門に集中投下されるからである。だが党機関紙は、くだらない生産運動、「働かない者を働かせる運動」で満ちている。
重工業や軍事は秘密なので出てこない。
発電所の記事は出てくるので、電力からそれを類推する論文は書いたことがある。
その後2009年、ルーマニア生まれのドイツ人作家ヘルダ・ミュラーが『狙われたキツネ』でチャウシェスク政権下のルーマニア経済社会を描き、ノーベル賞を取った。
その邦訳を読むと直観が電光のように到来した。
ここから分野を埋め尽くしていた知見への逆算が始まる。
「社会主義経済とはフェイクであり、向こう側の経済学的根拠をもたない。ゆえに社会主義経済論は永遠に生まれない」
これが私の結論だった。
需要も供給も分からない
社会主義経済とは、19世紀の遅れたマルクス経済学を20世紀の経済に応用したものである。
その結果、マーシャル以後の需要・供給の経済学を知らないものだから、ウリは作りすぎて農場の片隅に積まれて腐臭を放ち、鉄鋼は工場の中庭で赤サビの塊と化した。
そもそも需要・供給を知らずに計画経済なんかできるわけがない。
統計局は、工場や農場から上がって来るどんぶり勘定の計画書にバンバン判を押した。
ホラ吹きの中国ではこの水増しが特にひどかった。
マルクス経済学は「労働価値説」である。
生産労働は価値を生むが、流通は価値を生まないとする。
それで社会主義国では流通がほとんど無視された。
運送がダメだから食料は配給制になりソ連では長い行列ができた。
中国の都市では糧票が配布された。
北朝鮮ではトラックがないので労働新聞を列車で運んで駅でおろした。
ここに鄭舂実運動がつながる。
翌月にソ連が崩壊した。
ソ連からの援助が先細り、北朝鮮では閑職だった流通部門の者を山に駆り立てて、狩猟・採取経済をさせたのである。
これは古代経済であろう。
社会主義経済とは「古代経済のマルクス経済化」ではなかったのか。
作りすぎた消費財は闇市に回り、足りなくなった生産財は専門職がトラックで運んで埋めた。
これをソ連ではトルカーチといい、北朝鮮では資材商社という。
悲しいまでにくだらない。
文系教授の多くは冷戦の敗残兵
もっとも古代経済らしかったのは、共同農場(中国は人民公社、北朝鮮は協同農場)であった。
もともとはソ連のプレオブラジェンスキーが「社会主義的剰余価値の生産」と言ったものを、スターリンが実践した。
1929年末からソ連では全土に広まる。
国家が農民を直接搾取する機構である。
そこには古代らしく専制支配・身分制(地主出身・貧農出身云々)が色濃く残り、農民は疲弊した。
今日、社会主義経済は全部崩壊した。
工業・軍事の部門は、核・ミサイルや宇宙開発に突出して残った。
北朝鮮などはもう飛ばせる航空機がない。
だから金正恩はハノイまで列車の長旅をした。
また中国に飛行機を借りるか、そんな屈辱はもうたくさんだろう。
冷戦期、日本の文系の大学教授のほとんどが社会主義とマルクスが好きだった。
彼らはヘーゲル・マルクスの進歩史観というフェイクで未来を先見した。
そして資本主義陣営の政治や経済の実務家達と時代を二分した。
ソ連崩壊後も20年間、彼らは好きなものを手放さなかった。
結局、何の役にも立たないものとして批判され、2015年からは大学文系改廃へと追い込まれていくのである。
彼らは冷戦の敗残兵だ。
彼らは冒頭にきまって、著名な西洋人の理念や理論を持ってきて論文を書いたものだ。
だがそんなものにはもう普遍性はないのだ。
その間、私はくだらない論文をたくさん書いて時を埋めた。
(ふるた ひろし)