私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五日目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五日目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
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そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
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その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
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コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
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支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
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バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
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同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
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白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
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日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
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同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
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二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
白人はいつも肚黒い
残忍くらべ
毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。
二十世紀はまさに日本の世紀だった。
白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。
その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。
ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。
「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。
先の戦争は何だったのか。
十分に振り返って検証する意味はある。
その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。
日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。
コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。
「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。
支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。
そういう検証もしない。
一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。
『ニユーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。
日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。
夏が来ればこのフィリピン大作家に再びの出番はあるだろう。
そのときのために一つ忠告しておきたい。
バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。
テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。
ビンタよりひどいことをした。
あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。
そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五目目に殺した処刑記録が山とある。
バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。
白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家・日本」の告発記事を書く。
この稿続く。
NHKは、まだそれを直していないね(笑)。と題して2019-02-18に発信した章である。
この章は朝鮮半島や中国、および彼らの反日プロパガンダに同調している人間達が、どれほど卑しく悪質かを明らかにしているのである。
2019年2月10日初版発行の「マスメディアの罪と罰」高山正之×阿比留瑠偉は活字が読める日本国民全員が必読の書である。
戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之と現役最高の新聞記者である阿比留瑠偉、産経新聞社の先輩・後輩が対談の形をとっている。
今すぐに最寄りの書店に購読に向かうだけではなく、高齢者の人達ほど情報弱者で、朝日、毎日、東京、中日等の新聞を購読してNHKを視聴している人たちが大半なのだから…
読者の方々は、周囲の高齢者の人たちや、テレビを情報源にしているご婦人方にも、この本を推奨しなければならない。
この本は老眼の人たちにも優しい本である。
以下はp65からの抜粋である。
●社会全体に行き渡る反日的傾向
高山
朝日新聞やNHKが吹き込まれたのは、日本が植民地支配に苦しむアジア諸国を解放したヒーローであってはならない、「アジア解放のために殉じ、敗れ去ったなどと思わせるな」というコーデル・ハルの言葉だった。
アジアをいじめ搾取したのは白人ではなく、侵略者日本だったという歴史の書き換えを求められた。
阿比留
『眞相はかうだ』を『真相箱』に看板を替えて放送を続けたり、『太平洋戦爭史』を自紙で連載した以上、それが正しいということを言わないと、彼らがもたないわけです。
高山
NHKは、まだそれを直していないね(笑)。
阿比留
森友・加計問題も、安倍さんは悪いと言っている以上は言い続けなければいけない。
実は関係ありませんでした、とはもはや言えないわけです。
高山
朝日新聞は新聞社の体面とGHQに取り潰されないために、その意のままに動いていく。
朝日新聞の社内にもそれを批判する者がいなかった。
GHQはGHQで手懐けた朝日を使って思想統制していく。
日本は東南アジア諸国で悪いことばかりした。
マニラでは10万人殺した、タイ、ビルマでは連合軍の捕虜を虐待し、地元住民を駆り出して酷使し20万人を殺した。
レールの枕木ごとに死人が出たとかGHQの言うままに報道する。
その一方で米国人は偉い。
ハーバード大教授のラングドン・ウォーナーは日本の文化財を守れと米軍に言い、京都を戦災から守ったと朝日新聞の特ダネとして書かせた。
実際は原爆の投下候補地の最初のターゲットが京都駅の西側の梅小路操車場上空500メートルで、第1号ウラン型原爆を爆発させる予定だったとのちにそれが史料として見つかっている。
文化財を街ごと破壊する。
50万の市民を焼き、東寺も清水の舞台も金閣寺、銀閣寺も本気で焼き尽くすつもりだった。
そんな野蛮人がまるで文化財を守るいい人みたいに装うのを朝日新聞は手助けした。
そうしていれば朝日新聞は日本を代表する大新聞社でいることが保証された。
その路線は笠信太郎から船橋洋一、そして今は論説主幹の根本清樹が出てきて、彼らはそれが一子相伝のようにその姿勢を墨守している気配がある。
社内にもこれはちょっとおかしいんじゃないか、みたいに言う人がいない。
そうしているうちに、侵略者である、という日本に対する枠組みが決まり、社是になっていった。
阿比留
私の知り合いで、週刊誌のライターをやっていて食えないからというので朝日新聞に再就職した人がいます。
社会部に配属になったのですが、その人と以前に話したとき、こんなことを言っていました。
見ていると、みんな最初はノンポリである。
しかし、こういうふうな路線で記事を書くと上司の覚えがいい、こういうふうな路線で書けば大きく取り扱ってもらえる、ということで記事がどんどん左傾化していく。
そして、そんな記事ばかりを書いているうちに、本人もどんどん左傾化していく。
これと似たようなことを昔、北海道教職員組合の組合員に聞いたことがあります。
教師になりたくて教師になり、なった当初は中立というかノンポリである。
けれども、北教組という組織はかなりアカいんです。
北教祖の組合員たちが、全員というわけではありませんが学校に何人かいる。
声が大きい。みんなが引きずられていく。
それで自分も組合に入ることになり、染まっていくというわけです とはいえ、これはやはり社会全体に、戦後すぐに始まった反日的傾向が行き渡っているためだと思います。
私たちが子供の頃、というよりも、少年時代、大学生くらいの頃もそうでしたが、日本軍が暴虐を極めたなどは当たり前だという感覚がありましたし、1990年頃から慰安婦問題が爆発的に報道され始めますが、当初は「日本軍が強制連行していた」と言われても全く疑問に思わない人が多かったように思います。
日本=悪という刷り込みは、すでになされていました。
その中で少数の「えぇ?そうじゃないでしょ」という人がコツコツと反論し、反証を積み重ねてきてようやく今の状況に至るわけです。
朝日新聞自身の記録にもありますよね。
吉田清治の、朝鮮半島で女性を連行して慰安婦にしたという記述をはじめ、そういったものを書いて載せていたら、当時を知る世代の大たちから投書や電話が来た。
「日本軍はああいうことをしていません」とか「それはちょっと違うんじゃないですか」というクレームです。
それを朝日新聞一面のコラム「窓」の執筆者は1992年3月3日付同コラムで「知りたくない、信じたくないことはある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」と叱りつけすらしました。
どこまで偉そうなんだか(笑)。
高山
アメリカが行った戦後処理は、日本人というひとつの民族を根本からつき崩すという意味で、すこぶる用意周到だったね。
阿比留
このプロパガンダは同時に、自分たちのためでもありました。
日本をやっつけるだけではなくて、自分たちはきれいである、と子供たちに教えたいわけです。
高山
アメリカは原爆を落とした。
非戦闘員を大量虐殺する許されざる行為なのに、それを何とか正当化していった。
第一に日本は卑怯な国で真珠湾をだまし討ちにした。
第二に日本人は残虐で、1日放っておけばアジアの国々で1日数千人を虐殺している。
早く降伏させる責務があった、日本上陸作戦をやればわが米国人がさらに200万人死ぬとか。とにかく歴史を書き改めていった。
だから、日本を降伏させるために原爆投下はやむを得なかった、というふうにもっていった。
阿比留
1946年に始まる東京裁判でも、日本側の弁護士が原爆に言及しようとしたとたんに速記が止まります。
それくらい、アメリカの人たちも当初は後ろめたかったわけです。 いつか日本に責められるのではないかと、相当ナイーブに怖がっていました。
しかしアメリカ国内で、原爆投下は戦争終結のための良策だったという教育がずっとなされていく。
アメリカ人自身、そのように思い込み始める。
悪かったという人ももちろんいるけれども、大半の人は、あれはあれでよかったのだ、という見方に現在はなっていますね。
教育というのはやはり恐ろしいものだと思います。
NHKは、まだそれを直していないね(笑)。と題して2019-02-18に発信した章である。
この章は朝鮮半島や中国、および彼らの反日プロパガンダに同調している人間達が、どれほど卑しく悪質かを明らかにしているのである。
2019年2月10日初版発行の「マスメディアの罪と罰」高山正之×阿比留瑠偉は活字が読める日本国民全員が必読の書である。
戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之と現役最高の新聞記者である阿比留瑠偉、産経新聞社の先輩・後輩が対談の形をとっている。
今すぐに最寄りの書店に購読に向かうだけではなく、高齢者の人達ほど情報弱者で、朝日、毎日、東京、中日等の新聞を購読してNHKを視聴している人たちが大半なのだから…
読者の方々は、周囲の高齢者の人たちや、テレビを情報源にしているご婦人方にも、この本を推奨しなければならない。
この本は老眼の人たちにも優しい本である。
以下はp65からの抜粋である。
●社会全体に行き渡る反日的傾向
高山
朝日新聞やNHKが吹き込まれたのは、日本が植民地支配に苦しむアジア諸国を解放したヒーローであってはならない、「アジア解放のために殉じ、敗れ去ったなどと思わせるな」というコーデル・ハルの言葉だった。
アジアをいじめ搾取したのは白人ではなく、侵略者日本だったという歴史の書き換えを求められた。
阿比留
『眞相はかうだ』を『真相箱』に看板を替えて放送を続けたり、『太平洋戦爭史』を自紙で連載した以上、それが正しいということを言わないと、彼らがもたないわけです。
高山
NHKは、まだそれを直していないね(笑)。
阿比留
森友・加計問題も、安倍さんは悪いと言っている以上は言い続けなければいけない。
実は関係ありませんでした、とはもはや言えないわけです。
高山
朝日新聞は新聞社の体面とGHQに取り潰されないために、その意のままに動いていく。
朝日新聞の社内にもそれを批判する者がいなかった。
GHQはGHQで手懐けた朝日を使って思想統制していく。
日本は東南アジア諸国で悪いことばかりした。
マニラでは10万人殺した、タイ、ビルマでは連合軍の捕虜を虐待し、地元住民を駆り出して酷使し20万人を殺した。
レールの枕木ごとに死人が出たとかGHQの言うままに報道する。
その一方で米国人は偉い。
ハーバード大教授のラングドン・ウォーナーは日本の文化財を守れと米軍に言い、京都を戦災から守ったと朝日新聞の特ダネとして書かせた。
実際は原爆の投下候補地の最初のターゲットが京都駅の西側の梅小路操車場上空500メートルで、第1号ウラン型原爆を爆発させる予定だったとのちにそれが史料として見つかっている。
文化財を街ごと破壊する。
50万の市民を焼き、東寺も清水の舞台も金閣寺、銀閣寺も本気で焼き尽くすつもりだった。
そんな野蛮人がまるで文化財を守るいい人みたいに装うのを朝日新聞は手助けした。
そうしていれば朝日新聞は日本を代表する大新聞社でいることが保証された。
その路線は笠信太郎から船橋洋一、そして今は論説主幹の根本清樹が出てきて、彼らはそれが一子相伝のようにその姿勢を墨守している気配がある。
社内にもこれはちょっとおかしいんじゃないか、みたいに言う人がいない。
そうしているうちに、侵略者である、という日本に対する枠組みが決まり、社是になっていった。
阿比留
私の知り合いで、週刊誌のライターをやっていて食えないからというので朝日新聞に再就職した人がいます。
社会部に配属になったのですが、その人と以前に話したとき、こんなことを言っていました。
見ていると、みんな最初はノンポリである。
しかし、こういうふうな路線で記事を書くと上司の覚えがいい、こういうふうな路線で書けば大きく取り扱ってもらえる、ということで記事がどんどん左傾化していく。
そして、そんな記事ばかりを書いているうちに、本人もどんどん左傾化していく。
これと似たようなことを昔、北海道教職員組合の組合員に聞いたことがあります。
教師になりたくて教師になり、なった当初は中立というかノンポリである。
けれども、北教組という組織はかなりアカいんです。
北教祖の組合員たちが、全員というわけではありませんが学校に何人かいる。
声が大きい。みんなが引きずられていく。
それで自分も組合に入ることになり、染まっていくというわけです とはいえ、これはやはり社会全体に、戦後すぐに始まった反日的傾向が行き渡っているためだと思います。
私たちが子供の頃、というよりも、少年時代、大学生くらいの頃もそうでしたが、日本軍が暴虐を極めたなどは当たり前だという感覚がありましたし、1990年頃から慰安婦問題が爆発的に報道され始めますが、当初は「日本軍が強制連行していた」と言われても全く疑問に思わない人が多かったように思います。
日本=悪という刷り込みは、すでになされていました。
その中で少数の「えぇ?そうじゃないでしょ」という人がコツコツと反論し、反証を積み重ねてきてようやく今の状況に至るわけです。
朝日新聞自身の記録にもありますよね。
吉田清治の、朝鮮半島で女性を連行して慰安婦にしたという記述をはじめ、そういったものを書いて載せていたら、当時を知る世代の大たちから投書や電話が来た。
「日本軍はああいうことをしていません」とか「それはちょっと違うんじゃないですか」というクレームです。
それを朝日新聞一面のコラム「窓」の執筆者は1992年3月3日付同コラムで「知りたくない、信じたくないことはある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」と叱りつけすらしました。
どこまで偉そうなんだか(笑)。
高山
アメリカが行った戦後処理は、日本人というひとつの民族を根本からつき崩すという意味で、すこぶる用意周到だったね。
阿比留
このプロパガンダは同時に、自分たちのためでもありました。
日本をやっつけるだけではなくて、自分たちはきれいである、と子供たちに教えたいわけです。
高山
アメリカは原爆を落とした。
非戦闘員を大量虐殺する許されざる行為なのに、それを何とか正当化していった。
第一に日本は卑怯な国で真珠湾をだまし討ちにした。
第二に日本人は残虐で、1日放っておけばアジアの国々で1日数千人を虐殺している。
早く降伏させる責務があった、日本上陸作戦をやればわが米国人がさらに200万人死ぬとか。とにかく歴史を書き改めていった。
だから、日本を降伏させるために原爆投下はやむを得なかった、というふうにもっていった。
阿比留
1946年に始まる東京裁判でも、日本側の弁護士が原爆に言及しようとしたとたんに速記が止まります。
それくらい、アメリカの人たちも当初は後ろめたかったわけです。 いつか日本に責められるのではないかと、相当ナイーブに怖がっていました。
しかしアメリカ国内で、原爆投下は戦争終結のための良策だったという教育がずっとなされていく。
アメリカ人自身、そのように思い込み始める。
悪かったという人ももちろんいるけれども、大半の人は、あれはあれでよかったのだ、という見方に現在はなっていますね。
教育というのはやはり恐ろしいものだと思います。
辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、
Peut-il avoir juste vérifié ce disque?
Kann es gerade diese Aufzeichnung überprüft haben?
Pode ter acabado de verificar esse registro?
Kan det bara ha verifierat den inspelningen?
Mag het dat record net hebben geverifieerd?
Miért lehetett Shiba utánozni Katsuichi Hondát?
Az emberek rajzolásának módja is meghaladta az Ichiji Kosuke leírását. Ez egy fejezet, amelyet 2018-09-29-ben adtak ki.
Az olvasónak azt gondolta volna, hogy van valami közös a számomra és a Masayuki Takayama között.
Feliratkozom a heti Shincho-ra, hogy elolvassa Masayuki Takayama és Yoshiko Sakurai asszonyok sorosítási oszlopait.
E hét kérdésének sorosítási oszlopa is bizonyítja, hogy az erudíció, a betekintés, a kiválóság és a lefedettségi képesség magassága kiváló.
Shiba Ryotaro lesz az a létezés, ami ott van még akkor is, ha ő a vezetője, mint a Sankei Shimbun újságírója, és közel van.
A könyveiről nem akarok dicsekedni, de még soha nem olvastam még egy könyvet sem ...
Soha nem gondoltam olvasni ...
De jól tudtam.
Mert már nagyon sokáig előfizettem a Weekly Asahi-ra ... mert elolvastam Shiba-i "Going the Highway" -et, amely szinte minden héten volt a heti magazin sorosított vonzereje.
Ugyanakkor valami esélyt éreztem, mert kétszer találkoztam vele a Tokióban lévő Hotel Hokura bárjában.
Abban az időben beszélgettem Dentsu nagyon közeli barátjával, és valószínűleg találkozott a heti Asahi tisztviselőkkel.
Ez azért van, mert kétszer találkoztam egy közeli ülésen.
Így 2010-ben, röviddel az interneten való megjelenés után, az emberi történelem legnagyobb könyvtára, írtam egy mondatot, amely megtámadta őt.
Ez azért van, mert a héten Takayama finom bírálata volt.
A barátom, egy vezető olvasó rámutatott rám, mondván, hogy csak Takayama és én tudnánk kritizálni Shiba Ryotarót.
Minden mondatot hangsúlyozok, kivéve a címsorokat.
Takayama Masayuki
A Meiji-ről számított 150 év után
Amikor beléptem Sankei Shimbunba, volt egy sor Ryotaro Shiba "Ryoma Goes" -je az esti papírban.
Emlékszem, hogy nagyon lenyűgözött a személy ábrázolása.
A Japán – USA Biztonsági Szerződés elleni kampány napjaiban (1970) a felhők a lejtőn is Sankei esténként sorosítottak.
Nem várhattam, amíg az esti papír megérkezik.
Az idősebb bátyám, aki azóta idióta mondott: "Az újság Asahi," váltott Sankei-re.
"Sakanoue" hatékony volt.
Azonban a sorozat előrehaladtával a megcsodált személy ábrázolása furcsán nehéz volt, és én is utáltam az olvasást.
Például Maresuke Nogi-ról, aki sok embert hozott ki, akiket a Port Arthur-i erőd elfogásakor megöltek.
Shiba bírálja őt azért, mert nem képzett, és így tovább.
Ichiji Kosuke, a személyzeti tiszt, Shiba egyre féltékenyebbé vált.
Nem tudom, ki egy japán író, és aki eddig az embereket szidja.
A közelmúltban Hosaka Masayasu írta Tojo Hidekitől értéktelennek.
Úgy gondolom, hogy Shiba állampolgárságot adott egy olyan leírásnak, amely nem japán, és a koreai japán japán kritikának vulgáris leírása.
Amikor a serializáció véget ért, a Haneda sajtóklubban voltam.
Amikor a légitársaságokat lefedtem, a Japan Airlines ügyvezetője Abo Kiyokazu unokája volt, aki a Kombinált Flotta főfőnöke volt.
Ő volt az, aki Togo Heihachiro mellett parancsolt egy baleseti flotta tüzérségi támadására.
Az ANA-ban az Ichiji Kosuke unokája, akit Shiba bántalmazott, az igazgatóság vezetője volt.
Két benyomást hallottam arról, hogyan kell felhívni a nagyapját, de sok kifogásuk volt.
Ha közvetlenül szeretné megkérdezni Shiba-t az ügyről, hamarosan elmegy a Sankei-ból Asahi-ba, hogy elkezdje utazni.
Azóta Asahi színe furcsán jött ki.
A "Run over and kill" megjegyzés itt az idő.
Shiba visszatért Manchuriából a háború vége előtt, és a Tochigi prefektúrában lévő Sano City tartálytestében volt.
Vannak pletykák az amerikai leszállásról.
Császári főparancsnokság A munkatársak azt állították, hogy abban az időben a Sano-i öbölben maradnak.
De az út tele van védett emberekkel.
Amikor megkérdezték, hogy mit tegyenek, a személyzet azt mondta: "Fuss át és öljön".
Ez egy tökéletes kijelentés a "kegyetlen szívű japán hadsereg" tisztének, amit Asahi teremtett, de azt hittem, kicsit furcsa volt.
A tartályok még mindig gondtalanul maradtak Sano-nál, amikor az amerikai erők partra szálltak, és mindenki menekült Tokióból.
Most már hamarosan elküldik, mi lehet a helyzet.
Valójában egyik tanktag társult sem hallotta a személyzet megjegyzéseit.
Miért lehetett Shiba utánozni Katsuichi Hondát?
Az emberek rajzolásának módja is meghaladta az Ichiji Kosuke leírását.
Shimabara útjában Shigemasa Matsukura, aki elnyomta Kirishitánt, bántalmazásra került, mint "Nincs olyan létezés, amelyet gyűlölnének egy japán történelemben, mint ő."
Az alap a portugál kapitány és a holland kereskedelmi házigazgató nyilvántartásán alapul.
"Egy szalma esőkabátot hozott egy hívőnek, és tette a tűzre", és így tovább.
Csak igazolta-e ezt a rekordot?
Ha megvizsgálod, akkor tudnod kell, hogy abban az időben kiváló megállapodás volt a Las Casas ábrázolásával, az Európában eladott, az Indiák megsemmisítéséről szóló rövid jelentéssel.
Ez a sárga ország kihangsúlyozza, hogy a kereszténység erkölcstelen irgalmas.
Jobb, ha látni akarják, hogy megbosszulnak a bosszúért, vagy a kegyetlen japánokat Las Casas mimikriájával rajzolják.
Asahi Shimbun egy McArthur fehéret imád, és nem tudják, hogy fehérek.
Megkapták Shiba-t is?
Európába utazásakor Akitake, Tokugawa Yoshinobu fiatalabb testvére, Belgiumba látogatott, és II.
De akkor a király azt tervezi, hogy Japánt kolóniává teszi.
Azt is mondja, hogy "az ázsiai vadvilág biztosan üdvözli az európai civilizációt".
Végtére is, a király gyarmatosította Kongót, és a lakosság csuklóinak felét levágta, a lakosság 70% -át megölve.
Nincs ilyen kritika szó egy ilyen királynak.
Úgy tűnik, Shiba teljesen ismeri az Asahi újságának "A japánok számára súlyos, és egy külföldi is koreai és magasan értékeli".
Shiba a történelemre vonatkozó véleménye szerint „Japán arrogáns volt, miután felkelt Sakanoue-ra, és állt, és elindult a romra”.
* Történeti nézet, amelyet mindig a baloldali dokumentumfilm-gyártó, aki megfertőzött az NHK-val, és rizset fogyaszt az adóért, és az NHK hírosztályát ... A Shiba Ryotaro is a történelemárusító kultúra embereinek masokisztikus nézete. aki az NHK-t uralja *
Azonban a modern japán gyűlölet és a külföldi imádat, hogy gyermekesek legyenek, a történelem szempontjából vegyesek.
Semmi esetre sem véletlen, hogy furcsa módon hasonlít az Asahi Shimbunhoz, amely elbocsátja a Meiji 150-et.