文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 

2019年06月17日 13時39分44秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。

2019年06月17日 13時36分24秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 

2019年06月17日 13時33分41秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。

2019年06月17日 13時29分58秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。

2019年06月17日 12時49分42秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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2019年06月17日 12時49分20秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。これはキリスト教徒も同じ。

2019年06月17日 12時48分54秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない

2019年06月17日 12時48分32秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。

2019年06月17日 12時48分10秒 | 全般

私は以下の本から、これまで紹介した章の全てと以降に紹介する全ての章を米国の大学で教授をしているという信じ難い低能にして最低で悪質な下種女郎であるアレクシス・ダデンに特に届ける。
掠奪に加わらなかった日本軍
戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裹の面があって初めて成立してきた。
掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンティブ、当然の報酬だった。
それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 
彼はベドウィンの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウィンはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。
大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。 
そのベドウィンが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。 
これはキリスト教徒も同じ。
13世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に3日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 
清朝の末期、義和団の乱が起きた。
日本のほか英米仏独露など8ヵ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。
籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。 
戦いが終わった後、8ヵ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。
国王ウイルヘルムニ世に宛てた報告書には「各国軍隊に3日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。 
支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。 
これが20世紀の入り口で起きた。
ドイツ入も英国人も喜んで掠奪に加わった。
中でもロシア軍はリネウイッチ将軍自ら掠奪して回った。
何より驚きなのは3日問の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。
それを白人国家は当然のようにやった。 
21世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。
盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。
米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。
掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。 
日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。
日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。 
こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。
支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で2000人が毎晩強姦された」ことにした。
それは彼らの描く戦争の形だからだ。 
しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。
マヤ族の悲劇
例えばマヤだ。
彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。
しかし現在はその片鱗すら生き残っていない。
マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタビューしたことがある。 
十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。
彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。
純粋のマヤ族だった。
彼女はそんな祖先を「恨む」といった。
もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。
「そうだったら堂々と街に降りて、メキシコシティのハードロックカフェにもいけたのに」
なまじインディオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。 
黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 
このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタビューのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。
「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。
「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。
それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。
「インディオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。
さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインディオっぽいと入れてくれない」のだと。
あの輝かしい文化を持ったマヤは滅び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。 
実はこれに似た話をテヘラン特派員時代に聞いたことがあった。
支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。
助手のマスウッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。
運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。
助手はそこで改めて男の子か女の子かを聞いた。 
それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファペントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。
軽蔑するアラブ人の血が少し入ったという意味だ。
そして13世紀にはフビライの弟プラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。
治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にペルシャ人の血を汚した」。
「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。
それがたまに出てくる。
目の細い黄色い子供が生まれる。
メスチソの通訳と同じ。
だから赤ん坊が生まれればまず色を聞くのだという。 
実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。
彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。
「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でプラグの末裔と分かる」と。 
同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。
それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。 
ハイチがいい例だ。
フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。
しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。
奴隷出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。 
理由は人口の30%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。
フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。
彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。
白人の身勝手に団結して抗議し、奴隷植民地の歴史を償わせるという動きは生まれようにも生まれてこない。 
強姦は掠奪のついでに行うものではない。
強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。 
先の大戦でスラブ人やタタール人で構成されるソ連軍はエルベ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約200万人の女性がソ連軍に凌辱された。 
よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。
第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。 
統計がしっかりしているのはベルリンで、ここでは13万人が犯され、うち9万2千人が市内の二つの病院で手当てを受けた。
うち2万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約2千人が出産している。
日本の純粋さ
日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。
性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。 
ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。
一般の民家に押し入って女を漁った。
蒋介石軍の兵士と同じだった。
押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。
米軍の占領期間に殺された日本人は2,536人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。 
この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」といったくだりがある。
これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 
これが彼らの戦争の本当の姿になる。 
しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。
前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。 
上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。 
南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。
彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。 
日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。
防疫と堤防の修理は日本軍がやった。 
彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。
南京にある例の30万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。 
彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかった。
写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。
だが、それが違うと分かってきて、南京事件70周年に当たる07年12月にこの写真をこっそり外した。 
それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。 
この稿続く。

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以下はリアルタイムのベスト10である。

2019年06月17日 11時49分25秒 | 全般

1

辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、

2

たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない

3

中国は2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟した際にも、国際社会に対しほぼ同じことを約束していた。 その約束を反故にしたことが今回の米中貿易戦争の原因の一つだともいわれている。

4

その結果、産経新聞は中国政府から記者会見への出席を阻まれるなどの嫌がらせを受けているが、産経新聞は全くひるんでいない。

5

中国にとってマイナス面の情報は、共産党当局によって封殺され、リストラされた当事者による書き込みもインターネットから削除されているのが現状だ

6

関係者は産経新聞の電話取材に対し「有給休暇がたまっているので、いまは消化しているが、将来が不安だ」と話した。

7

ある編集者は、このあと内田氏がはたして、一万円の朝日の「対談」の仕事を引き受けたのか否か、訊いてみたいと言っていた。 

8

この様な論文が人民日報の日本支局と言っても全く過言ではない朝日新聞や中央テレビ局CCTV日本支社と言っても全く過言ではないNHKには決して登場する事はないのである

9

平成の御代を、「反安倍一面トップ」という朝刊で締めくくり、御代替わりを祝う国民に嫌味を言い続ける朝日新聞にとって、この30年はどんな時代だったと言えるのか

10

it is a popular page yesterday.

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平成26年、朝日新聞の凋落が明らかとなる「事件」が起きた。32年遡って、慰安婦に関する誤報を認め、訂正したのだ。そして、福島第一原発、吉田調書の誤報と併せ、木村伊量社長は辞任

2019年06月17日 11時44分20秒 | 全般

以下は私が何度も日本国民全員が必読の月刊誌であると言及しているHanada今月号に掲載された有本香さんの論文からである。
朝日新聞などを購読しNHKなどを視聴しているだけでは決して分からない事実を検証し知らしめている論文が満載されているのが月刊誌各誌…それでいながら一誌平均約800円なのである。
以下は前章の続きである。
4月6、7日に、産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が実施した合同世論調査によると、新元号を「良いと思う」という回答は87%にも達した。
しかも、元号が国民生活に定着し、制度存続が望ましいとの声は、むしろ若い世代のほうに多いという結果が出た。 
同調査の結果を詳しく見ると、元号制度について「続けるほうがよい」という回答は、18~29歳85.4%、30代86.4%、40代87%、50代83.7%と現役世代では軒並み8割超えだったのに対し、60歳以上になると78.2パーセントと下がっている。 
最近では、新聞を読むのは高齢者だけというのは一種の定説である。
とりわけ朝日新聞に関しては、「中心読者は七十代」などと巷間言われるが、新元号にまつわる調査結果を見れば、この「噂」もあながちウソではないのだろうと思われる。
反安倍による自家撞着 
いま一度、『天声人語』に戻ろう。 
4月3日には、新元号「令和」の考案者ではないかといわれている万葉集研究者、中西進氏のことが載った。
中西氏の業績を誉め、《万葉研究ではまぎれもない第一人者だろう》と書いたところまではよい。
問題はこのあとのくだりだ。  
そんな中西さんが新元号「令和」の考案者ではないかと報じられている。政府が明らかにしない限り、ご当人からは、そうとも違うとも言い出しにくいはずである。万葉集が脚光を浴びるいま、その普及に尽くしてきた中西さんが、窮屈な立場に追い込まれてはいないか。 
え?
そうだろうか。
中西氏を窮屈にしている意味がわからない、と思いながら読んでいくと、唐突にある名前が出てきて、この日の天声人語はつぎのように終わる。  
安倍晋三首相はテレビ局をはしごして新しい元号に込めた思いを説いた。だが、ほんとうに聞きたいのは碩学による奥行きのある解説だ。考案者であろうとなかろうと、いまこそ「中西万葉学」の出番だろう。 
ここで「反安倍」をねじ込んでくるとは、あまりの無理やりぶりに笑いがこみ上げてきてしばらく止まらず、笑い続けた。 要するに天声人語の書き手は、新元号決定のあと、あちこちのTV番組に安倍首相が露出したことを忌々しく思っていたのだ。
しかしここでもまた、世論は朝日の思いに反する動きを見せた。 
4月13、14の両日、朝日新聞が行った世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人が44%と、前回より3ポイントも上昇したのである。
一方、「支持しない」と答えた人は32%と、前回より5ポイントも下落している。
自社の調査でのこの結果は、朝日新聞にとって極めて好ましくないものだったにちがいない。
朝日新聞の窮状と反安倍 
ここでもう一度、内田樹氏のツィッターを覗いてみよう。朝日新聞はなんだか財政的にひどいことになっているみたいですね。連載コラムの原稿料が20%カットになったという話を先日ある書き手の方から聞きましたけれど、今日オファーされた対談(1時間程度)の提示ギャラは1万円でした。朝日新聞・・・だいじょうぶかな。(4月16日) 
内田氏はこのあとも連続ツイートし、《僕はギャラが少ないって文句言ってるんじゃないですよ》などと自己弁護しながら、《このままだとある日突然日本を代表する全国紙が消えて、読者が度肝を抜かれるという事態があり得る》と言い、さらにこう結ぶ。 
それがもたらす社会的影響の大きさを考えると、(中略)「どうやって新聞を支えるか」はメディアがその総力を挙げて論じるべきことなんじゃないですか?違う?
うーん。どことなく素粒子と似た、何を言いたいのかわからない呟きとなっている。 
一時間一万円を、安いと考えるか高いと考えるかはその人次第だ。 
ただ、内田氏だけではなく、不肖私も含め、言論を仕事とする者の場合、必ずしも拘束される時間で「ギャラ」が決まるわけでも保証されるわけでもない。
金銭的に割の良い仕事もあれば、そうでない仕事もある。
業界関係者がよく言う譬えに、「下調べにかけた時間などを含むと、ファストフードの店員さんより時給が安かった」というような仕事もある。 
しかし、仕事を選ぶ基準が金銭だけではないというのも自由な立場の言論人の特権だ。
割の良い仕事でも嫌なら断ればいいし、金銭的メリッ卜は少なくてもやるべきと思う仕事はある。
ある編集者は、このあと内田氏がはたして、一万円の朝日の「対談」の仕事を引き受けたのか否か、訊いてみたいと言っていた。 
一方、私が内田氏のツイートのなかで気になっているのは、氏の言う「朝日のような全国紙が突然消えたら大変だ」というところである。
氏は救うために知恵を結集せよと言っているが、はたしてそうだろうか。 
私たち日本国民は、平成の御代にメガバンクをはじめとする金融機関の統廃合や大手企業の合併、経営破綻を経験している。
それに比べたら、こう言っては悪いが、たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない。 
大変だ!と思っている内田氏らが、朝日の関係者と協力して「救う」手段でもなんでも講じればよい。
朝日にとっての平成 
平成の御代を、「反安倍一面トップ」という朝刊で締めくくり、御代替わりを祝う国民に嫌味を言い続ける朝日新聞にとって、この30年はどんな時代だったと言えるのか。 
同日の素粒子はこう言う。 
サ 30年余、いろいろあった 
ヨ 予期せぬ災害次から次に 
ナ 涙にくれた東日本大震災 
ラ 楽観できない原発の廃炉 
へ 平和憲法は解釈改憲され 
イ 今や集団的自衛権行使も
セ 正規でなく非正規が増え 
イ いつの間にやら格差社会 
レ 歴代政権の放漫な財政で 
イ いまの国債残高897兆円 
ワ 若い世代ヘッケを回した 
へ 減る人口で縮む国どこへ 
読んで目眩がした。
心に刺さったからではない。
哀れになったからだ。 
格差社会の頂点に立ち続けた挙げ句、「若い世代」に見放されたこの素粒子の書き手には、自社の平成30年余の歩みがまったく見えていないようである。 
そこで、余計なお世話かとは思ったが、不肖私が、数字と報道内容とで朝日新聞の30年余を振り返ってみることにした。 

まず、平成元年の朝日新聞の報道で真っ先に頭に浮かぶことといえば、「サンゴ記事捏造事件」である。
別名「K・Y事件」ともいうこの事件を、若い方はご存じないかもしれないので概略を書いておく。 
平成元年(1989)4月20日、朝日新聞夕刊に「サンゴ汚したK・Yつてだれだ」と題した写真付きの記事が載った。 
沖縄の、ギネスブックにも載った世界最大のアザミサンゴに、ナイフで「K・Y」というイニシャルの傷がつけられていたという内容の記事は衝撃をもって広がったが、そこには日本人のモラルの低下を嘆いた「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」というくだりもあった。
だが、実はこの写真は、朝日新聞のカメラマンが、自らナイフでサンゴに傷をつけて撮った悪質な捏造記事だったのである。
捏造が露見するまでの朝日新聞の対応も最悪だったが、その経緯はここでは割愛する。 
どんなメディアにも間違いや誤報はあるが、こんなデタラメをやってまで日本人を貶めようとする新聞社はさすがに他にない。
本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、当時の朝日新聞は、朝刊8,108,004部、夕刊4,756,037部という部数を誇っていた(平成元年7~12月・ABCデータ)。
安倍vs朝日の闘争勃発 
このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、部数はどんどん伸びていく。
平成5年、この年は、のちに朝日の天敵となる安倍晋三が衆議院に初当選を果たした年だが、当時の朝刊は8,228,960部、夕刊も4,500,000部超を保っていた。 
平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。 
流れが変わり始めるのは、20世紀が終わり、新しい世紀に入った頃である。 
この頃同時に、安倍晋三と朝日の闘争が始まる。
平成13年、森喜朗総理大臣のもとで官房副長官に抜擢された安倍氏が、おそらく初めて朝日の一面で叩かれる。
「えひめ丸」事故の対応を巡る記事だった。 
この頃から徐々に、いわゆるネット世論が生まれ始める。 
平成13年、小泉政権が誕生したあとには、首相の靖國神社参拝を支持する声などが上がり始め、翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
しかしそれでも部数は底堅く、朝刊は8,284,513部を維持していた。
アンチ安倍を生んだもの 
一部に強烈なアンチを生んだものの、まだまだ「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった大新聞と、若き官房副長官だった安倍晋三が拉致問題でぶつかったのはこの頃だ。 
帰国した拉致被害者を北朝鮮へ返せという朝日新聞の論調を安倍が批判。
それに対し、朝日が社説で安倍を名指しで批判し返し、さらに安倍が『週刊文春』の誌上で再批判するという展開となった。
当時、マスメディアと喧嘩をして勝った政治家など皆無、形勢は安倍に断然不利だった。
だが皮肉なことに、世間は拉致問題での対応を巡る安倍の毅然とした姿勢を支持し、一躍、ポスト小泉の一番手と目されるようになる。 
こうしたなかで、もう一つの衝突事案が持ち上がる。
平成13年、NHKがETV特集で放送した「女性国際戦犯法廷」という番組をめぐる一件である。 
これについて、平成17年1月12日、朝日新聞は中川昭一経産相と安倍官房副長官(当時)がNHK上層部に圧力をかけたと報じた。 
検証の結果、圧力などはなかったことが判明。
朝日は社長が会見して取材の不十分さを認めたのである(ただし、訂正謝罪はなし)。 
このことで朝日新聞の“安倍憎し”は決定的になったと言われている。 
朝日新聞の部数に翳りが見え始めるのはこのあとで、凋落がはっきりするのは平成22(2010)年頃である。
この年、朝刊の部数が800万部を切ることとなる。
折しも、この2年前には日本で、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」が登場、平成22年以降使用者が増えていく。
このあと、画像や映像を投稿できるようになるにつれ、拡散力、速報性に優れたSNS(ソーシヤル・ネットワーキング・サービス)が、マスメディアへのカウンター的役割を果たすようになっていく。 
そんななかで安倍は二度、総理の座に就く。
一度は朝日新聞をはじめとするマスメディアとの闘争に敗れて、わずか一年で政権の座を明け渡すが、平成24年に返り咲いてからは今日まで、長期政権を張っている。 
そして平成26年、朝日新聞の凋落が明らかとなる「事件」が起きた。
32年遡って、慰安婦に関する誤報を認め、訂正したのだ。そして、福島第一原発、吉田調書の誤報と併せ、木村伊量社長は辞任に追い込まれた。 
この年を境に、朝日新聞の朝刊部数は700万部を切り、直近の平成30年の下半期には、5,766,550部にまで落ち込んでいる。 
朝日新聞の凋落は今後も続くのか。
内田氏が言うように、いつか突然なくなるのか、それとも関係者の努力で「救われる」日が来るのか? 

朝日新聞が安倍憎しで固まるあまり、自国を卑下し、世界の動きから目をそむけ、国民の声を聞かずに上から目線で窘め続けている限り、後者への道はないものと思われる。 

さて、令和初日の素粒子は何と書いたか。  

けさ、日の丸が林立する銀座・並木通りを歩いて、奉祝ムードに浸りながら考えた。で、何が変わるのか。世の中に改めたい問題は多いが、新天皇即位とは関係ないなあ。 

これが5月1日の最初の一節。

やっぱりダメだ、こりゃ。

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このことで朝日新聞の“安倍憎し”は決定的になったと言われている。朝日新聞の部数に翳りが見え始めるのはこのあとで、凋落がはっきりするのは平成22(2010)年頃である。

2019年06月17日 11時40分53秒 | 全般

以下は私が何度も日本国民全員が必読の月刊誌であると言及しているHanada今月号に掲載された有本香さんの論文からである。
朝日新聞などを購読しNHKなどを視聴しているだけでは決して分からない事実を検証し知らしめている論文が満載されているのが月刊誌各誌…それでいながら一誌平均約800円なのである。
以下は前章の続きである。
4月6、7日に、産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が実施した合同世論調査によると、新元号を「良いと思う」という回答は87%にも達した。
しかも、元号が国民生活に定着し、制度存続が望ましいとの声は、むしろ若い世代のほうに多いという結果が出た。 
同調査の結果を詳しく見ると、元号制度について「続けるほうがよい」という回答は、18~29歳85.4%、30代86.4%、40代87%、50代83.7%と現役世代では軒並み8割超えだったのに対し、60歳以上になると78.2パーセントと下がっている。 
最近では、新聞を読むのは高齢者だけというのは一種の定説である。
とりわけ朝日新聞に関しては、「中心読者は七十代」などと巷間言われるが、新元号にまつわる調査結果を見れば、この「噂」もあながちウソではないのだろうと思われる。
反安倍による自家撞着 
いま一度、『天声人語』に戻ろう。 
4月3日には、新元号「令和」の考案者ではないかといわれている万葉集研究者、中西進氏のことが載った。
中西氏の業績を誉め、《万葉研究ではまぎれもない第一人者だろう》と書いたところまではよい。
問題はこのあとのくだりだ。  
そんな中西さんが新元号「令和」の考案者ではないかと報じられている。政府が明らかにしない限り、ご当人からは、そうとも違うとも言い出しにくいはずである。万葉集が脚光を浴びるいま、その普及に尽くしてきた中西さんが、窮屈な立場に追い込まれてはいないか。 
え?
そうだろうか。
中西氏を窮屈にしている意味がわからない、と思いながら読んでいくと、唐突にある名前が出てきて、この日の天声人語はつぎのように終わる。  
安倍晋三首相はテレビ局をはしごして新しい元号に込めた思いを説いた。だが、ほんとうに聞きたいのは碩学による奥行きのある解説だ。考案者であろうとなかろうと、いまこそ「中西万葉学」の出番だろう。 
ここで「反安倍」をねじ込んでくるとは、あまりの無理やりぶりに笑いがこみ上げてきてしばらく止まらず、笑い続けた。 要するに天声人語の書き手は、新元号決定のあと、あちこちのTV番組に安倍首相が露出したことを忌々しく思っていたのだ。
しかしここでもまた、世論は朝日の思いに反する動きを見せた。 
4月13、14の両日、朝日新聞が行った世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人が44%と、前回より3ポイントも上昇したのである。
一方、「支持しない」と答えた人は32%と、前回より5ポイントも下落している。
自社の調査でのこの結果は、朝日新聞にとって極めて好ましくないものだったにちがいない。
朝日新聞の窮状と反安倍 
ここでもう一度、内田樹氏のツィッターを覗いてみよう。朝日新聞はなんだか財政的にひどいことになっているみたいですね。連載コラムの原稿料が20%カットになったという話を先日ある書き手の方から聞きましたけれど、今日オファーされた対談(1時間程度)の提示ギャラは1万円でした。朝日新聞・・・だいじょうぶかな。(4月16日) 
内田氏はこのあとも連続ツイートし、《僕はギャラが少ないって文句言ってるんじゃないですよ》などと自己弁護しながら、《このままだとある日突然日本を代表する全国紙が消えて、読者が度肝を抜かれるという事態があり得る》と言い、さらにこう結ぶ。 
それがもたらす社会的影響の大きさを考えると、(中略)「どうやって新聞を支えるか」はメディアがその総力を挙げて論じるべきことなんじゃないですか?違う?
うーん。どことなく素粒子と似た、何を言いたいのかわからない呟きとなっている。 
一時間一万円を、安いと考えるか高いと考えるかはその人次第だ。 
ただ、内田氏だけではなく、不肖私も含め、言論を仕事とする者の場合、必ずしも拘束される時間で「ギャラ」が決まるわけでも保証されるわけでもない。
金銭的に割の良い仕事もあれば、そうでない仕事もある。
業界関係者がよく言う譬えに、「下調べにかけた時間などを含むと、ファストフードの店員さんより時給が安かった」というような仕事もある。 
しかし、仕事を選ぶ基準が金銭だけではないというのも自由な立場の言論人の特権だ。
割の良い仕事でも嫌なら断ればいいし、金銭的メリッ卜は少なくてもやるべきと思う仕事はある。
ある編集者は、このあと内田氏がはたして、一万円の朝日の「対談」の仕事を引き受けたのか否か、訊いてみたいと言っていた。 
一方、私が内田氏のツイートのなかで気になっているのは、氏の言う「朝日のような全国紙が突然消えたら大変だ」というところである。
氏は救うために知恵を結集せよと言っているが、はたしてそうだろうか。 
私たち日本国民は、平成の御代にメガバンクをはじめとする金融機関の統廃合や大手企業の合併、経営破綻を経験している。
それに比べたら、こう言っては悪いが、たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない。 
大変だ!と思っている内田氏らが、朝日の関係者と協力して「救う」手段でもなんでも講じればよい。
朝日にとっての平成 
平成の御代を、「反安倍一面トップ」という朝刊で締めくくり、御代替わりを祝う国民に嫌味を言い続ける朝日新聞にとって、この30年はどんな時代だったと言えるのか。 
同日の素粒子はこう言う。 
サ 30年余、いろいろあった 
ヨ 予期せぬ災害次から次に 
ナ 涙にくれた東日本大震災 
ラ 楽観できない原発の廃炉 
へ 平和憲法は解釈改憲され 
イ 今や集団的自衛権行使も
セ 正規でなく非正規が増え 
イ いつの間にやら格差社会 
レ 歴代政権の放漫な財政で 
イ いまの国債残高897兆円 
ワ 若い世代ヘッケを回した 
へ 減る人口で縮む国どこへ 
読んで目眩がした。
心に刺さったからではない。
哀れになったからだ。 
格差社会の頂点に立ち続けた挙げ句、「若い世代」に見放されたこの素粒子の書き手には、自社の平成30年余の歩みがまったく見えていないようである。 
そこで、余計なお世話かとは思ったが、不肖私が、数字と報道内容とで朝日新聞の30年余を振り返ってみることにした。 

まず、平成元年の朝日新聞の報道で真っ先に頭に浮かぶことといえば、「サンゴ記事捏造事件」である。
別名「K・Y事件」ともいうこの事件を、若い方はご存じないかもしれないので概略を書いておく。 
平成元年(1989)4月20日、朝日新聞夕刊に「サンゴ汚したK・Yつてだれだ」と題した写真付きの記事が載った。 
沖縄の、ギネスブックにも載った世界最大のアザミサンゴに、ナイフで「K・Y」というイニシャルの傷がつけられていたという内容の記事は衝撃をもって広がったが、そこには日本人のモラルの低下を嘆いた「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」というくだりもあった。
だが、実はこの写真は、朝日新聞のカメラマンが、自らナイフでサンゴに傷をつけて撮った悪質な捏造記事だったのである。
捏造が露見するまでの朝日新聞の対応も最悪だったが、その経緯はここでは割愛する。 
どんなメディアにも間違いや誤報はあるが、こんなデタラメをやってまで日本人を貶めようとする新聞社はさすがに他にない。
本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、当時の朝日新聞は、朝刊8,108,004部、夕刊4,756,037部という部数を誇っていた(平成元年7~12月・ABCデータ)。
安倍vs朝日の闘争勃発 
このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、部数はどんどん伸びていく。
平成5年、この年は、のちに朝日の天敵となる安倍晋三が衆議院に初当選を果たした年だが、当時の朝刊は8,228,960部、夕刊も4,500,000部超を保っていた。 
平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。 
流れが変わり始めるのは、20世紀が終わり、新しい世紀に入った頃である。 
この頃同時に、安倍晋三と朝日の闘争が始まる。
平成13年、森喜朗総理大臣のもとで官房副長官に抜擢された安倍氏が、おそらく初めて朝日の一面で叩かれる。
「えひめ丸」事故の対応を巡る記事だった。 
この頃から徐々に、いわゆるネット世論が生まれ始める。 
平成13年、小泉政権が誕生したあとには、首相の靖國神社参拝を支持する声などが上がり始め、翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
しかしそれでも部数は底堅く、朝刊は8,284,513部を維持していた。
アンチ安倍を生んだもの 
一部に強烈なアンチを生んだものの、まだまだ「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった大新聞と、若き官房副長官だった安倍晋三が拉致問題でぶつかったのはこの頃だ。 
帰国した拉致被害者を北朝鮮へ返せという朝日新聞の論調を安倍が批判。
それに対し、朝日が社説で安倍を名指しで批判し返し、さらに安倍が『週刊文春』の誌上で再批判するという展開となった。
当時、マスメディアと喧嘩をして勝った政治家など皆無、形勢は安倍に断然不利だった。
だが皮肉なことに、世間は拉致問題での対応を巡る安倍の毅然とした姿勢を支持し、一躍、ポスト小泉の一番手と目されるようになる。 
こうしたなかで、もう一つの衝突事案が持ち上がる。
平成13年、NHKがETV特集で放送した「女性国際戦犯法廷」という番組をめぐる一件である。 
これについて、平成17年1月12日、朝日新聞は中川昭一経産相と安倍官房副長官(当時)がNHK上層部に圧力をかけたと報じた。 
検証の結果、圧力などはなかったことが判明。
朝日は社長が会見して取材の不十分さを認めたのである(ただし、訂正謝罪はなし)。 
このことで朝日新聞の“安倍憎し”は決定的になったと言われている。 
朝日新聞の部数に翳りが見え始めるのはこのあとで、凋落がはっきりするのは平成22(2010)年頃である。
この年、朝刊の部数が800万部を切ることとなる。
折しも、この2年前には日本で、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」が登場、平成22年以降使用者が増えていく。
このあと、画像や映像を投稿できるようになるにつれ、拡散力、速報性に優れたSNS(ソーシヤル・ネットワーキング・サービス)が、マスメディアへのカウンター的役割を果たすようになっていく。 
そんななかで安倍は二度、総理の座に就く。
一度は朝日新聞をはじめとするマスメディアとの闘争に敗れて、わずか一年で政権の座を明け渡すが、平成24年に返り咲いてからは今日まで、長期政権を張っている。 
そして平成26年、朝日新聞の凋落が明らかとなる「事件」が起きた。
32年遡って、慰安婦に関する誤報を認め、訂正したのだ。そして、福島第一原発、吉田調書の誤報と併せ、木村伊量社長は辞任に追い込まれた。 
この年を境に、朝日新聞の朝刊部数は700万部を切り、直近の平成30年の下半期には、5,766,550部にまで落ち込んでいる。 
朝日新聞の凋落は今後も続くのか。
内田氏が言うように、いつか突然なくなるのか、それとも関係者の努力で「救われる」日が来るのか? 

朝日新聞が安倍憎しで固まるあまり、自国を卑下し、世界の動きから目をそむけ、国民の声を聞かずに上から目線で窘め続けている限り、後者への道はないものと思われる。 

さて、令和初日の素粒子は何と書いたか。  

けさ、日の丸が林立する銀座・並木通りを歩いて、奉祝ムードに浸りながら考えた。で、何が変わるのか。世の中に改めたい問題は多いが、新天皇即位とは関係ないなあ。 

これが5月1日の最初の一節。

やっぱりダメだ、こりゃ。

コメント
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こうしたなかで、もう一つの衝突事案が持ち上がる。平成13年、NHKがETV特集で放送した「女性国際戦犯法廷」という番組をめぐる一件である。 

2019年06月17日 11時36分26秒 | 全般

以下は私が何度も日本国民全員が必読の月刊誌であると言及しているHanada今月号に掲載された有本香さんの論文からである。
朝日新聞などを購読しNHKなどを視聴しているだけでは決して分からない事実を検証し知らしめている論文が満載されているのが月刊誌各誌…それでいながら一誌平均約800円なのである。
以下は前章の続きである。
4月6、7日に、産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が実施した合同世論調査によると、新元号を「良いと思う」という回答は87%にも達した。
しかも、元号が国民生活に定着し、制度存続が望ましいとの声は、むしろ若い世代のほうに多いという結果が出た。 
同調査の結果を詳しく見ると、元号制度について「続けるほうがよい」という回答は、18~29歳85.4%、30代86.4%、40代87%、50代83.7%と現役世代では軒並み8割超えだったのに対し、60歳以上になると78.2パーセントと下がっている。 
最近では、新聞を読むのは高齢者だけというのは一種の定説である。
とりわけ朝日新聞に関しては、「中心読者は七十代」などと巷間言われるが、新元号にまつわる調査結果を見れば、この「噂」もあながちウソではないのだろうと思われる。
反安倍による自家撞着 
いま一度、『天声人語』に戻ろう。 
4月3日には、新元号「令和」の考案者ではないかといわれている万葉集研究者、中西進氏のことが載った。
中西氏の業績を誉め、《万葉研究ではまぎれもない第一人者だろう》と書いたところまではよい。
問題はこのあとのくだりだ。  
そんな中西さんが新元号「令和」の考案者ではないかと報じられている。政府が明らかにしない限り、ご当人からは、そうとも違うとも言い出しにくいはずである。万葉集が脚光を浴びるいま、その普及に尽くしてきた中西さんが、窮屈な立場に追い込まれてはいないか。 
え?
そうだろうか。
中西氏を窮屈にしている意味がわからない、と思いながら読んでいくと、唐突にある名前が出てきて、この日の天声人語はつぎのように終わる。  
安倍晋三首相はテレビ局をはしごして新しい元号に込めた思いを説いた。だが、ほんとうに聞きたいのは碩学による奥行きのある解説だ。考案者であろうとなかろうと、いまこそ「中西万葉学」の出番だろう。 
ここで「反安倍」をねじ込んでくるとは、あまりの無理やりぶりに笑いがこみ上げてきてしばらく止まらず、笑い続けた。 要するに天声人語の書き手は、新元号決定のあと、あちこちのTV番組に安倍首相が露出したことを忌々しく思っていたのだ。
しかしここでもまた、世論は朝日の思いに反する動きを見せた。 
4月13、14の両日、朝日新聞が行った世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人が44%と、前回より3ポイントも上昇したのである。
一方、「支持しない」と答えた人は32%と、前回より5ポイントも下落している。
自社の調査でのこの結果は、朝日新聞にとって極めて好ましくないものだったにちがいない。
朝日新聞の窮状と反安倍 
ここでもう一度、内田樹氏のツィッターを覗いてみよう。朝日新聞はなんだか財政的にひどいことになっているみたいですね。連載コラムの原稿料が20%カットになったという話を先日ある書き手の方から聞きましたけれど、今日オファーされた対談(1時間程度)の提示ギャラは1万円でした。朝日新聞・・・だいじょうぶかな。(4月16日) 
内田氏はこのあとも連続ツイートし、《僕はギャラが少ないって文句言ってるんじゃないですよ》などと自己弁護しながら、《このままだとある日突然日本を代表する全国紙が消えて、読者が度肝を抜かれるという事態があり得る》と言い、さらにこう結ぶ。 
それがもたらす社会的影響の大きさを考えると、(中略)「どうやって新聞を支えるか」はメディアがその総力を挙げて論じるべきことなんじゃないですか?違う?
うーん。どことなく素粒子と似た、何を言いたいのかわからない呟きとなっている。 
一時間一万円を、安いと考えるか高いと考えるかはその人次第だ。 
ただ、内田氏だけではなく、不肖私も含め、言論を仕事とする者の場合、必ずしも拘束される時間で「ギャラ」が決まるわけでも保証されるわけでもない。
金銭的に割の良い仕事もあれば、そうでない仕事もある。
業界関係者がよく言う譬えに、「下調べにかけた時間などを含むと、ファストフードの店員さんより時給が安かった」というような仕事もある。 
しかし、仕事を選ぶ基準が金銭だけではないというのも自由な立場の言論人の特権だ。
割の良い仕事でも嫌なら断ればいいし、金銭的メリッ卜は少なくてもやるべきと思う仕事はある。
ある編集者は、このあと内田氏がはたして、一万円の朝日の「対談」の仕事を引き受けたのか否か、訊いてみたいと言っていた。 
一方、私が内田氏のツイートのなかで気になっているのは、氏の言う「朝日のような全国紙が突然消えたら大変だ」というところである。
氏は救うために知恵を結集せよと言っているが、はたしてそうだろうか。 
私たち日本国民は、平成の御代にメガバンクをはじめとする金融機関の統廃合や大手企業の合併、経営破綻を経験している。
それに比べたら、こう言っては悪いが、たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない。 
大変だ!と思っている内田氏らが、朝日の関係者と協力して「救う」手段でもなんでも講じればよい。
朝日にとっての平成 
平成の御代を、「反安倍一面トップ」という朝刊で締めくくり、御代替わりを祝う国民に嫌味を言い続ける朝日新聞にとって、この30年はどんな時代だったと言えるのか。 
同日の素粒子はこう言う。 
サ 30年余、いろいろあった 
ヨ 予期せぬ災害次から次に 
ナ 涙にくれた東日本大震災 
ラ 楽観できない原発の廃炉 
へ 平和憲法は解釈改憲され 
イ 今や集団的自衛権行使も
セ 正規でなく非正規が増え 
イ いつの間にやら格差社会 
レ 歴代政権の放漫な財政で 
イ いまの国債残高897兆円 
ワ 若い世代ヘッケを回した 
へ 減る人口で縮む国どこへ 
読んで目眩がした。
心に刺さったからではない。
哀れになったからだ。 
格差社会の頂点に立ち続けた挙げ句、「若い世代」に見放されたこの素粒子の書き手には、自社の平成30年余の歩みがまったく見えていないようである。 
そこで、余計なお世話かとは思ったが、不肖私が、数字と報道内容とで朝日新聞の30年余を振り返ってみることにした。 

まず、平成元年の朝日新聞の報道で真っ先に頭に浮かぶことといえば、「サンゴ記事捏造事件」である。
別名「K・Y事件」ともいうこの事件を、若い方はご存じないかもしれないので概略を書いておく。 
平成元年(1989)4月20日、朝日新聞夕刊に「サンゴ汚したK・Yつてだれだ」と題した写真付きの記事が載った。 
沖縄の、ギネスブックにも載った世界最大のアザミサンゴに、ナイフで「K・Y」というイニシャルの傷がつけられていたという内容の記事は衝撃をもって広がったが、そこには日本人のモラルの低下を嘆いた「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」というくだりもあった。
だが、実はこの写真は、朝日新聞のカメラマンが、自らナイフでサンゴに傷をつけて撮った悪質な捏造記事だったのである。
捏造が露見するまでの朝日新聞の対応も最悪だったが、その経緯はここでは割愛する。 
どんなメディアにも間違いや誤報はあるが、こんなデタラメをやってまで日本人を貶めようとする新聞社はさすがに他にない。
本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、当時の朝日新聞は、朝刊8,108,004部、夕刊4,756,037部という部数を誇っていた(平成元年7~12月・ABCデータ)。
安倍vs朝日の闘争勃発 
このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、部数はどんどん伸びていく。
平成5年、この年は、のちに朝日の天敵となる安倍晋三が衆議院に初当選を果たした年だが、当時の朝刊は8,228,960部、夕刊も4,500,000部超を保っていた。 
平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。 
流れが変わり始めるのは、20世紀が終わり、新しい世紀に入った頃である。 
この頃同時に、安倍晋三と朝日の闘争が始まる。
平成13年、森喜朗総理大臣のもとで官房副長官に抜擢された安倍氏が、おそらく初めて朝日の一面で叩かれる。
「えひめ丸」事故の対応を巡る記事だった。 
この頃から徐々に、いわゆるネット世論が生まれ始める。 
平成13年、小泉政権が誕生したあとには、首相の靖國神社参拝を支持する声などが上がり始め、翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
しかしそれでも部数は底堅く、朝刊は8,284,513部を維持していた。
アンチ安倍を生んだもの 
一部に強烈なアンチを生んだものの、まだまだ「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった大新聞と、若き官房副長官だった安倍晋三が拉致問題でぶつかったのはこの頃だ。 
帰国した拉致被害者を北朝鮮へ返せという朝日新聞の論調を安倍が批判。
それに対し、朝日が社説で安倍を名指しで批判し返し、さらに安倍が『週刊文春』の誌上で再批判するという展開となった。
当時、マスメディアと喧嘩をして勝った政治家など皆無、形勢は安倍に断然不利だった。
だが皮肉なことに、世間は拉致問題での対応を巡る安倍の毅然とした姿勢を支持し、一躍、ポスト小泉の一番手と目されるようになる。 
こうしたなかで、もう一つの衝突事案が持ち上がる。
平成13年、NHKがETV特集で放送した「女性国際戦犯法廷」という番組をめぐる一件である。 
これについて、平成17年1月12日、朝日新聞は中川昭一経産相と安倍官房副長官(当時)がNHK上層部に圧力をかけたと報じた。 
検証の結果、圧力などはなかったことが判明。
朝日は社長が会見して取材の不十分さを認めたのである(ただし、訂正謝罪はなし)。 
このことで朝日新聞の“安倍憎し”は決定的になったと言われている。 
朝日新聞の部数に翳りが見え始めるのはこのあとで、凋落がはっきりするのは平成22(2010)年頃である。
この年、朝刊の部数が800万部を切ることとなる。
折しも、この2年前には日本で、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」が登場、平成22年以降使用者が増えていく。
このあと、画像や映像を投稿できるようになるにつれ、拡散力、速報性に優れたSNS(ソーシヤル・ネットワーキング・サービス)が、マスメディアへのカウンター的役割を果たすようになっていく。 
そんななかで安倍は二度、総理の座に就く。
一度は朝日新聞をはじめとするマスメディアとの闘争に敗れて、わずか一年で政権の座を明け渡すが、平成24年に返り咲いてからは今日まで、長期政権を張っている。 
そして平成26年、朝日新聞の凋落が明らかとなる「事件」が起きた。
32年遡って、慰安婦に関する誤報を認め、訂正したのだ。そして、福島第一原発、吉田調書の誤報と併せ、木村伊量社長は辞任に追い込まれた。 
この年を境に、朝日新聞の朝刊部数は700万部を切り、直近の平成30年の下半期には、5,766,550部にまで落ち込んでいる。 
朝日新聞の凋落は今後も続くのか。
内田氏が言うように、いつか突然なくなるのか、それとも関係者の努力で「救われる」日が来るのか? 

朝日新聞が安倍憎しで固まるあまり、自国を卑下し、世界の動きから目をそむけ、国民の声を聞かずに上から目線で窘め続けている限り、後者への道はないものと思われる。 

さて、令和初日の素粒子は何と書いたか。  

けさ、日の丸が林立する銀座・並木通りを歩いて、奉祝ムードに浸りながら考えた。で、何が変わるのか。世の中に改めたい問題は多いが、新天皇即位とは関係ないなあ。 

これが5月1日の最初の一節。

やっぱりダメだ、こりゃ。

コメント
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平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。 

2019年06月17日 11時34分36秒 | 全般

以下は私が何度も日本国民全員が必読の月刊誌であると言及しているHanada今月号に掲載された有本香さんの論文からである。
朝日新聞などを購読しNHKなどを視聴しているだけでは決して分からない事実を検証し知らしめている論文が満載されているのが月刊誌各誌…それでいながら一誌平均約800円なのである。
以下は前章の続きである。
4月6、7日に、産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が実施した合同世論調査によると、新元号を「良いと思う」という回答は87%にも達した。
しかも、元号が国民生活に定着し、制度存続が望ましいとの声は、むしろ若い世代のほうに多いという結果が出た。 
同調査の結果を詳しく見ると、元号制度について「続けるほうがよい」という回答は、18~29歳85.4%、30代86.4%、40代87%、50代83.7%と現役世代では軒並み8割超えだったのに対し、60歳以上になると78.2パーセントと下がっている。 
最近では、新聞を読むのは高齢者だけというのは一種の定説である。
とりわけ朝日新聞に関しては、「中心読者は七十代」などと巷間言われるが、新元号にまつわる調査結果を見れば、この「噂」もあながちウソではないのだろうと思われる。
反安倍による自家撞着 
いま一度、『天声人語』に戻ろう。 
4月3日には、新元号「令和」の考案者ではないかといわれている万葉集研究者、中西進氏のことが載った。
中西氏の業績を誉め、《万葉研究ではまぎれもない第一人者だろう》と書いたところまではよい。
問題はこのあとのくだりだ。  
そんな中西さんが新元号「令和」の考案者ではないかと報じられている。政府が明らかにしない限り、ご当人からは、そうとも違うとも言い出しにくいはずである。万葉集が脚光を浴びるいま、その普及に尽くしてきた中西さんが、窮屈な立場に追い込まれてはいないか。 
え?
そうだろうか。
中西氏を窮屈にしている意味がわからない、と思いながら読んでいくと、唐突にある名前が出てきて、この日の天声人語はつぎのように終わる。  
安倍晋三首相はテレビ局をはしごして新しい元号に込めた思いを説いた。だが、ほんとうに聞きたいのは碩学による奥行きのある解説だ。考案者であろうとなかろうと、いまこそ「中西万葉学」の出番だろう。 
ここで「反安倍」をねじ込んでくるとは、あまりの無理やりぶりに笑いがこみ上げてきてしばらく止まらず、笑い続けた。 要するに天声人語の書き手は、新元号決定のあと、あちこちのTV番組に安倍首相が露出したことを忌々しく思っていたのだ。
しかしここでもまた、世論は朝日の思いに反する動きを見せた。 
4月13、14の両日、朝日新聞が行った世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人が44%と、前回より3ポイントも上昇したのである。
一方、「支持しない」と答えた人は32%と、前回より5ポイントも下落している。
自社の調査でのこの結果は、朝日新聞にとって極めて好ましくないものだったにちがいない。
朝日新聞の窮状と反安倍 
ここでもう一度、内田樹氏のツィッターを覗いてみよう。朝日新聞はなんだか財政的にひどいことになっているみたいですね。連載コラムの原稿料が20%カットになったという話を先日ある書き手の方から聞きましたけれど、今日オファーされた対談(1時間程度)の提示ギャラは1万円でした。朝日新聞・・・だいじょうぶかな。(4月16日) 
内田氏はこのあとも連続ツイートし、《僕はギャラが少ないって文句言ってるんじゃないですよ》などと自己弁護しながら、《このままだとある日突然日本を代表する全国紙が消えて、読者が度肝を抜かれるという事態があり得る》と言い、さらにこう結ぶ。 
それがもたらす社会的影響の大きさを考えると、(中略)「どうやって新聞を支えるか」はメディアがその総力を挙げて論じるべきことなんじゃないですか?違う?
うーん。どことなく素粒子と似た、何を言いたいのかわからない呟きとなっている。 
一時間一万円を、安いと考えるか高いと考えるかはその人次第だ。 
ただ、内田氏だけではなく、不肖私も含め、言論を仕事とする者の場合、必ずしも拘束される時間で「ギャラ」が決まるわけでも保証されるわけでもない。
金銭的に割の良い仕事もあれば、そうでない仕事もある。
業界関係者がよく言う譬えに、「下調べにかけた時間などを含むと、ファストフードの店員さんより時給が安かった」というような仕事もある。 
しかし、仕事を選ぶ基準が金銭だけではないというのも自由な立場の言論人の特権だ。
割の良い仕事でも嫌なら断ればいいし、金銭的メリッ卜は少なくてもやるべきと思う仕事はある。
ある編集者は、このあと内田氏がはたして、一万円の朝日の「対談」の仕事を引き受けたのか否か、訊いてみたいと言っていた。 
一方、私が内田氏のツイートのなかで気になっているのは、氏の言う「朝日のような全国紙が突然消えたら大変だ」というところである。
氏は救うために知恵を結集せよと言っているが、はたしてそうだろうか。 
私たち日本国民は、平成の御代にメガバンクをはじめとする金融機関の統廃合や大手企業の合併、経営破綻を経験している。
それに比べたら、こう言っては悪いが、たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない。 
大変だ!と思っている内田氏らが、朝日の関係者と協力して「救う」手段でもなんでも講じればよい。
朝日にとっての平成 
平成の御代を、「反安倍一面トップ」という朝刊で締めくくり、御代替わりを祝う国民に嫌味を言い続ける朝日新聞にとって、この30年はどんな時代だったと言えるのか。 
同日の素粒子はこう言う。 
サ 30年余、いろいろあった 
ヨ 予期せぬ災害次から次に 
ナ 涙にくれた東日本大震災 
ラ 楽観できない原発の廃炉 
へ 平和憲法は解釈改憲され 
イ 今や集団的自衛権行使も
セ 正規でなく非正規が増え 
イ いつの間にやら格差社会 
レ 歴代政権の放漫な財政で 
イ いまの国債残高897兆円 
ワ 若い世代ヘッケを回した 
へ 減る人口で縮む国どこへ 
読んで目眩がした。
心に刺さったからではない。
哀れになったからだ。 
格差社会の頂点に立ち続けた挙げ句、「若い世代」に見放されたこの素粒子の書き手には、自社の平成30年余の歩みがまったく見えていないようである。 
そこで、余計なお世話かとは思ったが、不肖私が、数字と報道内容とで朝日新聞の30年余を振り返ってみることにした。 

まず、平成元年の朝日新聞の報道で真っ先に頭に浮かぶことといえば、「サンゴ記事捏造事件」である。
別名「K・Y事件」ともいうこの事件を、若い方はご存じないかもしれないので概略を書いておく。 
平成元年(1989)4月20日、朝日新聞夕刊に「サンゴ汚したK・Yつてだれだ」と題した写真付きの記事が載った。 
沖縄の、ギネスブックにも載った世界最大のアザミサンゴに、ナイフで「K・Y」というイニシャルの傷がつけられていたという内容の記事は衝撃をもって広がったが、そこには日本人のモラルの低下を嘆いた「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」というくだりもあった。
だが、実はこの写真は、朝日新聞のカメラマンが、自らナイフでサンゴに傷をつけて撮った悪質な捏造記事だったのである。
捏造が露見するまでの朝日新聞の対応も最悪だったが、その経緯はここでは割愛する。 
どんなメディアにも間違いや誤報はあるが、こんなデタラメをやってまで日本人を貶めようとする新聞社はさすがに他にない。
本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、当時の朝日新聞は、朝刊8,108,004部、夕刊4,756,037部という部数を誇っていた(平成元年7~12月・ABCデータ)。
安倍vs朝日の闘争勃発 
このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、部数はどんどん伸びていく。
平成5年、この年は、のちに朝日の天敵となる安倍晋三が衆議院に初当選を果たした年だが、当時の朝刊は8,228,960部、夕刊も4,500,000部超を保っていた。 
平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。 
流れが変わり始めるのは、20世紀が終わり、新しい世紀に入った頃である。 
この頃同時に、安倍晋三と朝日の闘争が始まる。
平成13年、森喜朗総理大臣のもとで官房副長官に抜擢された安倍氏が、おそらく初めて朝日の一面で叩かれる。
「えひめ丸」事故の対応を巡る記事だった。 
この頃から徐々に、いわゆるネット世論が生まれ始める。 
平成13年、小泉政権が誕生したあとには、首相の靖國神社参拝を支持する声などが上がり始め、翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
しかしそれでも部数は底堅く、朝刊は8,284,513部を維持していた。
アンチ安倍を生んだもの 
一部に強烈なアンチを生んだものの、まだまだ「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった大新聞と、若き官房副長官だった安倍晋三が拉致問題でぶつかったのはこの頃だ。 
帰国した拉致被害者を北朝鮮へ返せという朝日新聞の論調を安倍が批判。
それに対し、朝日が社説で安倍を名指しで批判し返し、さらに安倍が『週刊文春』の誌上で再批判するという展開となった。
当時、マスメディアと喧嘩をして勝った政治家など皆無、形勢は安倍に断然不利だった。
だが皮肉なことに、世間は拉致問題での対応を巡る安倍の毅然とした姿勢を支持し、一躍、ポスト小泉の一番手と目されるようになる。 
こうしたなかで、もう一つの衝突事案が持ち上がる。
平成13年、NHKはETV特集で放送した「女性国際戦犯法廷」という番組をめぐる一件である。 
これについて、平成17年1月12日、朝日新聞は中川昭一経産相と安倍官房副長官(当時)がNHK上層部に圧力をかけたと報じた。 
検証の結果、圧力などはなかったことが判明。
朝日は社長が会見して取材の不十分さを認めたのである(ただし、訂正謝罪はなし)。 
このことで朝日新聞の“安倍憎し”は決定的になったと言われている。 
朝日新聞の部数に翳りが見え始めるのはこのあとで、凋落がはっきりするのは平成22(2010)年頃である。
この年、朝刊の部数が800万部を切ることとなる。
折しも、この2年前には日本で、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」が登場、平成22年以降使用者が増えていく。
このあと、画像や映像を投稿できるようになるにつれ、拡散力、速報性に優れたSNS(ソーシヤル・ネットワーキング・サービス)が、マスメディアへのカウンター的役割を果たすようになっていく。 
そんななかで安倍は二度、総理の座に就く。
一度は朝日新聞をはじめとするマスメディアとの闘争に敗れて、わずか一年で政権の座を明け渡すが、平成24年に返り咲いてからは今日まで、長期政権を張っている。 
そして平成26年、朝日新聞の凋落が明らかとなる「事件」が起きた。
32年遡って、慰安婦に関する誤報を認め、訂正したのだ。そして、福島第一原発、吉田調書の誤報と併せ、木村伊量社長は辞任に追い込まれた。 
この年を境に、朝日新聞の朝刊部数は700万部を切り、直近の平成30年の下半期には、5,766,550部にまで落ち込んでいる。 
朝日新聞の凋落は今後も続くのか。
内田氏が言うように、いつか突然なくなるのか、それとも関係者の努力で「救われる」日が来るのか? 

朝日新聞が安倍憎しで固まるあまり、自国を卑下し、世界の動きから目をそむけ、国民の声を聞かずに上から目線で窘め続けている限り、後者への道はないものと思われる。 

さて、令和初日の素粒子は何と書いたか。  

けさ、日の丸が林立する銀座・並木通りを歩いて、奉祝ムードに浸りながら考えた。で、何が変わるのか。世の中に改めたい問題は多いが、新天皇即位とは関係ないなあ。 

これが5月1日の最初の一節。

やっぱりダメだ、こりゃ。

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平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。

2019年06月17日 11時32分55秒 | 全般

以下は私が何度も日本国民全員が必読の月刊誌であると言及しているHanada今月号に掲載された有本香さんの論文からである。
朝日新聞などを購読しNHKなどを視聴しているだけでは決して分からない事実を検証し知らしめている論文が満載されているのが月刊誌各誌…それでいながら一誌平均約800円なのである。
以下は前章の続きである。
4月6、7日に、産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が実施した合同世論調査によると、新元号を「良いと思う」という回答は87%にも達した。
しかも、元号が国民生活に定着し、制度存続が望ましいとの声は、むしろ若い世代のほうに多いという結果が出た。 
同調査の結果を詳しく見ると、元号制度について「続けるほうがよい」という回答は、18~29歳85.4%、30代86.4%、40代87%、50代83.7%と現役世代では軒並み8割超えだったのに対し、60歳以上になると78.2パーセントと下がっている。 
最近では、新聞を読むのは高齢者だけというのは一種の定説である。
とりわけ朝日新聞に関しては、「中心読者は七十代」などと巷間言われるが、新元号にまつわる調査結果を見れば、この「噂」もあながちウソではないのだろうと思われる。
反安倍による自家撞着 
いま一度、『天声人語』に戻ろう。 
4月3日には、新元号「令和」の考案者ではないかといわれている万葉集研究者、中西進氏のことが載った。
中西氏の業績を誉め、《万葉研究ではまぎれもない第一人者だろう》と書いたところまではよい。
問題はこのあとのくだりだ。  
そんな中西さんが新元号「令和」の考案者ではないかと報じられている。政府が明らかにしない限り、ご当人からは、そうとも違うとも言い出しにくいはずである。万葉集が脚光を浴びるいま、その普及に尽くしてきた中西さんが、窮屈な立場に追い込まれてはいないか。 
え?
そうだろうか。
中西氏を窮屈にしている意味がわからない、と思いながら読んでいくと、唐突にある名前が出てきて、この日の天声人語はつぎのように終わる。  
安倍晋三首相はテレビ局をはしごして新しい元号に込めた思いを説いた。だが、ほんとうに聞きたいのは碩学による奥行きのある解説だ。考案者であろうとなかろうと、いまこそ「中西万葉学」の出番だろう。 
ここで「反安倍」をねじ込んでくるとは、あまりの無理やりぶりに笑いがこみ上げてきてしばらく止まらず、笑い続けた。 要するに天声人語の書き手は、新元号決定のあと、あちこちのTV番組に安倍首相が露出したことを忌々しく思っていたのだ。
しかしここでもまた、世論は朝日の思いに反する動きを見せた。 
4月13、14の両日、朝日新聞が行った世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人が44%と、前回より3ポイントも上昇したのである。
一方、「支持しない」と答えた人は32%と、前回より5ポイントも下落している。
自社の調査でのこの結果は、朝日新聞にとって極めて好ましくないものだったにちがいない。
朝日新聞の窮状と反安倍 
ここでもう一度、内田樹氏のツィッターを覗いてみよう。朝日新聞はなんだか財政的にひどいことになっているみたいですね。連載コラムの原稿料が20%カットになったという話を先日ある書き手の方から聞きましたけれど、今日オファーされた対談(1時間程度)の提示ギャラは1万円でした。朝日新聞・・・だいじょうぶかな。(4月16日) 
内田氏はこのあとも連続ツイートし、《僕はギャラが少ないって文句言ってるんじゃないですよ》などと自己弁護しながら、《このままだとある日突然日本を代表する全国紙が消えて、読者が度肝を抜かれるという事態があり得る》と言い、さらにこう結ぶ。 
それがもたらす社会的影響の大きさを考えると、(中略)「どうやって新聞を支えるか」はメディアがその総力を挙げて論じるべきことなんじゃないですか?違う?
うーん。どことなく素粒子と似た、何を言いたいのかわからない呟きとなっている。 
一時間一万円を、安いと考えるか高いと考えるかはその人次第だ。 
ただ、内田氏だけではなく、不肖私も含め、言論を仕事とする者の場合、必ずしも拘束される時間で「ギャラ」が決まるわけでも保証されるわけでもない。
金銭的に割の良い仕事もあれば、そうでない仕事もある。
業界関係者がよく言う譬えに、「下調べにかけた時間などを含むと、ファストフードの店員さんより時給が安かった」というような仕事もある。 
しかし、仕事を選ぶ基準が金銭だけではないというのも自由な立場の言論人の特権だ。
割の良い仕事でも嫌なら断ればいいし、金銭的メリッ卜は少なくてもやるべきと思う仕事はある。
ある編集者は、このあと内田氏がはたして、一万円の朝日の「対談」の仕事を引き受けたのか否か、訊いてみたいと言っていた。 
一方、私が内田氏のツイートのなかで気になっているのは、氏の言う「朝日のような全国紙が突然消えたら大変だ」というところである。
氏は救うために知恵を結集せよと言っているが、はたしてそうだろうか。 
私たち日本国民は、平成の御代にメガバンクをはじめとする金融機関の統廃合や大手企業の合併、経営破綻を経験している。
それに比べたら、こう言っては悪いが、たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない。 
大変だ!と思っている内田氏らが、朝日の関係者と協力して「救う」手段でもなんでも講じればよい。
朝日にとっての平成 
平成の御代を、「反安倍一面トップ」という朝刊で締めくくり、御代替わりを祝う国民に嫌味を言い続ける朝日新聞にとって、この30年はどんな時代だったと言えるのか。 
同日の素粒子はこう言う。 
サ 30年余、いろいろあった 
ヨ 予期せぬ災害次から次に 
ナ 涙にくれた東日本大震災 
ラ 楽観できない原発の廃炉 
へ 平和憲法は解釈改憲され 
イ 今や集団的自衛権行使も
セ 正規でなく非正規が増え 
イ いつの間にやら格差社会 
レ 歴代政権の放漫な財政で 
イ いまの国債残高897兆円 
ワ 若い世代ヘッケを回した 
へ 減る人口で縮む国どこへ 
読んで目眩がした。
心に刺さったからではない。
哀れになったからだ。 
格差社会の頂点に立ち続けた挙げ句、「若い世代」に見放されたこの素粒子の書き手には、自社の平成30年余の歩みがまったく見えていないようである。 
そこで、余計なお世話かとは思ったが、不肖私が、数字と報道内容とで朝日新聞の30年余を振り返ってみることにした。 

まず、平成元年の朝日新聞の報道で真っ先に頭に浮かぶことといえば、「サンゴ記事捏造事件」である。
別名「K・Y事件」ともいうこの事件を、若い方はご存じないかもしれないので概略を書いておく。 
平成元年(1989)4月20日、朝日新聞夕刊に「サンゴ汚したK・Yつてだれだ」と題した写真付きの記事が載った。 
沖縄の、ギネスブックにも載った世界最大のアザミサンゴに、ナイフで「K・Y」というイニシャルの傷がつけられていたという内容の記事は衝撃をもって広がったが、そこには日本人のモラルの低下を嘆いた「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」というくだりもあった。
だが、実はこの写真は、朝日新聞のカメラマンが、自らナイフでサンゴに傷をつけて撮った悪質な捏造記事だったのである。
捏造が露見するまでの朝日新聞の対応も最悪だったが、その経緯はここでは割愛する。 
どんなメディアにも間違いや誤報はあるが、こんなデタラメをやってまで日本人を貶めようとする新聞社はさすがに他にない。
本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、当時の朝日新聞は、朝刊8,108,004部、夕刊4,756,037部という部数を誇っていた(平成元年7~12月・ABCデータ)。
安倍vs朝日の闘争勃発 
このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、部数はどんどん伸びていく。
平成5年、この年は、のちに朝日の天敵となる安倍晋三が衆議院に初当選を果たした年だが、当時の朝刊は8,228,960部、夕刊も4,500,000部超を保っていた。 
平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。 
流れが変わり始めるのは、20世紀が終わり、新しい世紀に入った頃である。 
この頃同時に、安倍晋三と朝日の闘争が始まる。
平成13年、森喜朗総理大臣のもとで官房副長官に抜擢された安倍氏が、おそらく初めて朝日の一面で叩かれる。
「えひめ丸」事故の対応を巡る記事だった。 
この頃から徐々に、いわゆるネット世論が生まれ始める。 
平成13年、小泉政権が誕生したあとには、首相の靖國神社参拝を支持する声などが上がり始め、翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
しかしそれでも部数は底堅く、朝刊は8,284,513部を維持していた。
アンチ安倍を生んだもの 
一部に強烈なアンチを生んだものの、まだまだ「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった大新聞と、若き官房副長官だった安倍晋三が拉致問題でぶつかったのはこの頃だ。 
帰国した拉致被害者を北朝鮮へ返せという朝日新聞の論調を安倍が批判。
それに対し、朝日が社説で安倍を名指しで批判し返し、さらに安倍が『週刊文春』の誌上で再批判するという展開となった。
当時、マスメディアと喧嘩をして勝った政治家など皆無、形勢は安倍に断然不利だった。
だが皮肉なことに、世間は拉致問題での対応を巡る安倍の毅然とした姿勢を支持し、一躍、ポスト小泉の一番手と目されるようになる。 
こうしたなかで、もう一つの衝突事案が持ち上がる。
平成13年、NHKはETV特集で放送した「女性国際戦犯法廷」という番組をめぐる一件である。 
これについて、平成17年1月12日、朝日新聞は中川昭一経産相と安倍官房副長官(当時)がNHK上層部に圧力をかけたと報じた。 
検証の結果、圧力などはなかったことが判明。
朝日は社長が会見して取材の不十分さを認めたのである(ただし、訂正謝罪はなし)。 
このことで朝日新聞の“安倍憎し”は決定的になったと言われている。 
朝日新聞の部数に翳りが見え始めるのはこのあとで、凋落がはっきりするのは平成22(2010)年頃である。
この年、朝刊の部数が800万部を切ることとなる。
折しも、この2年前には日本で、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」が登場、平成22年以降使用者が増えていく。
このあと、画像や映像を投稿できるようになるにつれ、拡散力、速報性に優れたSNS(ソーシヤル・ネットワーキング・サービス)が、マスメディアへのカウンター的役割を果たすようになっていく。 
そんななかで安倍は二度、総理の座に就く。
一度は朝日新聞をはじめとするマスメディアとの闘争に敗れて、わずか一年で政権の座を明け渡すが、平成24年に返り咲いてからは今日まで、長期政権を張っている。 
そして平成26年、朝日新聞の凋落が明らかとなる「事件」が起きた。
32年遡って、慰安婦に関する誤報を認め、訂正したのだ。そして、福島第一原発、吉田調書の誤報と併せ、木村伊量社長は辞任に追い込まれた。 
この年を境に、朝日新聞の朝刊部数は700万部を切り、直近の平成30年の下半期には、5,766,550部にまで落ち込んでいる。 
朝日新聞の凋落は今後も続くのか。
内田氏が言うように、いつか突然なくなるのか、それとも関係者の努力で「救われる」日が来るのか? 

朝日新聞が安倍憎しで固まるあまり、自国を卑下し、世界の動きから目をそむけ、国民の声を聞かずに上から目線で窘め続けている限り、後者への道はないものと思われる。 

さて、令和初日の素粒子は何と書いたか。  

けさ、日の丸が林立する銀座・並木通りを歩いて、奉祝ムードに浸りながら考えた。で、何が変わるのか。世の中に改めたい問題は多いが、新天皇即位とは関係ないなあ。 

これが5月1日の最初の一節。

やっぱりダメだ、こりゃ。

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