角度をつける…自分たちの主義・主張や社の方針に都合のいいように事実をねじ曲げて記事を“寄せる”ことを意味する言葉
2022年02月20日
以下は、2021年5月8日に、新・階級闘争論、暴走するメディア・SNS、と題して出版された、今、気鋭のジャーナリストである門田隆将の著作からである。
日本国民で活字が読める人達は、全員、最寄りの書店に購読に向かわなければならない。
世界中の人達には、私が出来る限り知らしめる。
文中強調は私。
序章「メディアリンチ」吊し上げ時代
メディアリンチの目的
「いつから日本は老人いじめの国になったんだい?」
「あの話のどこが悪いの?女性は優れているって話じゃないの?」
森喜朗氏に対する異常な“メディアリンチ事件”が起こった2021年2月、私は森氏の発言全文を読んだ人から、そんな感想を幾度も伺った。
「発言の中身という“事実”は関係ないんですよ。彼らは、ただ吊るし上げて“権力”に打撃を与えられればそれでいいんですから」
私は問われるたびにそう答えた。
2月3日、森氏はマスコミにも公開されていた組織委員会の会合で、およそ40分にわたって長広舌をふるった。
オンラインでマスコミが聞き耳を立てている中でのことだ。
いつも話が長い森氏だが、この日は普段以上に饒舌だった。
会議の場所であるジャパン・スポーツ・オリンピック・スクェアの説明に始まり、秩父宮競技場の移転間題や、ラグビー・ワールドカップの際のラグビー協会の話など、さまざまな話が飛び出した。
テープ起こしをすると約8400字になるほどの分量だ。
400字原稿用紙で21枚にも及ぶ膨大なものである。
その中の500字ほどがマスコミに取り上げられた女性に関する部分だ。
ここで森氏は「女性は優れているので、欠員が出たら必ず(後任には)女性を選ぶ」という趣旨の話をしている。
女性の能力を讃えるというか、目の前にいる組織委員会の女性たちを褒めあげるものである。
しかし、森氏の話は、結論を簡単には言わないことで知られる。
脱線したり、あちこち寄り道しながら、最終的にはあらかじめ決めていた結論へと持っていくのである。
政治部の人間なら誰でも知っている、いわゆる"森話法”である。
この日も、結論にいく前に自分が会長を務めていたラグビー協会では女性理事に競争心が強く、会議をすると「時間がかかった」という“脇道”を通っていった。
森話法に慣れた人間なら、「目の前にいる組織委員会の女性たちを褒めるために、こんな寄り道をするのか」と、笑って終わる話である。
ところが当日の午後6時過ぎ、朝日新聞が1本の記事をデジタル配信してから雰囲気が変わった。
〈「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」森喜朗氏〉
朝日の記事には、そんなタイトルがつけられていた。
森発言を耳にし、かつ、朝日の手法を知っている人間は、「ああ、ここを取り上げたか」と納得したに違いない。
「朝日は女性差別に仕立て上げ、問題化するつもりなんだな」とすぐピンと来るからだ。
朝日は発言の切り取りとつなぎ合わせでは、他の追随を許さないメディアである。
わざわざあの500字に過ぎない部分の後半の重要部分ではなく、前半部分の"脇道”に焦点を当てたのだ。
だが、“森話法”を知る記者なら、記事のタイトルは当然、こうするだろう。
〈[女性は優れている。だから欠員が出ると女性を選ぶ]森喜朗氏〉
まるで正反対である。
もちろん、朝日ではそれでは攻撃材料にはならないので記事として成立しない。
「角度がついていない」記事は、朝日では許されないからだ。
角度をつけるーというのは朝日社内の隠語である。
自分たちの主義・主張や社の方針に都合のいいように事実をねじ曲げて記事を“寄せる”ことを意味する言葉だ。
2014年、朝日の慰安婦報道にかかわる問題で、社内に設けられた第三者委員会の報告書の中で、委員の一人である外交評論家の岡本行夫氏がこう書いたことで有名になった。
〈当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を開いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた〉
岡本氏だけでなく一般人も、〈事実だけでは記事にならない〉という感覚は驚愕以外のなにものでもないだろう。
簡単にいえば、社の方針に従って事実そのものを変えるということなのだから当然である。
だが、それが朝日新聞なのだ。
今回の場合、森氏と東京五輪に打撃を与え、できれば中止に追い込み、選挙で自民党を敗北させ、菅義偉首相を政権から引きずり降ろすことが目的にある。
朝日の記事はすべて「そこ」に向かっており、事実は都合よく変えられるわけである。
森発言を「女性蔑視」として糾弾するために必要なのは、いかに問題を国際化させるかにある。
要するに「外国メディアに取り上げてもらうこと」だ。
これによって、海外で問題になっていることを打ち返し、国内世論を誘導するのである。
その際、最重要なのは誰であろうと反対できない“絶対的な”言葉や概念を持ち出すことにある。
そのためには、核になる言葉が必要になる。
森氏糾弾に使われ、大きなインパクトを与えたのは、主に以下のキーワードだ。
Sexist(性差別主義者)■discrimination against woman(女性差別)■contmpt for women(女性蔑視)
朝日新聞、毎日新聞、NHKなどが英語で発信した記事の中で使ったのは、これらの言葉である。
「日本の組織委員会のトップは性差別主義者であり、許されざる女性蔑視警言をおこなった」
海外メディアは、森喜朗氏をそう報じた。
だが、森氏を知る人間は、同氏が「性差別主義者」「女性を蔑視する人問」などと誰も思ってはいない。
家庭においても、政界でも女性の力を尊重する人物であることは有名だ。
しかし、日本のマスコミは、朝日を筆頭に「事実」は関係ない。
そのうえでメディアリンチで徹底的に吊るし上げ、架空の事柄によってその人物を葬り去るのである。
差別と女性蔑視の人間ということで海外で報道されれば、今度はそれを以て、海外の有力スポンサーや政治家、あるいは、日本国内の政治家、財界人、スポンサー、識者、スター等のコメントを取るだけでいいのだ。
「差別」「人権」「蔑視」というしツテル貼りに成功すれば、もはや、これに反対することはできない。
もし反対すれば、今度は自分が槍玉に上がるからだ。
そして一般の人間も巻き込んで異常な“集団リンチ”が完成するわけである。
こうして癌と闘い、週3回の人工透析の中でがんばってきた83歳の森氏は辞任に追い込まれた。
男女の「性別」という差異をことさら強調することによって女性を弱い立場に置き、それを「蔑視する人間」として一人の人間を差別主義者に仕立て上げて葬り去ったのだ。
そんな日本のマスコミの手法は、あらゆる意味で卑劣である。
そこには事実の確認も、礼儀も、容赦も、遠慮も、何もなかった。
私はマスコミに対してだけでなく、日本そのものに深い失望を覚えた。
世界に、自分たちが思い込んだ“日本の恥”を晒し、貶め、侮蔑する人々。
つくり上げられた「新・階級闘争」に踊らされ、SNSを通して集団リンチに加わった人々には、いうべき言葉もない。
この稿続く。