すずりんの日記

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小説「雪の降る光景」第3章18

2008年06月28日 | 小説「雪の降る光景」
 いったい、正義とは何だ。どれほどの価値があるというのだ。邪悪な思想よりもほんの少したくさんの人間がそれを信じているというだけの話ではないのか。邪悪な思想の持ち主を神に代わって自分が罰すると豪語している者ほど、神に対して畏れ多い者はいないのではないのか。違うのか?どうだ、違うと言ってみろ!

 ナチスである私の命の側面がそう叫んだ時、私はベッドに座ったまま、真っ赤な血を吐いた。真っ白なシーツが瞬く間に赤く染まり、その全てを吸収しきれずに吐物の一部が床に溢れ落ちていた。真っ赤な海にぽつんと取り残されたように、私は、いまだ口内から止めどなく溢れ続ける血を止めることができないでいた。心臓の動悸に合わせて、ドクドクとリズムを打って赤い液体が流れ出ていた。

 違わない。そうだ。その通りだ。我々が、世の中にどれだけ忌み嫌われていようと、死刑は殺人と同じだ。殺人で幕の開いた革命は、必ず、殺人で幕を閉じる。この法則に、正も邪もない。我々もそうだ。我々は、殺人によってその旗揚げを果たし、その死と同時に我々のステージは終わり、次のステージの幕が開く。人間は愚かにもそれを繰り返し、多くの血を流し続ける。

 ・・・しかし、しかし、しかしいつか、
 いつか気づく日が来るだろう。

 いつか生まれ変わって、アネットやクラウスと、
 そしてハーシェルと、再会する時が、
 神の名を借りずとも、自らの強い力で気づくことのできる日が、
 死ではなく生によって幕を開けるその時が、
 ・・・いつか、やって来る。

 私は人間だと、胸を張って言える日が、きっと、いつか、
 だから、・・・もういいんだ。
 もう、いいんだよ。

 私は、ナチスの私を捨てて清らかな人間として生き延びていこうとは思っていない。
 私は、ナチスの私の死体を背負った人間として死に臨む。
 私は、・・・私はナチスの私を責めたりしない。
 私はナチスの私を憐れんだりしない。
 私はナチスの私を捨てたりしない。
 私は、ナチスの私を背負って生命を終えることにより、融合し、昇華するのだ。


 血が止まり、急に口がべたついてきた。ナチスの私が自らの問いに一つの答えを出したのがわかった。体中から力が抜け、私は力無くベッドに倒れ込んだ。シーツが、ベチャッと音を立てた。私が、まるで何事も無かったかのようにうとうととし始めた頃、看護婦がドアを開け、悲鳴を上げた。



(つづく)

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