今でも忘れられない光景が、まだあります。
1989年12月、ルーマニアで革命が起こり、
当時独裁政治を強いていた、
ニコラエ・チャウシェスク大統領が処刑されました。
そして、その処刑の模様が公開されました。
非公開処刑だと、アドルフ・ヒトラー等のように
生存説を唱えられる事が懸念されたため、
銃殺から処刑後の死体の様子までが撮影されたのです。
私は、その革命後の夕刊で彼の処刑を知りました。
その日の夕刊のトップニュースで、
一面には、チャウシェスクの銃殺された写真が、
紙面のほぼ半分を占めていました。
私は、すごくショックでした。
いくら独裁者とはいえ、
死体の写真を載せたり、テレビで流すという
その精神状態が。
いや、もしかして、
その革命に何にも関係の無い日本が、
世界各国に同調して、何の躊躇も無く
処刑の様子を公開したことが、
ショックだったのかもしれません。
でもその時は、革命の何たるかも知らず、
平和ボケしている日本人の一人として、
その革命に水を差すようなことは言えませんでした。
でも、人を無造作に殺してきた独裁者と、
「正義」の下、その独裁者を殺した革命家たち。
「復讐は復讐を生む」
という意味では同じではないのか。
友人を殺された人間にとっては、
人を殺すための爆弾や銃やナイフに、
正義も悪も無いのではないか。
という想いが、ずっと残っていました。
革命それ自体が、とても素晴らしく、
大きな意味のあるものだっただけに、
この、処刑をここまで公開したことが、
今でも、蛇足だったように思えてなりません。
「 これからの近い将来、我々ナチスへの非難は国際的な規模で高まり、アドルフ・ヒトラーはその槍玉に上がるだろう。戦争の誘発、国民の洗脳、ユダヤ人を始めとする他民族の大量虐殺等が「極めて非人道的である」という理由により、民衆はいつの日か立ち上がり我々を殺すだろう。そして、こう言うのだ。
「悪は滅びた。もう二度と戦争はしない。我々は平和を手に入れたのだ。」と。
しかし、とナチスの私は言う。
しかし、彼らは本当に正しいのか?
私は天井を仰いだまま目を閉じ、内なるナチスとしての私の声に耳を傾け続けた。
我々はかつて、民衆を苦しめ悪政を行っていた前政権を崩壊させ、それらに携わった者たちを重刑に処した。そして民衆を我々の信じる道に導いたのだ。
そのことが「悪」だと言うなら、これから同じことを繰り返そうとしている彼らは何なのだ。彼らだって正義を振りかざしているだけの人殺しだ。我々と、どこが違うというのだ。我々を悪だと責めるならば、なぜ我々について来た?なぜ賛同したのだ?命惜しさに正義を曲げて悪に付くような人間に、我々を非難する権利があるのか。彼らはただ、集団で居たいだけなのだ。我々が罰せられるならば、我々に今まで一言でも賛同した奴らも同罪だ。違うか?
私は、たった一人で反ナチを訴えて処刑されていった者たちが許せないのではないのだ。我々の眼が光っている時には平気で反ナチの者たちを処刑し、その死骸を蹴り、踏みつけ、見せしめのために逆さ吊りにし、その死骸が朽ち果てていく横を狂喜しながら通り過ぎ、「でも私はそうしたくてしている訳ではありません。我々はナチスに脅されて仕方なくやっているのです」などと不運な自分を精一杯慰めている。ごく数名の反ナチ指導者を祭り上げているそういう奴らを許すわけにはいかないのだ。
彼らは、総統と同じ目をしている。狂気の申し子、アドルフ・ヒトラーの目だ。彼らは“正義を理解し訴えている”のではなく、“熱狂している”のだ。彼らにとって、処刑直前の処刑場はコンサート会場であり、そこに連れて来られた受刑者はそこで歌を歌う代わりに死ななければならない。彼らの狂気はそこでピークに達し、高々と一心不乱に振りかざされている拳と意味をなさないかん高い叫び声が、一段と激しさを増す。
それが、健全な精神を持った民衆のやることなのか。・・・いいや、違う。それくらいは、悪名高いナチスの一員である私でもわかることだ。
いったい、正義とは何だ。どれほどの価値があるというのだ。邪悪な思想よりもほんの少したくさんの人間がそれを信じているというだけの話ではないのか。邪悪な思想の持ち主を神に代わって自分が罰すると豪語している者ほど、神に対して畏れ多い者はいないのではないのか。違うのか?どうだ、違うと言ってみろ!
ナチスである私の命の側面がそう叫んだ時、私はベッドに座ったまま、真っ赤な血を吐いた。真っ白なシーツが瞬く間に赤く染まり、その全てを吸収しきれずに吐物の一部が床に溢れ落ちていた。真っ赤な海にぽつんと取り残されたように、私は、いまだ口内から止めどなく溢れ続ける血を止めることができないでいた。心臓の動悸に合わせて、ドクドクとリズムを打って赤い液体が流れ出ていた。
違わない。そうだ。その通りだ。我々が、世の中にどれだけ忌み嫌われていようと、死刑は殺人と同じだ。殺人で幕の開いた革命は、必ず、殺人で幕を閉じる。この法則に、正も邪もない。我々もそうだ。我々は、殺人によってその旗揚げを果たし、その死と同時に我々のステージは終わり、次のステージの幕が開く。人間は愚かにもそれを繰り返し、多くの血を流し続ける。
・・・しかし、しかし、しかしいつか、
いつか気づく日が来るだろう。
いつか生まれ変わって、アネットやクラウスと、
そしてハーシェルと、再会する時が、
神の名を借りずとも、自らの強い力で気づくことのできる日が、
死ではなく生によって幕を開けるその時が、
・・・いつか、やって来る。
私は人間だと、胸を張って言える日が、きっと、いつか、
だから、・・・もういいんだ。
もう、いいんだよ。
私は、ナチスの私を捨てて清らかな人間として生き延びていこうとは思っていない。
私は、ナチスの私の死体を背負った人間として死に臨む。
私は、・・・私はナチスの私を責めたりしない。
私はナチスの私を憐れんだりしない。
私はナチスの私を捨てたりしない。
私は、ナチスの私を背負って生命を終えることにより、融合し、昇華するのだ。
血が止まり、急に口がべたついてきた。ナチスの私が自らの問いに一つの答えを出したのがわかった。体中から力が抜け、私は力無くベッドに倒れ込んだ。シーツが、ベチャッと音を立てた。私が、まるで何事も無かったかのようにうとうととし始めた頃、看護婦がドアを開け、悲鳴を上げた。」
小説「雪の降る光景」第3章より
1989年12月、ルーマニアで革命が起こり、
当時独裁政治を強いていた、
ニコラエ・チャウシェスク大統領が処刑されました。
そして、その処刑の模様が公開されました。
非公開処刑だと、アドルフ・ヒトラー等のように
生存説を唱えられる事が懸念されたため、
銃殺から処刑後の死体の様子までが撮影されたのです。
私は、その革命後の夕刊で彼の処刑を知りました。
その日の夕刊のトップニュースで、
一面には、チャウシェスクの銃殺された写真が、
紙面のほぼ半分を占めていました。
私は、すごくショックでした。
いくら独裁者とはいえ、
死体の写真を載せたり、テレビで流すという
その精神状態が。
いや、もしかして、
その革命に何にも関係の無い日本が、
世界各国に同調して、何の躊躇も無く
処刑の様子を公開したことが、
ショックだったのかもしれません。
でもその時は、革命の何たるかも知らず、
平和ボケしている日本人の一人として、
その革命に水を差すようなことは言えませんでした。
でも、人を無造作に殺してきた独裁者と、
「正義」の下、その独裁者を殺した革命家たち。
「復讐は復讐を生む」
という意味では同じではないのか。
友人を殺された人間にとっては、
人を殺すための爆弾や銃やナイフに、
正義も悪も無いのではないか。
という想いが、ずっと残っていました。
革命それ自体が、とても素晴らしく、
大きな意味のあるものだっただけに、
この、処刑をここまで公開したことが、
今でも、蛇足だったように思えてなりません。
「 これからの近い将来、我々ナチスへの非難は国際的な規模で高まり、アドルフ・ヒトラーはその槍玉に上がるだろう。戦争の誘発、国民の洗脳、ユダヤ人を始めとする他民族の大量虐殺等が「極めて非人道的である」という理由により、民衆はいつの日か立ち上がり我々を殺すだろう。そして、こう言うのだ。
「悪は滅びた。もう二度と戦争はしない。我々は平和を手に入れたのだ。」と。
しかし、とナチスの私は言う。
しかし、彼らは本当に正しいのか?
私は天井を仰いだまま目を閉じ、内なるナチスとしての私の声に耳を傾け続けた。
我々はかつて、民衆を苦しめ悪政を行っていた前政権を崩壊させ、それらに携わった者たちを重刑に処した。そして民衆を我々の信じる道に導いたのだ。
そのことが「悪」だと言うなら、これから同じことを繰り返そうとしている彼らは何なのだ。彼らだって正義を振りかざしているだけの人殺しだ。我々と、どこが違うというのだ。我々を悪だと責めるならば、なぜ我々について来た?なぜ賛同したのだ?命惜しさに正義を曲げて悪に付くような人間に、我々を非難する権利があるのか。彼らはただ、集団で居たいだけなのだ。我々が罰せられるならば、我々に今まで一言でも賛同した奴らも同罪だ。違うか?
私は、たった一人で反ナチを訴えて処刑されていった者たちが許せないのではないのだ。我々の眼が光っている時には平気で反ナチの者たちを処刑し、その死骸を蹴り、踏みつけ、見せしめのために逆さ吊りにし、その死骸が朽ち果てていく横を狂喜しながら通り過ぎ、「でも私はそうしたくてしている訳ではありません。我々はナチスに脅されて仕方なくやっているのです」などと不運な自分を精一杯慰めている。ごく数名の反ナチ指導者を祭り上げているそういう奴らを許すわけにはいかないのだ。
彼らは、総統と同じ目をしている。狂気の申し子、アドルフ・ヒトラーの目だ。彼らは“正義を理解し訴えている”のではなく、“熱狂している”のだ。彼らにとって、処刑直前の処刑場はコンサート会場であり、そこに連れて来られた受刑者はそこで歌を歌う代わりに死ななければならない。彼らの狂気はそこでピークに達し、高々と一心不乱に振りかざされている拳と意味をなさないかん高い叫び声が、一段と激しさを増す。
それが、健全な精神を持った民衆のやることなのか。・・・いいや、違う。それくらいは、悪名高いナチスの一員である私でもわかることだ。
いったい、正義とは何だ。どれほどの価値があるというのだ。邪悪な思想よりもほんの少したくさんの人間がそれを信じているというだけの話ではないのか。邪悪な思想の持ち主を神に代わって自分が罰すると豪語している者ほど、神に対して畏れ多い者はいないのではないのか。違うのか?どうだ、違うと言ってみろ!
ナチスである私の命の側面がそう叫んだ時、私はベッドに座ったまま、真っ赤な血を吐いた。真っ白なシーツが瞬く間に赤く染まり、その全てを吸収しきれずに吐物の一部が床に溢れ落ちていた。真っ赤な海にぽつんと取り残されたように、私は、いまだ口内から止めどなく溢れ続ける血を止めることができないでいた。心臓の動悸に合わせて、ドクドクとリズムを打って赤い液体が流れ出ていた。
違わない。そうだ。その通りだ。我々が、世の中にどれだけ忌み嫌われていようと、死刑は殺人と同じだ。殺人で幕の開いた革命は、必ず、殺人で幕を閉じる。この法則に、正も邪もない。我々もそうだ。我々は、殺人によってその旗揚げを果たし、その死と同時に我々のステージは終わり、次のステージの幕が開く。人間は愚かにもそれを繰り返し、多くの血を流し続ける。
・・・しかし、しかし、しかしいつか、
いつか気づく日が来るだろう。
いつか生まれ変わって、アネットやクラウスと、
そしてハーシェルと、再会する時が、
神の名を借りずとも、自らの強い力で気づくことのできる日が、
死ではなく生によって幕を開けるその時が、
・・・いつか、やって来る。
私は人間だと、胸を張って言える日が、きっと、いつか、
だから、・・・もういいんだ。
もう、いいんだよ。
私は、ナチスの私を捨てて清らかな人間として生き延びていこうとは思っていない。
私は、ナチスの私の死体を背負った人間として死に臨む。
私は、・・・私はナチスの私を責めたりしない。
私はナチスの私を憐れんだりしない。
私はナチスの私を捨てたりしない。
私は、ナチスの私を背負って生命を終えることにより、融合し、昇華するのだ。
血が止まり、急に口がべたついてきた。ナチスの私が自らの問いに一つの答えを出したのがわかった。体中から力が抜け、私は力無くベッドに倒れ込んだ。シーツが、ベチャッと音を立てた。私が、まるで何事も無かったかのようにうとうととし始めた頃、看護婦がドアを開け、悲鳴を上げた。」
小説「雪の降る光景」第3章より