ネットニュースを見ていた時に
「最近の小学生は『ごんぎつね』の
物語を正しく読めない」という
文字が目についたんですよ。
『ごんぎつね』の全体のストーリーは
割愛しますが、その中で、
主人公の母の葬儀の様子が描かれていて、
村の人たちが、大きな鍋で
葬儀に来てくれた人たちに出す
料理を作っている様子が
書かれているんですが、
詳しく何を煮ているとか
何という料理を作っているとか
書いていないんですよね。
で、ある小学校の授業で
(この状況を)鍋で何をしているか、
教師が質問したら、児童から、
「鍋で死んだ母親を煮ている」とか
「お墓に入れやすくするために
母親を煮て骨だけにしている」とかいう
意見が出て、ビックリした、
という話が載っていたんです。
私も、戦争の悲惨さを語る物語の
授業で、はっきりと「死」という
言葉を使わずに、その人物が
「もういない」と表現されている場面を、
子どもたちが、あまりにも簡単に、
「死んだんでしょ?」とか、
「知ってるよ。戦争ってね、
1発の爆弾で、何千人も殺せるんだよ」
と話しているのを見て、
一体何を教えるための授業だろう、と
愕然としたことがあります。
子どもたちの国語力を殺している
責任の一端は、間違いなく
学校であると、私は感じています。
興味のある方は、ぜひ一読を。
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