今日は祖母の命日だ。私の祖母は明治の女らしく、とても凛としたクールビューティだった。今写真で見ても、明るい顔はしていない。厳しい顔をしている。しかし、どこまでもどこまでも美しい。
そんな祖母だが、私には優しい祖母だった。あまりに幼くて記憶にあることの方が少ないのだが、いつも手をひいてお買い物にいった記憶がある。
「あ~ぶら買いに、塩買いに~」
そんな唄を歌っていた気がする。たぶん3歳になっていたかどうか位の記憶だ。その後、私たち親子は田舎を離れることになる。
そもそも私は、田舎に戻る予定はなかったのだ。父の仕事の関係で、親子で姫路にいたのだから。幼稚園の入園も決まって、真新しい制服に袖を通した頃、祖母が倒れた。
いつどうなるとも分からない祖母の記憶は実はない。私は田舎に戻って、地元の幼稚園に遅れて入園したその日、交通事故にあって生死の境をさまよっていたのだ。運ばれていく時、私は母に「ばあちゃん、ひとりでうんち出来んのじゃけん、ばあちゃん見よらな」と言ったらしい。私は自分が死にそうだという実感が全くなかった。頭部をひどく打っているのに、鮮明に話すのは返って良くないのだと、医師は告げた。
私が峠を越した頃、祖母はこの世を去ったそうだ。しばらくして、その事実を病院で聞いた私は「ふ~ん」としか言わなかった。恐いくらいにその場面は覚えている。「ふ~んって・・・」と涙ぐむ母の悲しげな顔も。私には言葉の意味が理解できていなかった。
私がその事実を受け止めたのは、退院して祖母の姿が実家にないことに気づいたときだ。その時、私ははじめて泣いた。
今でも、私の命は祖母に貰ったと思っている。だから、なおさらこの命は大切に無駄なく生かさなければと考える。弱い気持になった時は、祖母の厳しい美しい顔を思う。そして、私も誰かに命をつなげるような、凛とした生き方を目指そうと思う。
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そんな祖母だが、私には優しい祖母だった。あまりに幼くて記憶にあることの方が少ないのだが、いつも手をひいてお買い物にいった記憶がある。
「あ~ぶら買いに、塩買いに~」
そんな唄を歌っていた気がする。たぶん3歳になっていたかどうか位の記憶だ。その後、私たち親子は田舎を離れることになる。
そもそも私は、田舎に戻る予定はなかったのだ。父の仕事の関係で、親子で姫路にいたのだから。幼稚園の入園も決まって、真新しい制服に袖を通した頃、祖母が倒れた。
いつどうなるとも分からない祖母の記憶は実はない。私は田舎に戻って、地元の幼稚園に遅れて入園したその日、交通事故にあって生死の境をさまよっていたのだ。運ばれていく時、私は母に「ばあちゃん、ひとりでうんち出来んのじゃけん、ばあちゃん見よらな」と言ったらしい。私は自分が死にそうだという実感が全くなかった。頭部をひどく打っているのに、鮮明に話すのは返って良くないのだと、医師は告げた。
私が峠を越した頃、祖母はこの世を去ったそうだ。しばらくして、その事実を病院で聞いた私は「ふ~ん」としか言わなかった。恐いくらいにその場面は覚えている。「ふ~んって・・・」と涙ぐむ母の悲しげな顔も。私には言葉の意味が理解できていなかった。
私がその事実を受け止めたのは、退院して祖母の姿が実家にないことに気づいたときだ。その時、私ははじめて泣いた。
今でも、私の命は祖母に貰ったと思っている。だから、なおさらこの命は大切に無駄なく生かさなければと考える。弱い気持になった時は、祖母の厳しい美しい顔を思う。そして、私も誰かに命をつなげるような、凛とした生き方を目指そうと思う。
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