まず冒頭の画像をご覧ください。
初台の新国立劇場で上演されている鄭義信作・演出『パーマ屋スミレ』のミニチュアセット(←伊藤雅子・装置)です。
1960年代半ばの九州の炭鉱町の理容店が舞台。
ヤマの事故で塗炭の苦しみをなめる人々の愛と離別の全7場の物語が、この理容店で繰り広げられます。
客席と一体感のある理容店の装置は、豚のにおいに包まれる貧しい路地に連なります。
舞台下手の共同井戸、そして共同便所、劇の進行中なんどか動くポンコツ自動車・・・・。
井戸からは水の気配がする場末の路地は、鄭義信さんが一貫して劇の起こる場としてあつらえた原風景でもあるわけです。
そういえば、ビートたけし、オダギリジョーの映画 『血と骨』とよく似たセットでした。
この映画の脚本も鄭義信さんで、その年の「優秀賞」に輝きました。
朝鮮戦争の特需に沸く1950年代の港町が舞台の『たとえば野に咲く花のように』。
そして万博があった70年代、高度成長期に翻弄された在日コリアンの家族を描いた前作『焼肉ドラゴン』。
時代的には前2作品の中間となる1960年代半ばの九州の炭鉱の人びとを題材に書き下ろした新作『パーマ屋スミレ』、いわば 鄭さん3部作の「完結編」ともいえます。
またちょっと余談になりますが、私が鄭作品が大好きな理由は、一つはいつも観客を笑わせるスタンスを崩さないことです。
鄭さんの舞台にはいつも「笑い」があります。今回も舞台を見るまえにホンを読んだのですが、クスッ、クスッと笑いがとまりませんでした。
鄭さんにそれをいうと
「関西の哀しい「吉本」育ちですから」
ちなみに今回主役の南 果歩さんも「吉本」のご出身だそうです。
次に、鄭さんの作品のなかに匂うリリシズムがたまらなく好きです。
それと鄭作品に共通するのは、野に咲く花のように、とりわけ路地に咲くタンポポに似た生命力、けなげさは、鄭さんの根っこからの優しいまなざしから生まれると思うんです。
『パーマ屋スミレ』 ―あらすじー
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1965年、九州。 「アリラン峠」とよばれた小さな町があった。
そこから有明海を一望することができた。
アリラン峠のはずれにある「高山厚生理容所」には、元美容師の須美とその家族たちが住ん
でいる。
須美の夫の成勲は炭鉱での爆発事故に巻きこまれ、CO患者(←一酸化炭素中毒患者)と
なってしまう。須美の妹の夫もまたCO患者に・・・・。
須美たちは自分たちの生活を守るために、生きてゆくために必死の闘いをはじめた。
しかし 石炭産業は衰退の一途をたどり・・・・・
(←画像は新国立劇場ロビーに展示された「パーマ屋スミレ」パンフの原画)
さて、舞台である。
九州では炭鉱で働く朝鮮人の山間の集落を”アリラン峠”という。
そんな峠に住む南 果歩が演じる須美を主人公に、長女の初美(根岸季衣)、三女の春美(星野園美)。
そんな三姉妹を中心に、つまり在日世から三世までが登場します。
「家族の中に三十八度線が敷かれ、おまけに玄界灘まで横たわっとるとね」
なかでも南 果歩、根岸季衣の演技はたくましいが、南 果歩にもう少し泥臭さがほしい。
それは「声高のメッセージ」ではなく、ごく”当たり前”の生き方のなかに、深い歴史を背負いながら、、それぞれの時代の風景のなかに生きてゆく、その空気感のようなものが感じとれました。
CO中毒(一酸化中毒)で須美と春美の夫が体をむしばまれ、妻を苦しめる構図が痛々しい。
ことに三女春美とその夫昌平(森下能幸)は仲睦まじい夫婦として描かれ、のちにCO中毒で、地獄模様と化す作者の運びはえぐるように鋭い。
現在公演中ですから、詳しくは書けませんがとにかく泣けちゃいます♪
なかでも須美の夫成勲の松重 豊が後半になってから上出来。
ことに中毒症状で体が衰弱する難しい演技も説得力が充分あった。
抑えに抑えた演技から無念さが滲む。
成勲の弟で、やはり事故で足が不自由な英勲の石橋徹夫も抜群の演技力ですばらしい。ややありきたりだが兄嫁の須美(南果歩)に欲望を抱き、絶望 的な三角関係に陥る。結局は明日のない北朝鮮に旅立つのだが・・・・・。
成勲の松重と弟英勲が殴り合う兄弟げんかの場は秀逸であった。
激しければ激しいほど悲しい現実・・・・。
その場には生き物としての人間のにおいを見たようでした。
終幕・・・・・町に残った須美は、車いすの夫成勲を床屋椅子に移してひげを剃る。
この町で理容店をまもってきた祖父の『生きていかなならん』のひと言は、辛苦を嘗めつくした在日コリアンの魂の叫びなのだろうか・・・・。
須美の夢は「パーマ屋スミレ」の開店だった。名前は須美という自分の名前からとったという。
その花言葉は「小さな幸せ」だそうだ。ここにも鄭ワールドが息づいています。
(2012年3月14日 新国立劇場にて所見)