三月の新橋演舞場の昼の部は真山青果の『荒川の佐吉』、不朽の義太夫狂言の名作『仮名手本忠臣蔵』の九段目。
どちらも弥生月にふさわしい趣きのある演目であった。
『荒川の佐吉』大詰の向島長命寺の堤では、舞台いっぱいに朝日に匂う桜が満開だ。
『仮名手本忠臣蔵』九段目では、雪の中を加古川本蔵の妻の戸無瀬が、娘の小浪をつれて、山科の閑居に、押しかけ嫁に来る場面で、輿入れの装束を着た花嫁の姿が、雪景の籠の中からあらわれるところは「谷の戸開し鶯(うぐいす)」のういういしさがあった。
この場面の雪はまさしく「春の雪」である。
さて、染五郎の佐吉は初役。
過去の上演では、佐吉は仁左衛門が当り芸として定評があった。
そのときの大工の辰五郎が染五郎だった。上出来の辰五郎であった。
『荒川の佐吉』が「子別れのお涙頂戴」の芝居ではないけれど、この辰五郎で客は泣くのである。
とえば『髪結新三』の勝奴にしろ、染五郎はどちらかというとシンを際立たせる芝居がとてもうまい。
今回は念願だった佐吉役。
自在に演じてはいるが、青果の描く「三下奴の孤独の哀しさ」が、見ていて伝わってこない。
このドラマを、一人の若者が一人前の男として、人間として生長していく過程としてとらえたか、どうかが問題である。
佐吉の孤独は、いってみれば誰もがもっている人生の孤独であり、それが見ているものの胸にひしひしとせまるのであるから。
(画像上は序幕『両国橋のたもと』の一場面)
「ねんねんころりと子守唄を唄った・・・・・おれは辛かった・・・・」
佐吉のセリフである。
二幕二場(←画像/左)は佐吉のせりふにあるように、法恩寺橋畔で佐吉が子守唄を歌いながら赤子をあやしている場である。
ここで注目したいのが、この作品が書かれた当時長谷川 伸の『一本刀土俵入』、『瞼の母』と立て続けに発表された。
それの影響か、どうか知らないがこの場は長谷川 伸の『沓掛時次郎』 にどこか似ているような気がした。
そうはいってもこれは数少ない青果流のれっきとした「股旅物」である。
そこへ佐吉の親分である仁兵衛のイカサマが露見し、殺されたと徳兵衛(宗之助)が伝えに来る。
宗之助は最近立役が多いが、ただの適役にならずにうまく世話の人間をつくっている。
いつも思うのだが、師匠宗十郎を引き継いだ味のある芝居をみせてくれる。
この幕切れで佐吉ははじめて自分の孤独を知る。その孤独はまた赤子の孤独でもあった。
梅玉(←画像/左)の成川郷衛門が好演している。
佐吉がつい云った言葉がこの浪人成川郷衛門の心を動かして、佐吉の親分を斬らせるというプロセスが見ていてよくわかる。
大工の辰五郎は亀鶴(←画像/中央)、初役である。
序幕両国の茶屋で群集に混じっての”出”がよくない。影がうすいのである。それに散慢なのが気になる。
三幕あたりから”情”が出てきた。かつて『河庄』で三枚目役で傑作がある人だけに惜しい。
幸四郎(←画像/右)の相模屋政五郎はニンといい、貫禄があっていいのだが、佐吉説得の件りで言葉に重みが足りない。
もう少し肚のある突っこんだ芝居をしてほしかった。
大詰は佐吉の家。、相政とお新(福助)を前にしての佐吉の述懐のある、この芝居のヤマ場。
憎悪、口淋しさ、愛情がうずまく青果独特の長セリフを芝居気なしで淡々と語ったのには感動した。
客席からも嗚咽がもれていた。
しかしだ。相模屋政五郎に卯之吉(←盲目の赤子。この場では5歳に生長している。)の将来を考えろという件りで、相模屋政五郎の言葉ひとつひとつに重みがないために芝居がいまひとつ盛り上がらなかった。
福助(←画像/中央)のお新は当り芸。
いかにも大店(おおだな)の女将さんらしい風情がある。芝居も丁寧だし、しっとりと品がある。
ただ、佐吉の「乳をさがして泣き立てられるとね・・・・」のせりふで、お新が自己の乳房にふれる所作はしないほうがよい。
新派めいた芝居になる。
終幕・・・・一生三下奴で暮らす覚悟をきめた佐吉の旅立ちの場である。
佐吉の気分は爽快である。花道七三で、
「やけに散りゃがる桜だなぁ・・・・」
このせりふはやり過ぎ、つくり過ぎである。
本舞台で見送る、卯之吉と辰五郎、相政とお八重らとのバランスを考えた「極めせりふ」であるべきだろう。
ほかに隅田の清五郎の高麗蔵は生彩に欠き、梅枝のお八重は5年後も変わりばえがしない。錦吾の仁兵衛はスケールが小さく、焦燥感が足りない。
★ 長~いおしゃべりになっちゃいました。
最後までお付き合いいただき感謝いたします。
よって『仮名手本忠臣蔵 9段目』のおしゃべりは次回にさせていただきます。★