<ゴーギャンの自画像>
正直な話、画家ゴーギャンを知ったのは松本清張の『駅路』という短編でした。
某銀行営業部長を定年退職した主人公・小塚が行方不明になったところから物語が
はじまります。
彼の家の応接間に懸けてあるゴーギャンの複製画が巧みにトリックとしてつかわれており、
作品の主題にもなっています。
<どこへ行くの?>
西欧文明に背をむけ南海の孤島タヒチにひとり向かったポール・ゴーギャン(1848~1903)。
その波乱の生涯は、芸術に身を捧げた孤独な放浪の画家だったといえましょう。
<かぐわしき大地>
申し遅れましたが、皇居の近くにある東京国立近代美術館で『ゴーギャン展』を見てきました。
今回の展覧会では、日本初公開となる<我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々は
どこへ行くのか>(画像↑)が展示されていました。
この作品はタヒチで製作されたゴーギャンの最高傑作であり、彼の目指した芸術の集大成で
あるともいわれています。
わたしの好みからすれば、印象主義の影響が色濃く残っている上掲のような
初期の淡彩なタッチに心を打たれます。
(画像/左は『洗濯する女たち』 画像/右は『水車小屋の水浴』)
会場へは、シャトルバスが出てました。
どのバスも満員の盛況。
山形から見にきたという女子大生。ゴーギャンの大ファンだそうです。
「ゴーギャンには、絵があった。しかし、小塚氏には絵がない。絵は彼の愛する女性だった」
小説『駅路』の五十近い刑事のせりふが今も心に残っています。
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