Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

今宵はミラノ風カツレツをどうぞ!!

2012-12-13 | 本日の○○


東京で旨いカツレツといえば、銀座三丁目の(煉瓦亭)と山手線目黒駅前にある(とんき)である。

池波正太郎さんの『食卓の情景』に、そう書いている

もう何年か前に”カツレツ行脚”と称して「煉瓦亭」も「とんき」もカツレツを食べ歩いたことがある。

どちらの店も新鮮なキャベツが山盛りに添えてあった。

狐色に揚がったやつにナイフをいれると、バリッところもがはがれる。これがまたたまらない。

最近は味噌汁付きで、お箸でたべるお店が多くなった。

やはりカツレツはホークとナイフでしょう!!

お店の扉を開けたとたんに、プーンとただよう香りこそ、なんとも言えない洋食屋の香りだ。


そこで、これは作家の松井今朝子さんにおそわったのですが、簡単にうちで出来るカツレツのレシピ

カツレツはあぶらの煮え加減や揚げ加減など、とても素人ではムリだと思っていたけれど・・・・

フツウのとんかつよりも簡単に出来て、とても美味しかった。

豚ロース肉を倍ぐらいに広がるまで薄くして塩胡椒しておきます。

はじめ小麦粉をまぶせて、はたき、撹拌したたまごに浸けます。

後はパン粉にパルメザンチーズを入れた衣をつけて多めのオリーブ油で揚げ炒めするだけ。

私はいつもウスターソースでいただきます。

あっさりとして、ムチャ美味しかったです。

私このとこら風邪気味なんです。

ウイスキーソーダ―を一杯のんで早めにお寐みさせていただきます

おやすみなさい。 

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哀悼  中村勘三郎丈  あなたはあまりにも走りすぎましたね!!

2012-12-08 | 歌舞伎

 

「・・・・・・また新しい歌舞伎座でいっぱい夢を見せて貰いましょうよね。・・・・・それではしばしの間、

          歌舞伎座とはさようなら・・・エヘン」


勘三郎さんが歌舞伎座さようなら公演の最終月、第3部『助六由縁江戸櫻』の通暁という通人に出たときのセリフである。

勘三郎にとって、これが歌舞伎座での最後の舞台となった。

平成9年から続いた「さようなら公演」は盛況だった。わけても最終月の演目『助六』の千穐楽は、チケットが早くから完売だった。

有楽町の金券ショップで、1等席が20万で売り出されているとの噂もあった。

私は松竹の関係者に「そこをなんとか・・・」と嘆願して、千穐楽の3日前にチケットを入手した。

歌舞伎座建て替えの最後の夜に、超満員の客席で「勘三郎」を見られたことを幸せに思っている。


「まだお若いのに」

誰もが口にするあまりにも若すぎる旅立ちであった。

満席の客を残し、早すぎる幕であった。

歌舞伎界のパイオニアと呼ばれ、時代に呼応した歌舞伎を夢見て走り続けた勘三郎だった。


夜中の2時に、松竹の永山会長宅に押し掛け「こんぴらで歌舞伎をやらせてくれ!!」と直訴した。

前永山会長はパンツ一つで玄関口に出てきたそうだ。

 
今日のように陽春4月には、四国こんぴら歌舞伎大芝居が慣例になっているが、これを再興させたのも、この時の勘三郎さんのおかげである。

また串田和実さんと組んで、若者の街渋谷コクーンで、「コクーン歌舞伎」を定着させた。

さらに仮設劇場の「平成中村座」を立ち上げた。「平成中村屋」の旗はニューヨーク、ニューギニアの海外にまではためいた。

安芸の宮島で、またあるときは鳥も通わぬ鹿児島の孤島で『俊寛』を上演するという快挙もあった。


勘三郎は交友関係も広い。銀座のバーで、ある時は浅草の居酒屋で―。

「ねえ、ねえ  歌舞伎のホン(台本のこと)書いてよ!!」 勘三郎さんの口癖だった。

「書いてくれる!?  書いてくんないの!?」

「書いてくれるんなら ビールもう一本!!」 


現在演劇の牽引役である野田秀樹、三谷幸喜、渡辺えり、宮藤官太郎らに脚本を依頼して、時代の変化に対応する歌舞伎づくりを目指していた。

なかでも成功させたのが、野田秀樹さんという演劇界の奇才と組んで、最高傑作と誉れの高い『野田版 研辰の討たれ』である。

この作品こそ歌舞伎の演目として”古典”になりうるだろう。


 
このあたりで少々余談を。

歌舞伎に「白化け」ということばがあります。つまりあけすけに正体や真相を暴露するという意味である。

野田秀樹の『研辰の討たれ』にその「白化け」がいくつかあった。

主人公の研辰(勘三郎)が道場にいわわせた武士才次郎「(←当時勘太郎、現勘九郎)をからかう場面の一コマである。

研辰「坊ちゃま、坊っちゃまの事はわたくし、なぜかお兄様よりよっく存じております。あなた、お小さい時夜明けにタバコをた

べたことがあるんですよ。

この子はバカじゃないかと思いました(才次郎キッとなる)いや、それで私はびっくりして口の中からタバコを取り出してさしあげ

ようとしたら、あなた、私の手
を噛んだんだ。しょうがないから私、逆さにして洗面所でふってあげたんだ。そのまま水に浸けて

殺しちまえばよかったんだ。そんな小さい時から知って
いるあなた方が私を殺す?  冗談おっしゃっちゃいけませんよ」

(注)この時の兄貴の九市郎は「阿修羅」で稼ぎまくっていたころの染五郎である。

 

勘三郎の”夢”はまだまだあったようだ。

一つは新しく出来上がった歌舞伎座で、親子、そして孫、中村屋三代で何か演りたい。

それと、中村屋総勢で『助六』をやってみたい。

「ギリシャ悲劇」を歌舞伎でやってみたい。

残念ながら、それらのの”夢”はかなわなかったけれど・・・・・。  残念無念はわれわれとて同じこと・・・・・。

でも、あの『研辰の討たれ』のように、歌舞伎座の二階席のうしろから―

「ばあァ・・・・・こんちわ」

と、出てくるような気がしてならない。

中村勘三郎って、そんな役者であった。

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今晩のごはん   ふろふき大根と冷酒(白鹿)

2012-12-05 | 本日の○○

 

あれはいつの頃であったろうか。

たった一度だけお茶会に招かれたことがあります。

そのときのことは殆んど記憶にないけれど、「ふろふき大根」の美味しかったことだけは、今もよく覚えている。

それは志楽の皿に昆布が敷かれ、厚さ2.5㎝ほどの輪切りにされた大根が一切れ、。

大根の上に一条の練みそがかかり、細切りの柚子の皮が散らされていた。

つまりは茶事の後に出された「ふろふき大根」である。

そういえば井伏鱒二の『鞆ノ津茶会記』にも、「ふろふき大根」がしばしば登場する。

「ふろふき大根」の由来を語るつもりはないが、『鞆ノ津茶会記』では、すくなくとも天正15年の茶会の記録にある。


そこで、「ふろふき大根」にトライしたんものの、「練みそ」つくりがいちばん難しい。

市販の田楽味噌でも買えばよかったと後で後悔する始末。

大根の片方の面に十文字の切れめをいれる「隠し包丁」はわすれなかったけれど。

いずれにせよ、たかが「ふろふき大根」といえど、奥の深いものであることを知りました。

 

 

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能登はいらんかいね   輪島紀行

2012-12-01 | おでかけ

 
  寝酒三合に  口説きを混ぜて

今夜は輪島の夢を見る

「能登はいらんかいね」を歌ったのは坂本 冬美さん。

その「輪島」へ仲間と車で行って来ました!!

霜月さいごの旅でした。

 


 風は潮風  シベリア返し

暗雲が立ち込め    波の花が散り

泣いているような日本海でした。

 

                                                                                              

 
まず最初の観光スポットは、能登半島の代表的な景勝地、巌門。

巌門は名前からしていかめしい。険しい断崖のところ。

波食によってできた天然の洞門である。

この辺りは奇岩、奇勝、断崖が連続する。

松本清張の小説『ゼロの焦点』の舞台になったことで、あまりにも有名。

自分の過去を隠すために殺人を犯し、最後、能登の海に身を投げる女性が死んだのはこのあたりだったか・・・・。

冬の能登の海には、寂寞として人を死に誘い込むような雰囲気があるのかもしれない。

 

この巌門のあたりから、北に30㌔ほど行った関野鼻までの海岸線を能登金剛というらしい。

その景観が朝鮮半島にある海金剛(うみこんごう)によく似ているという。

 

 
白米(しろよね)千枚田は日本の原風景だといえないだろうか。

国道249号線沿い、輪島と曽々木の中間辺りに位置している。

小さな田が幾何学的模様を描いて海岸まで続いていた。

田の枚数は国指定部分で1004枚あるという。  

 

   

 
千枚田あぜの万燈(あかり)や年の暮

 

 
今宵のお宿は、ねぶた温泉「能登の庄」。

イオンたっぷりの温泉で旅の疲れを癒す。

夕餉は部屋食でなく、囲炉裏料亭で。

まずは能登の地酒「白菊」で乾杯

お酒はぬるめの 燗がいい・・・・だからぬる燗ですって・・・・。年寄り連中はこれだからイヤ!!

炭火で焼いているのが私の大好物のさざえ。

あと干しかれい、能登名産ののどぐろの一夜干し。

膳の物すべて輪島塗の器に盛り付けてある。これが「能登の庄」のウリだとか。

 


画像は、するめ烏賊いしる漬け串焼き。

 

 


画像の左は、能登海鮮四種盛り。

画像の右は、国産ロース牛石焼き、いんげん、南瓜添え。

 


翌朝は快晴

昨日予定していた千里浜なぎさドライブウエイが通行止めだった。

今日は走れそう。

海の風、波の音が心地よかった。

ここは世界でも珍しい海岸線をフツウのクルマで走ることが出来る砂浜のドライブウエイ。

砂浜なのに道路標識が・・・・

 

 
砂浜だけTでは物足らず、海の中を走ったらどうだろう?

そこでドライバーのМ君に注文。

「海の中を少しでいいからこのクルマで走ってよ」

「無茶なこと言わないでください」とドライバーのМくん。


浅野大橋 

 

 

 


2日目のお昼は金沢市内の蕎麦処「大藪」で昼食。

そのあと、金沢市内見物。

浅野川大橋を渡ったところに、ひがし茶屋街がある。

あとで知ったのだが、金沢には、東山の「ひがし茶屋街」と「西茶屋街」があるという。

ひがしは高級茶屋街。にしはどちらかというと遊郭のイメージが強いそうだ。つまりは赤線地帯、今もうさんくさいスナックがひしめいている。

浦辺粂子のような遣り手婆さんがいそうな街らしい。 

だが観光客の多いのが「ひがし茶屋街」。

加賀友禅のお店、金箔を使った小物のお店。

そんななかで、お茶屋の老舗といわれた「志摩」だけが昔のままの佇まいを残していた。

きけば国の重要文化財になっているという。

 

大急ぎで書いた「ミニ旅行記」です。もっと面白いことがありましたが今日のところはこの辺で。

 

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