自分の思いや考えがそのまま100%相手に理解されることは
難しい、だからそういう前提で人とのつながりを考えたほうが
いい場合がある。
たとえば家族、友人など、どんな親しい人でも自分とは違う、
だから他人への期待が過剰であればあるほど、それが叶わなか
った時の失望感は大きいものだ。
実際自分と価値観が似てる人はいるけれど同じということは
まずない、そのことをスタートと考えれば、相手の考えが違
ったとしても素直に受け入れることができると思っている。
自分の思いや考えがそのまま100%相手に理解されることは
難しい、だからそういう前提で人とのつながりを考えたほうが
いい場合がある。
たとえば家族、友人など、どんな親しい人でも自分とは違う、
だから他人への期待が過剰であればあるほど、それが叶わなか
った時の失望感は大きいものだ。
実際自分と価値観が似てる人はいるけれど同じということは
まずない、そのことをスタートと考えれば、相手の考えが違
ったとしても素直に受け入れることができると思っている。
素晴らしい仕事や業績を残すこと、社会的な名声、経済力を得
て周囲の人から愛されること、会社から評価され、上司や部下
からの信頼も厚く、誰からも尊敬の念を抱かれてること、愉快
な仲間たちに囲まれ充実した仕事人生を送ること、よき妻、よ
き子供たちに恵まれて幸せな家庭を築くこと、人のために尽く
すこと、知識や教養を身につけ自分を磨くこと、挙げていけば
キリがない。
確かに理想的な生き方であり豊かな人生なのかもしれない、し
かし古希を過ぎて振り返ると、こんな生き方は正直できなかっ
た、思いどうりにいかないのが人生、もしこれがいい生き方、
豊かな生き方というものがあるならばそれぞれの人の心にある
思いかもしれない。
私が思う豊かな人生は毎日のちょっとしたことに喜びや感動が
味わえるかどうかだと思う、そのことがその人の人生の豊かさ
にかかわってくるものと思っている。
会社という組織を離れると群れから孤立しているように見える
かもしれない、しかし本人は自分自身でいられるという意味で
は案外、孤独を感じることはないものである。
私自身、定年退職してもうすぐ12年、今はどこにも属さない、
久しぶりに会う知人、友人とは、つかず離れずの関係、ほどよ
い距離感を保って相手の人生に過度に立ち入らず、相手がいい
たくなさそうなことは聞かない、この姿勢は会社にいた頃も今
も変わらない。
群れの価値観よりも自分の価値観を信じ、群れずにつながる、
今はそんな生き方が自分に一番しっくりしてる気がする。
過ごす時間の多い場所といえば、子供時代は家庭、学校、就職
すると職場、結婚すると職場と家庭が中心になる、定年退職後
は仕事を失くした喪失感に加えて地域や家庭での居場所づくり
という課題に向き合うことになる。
ただ本当の居場所は過ごす時間の多い場所ではなく自分にとっ
て居心地がよく、寂しくない場所であると思う、その居場所は
人それぞれ違うし時間の経過によって変わることもある。
友人との飲み会、夫婦の会話、孫とのふれあい、庭の手入れ、
ゴルフをしているとき、犬の散歩、旅行をしているとき、音楽
を聴いたり本を読んだりしているとき、パソコンの前にいると
き、挙げればいくらでもある。
ただ自分の居場所は人の真似をするものでもないし見栄を張る
ものでもない、得てして他人と比較して自分の場所を見失うこ
とがある、そうならないためにも自分の気持ちに正直に生きる
ことこそ大切な気がする。
人生には思うようにならなかったこと、悔しかったこと、つら
かったこと、悲しかったこと、数えあげたらキリがない、しか
しそういうことは誰にもあることだし、人生とはそういうもの
かもしれない。
誰でも仕事や人生において悪条件ばかり重なり、突然窮地にお
ちいることがある、それは自営業であってもサラリーマンであ
っても主婦業であっても誰にもおこりうることだ、長い人生平
穏に過ぎればいいがそうはうまくはいかないものだ。
生きるということは夢のような世界でもなく地味で単調でなに
より忍耐を要する、齢を重ねるとつくづく人生は忍耐、そう思
う今日この頃である。
人は生きてくうえで心の中に葛藤、不安、とまどい、自己嫌悪
を抱えている、日常は楽しいことばかりでなく誰もが難題を抱
えながら今日を明日へつないで生きている。
人間はひとりひとり違う、それぞれ別の人生を歩んでる、似て
るようで育ちも環境も違う、同じことをしても楽しいという人
もいればつまらないという人もいる、いわゆる価値観は似てる
ようで違う、だから人に誤解されても褒められてもけなされて
も、私はあまり一喜一憂しないようにしてる、そもそも人に正
確に理解されることなど、なかなかないと思っている。
人に対して期待しすぎない、他人をあてにしない、他人を変え
ようとしない、人から受けた恩は忘れない、そして自分がされ
ていやなことは人にしない、人間関係で私が気をつけてること
である。
他人から全く理解されなくても自分ひとりで熱中できてひとり
で楽しむことができるものを持ってることは心強い、いわゆる
自分だけの世界、自分だけの価値観を持っことは安心感につな
がる。
私が若い頃はいつでも本や音楽が身辺にあった、私に影響を与
えた本や音楽、それが出発点だった、いまだに自分にとっての
よりどころである、ささやかな自分だけの世界、半世紀たって
も変わらない宝物である。
読みたくなる本と聴きたくなる音楽があるだけで日々の景色が
大きく変わるものである、自分だけの世界を持てたときの安心
感があってはじめて自分を取り戻し、人間らしくなれると信じ
ている。
運がいいとか運が悪いとかその繰り返しを人は送っている、そ
して選択の違いによってその後の運命が大きく変わることがあ
るのが人生である。
進学、就職、結婚、そして40年間のサラリーマン生活を終え
るまでは私にとって人生は選択の連続だということを痛感した
ものだ、楽しいこともつらいこともあったけど、良い事も悪い
こともプラスに受け取る、マイナス思考はなんとか打ち消しな
がら生きてきたような気がする。
運がいいことに私はまだ生きている、人生が終わったわけでは
ない、それでもいつか死んでいくことだろう、それまでは、さ
さやかな希望と感謝の気持ちを胸に淡々と生きていくつもりだ。
68歳男性の新聞の投稿記事「リタイヤしても友達」は心温ま
る内容だった、会社員で3年前にリタイヤしたが入社時には同
期が100人いたが今だに親しく付き合いがあるのは二人の友
人、そんな二人に絶対絶命のピンチを救われたエピソードだっ
た。
50歳のときに心の病を患い、1年8ヵ月休職、当時会社では
2年以上の休職を認めないため退職しなければならなかった、
そんな時離れていった同期が多い中で二人は何度も喫茶店で話
を聞いてくれ励ましてくれた、お蔭で復職でき65歳まで勤め
あげる事が出来たという感謝の言葉が書かれていた。
よき友と陰ながら支えてくれたよき妻に恵まれ自分は幸せ者だ
という男性、サラリーマンの悲哀と熱い友情、私の会社員生活
と重なるものがあり共感できた記事だった。
人は不幸になって初めて何が幸せなのかを知る、つまり人は不幸
にならないと何が幸せなのか、また幸せとはどういうものなのか
わからないということになる。
病気になって健康のありがたさを実感する、コロナ禍によって当
たり前だったことが本当は恵まれていたと実感した、しかしコロ
ナ禍前がハッピーだと思って暮らしていただろうか?そんなこと
はない、当たり前の幸せを失って初めて気づいた人が多かったは
ずである。
人間なんて傲慢な生き物だからコロナ前の生活にもどって、その時
は幸せを実感するだろう、でも時間がたちその生活が当たりまえに
なってしまう、それだけ幸せなんてささやかで一瞬のものかもしれ
ない、だからコロナが収束したらこの閉ざされた3年間を忘れない
ことだ、そして日々の当たり前に感謝することを忘れないでいたい。