【産経抄】より
http://www.sankei.com/column/news/180727/clm1807270003-n1.html
「カミソリ」の異名を持つ後藤田正晴氏が、宮沢喜一内閣で法相に就任したのは、平成4年12月である。翌年3月、3年4カ月ぶりの死刑執行に踏み切り、賛否の大きな議論を巻き起こした。
▼実は後藤田氏は、個人的には死刑廃止論に傾いていたようだ。廃止論者として知られる元最高裁判事の団藤重光氏の著書について、「考え方に僕は反対ではない」と著書に記していた。
▼それでも決断が揺るがなかった理由を国会で述べている。「裁判官に重い役割を担わせているのに、行政側の法相が(死刑を)執行しないということでは、国の秩序が保たれるか」。上川陽子法相の死刑制度についての考え方は知らない。少なくとも、国の秩序を保つという信念は後藤田氏と共通しているらしい。
▼地下鉄、松本サリン事件などオウム真理教による一連の事件に関わったとして殺人の罪に問われ、死刑が確定した教団元幹部ら6人の刑が昨日、執行された。これで確定囚13人全員の執行が終わったことになる。
▼小紙連載「モンテーニュとの対話」で桑原聡記者が指摘したように、上川氏の「胆力」には脱帽する。法相就任の際、「為政清明」という大久保利通の座右の銘で決意表明していた。心を澄まして、平成の日本を震撼させたテロ集団の始末をつけた。どんな批判も受けて立つ覚悟ができているのだろう。
▼元教祖の麻原彰晃死刑囚ら7人の死刑は6日に執行された。翌日の新聞はまた、昨年3月、千葉県で起きた女児殺害事件の被告に対する無期懲役の判決について伝えていた。「これでは娘が天国に行けない」。肩を落とす父親の言葉が胸に突き刺さる。後藤田氏は、死刑をめぐる世論にも敏感だった。廃止はまだ、日本にはなじまない。***********************************************************************************
法務大臣としての職責を全うした上川陽子氏。
松本智津夫らの死刑執行に署名をした際に、一部から批判されていましたが、
批判していた人の気持ちが理解できません。
寧ろ、宗教上の理由との理屈で死刑執行に署名をしなかった過去の法務大臣こそ批判されるべきです。
日本は法治国家です。
法律により犯人を裁き、法律により処罰を決めます。
地裁、高裁、最高裁と3回も審議を尽くします。
死刑執行したら犯人達から事件の真相を聞き出せないと言う人がいます。
それは違います。
彼らは自ら真相を語る事を拒否したのです。
裁判で正直にそして素直に語っていればよかったのです。
死刑執行され、これで真相究明できなくなったと言う人がいますが、
いくら時間をかけても彼らは何も喋らないでしょう。
自分の命が惜しくて証言を拒否したのです。
喋れば不利になるから喋らなかったのです。
再審請求をすれば、死刑執行を逃れると身勝手な事を考えていたかもしれません。
しかし、それは冤罪の可能性があった場合だけに認められるべきです。
彼らは事件に大きく関わっているのは明らかです。
オウム事件に関しては執行を批判する材料はないと私は思います。
昨日、執行後のテレビでの報道はどうなのか知りません。
もしも上川大臣に批判的な意見が多ければ、テレビの影響力の大きさを考えてもらいたいです。
上川氏を批判すれば批判するほど、彼女やその家族の身が危険に晒されます。
それはあってはならない事です。
上川氏の決断を称賛しても批判するのは間違っています。
法務大臣という職責を全うした上川氏を批判するのは本末転倒です。
加害者の命を被害者の命と同等に考える風潮があります。
私はその発想が理解できません。
かつて民主党の平岡秀夫氏が犯人には犯人の事情があると、死刑反対を言っていました。
その時は「ネクスト法務大臣」でしたが、民主党政権では法務大臣になり
やはり、信念を貫き死刑執行命令書に署名はしませんでした。
死刑反対を唱える人物を法務大臣にするべきではなかったのです。
身勝手な犯人に命を奪われた被害者の気持ちも想像できなかった平岡氏。
こんな考えで国民の命を守る信念があったのか疑問です。
こんな人は法相どころか、国会議員として失格です。
私達はもっと善と悪の違いを考えるべきです。
そうでなけれは、あまりにも被害者、犠牲者が可哀そう過ぎます。
被害者は苦しんでいるのに加害者はこの世で生き続けることほど理不尽な事はありません。
死刑制度反対者は綺麗ごとを言い過ぎます。
自分が暴漢に襲われ、そして苦しみ、苦しみの後に命を落とす事を想像したらどうでしょう。
それでも加害者の命を守ると言うのでしょうか。
家族を置いて、苦しみもがき死んでいく自分を想像して欲しいです。
残された家族の悲しみ、苦しみを想像して欲しいです。
それでも利己的で自分本位の発想でテロを起こしたオウム真理教の死刑囚の命の方が大切で
死刑の執行はすべきではなかったと言うのでしょうか。
自分は死んでも加害者は生き永らえて欲しいと思うのでしょうか。
もしそうだとしたら、親からもらった命を粗末にする事をどう思うのか聞きたいです。