カーミングシグナルは、DNAの違いを超えて理解されるものなのか?
夜、TABIと散歩してたらどこかの飼い猫がふらふらと道路に出てきた。
グレーと白のおとなしそうな猫だ。TABIは大喜びで尻尾ぶんぶん、さっそく
遊びに誘う。ここがコイツの犬らしくないところだ。相手が猫だとわかって
いるのか?
猫は、犬にナンパされて戸惑い、固まっている。
するとTABIは、ぐる?と大きく円を描きながらゆっくりと猫に近づく。
猫とトイメンになると、猫はTABIをじーとにらむ。
するとTABIは、ふっと顔をそらし目をあわせないようにする。
鼻をぺろっとなめたりする。猫が緊張を解くとTABIは遠慮気味に一歩前進。
だが、猫はちょっとでもテリトリーに入ろうものならフーと毛を立てる。
するとTABIは、すぐその場を離れてなにげに地面のにおいをかぐ真似をする。
そのうち猫は、「こんな犬相手にしても時間の無駄ね」といったかんじで
道路を横断してどっかへ消えてしまった。
果たして彼女はTABIのシグナルを理解したんだろうか?
猫は猫でシグナルを出していたんだろうか?
TABIはどの猫に対してもこのように対応するわけではない。
散歩道で会うシャム猫とはいつも、0.5秒の対面で終わる。おそらく彼女は
「あっちへお行き!近づいたらひっかくわよ!」という猫シグナルをビビっと
おくり、TABIは「くわばら、くわばら」と通り過ぎるのだろう。
猫は犬と同じカーミングシグナルを使わないが、猫なりのシグナルというのが
絶対にあるはずだ。そして犬と猫はお互い、ある程度シグナルを理解できるはずだ。
他の動物にもきっと同じようなシグナル交換があるに違いない。
そうでなきゃ、野生の森でたくさんの野生動物が共存できないだろう。
ということは、人間が無意識に出すいろんなシグナルも犬はキャッチしている
はずだ。人間のほうが、犬のシグナルを理解できず、キャッチボールがうまく
いってないケースがあるのではないか。
鈍感なのは、われわれ人間のほうかもしれない。
夜、TABIと散歩してたらどこかの飼い猫がふらふらと道路に出てきた。
グレーと白のおとなしそうな猫だ。TABIは大喜びで尻尾ぶんぶん、さっそく
遊びに誘う。ここがコイツの犬らしくないところだ。相手が猫だとわかって
いるのか?
猫は、犬にナンパされて戸惑い、固まっている。
するとTABIは、ぐる?と大きく円を描きながらゆっくりと猫に近づく。
猫とトイメンになると、猫はTABIをじーとにらむ。
するとTABIは、ふっと顔をそらし目をあわせないようにする。
鼻をぺろっとなめたりする。猫が緊張を解くとTABIは遠慮気味に一歩前進。
だが、猫はちょっとでもテリトリーに入ろうものならフーと毛を立てる。
するとTABIは、すぐその場を離れてなにげに地面のにおいをかぐ真似をする。
そのうち猫は、「こんな犬相手にしても時間の無駄ね」といったかんじで
道路を横断してどっかへ消えてしまった。
果たして彼女はTABIのシグナルを理解したんだろうか?
猫は猫でシグナルを出していたんだろうか?
TABIはどの猫に対してもこのように対応するわけではない。
散歩道で会うシャム猫とはいつも、0.5秒の対面で終わる。おそらく彼女は
「あっちへお行き!近づいたらひっかくわよ!」という猫シグナルをビビっと
おくり、TABIは「くわばら、くわばら」と通り過ぎるのだろう。
猫は犬と同じカーミングシグナルを使わないが、猫なりのシグナルというのが
絶対にあるはずだ。そして犬と猫はお互い、ある程度シグナルを理解できるはずだ。
他の動物にもきっと同じようなシグナル交換があるに違いない。
そうでなきゃ、野生の森でたくさんの野生動物が共存できないだろう。
ということは、人間が無意識に出すいろんなシグナルも犬はキャッチしている
はずだ。人間のほうが、犬のシグナルを理解できず、キャッチボールがうまく
いってないケースがあるのではないか。
鈍感なのは、われわれ人間のほうかもしれない。