木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

願い

2010年04月24日 | 日常雑感
アフリカには行ったことがない。
それでも内戦による虐殺を描いた映画「ホテル・ルワンダ」を見たときは、腹が立って仕方なかった。

今日も、アフリカでは子供たちが死んでいる。

ある子は、戦禍で。
ある子は、エイズで。
ある子は、飢えで。

死んでいく子供たちは、生まれてきた意味について思いを馳せたであろうか。
なんで生きているだなんて考える余裕があっただろうか。

生まれてきたのは奇跡だとよく言われる。
だが、こうして生きているのも奇跡かも知れない。
平和な日本で飢えに苦しむこともなく暮らしている。

子供が言うことを聞かないとか、
上司が認めてくれないとか、
自分の顔のここが嫌いだとか、
昼に食べたラーメンがまずかったとか、
とにかく文句を言いながら暮らしている。

豊かになった日本なはずなのに……。
不平不満と不安を持ち合わせながら歳を重ねる。

江戸時代は「明るい絶望感が広がっていた」とは杉浦日向子の言葉である。
日銭しか稼げない庶民にとって重い病を得ることは死を意味した。
今は医学も進歩したし、保険もあるから重病に罹っても、直接死に結びつくことは少なくなった。
夏はクーラーに冷えたビールもある。
冬は暖房機器にはことかかないし、熱い風呂はスイッチひとつでいれることができる。
江戸と比べなくても、カラーテレビや電卓が登場したのはそれほど昔の話ではない。

それで、私達の心は豊かになったのか。
比較でしか自らの幸福の尺度を図れないといつまでも幸せになれない。

昨日、僕は誰も自分を必要としていないかも知れないと思っていると書いた。
でも、今日、こう考えるようになった。
人は志のために生きていける、と。

世界平和のため。
アフリカの人々のため。
などと考えると、大上段になりすぎる。
志とまで行かなくてもいい。
願いでもいい。

世界平和を志にして生きていくのはしんどい。
世界平和を祈るでは宗教的だ。
でも世界平和を願っていくことはできる。

願いを志にできるように、生きていきたい。

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