結構、日常生活では、へばっている。
いろんなことで人生の岐路に差し掛かっているようだ。
先延ばししてはいけない決断への回答を迫られている状況だ。
「風向きばかり選んでいる農夫はいつまでたっても種を播けない」という西洋のことわざがあったが、熟慮したほうが必ずいい答がでるとは限らない。
そんな状況ではあるが、最近それまでは、点と点だった考えが徐々に線となりつつある。
本棚で埃を被っていた本を取り出してみると、今まではぼんやりとしか分からなかったことが、明確に理解できることが多くなった。
たとえば、「運のつくり方 開き方」という本を開いてみる。
その本に「カタい頭をしていると、運も逃げていく」という項がある。
世の中には、自分の意見・立場が絶対的なものと信じて、他人の言葉に耳を貸そうとしない人がいるものです。絶対的正義をふりかざし、それのぶつかり合いが高じたものが戦争です。(中略)正義や正論にこだわっている人は、それ以外のものがまったく見えなくなり、かえって運を失うことにつながります。(中略)運をとりもどすには、まず自分が絶対と思っているこだわりを捨て、脳相を明に変えることがたいせつになってくるわけです。頭にこびりついている絶対という思い込みをなくし、柔軟性を取り戻すための方法は、とにかく他人の意見に耳を傾けてみることです。
書いているのは藤木相元氏という観相家で、「顔にキズがあるときは、思い切ったことをしてはなりません」なとど相については具体的に述べているのだが、上の引用は「確かにいいこと」を言っているが抽象的だ。
「他人の意見に耳を傾けてみること」と言われても、なかなかできないから苦労している。
最初に読んだのは10年も前だったと思うが、読んでなるほど、と思ったが、それだけで終わってしまった。
具体的にどうすればいいか分からなかったからだ。
この場合の頭のカタさとか、思い込みと呼ばれているのを心理学ではビリーフ、あるいはビリーフシステムというらしい。
子供の喜ぶ顔を見たさにおもちゃを買っていったら、ちっとも子供は喜ばなかった。
そのせいで、自分が不機嫌になった。
おもちゃを買っていくという自分の行動に対して、あらかじめ結果を想定していたが、結果は想定外のものとなった。
つまり、自分の行動=起こるべき結果の公式を自分で描いていて、その公式が当てはまらなかったから、不機嫌になったのである。
自分の中にある、~をしたら・・・すべき的な考え方は、意外と多い。
頭のカタい人はこの「公式」が多すぎる人だ。
だから、頭を柔らかくするには、持っている「公式」をどんどん少なくしていけばよい。
本当に人が大事にしなければならない「公式」は数少ないものだ。
そんなことが分かると抽象的だった本の内容も理解できる。
そういった意味で、今、点が線になりつつある。
「運のつくり方 開き方」(PHP文庫)藤木相元
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いろんなことで人生の岐路に差し掛かっているようだ。
先延ばししてはいけない決断への回答を迫られている状況だ。
「風向きばかり選んでいる農夫はいつまでたっても種を播けない」という西洋のことわざがあったが、熟慮したほうが必ずいい答がでるとは限らない。
そんな状況ではあるが、最近それまでは、点と点だった考えが徐々に線となりつつある。
本棚で埃を被っていた本を取り出してみると、今まではぼんやりとしか分からなかったことが、明確に理解できることが多くなった。
たとえば、「運のつくり方 開き方」という本を開いてみる。
その本に「カタい頭をしていると、運も逃げていく」という項がある。
世の中には、自分の意見・立場が絶対的なものと信じて、他人の言葉に耳を貸そうとしない人がいるものです。絶対的正義をふりかざし、それのぶつかり合いが高じたものが戦争です。(中略)正義や正論にこだわっている人は、それ以外のものがまったく見えなくなり、かえって運を失うことにつながります。(中略)運をとりもどすには、まず自分が絶対と思っているこだわりを捨て、脳相を明に変えることがたいせつになってくるわけです。頭にこびりついている絶対という思い込みをなくし、柔軟性を取り戻すための方法は、とにかく他人の意見に耳を傾けてみることです。
書いているのは藤木相元氏という観相家で、「顔にキズがあるときは、思い切ったことをしてはなりません」なとど相については具体的に述べているのだが、上の引用は「確かにいいこと」を言っているが抽象的だ。
「他人の意見に耳を傾けてみること」と言われても、なかなかできないから苦労している。
最初に読んだのは10年も前だったと思うが、読んでなるほど、と思ったが、それだけで終わってしまった。
具体的にどうすればいいか分からなかったからだ。
この場合の頭のカタさとか、思い込みと呼ばれているのを心理学ではビリーフ、あるいはビリーフシステムというらしい。
子供の喜ぶ顔を見たさにおもちゃを買っていったら、ちっとも子供は喜ばなかった。
そのせいで、自分が不機嫌になった。
おもちゃを買っていくという自分の行動に対して、あらかじめ結果を想定していたが、結果は想定外のものとなった。
つまり、自分の行動=起こるべき結果の公式を自分で描いていて、その公式が当てはまらなかったから、不機嫌になったのである。
自分の中にある、~をしたら・・・すべき的な考え方は、意外と多い。
頭のカタい人はこの「公式」が多すぎる人だ。
だから、頭を柔らかくするには、持っている「公式」をどんどん少なくしていけばよい。
本当に人が大事にしなければならない「公式」は数少ないものだ。
そんなことが分かると抽象的だった本の内容も理解できる。
そういった意味で、今、点が線になりつつある。
「運のつくり方 開き方」(PHP文庫)藤木相元
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