木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

貰うべきものは貰うようになっている

2010年05月26日 | 日常雑感
あるとき、寺の小僧が和尚の代わりに近くの農家にお経をあげに行った。
帰り際に、亡くなった男の奥さんが「何もないけど、ご飯だけはたくさんある。食べて行ってください」と申し出た。
育ち盛りの小僧は寺ではあまり食べることもできないので、喜んで了承した。
奥さんがおひつからご飯を盛ろととしゃもじを探すと、しゃもじは床の上に置いてあったのだが、近くで寝ていた赤ちゃんの寝小便でできた水たまりの中に浸かっている。
奥さんは何事もなかったように、しゃもじをちゃっちゃっと振って、ご飯を盛ろうとする。
驚いたのは小僧である。
慌てて辞退して寺へ帰った。
その後、再び農家へ行った小僧は、またもや帰り際に呼び止められた。
今度は甘酒を飲んでいけ、と言う。
甘酒だったら大丈夫だろうと、ほっとして飲み干したところで奥さんが言った。
「その甘酒はこの前、余ったご飯で作ったのです」
おひつからは、あのしゃもじですくったのであろう。

この小僧はその後、立派なお坊様になったが、述懐して言う。
「結局、この世では貰うべきものは、貰うようになっているのじゃなあ」と。

誰でも損はしたくないと思い、自分の意見や権利を声高に主張する。
店では商品を値切り、インターネットでより安い価格を見つけようとする。
多少の努力で自分の意見を通した、あるいは、得をしたと思っているのかも知れないが、実際にはどうなのであろうか。

冒頭の話で、お坊さまは、世の中には人間の力では変えられない運命や宿命というものがある、ということを強調しているのではないと思う。
世の中に起きることは全てあらかじめ決まっていて、寝転がっていても、頑張っても、到着する地点は一緒だということはない。

ただ、世の中ではじたばたしても仕方ないときがある。
そんな渦中に投げ込まれると苦しくて苦しくて、じたばた、どたばたしてしまうものなのだが、そういうときは、流れに身を任せてみるのも一つの手である。


↓ よろしかったら、クリックお願いします!
人気ブログランキングへ