木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

上海万博パクリ疑惑

2010年04月18日 | 日常雑感
またもや、笑ってしまうような事実が発覚。
以前、ドラえもんのそっくり事件というのが中国であったが、今度は、国家規模の上海万博PRソング。
岡本真夜が97年に発表した「そのままの君でいて」とそっくりだというのである。

下記にYoutubeのアドレスを載せておいたので、よければ聴いていただきたいが、これは笑ってしまった。
どうやっても同じにしか聞こえない。

国家自体はともかく、中国人はいい人も多く好きなのだが、こういうことが平気でまかり通っているようでは、お先真っ暗だ。
プロモーションビデオには、ジャッキー・チェンなども出演し、綺麗な質のよい映像に仕上がっているだけに残念である。
ラオスやカンボジアなどでは、著作権という概念が希薄で、日本の楽曲も無造作にカバーされているらしいが、中国は先進国に名を連ねている国である。
百歩譲って今回の曲の酷似が偶然だとしても、誰かがチェックするべきでないだろうか。
国家事業でのお粗末さなのに、知らなかった、ではそれこそ恥ずかしい話だ。
さらに、千歩譲って、事後にこういった事態が発覚したのだから、中国側から、岡本真夜側に対して何らかの謝罪があっていいはずである。

中国側もまったく事態を無視している訳ではなく、公式上でのこの歌の使用を「一旦見合わせる」とのことだ。
世論を見る積もりだろうが、このままフェイドアウトして逃げ切りを図ろうとしているのだったら、許せない。

権威主義に座した有名な学者ほど、自説に明らかな学術的間違いが発見されたとしても、認めないという。
国家といえども間違いを犯すことがある。
そういった場合は、早く非を認めて貰いたい。
この歌では、「最美的情」みたいなことが歌われているようであるが、実際に行動で示してもらいたいものだ。

ジャッキー・チェンも好きな俳優である。
日米事情にも通じているジャッキーこそ、国に注意を喚起してくれればいいのに、と思う。
愛国心の強いジャッキー。
裸の王様に成り下がっているんではないだろう、などといらぬ心配もしてしまう。

蛇足だが、この歌は万博のPRソングという位置づけらしい。
テーマソングには「City」なるいい曲があるだけに、尚更残念である。


上海万博PRソング「Right here waiting for you 2010」

そのままの君でいて(ライブ版)

ニュース番組での報道(Nスタ)

上海万博テーマソング「City」

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世界の山ちゃん~山本重雄氏

2010年04月18日 | 日常雑感
「世界の山ちゃん」は、名古屋では知らない人がないくらいに有名である。
名古屋メシと言われる独自の食文化において中核を成す手羽先のから揚げをメインにした居酒屋さんだ。

先日、山ちゃんの創業者でもあり、会長でもある山本重雄氏の講演会を聴く機会を得た。
山ちゃんのモットーが「立派な変人たれ」ということで、山本さんも、ピンクのスーツでも着た方が来られるのかと想像したが、ごく普通のスーツに身を固めた上品な方で、話し方もいたって穏やかであった。
話の内容も奇をてらったものではなく、淡々としたなかに熱い思いが秘めているようなものであった。

山本さんの話は爆笑を誘うというものではなく、思い出し笑いをしてしまう類の話が多い。

*本社ビルに柔道場を作ったが、練習中に怪我人続出。今は寝技専門の道場となっている。
*「立派な変人たれ」はもとは、仕事中に奇声を上げてしまう「本当に変な人」がいたので、救済策として作った。
 (このモットーは「立派な日本人たれ」、「立派な人間たれ」を経て、出来上がった)
*社員教育の際に気合いを入れるため、日本刀を買って持って行った。
*「世界の山ちゃん」という割りには、海外には一店舗もない。


など、後で考えるとじわじわとおかしくなる。

「立派な人とはどのような人ですか」と問うと「立派な人になりたいと思った時点で、半分は立派になっている。特に変わったこと、すごいことをしなくても、挨拶や礼儀作法、立ち振る舞いなどを注意することで立派な人間になれる」との答えが返ってきた。
その場では、少し抽象的かな、という印象を持ったが、考えてみると「立派な人間像」とは、各人が考えるべき事柄である。
会長の立場にいる人が「立派な人とはかくかくしかじかの人間である」と具体的に語ってしまったら、社内中にステレオタイプの人間があふれてしまうだろう。

山ちゃんでは、会社メニューなるものを作っている。
社内案内にも似たものであるが、単なる会社案内ではない。
福利厚生や人事制度、会社方針などを盛り込んだ内容で、入社希望者や既に社内で働いている人にも分かりやすく説明したメニューである。

ユニークであるが、山ちゃんでは、群を抜いて奇抜なことをしているわけではない。
それは、「世界の山ちゃん」のメニューを見ても同じだ。
奇妙奇天烈な料理があるわけではない。
ある程度、定番メニューである。
それでも、飽きられることなくリピーターが多いのは看板の手羽先だけでなく、「山ちゃん」にはしっかりした芯のようなものがあり、訪れる客がほっと安心できるからだと思う。


世界の山ちゃんHP


「会長」と声を掛けられると、「山ちゃんです」と返事をしていた。似顔絵が似ているかどうかは、上のHPにてご確認を。


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エアロビの奇声

2010年04月15日 | 日常雑感
以前に継続を迷っていたスイミングは、結局3月末で解約した。
今はセントラルスポーツに通っている。

実を言うと、私はスポーツクラブというのが、あまり好きではない。
何と言ってもエアロビクスが嫌いだ。
自分が運動音痴で、しかも、それがリズム感の不足から来ている部分が大きいのだから、尚更である。
出来ないから嫌いなんだろうと言われればその通りであるが、もうひとつ、エアロビの際にインストラクターが上げる奇声にも近い号令にも閉口してしまう。
そもそも、体を動かすのに号令を掛けられてやるというのが分からない。
アメリカ人は日本人のラジオ体操を見て笑うというが、私に言わせればエアロビもラジオ体操も変わらない。

そんな話を幼馴染にしたところ、「お前は、ラジオ体操の時も、人と若干ずれていたような気がする」と言われた。
そういえば、エアロビでも、後ろを振り向くタイミングが遅れて、振り向いた前の人と目が合ってしまったことも・・・。
所詮は運動音痴の僻みからでた戯言である。楽しくやっている人たちにイチャモンをつけるわけではない。
しかし自分にはエアロビ(特にエアロビの奇声)が生理的に合わないのも事実である。

団体スポーツに向いている人、個人スポーツ向きな人がいるが、どうも自分は個人スポーツに向いているようである。
そういった意味で水泳が性に合うのかも知れない。
と言った逃げで今回は締めくくりたい。

さて、皆さんは、エアロビ好きですか?


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ウイ・アー・ザ・ワールド2010に思う

2010年04月13日 | 日常雑感
今年になって、名曲「ウイ・アー・ザ・ワールド」がリメイクされていたのを昨日まで知らなかった。
オリジナルが作られたのが、もう25年前。
えー!という感じ。
それでは、歳もとるはずだ。

この2010年版は、売り上げをハイチ震災への救援資金に充てるという。
ビッグなスターたちによるビッグな寄付金である。
一概に著名人は話したことが注目され、一般人より発言力が格段に上であるのも事実。
だが、一般人でも壮大な発言をしてもいいのである。
世界平和を唱えたっていいし、核廃絶を声高に主張してもいい。
理想論だと笑う人もいるかも知れない。
青いと嘲る人もいるかも知れない。
それでも、いい。

理想も夢も想像力の産物である。
現実という狭い世界で、目に見えるものしか信じず、欲望は肯定するが、理想を否定するような生き方をしていると、即物的になる。
利害関係を第一に考える世界では、極端に想像力が不足する。
誰もが自分だけを最優先すると、自分が利益を得ることによって、痛みを被る人間が現れることに考えが及ばなくなる。極端な例が戦争である。
理想を追って戦争に至ったケースもある。けれど、戦争とは、結局、誰かの得を力で納得させようとするゴリ押しに過ぎないのではないだろうか。戦争では、想像力を理屈で押さえ込んで、大量殺人も正当化する。

非常時、自分が死ぬほど空腹で、隣には食べ物を持った幼児がいる。力では、絶対に自分が勝つような相手である。
その際、幼児を殴りつけて食物を奪わない自信があるだろうか。
世界の平和というのは、力を持った者が、安定し、満足している状態でのみ存続できる危うい状態である。
先日亡くなった井上ひさしが言っていた。
「食べ物をよこせ。そうしたら、守ってやる。これが大人の理論」、と。

そんな世界にあって、一人一人が夢や理想を持って生きることによって、世の中は少しづつよくなっていくのではないだろうか。
勿論、ナチスのような糾弾すべき理想もあるし、誰かの夢と誰かの夢が対立することもあるに違いない。
しかし、規模が大きい理想や夢になるほど、人類共通のものとなっていく。
世界平和、といった理想の前に、誰が表立って反対できるだろうか。

一人一人の力は弱い。一般人はなおさらかも知れない。
けれども、私たちだって、著名人のように、大きな理想を発言してもいいのだし、逆に発言するべきだと考える。

ウイ・アー・ザ・ワールド2010


ウイ・アー・ザ・ワールド

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チャラい話

2010年04月13日 | 日常雑感
ある人(女性)のブログを読んでいたら、「飲み会で隣に座ったおじさんの話がチャラくて退屈だった」という下りがあった。

最近、自分の話が薄っぺらになって来たような気がしていた自分にとっては耳が痛い言葉であった。

自分も薄っぺらな話をしてしまうと前置きしておきながら、こんなことを言うのも気が引けるのだが、最近は、「チャラい話」か「うざい話」のどちらかしかできない人間が多くなってきているように思う。

考えてみれば、勤め人は社内でも、得意先など他社の人間と会話しているときも、大抵が「チャラい話」をしている。
営業マンが得意先に行って、まず話すのは季節の話題だとか、昨日の野球の結果だとか、趣味の釣りの話だとか、チャラい話のオンパレード。まずは無難な枕話で口を湿らせてから商談に入るのが常道とされている。
仕事が終わって会社の人間と飲みに行けば、滔々とした上司の説教あり、同好の徒にしか分からないオタクな話あり、どうでもいい人事ネタあり、うざい話が行列するようになる。
とくに、オジサンほどこの傾向は強く、オジサンはチャラい話か、うざい話、または仕事の話しかしていないと断言してしまっても、的はずれではない。

(オジサンの会話公式)
商談 =チャラい話+仕事の話
飲み会=うざい話+仕事の話

しっかりとした生き方をしていれば、チャラい話をせずに済む、という論旨で書き始めたのだが、それではチャラくなくても、うざい話になってしまうかも知れない。
想像力を持って、自分の話がどう聞かれているかを考えれば、チャラくなったり、うざくなったりする確率は減る。
その代わり、無口な人と呼ばれるようになるかも知れない。

とかく、この世は住みにくい。

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みんなあなたを愛してる

2010年04月11日 | 日常雑感
自分の力不足を思い知らされ、落ち込んだ。

そんなとき、Kiroroの「みんなあなたを愛している」という歌を聴いた。
これは子供に人気の「ケロロ軍曹」の映画に使われた歌らしいが、この歌を幼稚園児が熱唱している。
その歌は「◎Kiroro みんなあなたを愛してる◎」から聴くことが出来る。
不覚にも、幼稚園児が歌うこの歌を聴きながら、涙してしまった。

生を受けた以上、その人だけに与えられた役割があり、人生の意義があるはずだ。
「これこそ天職だ」、「この人こそ天が与えた伴侶だ」と思っても、しばしば、人は跳ね返される。
仕事中の大失敗もある。
伴侶の死、という挫折もある。
それでも私たちは生きていく。

高く飛ばない鳥は、大きく落ちない、とは昔の映画の中の台詞。
だが、高く飛ぶ鳥は、落ちるのを恐れて高く飛ばない鳥には決して見ることのできない景色を見ている。

夢や理想を抱いて生きるのも人生。
安定に生きるのも人生。
優劣はない。

どちらの生き方を選ぶにしても、落ち込むことはある。
もう、駄目だと絶望的になることもある。

千人が反対すれども我行かん、という考えもある。
だけど、人は誰もそんなに強くはない。
勘違いかも知れない。
調子のいい都合主義かも知れない。
それでも、どこかに分かってくれる人はいる、と思う人のほうが、「我行かん」式の人よりも信用できるような気がする。

落ち込んだとき、元気になれる曲。
それが「みんなあなたを愛してる」である。

きっと、道は繋がる。

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インタビュー

2010年04月09日 | 日常雑感
2週間前だか、3週間前だったか忘れてしまったのだが、千種駅前のラーメン屋でラーメンを食べて、表に出たところで、テレビの取材を受けた。
別にテレビに映りたかった訳ではないのだが、ラーメンに関しては一家言持っていると自負していた私は、何か気の利いたことを言わなければと思ったのだが、それほど特徴のないラーメンだったので、たいしたコメントができなかった。
後になってから、「ああいえばよかった」などと思ったのだが、まさか、また元に戻って「もう一回カメラを回してくれ」ともいえない。
自分はもともと視覚型人間であり、耳で聞くより文で読むほうが得意である。だから、即妙の回答ができなかったのだと、自分で自分に言い訳をしたのであるが、そこではっと気づいたことがある。
それは、今回は、いきなりマイクを突き付けられ、インタビューされたのであるが、日常は気がつかないだけで、インタビューの連続かも知れない、ということである。
何気ない他人の問いかけの中に、実は重要な意味が含まれていたり、試すつもりの質問だったりすることがある。

非常時には、その人の本当の人間性が出ると言う。
映画「タイタニック」にも、船が沈没するというとき、救命ボートに我先に乗り込もうとした人もいたし、自分の命は後回しにして弱者を助けようとした人もいた。
どのような態度を取るかは、日々どう生きているかによって決まる。
いざとなったら、自分がどちらの側に回るのか。
閻魔さまの前に出たときになって申し開きをしても遅い。

今日できることを明日に引き伸ばさないこと。
高い夢と、具体的な目標を持って生きること。

死に際には、誰もいきなりマイクを突きつけられる。
「あなたはどんな生き方をしましたか?」、と。
そのとき、どんないい答えをしたとしても、オンエアーされることはない。

死に際は極端だが、マイクを突きつけられる前に、答えを出しておかなくてはなあ、と思う次第である。

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知多ビーチランド

2010年04月07日 | 日常雑感
先日、知多ビーチランドに行った。

ビーチランドは、今年の3月20日にイルカスタジアムをリニューアルオープンさせた。
施設などに大きな変化はないのだが、同時にプログラムなどに色々工夫を凝らしている。
リニューアル後のキャッチコピーは「距離感ゼロ」。
もともと、ビーチランドではアザラシなどに直接触れることができるのがウリだったが、今回のリニューアルにより、アシカやイルカにも触ることができるようになった。
また、アシカショー・イルカショーの会場では、観客席との柵を取り払った。
この改良により、より身ぢかにショーを感じられるようになった。

設備で入場者をあっと驚かせるのではなく、手作りっぽい改良が目立つのだが、そんな姿勢からはスタッフの頑張っている姿が感じられる。
若いスタッフが何回もミーティングを重ね、アトラクションを改良しているのだなあ、と思うと、思わず「頑張れよ!」と声を掛けたくなる。
手作りっぽいポップコーン300円だとか、イルカショーの際に売られるポンチョ100円など廉価販売の商品も多い。

食堂も観光施設内としては、カレー500円など廉価のものもあるが、量あるいは質をもう少し工夫してくれば、利用者も増えるのではないだろうか。
この日はオリジナルメニューのジャンボエビフライ丼700円とアサリラーメン650円を食した。
これは、なかなかよかった。

イルカショーでは、前から3列目までをシャワー席と呼んでいた。
みずしぶきがかかる、という意味だが、実際はそれほど掛からないのが普通だ。
このビーチランドのイルカショーは、舞台に向かって右側のシャワー席に座った人は、かなりの水しぶきを浴びていた。
100円のポンチョをケチると、とんでもないことになるかも知れない。

帰り際には、新しく出来た観覧車(500円)に乗った。
日暮れ前の海も見えて、気持ちがよかった。


知多ビーチランドHP







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木下大サーカス

2010年04月05日 | 日常雑感
先日、白川公園で興業を行っている木下大サーカスを観に行って来た。

サーカスは実に10年ぶり。
妙に興奮する心を抑えながら、入場。
中で誘導する係員も、猛獣使いのようなユニフォームが似合っている。
内部の照明も幻想的な雰囲気。
その幻想的な雰囲気から、サーカスはスタートした。

音響やライティングにも凝っていて、「今風」のスパイスを利かせている。
内容としては、猛獣使い、空中ブランコ、バイクなど「鉄板」の種目も多いが、観たこともない新しい種目もあった。

サーカスは「変わってはいけない部分」「変わっていかなくてはいけない部分」に分かれると思う。
親子で観に来て、「これは自分が子供の頃にも観た」という部分がなくてはならないし、全部、観たことのある部分だけでは飽きてしまう。

そういった意味で、木下大サーカスは変わるべき部分と、変わっては行けない部分の線引きがうまく行っている。
10年前に観たサーカスといい感じで変化していて、なかなか見応えがあった。

サーカスは久しぶり、という人が多いと思うが、今度の日曜にでも、観に行かれたらどうだろうか。
名古屋では5月31日まで開演している。


木下大サーカスHP



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二度あることは三度ある

2010年04月03日 | 日常雑感
先日、横断歩道前で信号が変わるのを待っていたら、突然タクシーが停まった。
どうも、タクシー待ちと思われたらしい。
慌てて、手を振って、乗る意思がないことを示し、横断歩道を渡る。
しばらくすると、向こうから来た若いサラリーマン風の男性に頭を下げられた。
後ろに誰かいるのかと思って振り向いたが、誰もいない。
でも、確かにこちらを向いてお辞儀したよなあ、と不可解な思いを抱きながら、家に戻った。
夜になってリカーショップに行ったら、東南アジア風の伯母さんに、またもやお辞儀をされた。
相手は、まったく知らない人である。
二度あることは、三度あったが、いったい、昨日は何だったんだろう。
4月1日の翌日、4月2日のことである。

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