半月ほど頑張ったログ壁塗装も終え、ここ数日はせっせと窓拭き頑張ってます
この週末、足場があるうちに高い所はオジサンに頼むはずでしたが・・・
今日の土曜日は会社のミニバレー大会にピンチヒッターで出掛け
明日は早朝より休日出勤となったオジサンに予定が狂いました。
「ならば私がするしかない
」と足場にのり一人でやっちゃいました
ここ半月ほど何度も高い足場に登るので恐怖感も薄れましたヨ~
以前ならオジサンに任せていた私、ずいぶんと逞しくなったものです(笑)
さて・・・忙しいのは私だけではなく
お向かいに住む義父も何やら自宅庭で毎日頑張っているようで・・・
先日はドス~ン
という音と共に地震のような揺れ
何かと思ったら・・・大きな石(2tほど)が3個

どうやら亡くなった義兄宅の庭石だそうで・・・
別の場所に住む息子さんが家を解体、更地にしアパートを建てるので
義父が形見分けにもらったとか・・・なんとも大きな形見分けですネ~
一先ず我が家の敷地に置き、今月末には義父宅の庭に据えるようです。
もちろん、この大きな石は解体業者に頼んで持って来てもらったのですが
ここ数日、義父は毎日一輪車を押し、徒歩3分ほどの義兄宅を何往復もし
何やら運んでいたようで・・・・
庭には鬼瓦などがあちこちに無造作に転がっていました(笑)

庭造りが大好きな86歳の元気な義父
高齢になってもまだまだ止まることを知らず(笑)どんどん大きくなっています
何でも大きく目立つことが大好きな義父と対照的な義母は
そんな義父に向かって・・・
「若っかもんにそがん大きなモノば残してから、処分するとにも金が要るとに・・」
「その分の金はちゃんと残しとかなんたい
」と意見したらしいけど
耳の遠い義父に聞こえたかどうかは疑問ですけどネ~(笑)
そして、今日は息子のオジサンに義母が愚痴の数々
忙しい時に家事などを義父に頼んだら
「それは重かけん、腰のいとなる(痛くなる)」と義父に断られたとか・・・
「あがん(あんな)重か石は軽々抱えとっとのに
」
「じいさんは好きな事ばする時だけ元気のあっとたいネ~」
「こりゃ~まだ当分は死なんバイ
」
いつも真面目な義母の言葉に思わず大笑いした私でした
昔はそんな我儘な義父が大っ嫌いで義父の言動にイライラしていた私でしたが
今では笑って受け止められるようになり、色んな意味で逞しくなったものです。
最近では義父が息子のオジサンより私のことを信頼していてると感じる時もあります。
30年経って私が身に染みて感じたことは・・・
人を変えてやろうなんて思っていた自分の考えが間違っていたということです。
最近、何かで読んだのですが・・・
幸せな人と不幸な人の違いは
「自分が変わろうとする人間」か「他人を変えようとする人間」の違いです。
「他人と過去は変えられない」
その変えられないことを一生懸命変えようとするのですから
永遠にその人の心が満たされることはありません。
常に何かしらの不平不満で一杯になります。
その人が自分が変わろうと気づくまで不幸は続くのです。
他人を変えようとすることは言葉を換えれば
「自分は一切間違っていない、自分は絶対正しい」ということなのです。
「自分は間違っていない、自分は正しい」と思うこと自体は有害ではないが
しかし、それがエスカレートし「だから相手が変わるべきだ」と
自分の価値観を強要することは間違っていると・・・
相手が変わるかどうかはその人自身が気づくまで変わらないのです。
まさにこの30年間私がやり続けていたこと
「あなたのため」「あの人のため」「教えてるの」「言ってあげてるの」
義父に対してだけでなく、オジサンや周りの人に対してもそうだった自分
「人は変えられない」と言葉ではわかっていて
自分に言い聞かせてみても、なかなかそう思えない自分
それがフッと昨年ぐらいから
そう思えるようになったのですから不思議
イライラが減り、心が軽くなり・・・
結果、幸せな気持ちの時が増えたのは事実です。
しかし、まだまだ修業が足らない私ですから
これから先、もっと大変なことにも直面するでしょう
まぁ~先の事はその時考えることとして
昔より少しだけ成長した自分をチョッだけ自画自賛(笑)
過去を悩まず、取り越し苦労をやめ、人に期待をせず
色んな考えの人がいることを受け入れると・・・
きっと幸せな未来が待っているかもしれませんネ

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この週末、足場があるうちに高い所はオジサンに頼むはずでしたが・・・
今日の土曜日は会社のミニバレー大会にピンチヒッターで出掛け
明日は早朝より休日出勤となったオジサンに予定が狂いました。
「ならば私がするしかない


ここ半月ほど何度も高い足場に登るので恐怖感も薄れましたヨ~
以前ならオジサンに任せていた私、ずいぶんと逞しくなったものです(笑)
さて・・・忙しいのは私だけではなく
お向かいに住む義父も何やら自宅庭で毎日頑張っているようで・・・
先日はドス~ン


何かと思ったら・・・大きな石(2tほど)が3個


どうやら亡くなった義兄宅の庭石だそうで・・・
別の場所に住む息子さんが家を解体、更地にしアパートを建てるので
義父が形見分けにもらったとか・・・なんとも大きな形見分けですネ~
一先ず我が家の敷地に置き、今月末には義父宅の庭に据えるようです。
もちろん、この大きな石は解体業者に頼んで持って来てもらったのですが
ここ数日、義父は毎日一輪車を押し、徒歩3分ほどの義兄宅を何往復もし
何やら運んでいたようで・・・・
庭には鬼瓦などがあちこちに無造作に転がっていました(笑)


庭造りが大好きな86歳の元気な義父
高齢になってもまだまだ止まることを知らず(笑)どんどん大きくなっています

何でも大きく目立つことが大好きな義父と対照的な義母は
そんな義父に向かって・・・
「若っかもんにそがん大きなモノば残してから、処分するとにも金が要るとに・・」
「その分の金はちゃんと残しとかなんたい

耳の遠い義父に聞こえたかどうかは疑問ですけどネ~(笑)
そして、今日は息子のオジサンに義母が愚痴の数々
忙しい時に家事などを義父に頼んだら
「それは重かけん、腰のいとなる(痛くなる)」と義父に断られたとか・・・
「あがん(あんな)重か石は軽々抱えとっとのに

「じいさんは好きな事ばする時だけ元気のあっとたいネ~」
「こりゃ~まだ当分は死なんバイ

いつも真面目な義母の言葉に思わず大笑いした私でした

昔はそんな我儘な義父が大っ嫌いで義父の言動にイライラしていた私でしたが
今では笑って受け止められるようになり、色んな意味で逞しくなったものです。
最近では義父が息子のオジサンより私のことを信頼していてると感じる時もあります。
30年経って私が身に染みて感じたことは・・・
人を変えてやろうなんて思っていた自分の考えが間違っていたということです。
最近、何かで読んだのですが・・・
幸せな人と不幸な人の違いは
「自分が変わろうとする人間」か「他人を変えようとする人間」の違いです。
「他人と過去は変えられない」
その変えられないことを一生懸命変えようとするのですから
永遠にその人の心が満たされることはありません。
常に何かしらの不平不満で一杯になります。
その人が自分が変わろうと気づくまで不幸は続くのです。
他人を変えようとすることは言葉を換えれば
「自分は一切間違っていない、自分は絶対正しい」ということなのです。
「自分は間違っていない、自分は正しい」と思うこと自体は有害ではないが
しかし、それがエスカレートし「だから相手が変わるべきだ」と
自分の価値観を強要することは間違っていると・・・
相手が変わるかどうかはその人自身が気づくまで変わらないのです。
まさにこの30年間私がやり続けていたこと
「あなたのため」「あの人のため」「教えてるの」「言ってあげてるの」
義父に対してだけでなく、オジサンや周りの人に対してもそうだった自分
「人は変えられない」と言葉ではわかっていて
自分に言い聞かせてみても、なかなかそう思えない自分
それがフッと昨年ぐらいから
そう思えるようになったのですから不思議
イライラが減り、心が軽くなり・・・
結果、幸せな気持ちの時が増えたのは事実です。
しかし、まだまだ修業が足らない私ですから
これから先、もっと大変なことにも直面するでしょう
まぁ~先の事はその時考えることとして
昔より少しだけ成長した自分をチョッだけ自画自賛(笑)
過去を悩まず、取り越し苦労をやめ、人に期待をせず
色んな考えの人がいることを受け入れると・・・
きっと幸せな未来が待っているかもしれませんネ


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