高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

ミラノのパフォーマンス

2007年06月29日 08時16分45秒 | 海外事業展開グループ

07_053 前日まで2週間の出張を終え、翌日16時から「海外事業展開グループ」の会議であった。ほぼ、イタリア行きの骨組みは決まり、今は肉付け作業に入っている。タイムスケジュールを追いながら、DM、カタログ、ポスター、装飾品、海外輸送の手配、関税のATNカルネ、旅券の手配、会場レセプションの食事、お酒、通訳等など、準備することは山ほどある。しかし、よくここまで漕ぎ着けたものだ。大方の目処が立ったので、今日は会議後、「暑気払い」と称してみんなで一杯することになった。

そこへ、出店メンバーではないが、県の職員の「K」さんが一緒に参加した。彼はかねてのブログで紹介したこともあるが、実に話すことが面白い、脚本家というか?誇大妄想的?本人も話しているうちに、自分で考えたことか?現実か?判らなくなってしまうほど、話に引き込まれてしまう。今回も、

ミラノでただ、作品を見せるだけでは詰まらんて!行くんだったら、遊んでかなくちゃ、思い出に残る事をしてこなくちゃ!由布さんがミラノの石畳にゴザを引いて、竹を足剥ぎしたら、ヨーロッパ人は度肝を抜くよ!「それを見て、やっぱり、人間は猿から進化したのだ。」と考えるよ。大橋君と高江さんは白装束で「四海波」の大きな物を二人で編んで、おもむろに出来上がった頃、由布さんが「カー!」とか言いながら榊を振ってお払いをする。その篭に花を投げ入れると、ミラノの人は一瞬どよめき、「ホー」と言う。毛利さんは壁から大きな和紙をぶら下げ袴姿でたすきをして、「書」を書き出す。

07_057 話は止め処もなく続いていく、聞いている大橋君なども何度もうなづき、もう完全に彼の話術の中に嵌っている。会場でのパフォーマンスに留まらず、近くの大学や小学校に出前で「竹細工教室」「竹トンボ教室」などしてはどうか?イタリア大使館にアプローチしてなど、中には現実味のあることも言う。みんなもその気になり、会は盛り上がっていった。

ほんと、せっかく行くのだから、一生の記憶に残るような事をやってこよう!格好をつけなくても良いから、イタリア人の中に「東洋からこんなやつらがやって来た!」と印象に残るようなパフォーマンスをやってこようとみんなで確認した一夜でした。

竹工房オンセ

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先生

2007年06月29日 07時34分06秒 | 工房

07_049 名古屋から、小学校の恩師である「服部先生」が工房に来てくれた。小学5年、6年の時の担任をしていただいた。ワンパクだった私にも目をかけて下さり、40年経った今でも良く覚えていて下さる。一番の思い出は卒業前の謝恩会で、クラスごとに出し物をするのであるが、その時の劇の企画から脚本まで私に任せて頂いた事だ。「おだてりゃ、豚も木に登る!」のように、いたずらばかりしていた私も任された責任の重さに本当に一生懸命取り組んだ記憶がある。劇の司会も勤め、1000人近い観衆の前で最後までやり遂げた時は今でも忘れない。07_052 40年の時を越え、今度は九州の私の工房でお会いできるとは夢にも思いませんでした。体の大きさは大、小が逆転して、もう80歳になられた先生は小さくなって居られたが相変わらず、40年前の子供の時の私を見るような優しい目つきをされていた。

娘さんと二人で3泊4日の旅、別府温泉と湯布院温泉でゆっくりとした旅を親子で満喫されて、最終日に工房に来てくれたのです。本当に遠いところありがとうございました。

竹工房オンセ

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